31:真田進に出来ること
驚きの視線が真田へ向けられる。
全知全能の女神さえ対応不可な概念に対し、伝説級のスキルを持ちながら二十回以上も死にまくっている男に何が出来るというのか。
「なあエントロピア様、その『無』って何処にあるの?」
「――真田さん達の拠点から遠く離れた、世界の果てに。人の身では到底辿り着くことの出来ない辺境の地に『在る』といえます」
「普通には無理でも、女神様の転移なら行けるってことだよな?」
その問いにエントロピアは小さく、微かに頷いた。
「無の中枢へ直接転移は無理ですが、近くまでなら送ってあげられます」
「んじゃあ早速――」
「ま、待ってススム! ちょっと待って!!」
慌ててノエラが引き留める。
彼女は気付いていた。
いつもと何かが違う。
普段であれば辺りに漂う気楽な雰囲気が、今は……無い。
彼は行ったが最後、帰ってこない。
そんな漠然とした不安が……在る。
「ススムが行くの? 今すぐ? え、えっと……もっと後でも大丈夫じゃないかな? それに、それってそんなすぐにススムがやらないとダメなこと? 他の勇者的な人がやってくれるかも!」
普段使わない頭をフル回転させているのだろう。ノエラは瞬きさえ忘れ、額にビッシリと脂汗を浮かべている。
「ねぇ女神様! 無理にススムがやらなくてもいいんでしょ!? まだ時間だってあるよね!?」
「はい、ノエラさんの言う通りです。真田さんが対処する義務はありませんし、仮に立ち向かうとして……世界が『無』に飲み込まれて完全消滅するのは遙か先の未来。皆さんが天寿を全うしても余りある、まだ先の話です」
「ほら、今すぐじゃなくて大丈夫だよススム! まだノンビリしてて平気だよ! 頑張るにしても、もっとゆっくりして……おじいちゃんになって死ぬ前とかでいいんじゃない?」
女神空間にノエラの明るい声が響く。
だがそれは誰の耳にも、焦りと恐怖が入り交じった空元気極まりない響きとして届いていた。
「なあノエラ、俺の目標……覚えてるか?」
そんな彼女へ諭すように真田が声を掛ける。
「えと……スローライフ、だよね。覚えてるよ」
「ん、そうだな。その通りだ」
彼は再三にわたり繰り返してきた。
楽しく穏やかなスローライフを送るのだ、と。
何度失敗しても、どれほど死んでもめげずに邁進してきた。
「俺がジジイになるまで『無』を放置したら、知らない間に消えちゃうヤツがいるかもしれない。ノエラが、サリエルが、オルフィアが……もしかしたらエントロピア様だって消えちまうかもしれない。記憶にも残らず、いなくなっても気付かない……何処かの誰かが、そんな風にして消えちゃうかもなんだ」
「……っ!」
「そんなの、俺がやりたいスローライフじゃない。俺は、俺が最高だと思うスローライフの為に……みんなで楽しくノンビリ暮らす毎日の為に、あの『無』を、なんとかする。やんなきゃダメなんだ。今すぐ、何が何でも、絶対に……!」
彼の言葉には熱があった。固い決意と覚悟があった。
真田の思う異世界スローライフの条件。それが、皆で幸せに過ごすこと。
ずっと彼の間近に居たノエラには、それが実感として伝わって来る。
「そんなの……じゃ、じゃあ……それなら……!」
「お、おいノエラ……!」
ロッドを手に身構えるノエラ。彼女の杖が向く先は、女神エントロピア――その人だ。
「転移が出来なきゃ『無』の所には行けないんだよね!? なら女神様が居なくなれば……!」
「待て! 何する気だ、ンなことするな!!」
「ススムは離れてて!」
真田を突き飛ばしたノエラが呪文を唱え、ロッドに凄まじい勢いで魔力が集う。
それは空間が歪んで見える程の量と濃度であり、これまで彼女が見せてきた魔法とは桁違いのモノだ。
「ゴメンね女神様! 何が何でもススムを止める! でも私じゃ……他に方法が……!」
「ノエラさん……」
エントロピアは哀しげに目を伏せる。
それは天に唾するのと変わらない――そんな悲哀を感じさせる表情だった。
「加勢するぞノエラ殿! 私が隙を作る!!」
「オルフィアさん!」
銀の剣を抜き放ち、オルフィアが女神へ斬りかかる。
「騎士である貴女まで……神に仇なすというのですか?」
「不敬は百も承知! だが真田殿には借りがある! 彼を失う選択は出来ぬ!!」
振りかぶった剣に聖なる力が集い、鋭い純白の輝きが刃に宿る。
「斬り捨て御免! 王国騎士団が奥義! グラン・ザッパーーー!!」
振り下ろされる光の刃がエントロピアの胴を袈裟懸けに裂いた――かに見えた。
「……ッ!?」
だが女神に触れた瞬間、刃はガラスのように粉々となって辺りに散った。エントロピアには傷一つさえ入っていない。
しかし――。
「騎士の刃は届かずとも、同じ神の力であればどうです!」
「サリエルさん……」
上空へ舞い上がったサリエルが聖句の詠唱を終え、エントロピアに向けて両手を突き出す。
「全てを滅ぼせ神の十字架! ディバイン・クロス!!」
瞬間、エントロピアの周辺に鋭く尖る十字架が無数に出現して彼女に殺到する。
大小様々な十字架は目にもとまらぬ速度で女神を貫こうとするが、その全てが彼女の肌に触れることさえ能わず弾き返され周囲に落ちる。
「お二人とも……」
呟き、一歩も動かずエントロピアは立ち続ける。それが彼女の義務であるかのように。
「くっ……我が神よ! 哀れな子羊に力を……巨大な神に一矢報いる力を!! ディバイン・ランス!!」
めげずに畳み掛けるサリエル。
空いっぱいに光の槍を生み出し、列を為して投げかける。それは先と同じように全て弾かれてしまうが――。
「頼みますオルフィア!!」
生み出された槍の中でも特に大きく鋭い一本が武器を砕かれたオルフィアの手に渡る。
「うおぉっ! 王国騎士団、秘奥義ッ!! バニシング・スクライド!!」
全身全霊を宿す渾身のチャージ!
槍と一体化したオルフィアが回転を伴ってエントロピアの胴へ身体ごと体当たりを敢行する!
しかしそれでも女神には通じず、槍は砕けて光は散ったが――オルフィアが、そのままエントロピアに組み付いた!
「今だ! ノエラ殿!!」
「――生きとし生ける全ての者よ、お願い、私に……力を貸して!! 原初の炎! プリミティヴ・フレアーーーッ!!」
ノエラの声を爆音が掻き消す。
一瞬のうちに空間が縮小し、直後に広がって爆ぜた。
全ての分子構造を破壊し焼き尽くす業火がエントロピアを包み、容赦なく分解する。
ノエラの魔法は味方には当らない。
だが今は――今だけは、女神エントロピアは彼女の敵だった。
「凄まじい魔力。人類最高レベル……いいえ、限界を超えています。これが魂に宿り次元を超える、意思の力なのでしょうか。繰り返す時の中で、これ程までに強く想いを重ねて……」
しかし、それでも女神は無傷だった。
無理もない話だ。
海に一石を投じたとて何が変わるだろう?
太陽を殴りつけてダメージが与えられるだろうか?
ノエラたちとエントロピアの間には、それ以上の……宇宙規模での実力差がある。
彼女達がどれほど命を賭した一撃を放とうとも、エントロピアにとってそれは、そよ風以下。埃が肌に触れるよりも微細な変化に過ぎない。
だが!
それでも!
「うあぁぁぁーーーッ!!」
ノエラがロッドで殴りかかる!
オルフィアが関節を決める!
サリエルが髪を引っ張る!
誰一人諦めない。
三人は渾身の力で抗い続ける。
「皆さん……もう止めましょう。こんなことを幾らしても……」
「このっ! このぉっ! 口の中ならどうだっ! ファイア・ブリッツ!!」
「腕が無理なら、せめて小指を……うおぉぉッ!!」
「ディバイン・ランス! ディバイン・ランスっ!! 信仰を力に――!!」
死力を尽くした絶え間の無い攻撃。
「お願いです、皆さん。もう、これ以上は……!」
「プリミティヴ・フレア!! プリミティヴ・フレアッ!! もう一発、口の中へプリミティヴ・フレアーーー!!」
「小指が無理なら爪だ! それも無理なら、産毛を……毟る!!」
「我が神よ! 女神の目を潰す力を!! 砕けろ眼鏡ッ!! このっ! このぉッ!!」
炎と爆煙が上がり、幾度もの衝撃波が大気を震わせる。
ノエラたちによる一方的な攻撃は、いつまでも続くかに思われた。
だが――。
「――っ! いい加減に、してください!!」
エントロピアの怒声と共に放たれた神威。それが炎と煙と三人の娘たちを、大きく弾き飛ばす。
「皆さんの気持ちは分かります……仲間を、大切な人を失いたくない気持ち……痛い程に。ですが……ですがっ!」
倒れ込むノエラたちへ向けられる、エントロピアの声――深く熱い憤り。
「貴女たちに、私の気持ちが分かりますか!?」
感情の昂りと共に、ドンッ! と再び神威の衝撃が広がって床が大きく陥没する。
「全能でありながらどうすることも出来ず! 守るべき者に頼らざるを得ない無力感! 親しい相手を何度も何度も消滅の死地へ送り出す罪悪感! それを繰り返し続ける私が……どんな気持ちでいたか! 独りで苛まれ続けたか!! どれだけ! どれだけ……ッ!! 貴女たちに、それが分かるというのですか!!」
地団駄を踏むかのように衝撃波が幾重にも重なって無限の空間を打ち、大気を震わせた。もしもここが地上なら大陸の一つや二つは消し飛ぶであろう、それ程の憤り――。
否。
哀しみだった。
「エントロピア様……」
「はぁっ、はぁっ……ご、ごめんなさい。女神ともあろう者が、とんだ醜態を……」
わめき散らしてようやく気持ちが落ち着いたのか、エントロピアがシュンとした様子で皆に頭を下げる。その姿からは、先ほどまで感じていた偉大な女神としての威圧感は微塵も感じられない。
「無力な私に出来ることは……真田さんの意思を尊重し、願いを叶える為に送り出すこと……それだけなのです」
「いや、ンなコトないだろエントロピア様!」
しょげ返るエントロピアに真田が声を掛ける。
「あれ、ススムどこ行ってたの?」
「お前らの攻撃やら何やらの余波を食らって消し飛んでたんだよ! 雑にバカスカ攻撃しやがって! 死ぬ度にここへ復活するんだけど、その瞬間に別の攻撃で消し飛んでは復活して……断末魔上げる余裕もなかったっての!!」
二十六回目はグラン・ザッパーの衝撃波で破裂死。
二十七回目はディバイン・クロスの光で焼死。
二十八回目はディバイン・ランスとバニシング・スクライドの余波で木っ端微塵となって死亡。
二十九回目はプリミティブ・フレアからの放射熱で分解死。
そして三十回目は女神の地団駄に巻き込まれて死――。
「特に最後のアレ何なの!? 急に景色が歪んで時間の流れが遅くなって、身体がニョーンって伸ばされてミチミチィって引き千切られて死んだんですけど!!」
「あ、それは……わ、私が感情を抑えられなかったことによって普段は抑えている女神の力が質量という形で表われたのですね。突然現れた巨大な質量によって時空が歪み、真田さんはその歪みに巻き込まれたのです」
エントロピアが申し訳なさそうに口を開く。
「空間を歪める程の質量が出現すると重力は距離に応じたグラデーション状となって、近い側となる真田さんの『胸』は猛烈な力で前方へ引っ張られますが、数十センチ後ろにある『背中』はそこに取り残されようとします。胸と背中に掛かる重力の差が真田さんの身体を容赦なく前後に引き延ばし、分子結合を崩壊させながら紐のように変形させます。スパゲッティ化と呼ばれる現象ですね」
「脳天気な名前付けやがって……カルボナーラにでもする気かよ! あと、なんか時間がゆっくりに感じたんだけど」
「何故か男性は好きですよね、カルボナーラ。時間の流れが遅く感じたことについては、超質量に極限まで近づいた真田さんの胸側は背中側に比べて『時間の進みが遅く』なった為ですね。結果として『体の部位ごとに時間の流れるスピードが違う』という状況について脳が理解を拒み、体験としてそうなった、と……」
「分かりやすく例えて」
「え、えっと……大雑把に言うと私が怒った勢いでブラックホール化して、その超重力に巻き込まれて死んだ、という感じです。死んだのは残念ですが、世界をくまなく探してもコレを体験して生きている人なんて殆どいないでしょう。超レアな死因です」
「凄いねぇ! 贅沢な死に様だよー!」
「単に女同士のケンカに巻き込まれて死んだだけなんだけどもね」
現実でも異世界でも女の諍いに巻き込まれたら死ねる。気を付けよう!
「ま、それはそれとして……エントロピア様、そろそろ送ってもらっていい?」
事もなげに彼がそう言った時、この場の全員が息を呑み、女神空間は静寂に包まれた。




