32:俺にだけ物理が厳密に適用される異世界スローライフ
「どうしても行かれるのですね」
「まぁね……ってか、その辺りって女神様の方が分かってたりするんじゃない?」
そう真田が笑うと、エントロピアは辛そうに目を伏せた。
「どういうことだ真田殿? 説明を頼みたい!」
「多分、俺が『無』に挑むのってコレが最初じゃないんだ」
そこで一拍を置き、真田はオルフィアの疑問に応える。
「あの『無』に触ると記憶も記録も全部消える。だから誰も覚えちゃいないけど、俺は毎回こうして『無』に挑んでは負け……ってのを繰り返してるんだろ。当然、女神様の記憶からも消えるけど、状況から『無』に対峙して消えたヤツが居た、ってことだけは分かる。だから――」
「時空を操る権能を持つ女神エントロピアは、時を巻き戻し、再び真田を転生させた……?」
サリエルの声に、真田は静かに頷いた。
「多分ね。触ったら何も残さず消えるモノに挑む馬鹿なんて、そういない。だから毎回愚直に突っ込む俺に可能性を見出したエントロピア様は、条件を微妙に変えて試行錯誤しながら……多分、俺に与えるスキルを調整して何度も俺を転生させ続けたんだ」
「――ご想像の通りです。ごめんなさい、真田さん。私は貴方を、便利な道具のように利用して……」
「謝らないでくれよエントロピア様。覚えてないから平気だし……何だったら、むしろ頼ってくれて嬉しいぜ!」
「さ、真田さん……」
「だって何回も俺を信じてくれたんだろ? 今回はダメだったけど次こそは。もしかしたら次の俺ならイケるかも、ってさ! 存在ごと記録や記憶が消えても、顔も知らない俺に賭け続けてくれた――それで十分さ!」
真田が、ぐっ、と拳を握り込む。
「何回目か知らないけど今回こそはイケる気がするんだ。前の俺が、俺たちが……そう言ってる気がする! 期待しててくれよエントロピア様! 俺が『無』に楔を打ち込んでやる……日本男児のド根性、見せてやるぜ!」
意気を上げる真田。彼の背後では「無」の彼方に消え去った無数の男が、同じように拳を固める姿が幻視された。
だが――。
「ススム……」
そんな彼の服をギュッと掴み、引っ張る者が居る。
「お願い、行かないで……!」
「ノエラ……」
それは水着姿で小麦色の肌をした、ショートカットの可愛らしい娘だった。
そんな少女が真田の服をしっかりと掴み、ホロホロと大粒の涙をこぼしている。
「ススムが居ないと寂しいよ、一緒に居てよぉ……忘れたくないよぉ……!」
いつも元気で脳天気で賑やかな少女。そんな彼女が涙を見せたのは、これが初めてのことだった。
「どうしても行くなら、行くなら私も連れて行って! 最後までススムと一緒に居る! 一緒がいい!!」
「ノエラ……」
必死の声を上げる少女。
しかし。
「ごめんな」
真田は彼女の手を取ると、そっと引き離す。
「お前まで消えちゃったら、もし俺が生き残れても一緒にスローライフ出来ないだろ? 家で待っててくれよ」
「やだっ! 一緒に行く! 何でもするから、ねぇお願いススム! 置いて行かないで! ひとりは嫌だよ!!」
再びノエラが真田の服を――腕を掴む。
その手には、絶対に離すまいという強い意思が感じられた。
「ススムのこと忘れちゃうなんて嫌! 絶対にやだ!! 死んでも構わない、だから一緒に居させて! お願いだよススム!!」
「ありがとな、ノエラ。お前がそう言ってくれるからこそ……俺は行くよ」
真田も再び、ノエラの手に自らのそれを重ねた。
「お前を……世界を守りたいんだ」
「……っ!! う、うぅぅぅ……ッ!!」
強く、確かな意思。
「そんなの、ずるいよ……ずるいよ、ススムぅ……!!」
「悪いな、ノエラ――ありがとう」
崩れ落ちるようにして、ノエラの手は真田から離れた。
「エントロピア様、転送を頼む! じゃあな、みんな! いままで楽しかったよ!!」
「真田……!」
「真田殿っ!」
「ススム……!!」
皆の声に手を挙げて応える。
そして――。
「真田さん……この世界を、お願いします……!」
エントロピアが転送を発動させ、彼の姿は女神空間から消え失せた。
――世界の果て。
視界を遮る物の無い、荒涼とした荒れ野原。
寒風吹き荒ぶその地に、ソレは在った。
「これが『無』か……思ってたよりも、ずっとデカいな」
真田の見つめる先。その空と大地を切り取るようにして、巨大な黒い球が存在していた。
サイズ的には、首を巡らせなければ端から端までが視界に収まりきらない程。半分は地面に埋もれており、半球のように感じられる。
「何も異常は感じないけど、コレに触れた空気も光も存在ごと消え失せて俺には認識できてないからなんだろう。女神様の転移でも直接内側へ乗り込むのは無理みたいだし、俺の瞬間移動でも移動先として指定出来ねぇ……空間自体が存在しないからなのか?」
腕を伸ばせばそこに在る。なのに無い。
そんな矛盾が女神さえも手を焼く「無」という代物だった。
「この矛盾さえ解決出来たら……場所さえ指定出来たら、エントロピア様が何とかしてくれる筈だ。それなら一か八か、やってやるぜ!」
頬を叩いて気合いを入れ、真田が身構えた。
「座標指定は出来ない。けど時間が流れてない場所って形でなら指定出来る……行くぞ――瞬間移動!!」
続け様、慣性が露出するよりも早く真田の姿が掻き消える。
次の瞬間、彼が姿を現したのは世界で唯一、時の流れが存在しない「無」の内側だ!
無い筈の場所への移動は、消去法によって為された。
「よし、出来た! これで俺を……エントロピア様が観測してくれたら……! それが『無』の位置で……中枢……!!」
だが同時に『無』に触れた真田という存在が、分解され、崩壊して行く。
肉体が。
心が。
記憶と記録が。
塵さえ残さず消滅する。
彼という存在を構成していた情報が、世界から、皆の中から、完全に消え去る。
それがファンタジーならば。
「うおぉぉっ! 物理ナメんなあぁぁぁぁーーーッ!!」
だが真田は消えない。
たとえ分解されバラバラになったとしても、姿を変え、形を変え、彼は残る。
生きた痕跡を、爪痕を世界に残し、次へと繋ぐ。
生きとし生ける物。
世界に存在する全ての物。
それらが例外なくそうであるように、彼にだけ厳密に適用される物理法則が――エネルギー保存の法則が、新たな何かへとエネルギーを――想いを繋ぐ!
「真田さん! 貴方のド根性、無駄にはしません!!」
世界に轟くエントロピアの意思。
その「無」に残された真田の痕跡が――打ち込まれた楔が、女神に千載一遇の好機を与えた。
「ここですね!!」
楔を頼りにエントロピアが力を集中させる。
女神の権能が幾万の試行を経て「無」に及び、ガッチリと食い込んだ!
「でえぇぇりゃあぁぁぁぁーーーッ!!」
瞬間、宇宙開闢に匹敵する超エネルギーが時空を越えて「無」に殺到する。
そして超エネルギーは「無」を存在の根本から絡め取ると、根の深い雑草を土から引き抜くように、勢い良く世界から引き千切った!
「この世の全てからっ! 消え失せなさいっ!!」
勢いそのままに、渾身の力でエントロピアが「無」を投げ飛ばす!
世界の、宇宙の、この世の果ての更に向こう側。空間と時間を超越した何者さえも到達出来ない、世の理を超えた境界線の遙か向こう側へ。
あらゆる大地が鳴動して空が震え、時空が歪んで世界の形が変わる。
永劫と思える程に長く、刹那と思える程に短い時間。
人類の知覚では観測出来ず、出来たとて認知の外側にあって理解の及ばない領域の果て。
そして「無」が「在った」場所には――何事もなかったかのように、荒涼とした荒れ野原が何処までも広がっていた。
「ねえ、エントロピア様……」
「何でしょう、ノエラさん」
「何回くらいススムのこと転生させたの?」
「記憶が定かではありませんが、少なくとも……自分で決めたアイテムボックスの仕様を忘れてしまうくらいの回数は、行ったようですね」
「……そっかぁ」
落ち着きを取り戻した女神空間にて、座り込んだままのノエラが、ポツリと言った。
「ここで待ってても……復活したり、しないんだよね」
「――はい。彼という存在は『無』と共に遙か彼方へ行きました。そこは世界のルールも、私の権能も及びません。復活も転生も不可能です」
「でも私が覚えてるってことは、ススム……消えて無くなったわけじゃないんだよね」
「――はい。現状ですと通常の死が、最も近しい概念となります。ですが……」
伝えるべきか否か。
逡巡を見せたエントロピアだったが、意を決して口を開く。
「真田さんという存在が、世界のルールが及ばない何処かで元通りに再構築されているかもしれません。しかしその可能性は極めて低く――例えるなら、海に投げ込んだ時計の部品が海流だけで完璧な時計として組み上がる――それよりも更に低い確率です」
偶然だけを頼りとしてそれを為すには、奇跡が何度も必要だ。
「仮に奇跡に奇跡が重なって因果が繋がり、真田進が誕生したとしても……それは異なる世界の別人です。こちらで過ごした記憶は――」
「そっか……うん、分かった」
小さく呟き、涙を拭い、ノエラが立ち上がる。
「エントロピア様、色々ごめんね。あと、ありがとう!」
「やはり、行かれるのですね」
「うん! ちょっとススムを探しに行ってくるよー!」
ロッドを携え、帽子を被り直し、ノエラが元気に言った。
「それでススムに会えたら、何も覚えてなくても最初からやり直す! エントロピア様が何万回も何億回もススムを転生させ続けたのに比べたら全然余裕! だから私も負けずに頑張ってみる!」
「ノエラさん……」
笑顔を見せるノエラ……と、彼女は何かに思い当たる。
「そっか……だから私って、旅する魔法使いなんだ。やっと分かったよー!」
幾千、幾万、幾億と転生を繰り返す彼を探し求め、旅を続ける少女。その姿をエントロピアは知っている。
どれほど時を巻き戻し、条件を違えようと、彼女は必ず、彼の元へ姿を現す。
「それじゃ、行ってくるね!」
そう言い残し、ノエラは今回も、旅に出た。
そして――。
緑豊かな山中にて、大勢の山賊に囲まれる男の姿があった。
「おあぁぁヤバいぃ! このままじゃ殺される! 死んでしまうっ!!」
ジリジリと間合いを詰める山賊たちを前に、男の顔面に脂汗が浮かぶ。
と、その時――。
「ちょっと待ったぁ!!」
突如、辺りに響く軽やかな声。
そちらに視線をやれば、奇妙な格好をした少女が一人。腕組みをして不敵な笑みでこちらを見ていた。
歳の頃は十代半ばくらい。鍔の広い帽子に短いマント。ビキニにパレオを巻いたような水着風のコスチュームで、露出した肌は健康的な小麦色。夏のビーチが似合う、活発でノリの軽そうなショートヘアの娘だった。
「何だ、テメェは!」
「名乗るほどの者じゃないけど、弱いものイジメは許せない! そんな感じの者だよ! とぅっ!!」
少女は高々とジャンプし、空中で身を捻る。そして山賊と男の間へ割って入った。
「助けに来たよ! 顔が悪いけど、大丈夫?」
「おぉっ、ありがたい! 大感謝だけども悪いのは顔じゃなくて顔色ね!? 初対面でいきなりメンタルにダメージ入れるのは控えて……?」
ふと、男が不思議そうに首を捻る。
――物理学では、エネルギーは消えてなくなったりしない。
「あ……え?」
――基本原理であるエネルギー保存の法則に従って、形を変え、名を変えて残り続ける。
「んと……お? あれっ?」
「どしたの? 私の魔法は味方に当らないから平気だよ!」
――消えてなくなったりしない。
「いや、そうじゃなくて……え、えっと……」
「……?」
――必ず、残る。
「――――…………ノエラ?」
「……!! ススムぅーーー!!!!!」




