29:霊と女神と燃料空気爆弾
ファンタジー世界の墓地は基本的に薄暗くジメジメとしており、足下は土。多くのウィルスや菌が繁殖するのに適した環境だ。
「ゴーストだから物理無効? ハッ! ナメんな! 現代物理学の前に、お前らが立ち入る隙は1ミリも残ってないぜ!!」
手袋にゴーグル、マスクで接触感染対策ばっちりの真田が叫び、墓石を磨き上げる。
「オラぁ、一丁上がり! ブラシの擦れる音が、お前らのレクイエムだ!!」
「すごいよススム、絶好調だ! 死んじゃった回数で圧倒してるから楽勝なんだね!」
「まーね! 死亡回数二十四! 死因は様々! 死亡経験だけなら簡単には負けないぜ!」
「真田殿、そんな辛そうな表情で強がらなくても良いのだぞ?」
泣き笑いの表情で墓石を磨く男、真田進。繰り返される死が彼をここまで強くした。
「それはそうと真田殿、ボトルの詰め替え液が残り少ない」
「ちぃっ! 女神様、詰め替えパック頂戴!」
「えぇー!? 私が買い置きしておいたヤツなのに……別に専用詰め替えパックじゃなくても殺菌さえ出来たら構いませんよね? じゃ、コレ使ってください」
そう言ってエントロピアが取り出したのは、一斗缶に入った、嗅ぎ覚えのある香りがする無色透明な液体だった。
「これなら殺菌効果ありますし、沢山あるので少しくらい使っても構いませんよ」
「ありがと! んじゃサリエル、これを上空から散布してくれ!」
頷いたサリエルが一斗缶を抱えて夜空へ舞い上がる。そしてゴーストたちが蠢く墓地へ、件の液体を雨のように降らせていった。
液体に触れた瞬間、解けるように消えるゴーストたち。
効果抜群だ!
「ふあー……なんとなく良いニオイのする水だよね。聖水なの?」
「いや、これ多分アルコールだな。消毒液に使われてるし」
「ふむ、酒精の類いか? なら酔っ払わないように注意しないとな」
言って、オルフィアが剣を鞘に「チンッ」と納めた。瞬間、剣から散った火花。
「あ、待っ……」
炎は待ってはくれない。
瞬く間に青白い炎が波打つように広がって、真田の視界は地表を埋め尽くす火炎で満たされる。
瞬間、ドンッ! と大型トラックに跳ねられたかのような衝撃が真田を襲い、同時にポン、と耳の奥で嫌な音がして目玉が飛び出し視界が暗転する。
「ケパッ……!?」
身体中の穴という穴から空気が、そして中身が強引に引きずり出され――無論、呼吸など出来る筈がない。
炎の海と化した墓地にて、真田は断末魔の声を上げることさえ許されず事切れる。
異世界転生より通算二十五回目となる死亡だった。
――女神空間。
「ちょっとエントロピア様! 今のは流石にちょっとヒドくない!? あんな危険物を普通に渡さないでくれる!? 熱いとか思う暇もなく死んだんですけど!!」
「だ、だってまさか墓地全体に広域散布するなんて思わなくて……とりあえず解説をしましょうか」
詰め寄る真田をどうにか押し返し、エントロピアが語り始めた。
「さっきお渡しした液体は、お察しの通り消毒用のアルコールです。それが上空から散布されて気化し、墓地に溜まります――アルコールは空気より重いので足下に滞留したのですね」
「風もなかったから、そうなっちゃったのか」
「そのようです。そして、そこに着火――広範囲に可燃性液体を撒いてから着火する仕組みは『燃料空気爆弾』という大量破壊兵器の構造と同じです。消毒どころか大気そのものを爆薬に変える、スケールの大きな話となりましたね」
ドカン、とエントロピアが手を広げる。
「アルコール成分による消毒と爆発による熱で病原体――ゴーストは殆どが死滅。同時に広がった爆風によって墓地は超低気圧、低酸素状態となります」
「ふむぅ、実は俺その辺りのことよく覚えてなくてさ。炎が広がったのは見た記憶あるんだけど」
「無理もないでしょう。真田さんは、周囲の気圧が急降下したことによって鼓膜が内側から破裂し、肺から強制的に酸素が吸い出されたことによる超急性低酸素症により、一瞬にして意識を失いました。空気以外にも色々吸い出されてましたが……知りたいですか?」
「いらない」
最初の頃に低圧で死んだ時も酷い有様になっていたらしいので、詳細は聞かぬが仏だ。
「そういや、あの除菌されたゴーストってどうなるの? 普通にファンタジーなら成仏して天国行きとかなんだろうけど」
「アルコールの殺菌効果は、主に細胞膜の破壊によって機能を失わせることです。なので誤解を恐れず言うならば、ゴーストの死体が残る、みたいな感じになりますね」
「物理的にはそうなんだろうけど、何て言うか……元々の霊的なヤツはどうなるの? ゴーストの魂みたいな……」
「気になりますか? 真田さんらしい疑問ですね」
僅かに微笑んだエントロピアは、指先で眼鏡をクイッと持ち上げて続けた。
「ご心配には及びません。真田さんの能力で物理的に処理されたとしても……いいえ、だからこそ。彼らゴーストは『生きた証』を残してこの世を去ります」
「生きた、証……」
エントロピアは小さく頷き、真田を正面から見つめる。
「勇気、友情、愛、根性、憤怒、嫉妬、悲哀……これら感情は原動力などと言い換えられますよね? 少しファンタジックな解釈が入りますが、精神の働きや心の動き……即ち魂とは、エネルギーです」
言って、真田の胸を指で差し示す。まるでそこに魂が存在するかのように。
「そして物理学では、エネルギーは消えてなくなったりしません。形を変え、名を変えて残り続けるのです。ゴーストたちが存在した証を、物理学の基本原理であるエネルギー保存の法則が守り続けます」
真田が自らの胸に手をやる。
それは無意識の行動だった。
「人として生き、亡くなってゴーストになった彼らは、消毒という形で分解されて形を変え、別な何かとなって世界に留まります。消えて無くなったりはしませんから大丈夫。真田さんが単に除菌スプレーをかけるじゃなく、お墓をキレイに掃除したのは……その辺りを気にされていたのでしょう?」
「いや……まぁ、その。綺麗事ってか、自己満足だとは思うんだけど、気分の問題っていうか……」
「ふふっ、良い心掛けだと思います。埋葬されている方々は掃除してくれて喜んでいますとも。道具がトイレ用なのは、どうかと思いますが」
言って、エントロピアはクスクスと笑う。
「では、そろそろ皆さんの所へ転送しましょうか。あ、そうだ。アルコールを渡してしまった迷惑料というわけでもないのですが……」
彼女が真田へ小袋を手渡す。
中身はジャラリと重い、何枚もの金貨だ。
「これなに? くれるの??」
「ええ、そうですとも。優しい女神から真田さんへの、お小遣いです。ここで話をしてる間に他の面々は黒い球を発見し、調査を終えたようです。オルフィアさんの調査もこれで一区切りとなりますから、このお金でお疲れ様パーティーなどしては如何ですか?」
「おぉ、流石は女神様! ありがとう、みんな喜ぶよ!」
と、そこで言葉を句切った真田が少し表情を改めて、エントロピアへ尋ねる。
「ところでさ……エントロピア様。あの黒い球って、一体なに?」
その問いを受けたエントロピアは、少し――ほんの少しだけ考える素振りを見せた後、答えを紡ぐ。
「そうですね……以前にも同じように尋ねられましたよね。ですが、それを伝えるには少々時間が必要です。それに真田さん以外の面々にとっても、知りたい内容になるでしょう。なので皆さんをこちらへお招きして、そこで伝えようと思います」
「あ、いいの? 助かる! 難しい話だったら、どうやってあいつらに伝えようか困ってたんだ」
破顔する真田に、女神が苦笑する。
「では皆さんをお招きする前に改めて部屋を掃除したいので……騎士団への報告とパーティーの後にしましょうか。あ、そうだ! あの除菌スプレーと詰め替えパック、余ったなら返してくださいよ? そもそも燃料空気爆弾が発生したのだって、真田さんが私の買い置きを勝手に使うから……」
「おっけ、今度アイテムボックスに入れとく! んじゃ、また後で!」
笑顔のまま転送されて行く真田を見送るエントロピア。
その表情に先ほどまでの笑みはなく、静かで深い悲哀だけが宿っていた。




