24:調査対象
ようやく静寂を取り戻したフラノ湖。
揺蕩う水面にボートを浮かべ、皆で乗り込み湖の中央へと漕ぎ進める。
「コレが調査対象だ。さっきも言ったが危険なので決して触れないように」
「それは分かったけど何これ? 黒い……玉?」
水面から1メートル程の高さに浮かぶ、タマゴくらいの大きさをした黒い球体。
音もなく、動くでもなく。ただそこに見える漆黒のソレは、空間に穿たれた穴のようにも見えた。
「ソレが何なのかは我々騎士団も把握していない。上からは危険だから触れるなとのお達しと、経過を観察せよとの指示が出ているのみだ」
言ってオルフィアが物差しを取り出し、黒球のサイズを測り始める。
「ん……8センチ4ミリ? 前回調査時より少し大きくなったような、なってないような?」
「その計測方法でミリ単位まで記録しても意味あるかな……っと!」
その時、僅かに風が吹いてボートが揺れた。
全員が僅かによろめき、オルフィアが手にしていた物差しが黒球に触れる。
「おっと危ない。念の為、もう一度測っておくとしよう……ん、あれっ? 物差し……どこいった?」
「物差し? そんなの持ってきてたっけ?」
「あれー? 最初から持ってなかったなら一回目はどうやって測ったの?」
「――異常が検知されています」
四人の間に、僅かな静寂が訪れる。
周囲の音が遠離り、湖面を滑る風がやけに冷たく感じられた。
「……一度測っているのだから、二度目は不要だろう」
「そ、そうだな……ここから離れようぜ」
なんとなしの居心地の悪さを感じ、ボートは黒球から離れ岸へと戻ったのだ。
その頃、女神空間。
エントロピアは陰鬱な表情で俯き、ティーカップをじっと見つめていた。
「もう、接触のタイミングなのですね」
視線の先ではカップに注がれた紅茶が揺れるが、それは既に冷め切って湯気さえ出ていない。
「神は全知全能……全てを知り、全てを実行出来る能力。それなのに……」
口惜しげに唇を噛み、深くうなだれる。
命を司り、時空を支配し、時すらも巻き戻して、世界の壁を隔てた転生さえも操る。そんな女神が見せる、苦悩の表情だ。
「はぁ……悩んでも仕方ありません。私は、私に出来る最善を尽くすのみ。その準備を……あイタっ!?」
その時、彼女の頭に何かがビタンとぶつかり、足下に転がった。
「……魚?」
視線を落とせば白目を剥いた生魚が床に落ちている――少し生臭い。
「どうして生魚が……きゃっ!? いたたっ、んぃっ!? ちょ……やだっ!」
続け様、エントロピアの頭上へと降り注ぐ生魚。一匹や二匹ではない。十数匹単位でビチビチと落ちてくる。
「あ、分かっ……これ真田さんの仕業ですね!? ちょっ……ストップ! 一旦中止!! アイテムボックスにバラで収納するの止めなさいって言ってるでしょ! きゃあっ、あわわっ……ウナギまで!?」
頭上に開いた魚の進入口へ怒鳴るが、雪崩れ込む魚の勢いに女神の声は押し返される。
ぼとぼとビチビチ雨のように落ちてくる大量の魚にエントロピアは全身を打たれ、どんどん魚臭くなって行った。
足下はくるぶしまで魚で埋まり、剥がれたウロコと粘液が女神の肌と室内を汚す。
「いやあぁぁっ! わ、私の部屋が生臭いヌルヌルに……! せっかく木屑とか片付けたばっかりなのに、また……あぁっ!? ごめんなさい何か踏んづけちゃった! ひいぃ……あボぉ!? ぐぇ……ぺぺっ! うぅ、生臭いぃ……!」
口に飛び込んだ魚をペッと履き捨て、脚立を取り出して魚の進入口へ。
「何だか知らないですけど、もう止めなさいって言ってるでしょ!? えい、この……実力行使です!!」
進入口を手で塞ぎ、それ以上の流入を阻止する。
「ふぅ、これでよし……って、あぁっ! 別の入口を開きましたね!?」
すると即座に別の位置に穴が空き、そこから魚がボトボト入ってきた。今度は何やら切り身のような物まで紛れている。
「やだっ、大きい! これ何の切り身……あ、電気ウナギですね!? 仕留めたのを捌いたんだ……せめて冷凍にしてから入れてくれません!? そうしないと血が……あっ、飛び散って目に!! いたたたた!!」
ウナギの血には「イクチオヘモトキシン」という毒が含まれている、気を付けよう!
「ちょっとコレどうするんですか真田さん! まだ来るの!? 私、寝る所もないんですけど! ねぇ、ちょっと!!」
どちゃどちゃアイテムボックスへ投げ込まれる魚の音に紛れ、女神の声が外へ届くことはなかった。
そしてフラノ湖。
「真田殿のアイテムボックス、本当に便利だな。生魚を入れておけば痛まないだなんて……流通革命が起こるぞ!」
「元手が出来たらやってみるのも面白そうだよな。先に卸先を見つけておかないと」
「内地の人が喜ぶよー! 売れ残っても自分たちで食べれば無駄にならないし」
「目に見える範囲の魚は、あらかた回収を完了しました」
先の戦闘時における電撃やら衝撃波やらの影響で、真田と一緒にプカプカ浮かぶ羽目になった哀れな魚たちは、貴重な資源としてアイテムボックスに収納。
期せずして潤沢な食料を手に入れた一行は、次の目的地へ向けてフラノ湖を後にする。
そして――。
「見えて来たぞ、あの洞窟だ」
「早っ!? もう着いたのかよ」
約一日後、特に何のトラブルもないままに目的地へ到着していた。
「あれがアペオス辺境洞窟群、第七坑。通称『暗湿洞』――所謂ダンジョンだ」
「おぉ! 異世界の定番シチュ、ダンジョン! こんなこともあろうかとダンジョンアタック用装備は揃えてあるぜ!」
「ススム、張り切ってるねぇ! バナナはオヤツに入らないよー!」
「ダンジョン内は飛行能力が制限を受ける為、とても苦手です」
ワイワイと盛り上がる四人の眼前。山の中腹にある岩壁に、丁度電車の乗降口程度の洞穴が口を開けている。
「それほど深くはないらしい。暗湿洞の何処かに、例の黒球がある……それを確認するのが目的だ」
「今回は物差し持った?」
「ああ、大丈夫だ。しかし前回も確かに準備した筈なんだが……記憶にないし、購入した記録にも残っていない。妙だ……」
新しい物差しを雑嚢袋に入れつつオルフィアが首を傾げる。
「ま、気にしても仕方ないだろ。今回はしっかり準備したんだから大丈夫ってことで!」
チリチリと燃える真新しい松明を掲げ、真田が先頭に立つ。
「よぉし、ではダンジョン探索隊、出発!」
そして意気揚々とダンジョンへ一歩を踏み込んだ、次の瞬間。
ドカン! と大きな音と共にダンジョン入口は炎と爆煙を吹き出し、真田は一瞬にして木っ端微塵に吹き飛んだ。
そして二十二回目の死亡が確認された。




