14:エントロピーの増大と汚部屋女神
多忙な女神エントロピア。そんな彼女を癒やすのは、休憩時間に飲む一杯の紅茶だ。
「今日は少し趣向を変えてみましょうか」
独り言ち、沸騰したお湯を火から降ろし、茶葉へと注ぐ。
瞬間、漂い出る軽やかな香気。乾燥した茶葉は解れ、膨らみ、ユラリと滲むように紅色のエキスが湯へと溶け出して、濃厚で力強い味わいの紅茶が抽出されて行く。
「これでよし、と……」
予めテーブルへセットしていた茶菓子の隣へティーカップを並べ、改めて深呼吸。先ほどとは異なる芳醇な紅茶の香りが胸いっぱいに満ちて、心なしか気持ちが安らぐ――まるで楽園にでもいるかのようだ。
ここのところ、本当に忙しかった。
一日に何度も何度も死に戻りする者がいるせいで、手続きやら何やらを整えるのが本当に大変だった。
けれどここ数日は彼の顔を見ていない。ラクで良いのだけれど、それはそれで寂しいような気がしなくもない。
「さて……」
そんなことを考えつつ、ティーカップをそっと手にする――と、突然に横から丸太が突っ込んできて、ティーカップと茶菓子をテーブルごと粉々に粉砕した!
「……!?」
砕けたティーカップの持ち手部分のみを手に、女神は硬直する。
何故、丸太が?
そう考えた次の瞬間。
「ふぐゥ!?」
彼女自身も丸太に突っ込まれて吹っ飛んだ。
飛ばされた先には砕けた磁器とテーブル。そして散らばった茶菓子と、未だ熱を持つ紅茶。
「ぐはっ!? うぅ……」
磁器とテーブルの破片がザクザク刺さったまま、頭から紅茶を滴らせてなんとか身を起こす……女神でなければ腰を痛めていただろう。丸太による強烈な攻撃だった。
「こ、これは……節度を守って使えと言ったのに……!」
思い当たる原因は一つしかない。
ヤツだ。この前、あろうことか女神空間へ隕石をブチ込んだ男が、今回は丸太で攻めてきた!
「今度こそ、もっとキッチリお灸を据えないと……えっ? あぁっ!? ちょっ……!」
女神が憤慨する間に、どんどん室内へ突っ込んでくる丸太。漂っていた紅茶の香りはあっさりと消え去り、伐採した生木のニオイが周囲に満ちる。まるで製材所にでもいるかのような気分だ。
更に、ゴロンゴロリと転がり込む岩。一抱えほどもあるソレが、次々と現われて辺りに散らばった。
「製材所の次は石切り場!? もうっ! こんなの置かれたら私の部屋が……あイタっ!?」
何かを踏んづけた痛みに視線を下げると、床に散らばる無数の釘。
「どうして剥き出しでアイテムボックスに入れるの!? ちゃんと釘袋に入れてから仕舞いなさいよ――あぐっ!?」
釘を集めて袋に詰めるエントロピアの頭に、落ちてきた金槌が直撃する。続けてノコギリと鉈、カンナにノミも降り注いで、最後にバケツやら何やら、掃除用具がガラガラと落ちてきた。
「くっ……せっかく隕石の欠片やら何やらを片付けてキレイになったばかりだったのに……! もう私は片付けませんんから……!」
頬を膨らませて肩をいからせ、手近な岩に腰掛ける。
「散らかってたって構うものですか、全ては無秩序に向かうのです! 別に片付けなんてしなくても……?」
と、彼女が不貞腐れた時だ。
ざぶり、と頭上から何かが降り注いだ!
「ぷぁっ!? けほっ、けほけほっ! な、何ですコレ!?」
ドロリとした異臭を放つ紫色の液体まみれとなりながら、エントロピアが叫ぶ。
「ま、まさかコレ、毒沼の……!?」
流石は女神の洞察力。彼女が頭から浴びたのは真田たちのマイホーム予定地にある毒沼の毒液だった。
「やっ、やだ! ちょっと止めて! 流石にコレは……真田さん! 真田さん!? 聞こえますか、ストップです! ストッぷぶぷぶぶ……ぶはっ! ぺっ、ぺぺっ! の、飲んじゃった……!」
空間に空いた穴からどんどん流れ込む毒液。エントロピアは両手で穴を塞ごうとするが、その手を押し退けて女神空間へドチャドチャ入って来る。
床を侵食して広がる毒液。ボコボコと泡立って謎の気体を放ち、製材所のようだった室内の香りが異臭へと変わる。
「いやっ! 私の部屋が! 買ったばかりの紅茶が!! あっ、あっ、あぁぁ……いやあぁぁぁぁ!!」
誰もいない空間に、悲痛な叫びがどこまでも広がって行った。
その頃――。
「最初から、こうやってたら良かったな」
「そだね。でも試行錯誤も楽しいよー!」
肩まである耐水性の革手袋を装着した真田が、田植えよろしく毒沼に腕を突っ込んで輪を作る。すると毒液はゴポゴポと音を立てながら両腕が形作る輪の中へ――アイテムボックスの中と流れ落ちて行く。
こうして毒沼を減らし、家の建築をラクに進める作戦だ。
「でも大丈夫なの? アイテムボックスの中って女神様のお部屋なんでしょ?」
「なんか擬似的に時間止まるらしいし、女神様は丈夫だから少しくらい大丈夫だろ。前に隕石突っ込んだ時も平気だったし」
「それもそうだね! あ、隕石と言えば、カケラ売れて良かったね!」
少し前にアイテムボックスでダイレクトキャッチした隕石。そのカケラはエントロピアが箒で掃き集めていたのだが、試しに取り出して道具屋に持って行ったら良い値で売れた。
「カケラのおかげで資材も買えたし、順調極まりないな……っと、そろそろか」
真田が腰を伸ばして革手袋から腕を抜く。すると革に浸潤した毒の影響で、指先が紫色に染まっていた。
それを確認したのと同時に、ふわり、と風が止み、辺りから雑音が消え、空気がピンと張り詰めて上空から光が差し込んで――。
「状態異常を確認。軽度の毒症状」
今回も現われるサリエル。相変わらず無表情だ。
「また回復、頼める?」
真田の言葉に短く頷いた彼女は、何の予備動作も発声もないままに聖光を瞬かせ、瞬時に解毒を行う。
「さんきゅ……おェ……毒が口から出て来るの、何回やっても馴れないな」
口元を拭い、気持ち悪そうに舌を出す。本日五回目の解毒だった。
「ありがと、サリエルさん! またね!」
ノエルが声を掛けると、サリエルはチラリと彼女の方を伺って飛び去る。
「あいつ、毎回どこまで飛んでってるんだ?」
「あそこだよ、あの木のとこ」
ノエルが指差す方を見ると、近くに生えている大木の枝を止り木として佇むサリエルの姿が目に入った。
「前は遠くの方まで帰ってたみたいだけど、頻繁だから面倒になってきたんじゃないかなぁ?」
「だよな……登場の度に風やら光やらの演出が入るし。ま、向こうの事情は分からないけど助けてくれる内は甘えちゃおうぜ」
言って、真田がドブさらいならぬ毒さらいの作業に戻る。
「で、ノエラはなに捏ねてんの?」
「魔法のコンクリートだよー、家の基礎に使うだろうと思って」
コンクリートの歴史は古く、真田の故郷となる世界でも9000年くらい前の遺跡から見つかっている。
「おっ、いいね! 毒沼の毒液全部抜く作戦が終わったら型枠を組んで基礎の作成だな!」
「うん! ところでススムぅ……どこか遠くの方から悲鳴みたいなの聞こえない? 女の人っぽい、甲高い声なんだけど……」
「……? 特に何も。タチ悪い女の悪霊でも近くに潜んでるんじゃねぇの? でもま、天使が常駐してんだから心配ないだろ!」
「それもそっか、安心した!」
ニッコリ笑顔を取り戻すノエラ。だが同時に、真田の背筋に悪寒が走る。
――次に死んだ時、覚えとけ――
「……!?」
何処からともなく聞こえた声に、真田は二度と死ぬまいと心に誓うのだった。




