10:細菌が泳ぐ音と脳破裂
「あれ? 今回はすぐに帰るって言ってたのに、遅かったね」
「帰り際に引き留められちゃってさ。あいつ割と話が長いんだよ」
「ふぅん……そっか、そうなんだ」
「どうかした?」
「ううん、別に」
夫の帰りが遅いことに微かな違和感を感じた妻――みたいな雰囲気を醸すけれど、二人は夫婦でもなければ恋人ですらない。
「というわけで速度アップと筋力アップを試したわけだが、両方ともミスったら死ぬことが判明した。ノエラ側の魔法だから、俺の意思でオフに出来ないってのも扱い辛い。なので次は、似た感じの別アプローチで行く!」
「分かった! 続け様に三回も死んだのに懲りないとか流石はススムだよ!」
「キミも直接ではないにしろ遠因を作った上で目の前にて三回も俺が死んだのだから少しは何かしら感じ入る所があって良いのだよ? んで次は……器用さアップをお願いしたい!」
ゲームなんかだとDEXと表記され、攻撃の命中率なんかに関わる部分。要は動きの精密さを表すステータスだ。
「器用になれば効率的に皿を捌ける筈! ササッと皿洗いを終わらせて、お料理まで手伝っちゃうぜ!」
「良いねぇ、美味しいの出来そう! んじゃ、華麗な包丁捌きに期待して……えいっ!」
三度、真田の身体が魔法の光に包まれる。
「よっしゃ、行くぜ! 行く、ぜ!! 行く……あ、あれ?」
威勢良く皿を洗おうとした真田。しかし皿を掴もうとする手が、極めてゆっくりとしか動かない。
「な、何だ? どうなってんだコレ……あ、そうか分かった! アレだ、あの……ゲーミングマウスのDPIを最大まで上げた時みたいな感じ!」
分かる人には良く分かる例え。
大きく動かそうとしても少ししか動かない。これによってコンマ数ミリ以下の超精密動作が可能となる代わりに、動きが緩慢というか……ゆっくりになる。
「滅茶苦茶動きは遅いけど、これを活かせば、こんな真似が出来ちゃうぜ!」
「お皿を何の支えもなしに立たせてる! しかも何枚も!!」
洗い場にドミノよろしく立ち並ぶお皿。しかし――。
「あ、バフ切れた」
「えっ? あっ……」
器用さアップの効果が切れた途端、雑になる動き。僅かにブレた手が立っていた皿に触れると、それは傾いて隣の皿に当り、また傾いて隣の皿へ。それが連鎖的に連なって――パリン、カシャン、バリーン――と厨房に鳴り響く小気味良い音。お皿ドミノ倒しは最後まで見事に完遂された。
「あのさ、ノエラ……お皿を復元する魔法とか、ない?」
「お皿を木っ端微塵になら出来るよ!」
こうして二人は追い出され、バイトをクビになった。
「残念だったねススム。発想は良かったんだけど、時代が追いついてなかったね!」
「時代が追いかけてこないからな。三回も人が死んだ食堂の今後が心配だが、損害賠償も請求されなかったから結果オーライだ」
結局、皿洗いは速度アップを掛けたおばちゃんがマッハで片付けた。彼女は異世界ファンタジアの住民なので、腰が捻れたり目が破裂したりしない。
「次はどうする? やっぱり防御力を上げてゴリラと格闘?」
「何がやっぱりなのか知らないがゴリラと格闘しない……ってか居るのかゴリラ」
「居るよ。正式名称はゴリゴリゴリゴリラ。覚えやすいね!」
そうだろうか?
「ゴリラはさておき、今後の為にも次は感覚系のエンチャントを試しておきたい」
要は視力や聴力。嗅覚や触覚を強化したいという意味だ。
「やってくれるかノエラ?」
「うん、いいよ。任せといて!」
どん! とノエラが胸を叩く。
「流石はノエラ、頼りになるぜ! 俺が元々居た世界でも器具を用いた感覚強化的なモノが存在した。視覚の何万倍ズームとか出来てたみたいで……これを応用して金を稼げないかと考えてる」
「じゃあ今回は最初っからフルマックスでやって構わない感じだね!」
落ち着いた表情で頷く真田。金儲けの方策を探っているという部分に嘘はないが、実の所を言うならば、彼は少しだけ悪巧みをしている。
先の例えで出したのは顕微鏡や望遠鏡の類いであり、ズーム機能に特化した話だ。
でも、ここは異世界。
視覚を強化したら……もしかして服とか透けて見えるんじゃね? と万に一つの可能性を考えていた。
嗅覚を強化したら……クンカクンカしたら離れてても女の子の良いニオイが感じられるんじゃね? と考えていた。
別に、どうしても服を透かしたりクンカクンカしたいワケじゃない。
でも期待するだけなら良いじゃないか。十回以上も死にまくった男が、少しくらい夢を見たって……許されるとは思えないか?
「それじゃ、まず視覚強化から行くね」
「よっしゃ来い!!」
低く構え、正面のノエラをガン見する。
彼女はちょっとアレな所はあるが、気立ては良いし非常に可愛いので相手にとって不足なし! 奇跡を信じ、天命を待つ!
「よいしょ、っと!」
ノエラが手にするスタッフが輝き、真田に視覚強化のバフが乗った。
彼はカッと目をかっ開いてノエラが身に着ける薄い水着状のコスチュームを睨み――。
「ンぎいぃぃぃーーーッ!? め、目が! 目がアァァっ!?」
両目を押さえて痛みに藻掻く。
彼の目に映った物。それは全裸の美少女……ではなく、真っ白に白飛びしたかのような光景。そして目の奥を突き刺すような鋭い痛みだ!
目を閉じても瞼越しに感じられる明るい日射し。それが網膜を焼き尽くす勢いで目の中に侵入してくる!
「……? いつもみたいに死なないから大丈夫なのかな。じゃあ続けて嗅覚も強化するね」
「毎回のように俺が死ぬからって、ちょっと雑じゃね!? ま、まぁいいや……今度こそ!」
目が見えずともニオイを楽しむことは出来る。可愛い女の子からは良い香りがする筈だ! それに人間の数千倍から数億倍ともいわれる犬が普通に生活出来ているのだから、嗅覚強化で危険なことにはならない!
そんな考えのもと、嗅覚強化を受けた真田は大きく鼻から息を吸い込んで――。
「ブげふゥーーー!?」
盛大に咽せた。
例えるなら、それはニオイの爆弾だ。
息を吸った瞬間、周囲のあらゆるニオイが普段の何倍にも増幅されて押し寄せる。
土、埃、微生物、植物。更には自分の体臭、呼気、衣服のニオイ……女子の香りがどうとか判別不可能だ。鼻の中に異物を滅茶苦茶に詰め込まれたかのような不快感が脳を掻き混ぜる。
「ぶふっ! ゲホ、ゴホッ……おェ……!」
「次もやって大丈夫? じゃあ聴力を強化するからね」
「ちょ、待てノエ……らァがあぁぁぁッ!?」
聴力強化が発動した瞬間、頭のすぐ横で巨大な鐘が鳴り響く、そんな感覚に襲われた。
周囲の話し声に歩く音。風のそよぐ音から、虫の羽音まで。空気の振動が鼓膜で何倍にも増幅された電気信号となって脳を刺す。
耳を塞いでもダメだ。体内の音が――自らの心音、血流の音――それらが既に超うるさい!!
「ノエラ待て、一旦ストッ……ぐあぁぁ自分の声がデカいぃぃーーー!?」
「次で最後ね! 触覚強化フルマックス!」
真田の制止が届かぬまま、ノエラの魔法が炸裂した。
「う、うあぁ……何だコレ!? 全身が痒ぃ……いや、チクチクする……を通り越して痛ぇ!!」
声を震わせて真田が身悶える。全身を掻き毟ったかと思うと倒れ込み、突っつかれたミミズのようにのたうち回り、奇声を上げる。
「ンぎえぇぇ地面が硬いぃ! 風が痛い! 服がザリザリするうぅぅーーー!!」
暴れれば暴れる程に苦しみが増加する。視覚も聴覚も嗅覚も強化されたままなので苦痛の累乗だ。
「ノエラ! 魔法を解除して……オフにしてくれぇ!!」
「ご、ゴメンねススムぅ……解除出来ないの。効果が切れるまで我慢して」
「どれくらい!? あと何分くらいで効果時間終わるの!?」
「えと……13020分(9日と少し)くらい?」
「長過ぎじゃね!? さっきの器用さバフ、十秒くらいで切れたじゃん! 何でそんな長いのよ!?」
「フルマックスでやったから効果時間も78125倍で……」
「5の7乗!!」
「計算早っ! 凄いねススム!」
「褒めるトコ違っ……!? んぎえぇぇぇーーー……ッ!!」
閉じた目に映る瞼の細胞。ウロウロする細菌かなにかも観察出来る。その細菌が泳ぐ音も聞こえるし、何だったら細菌の動く感覚さえ検知可能だ。
そんなのが視界の中だけで何百、何千。
身体中に範囲を広げれば何万、数十万。
辺りにまで範囲を広げたなら数億、数兆。
それら情報が一斉に脳へと送り込まれ、同時並列で処理されて――。
「へムっ……!」
ぷつん、と何かが切れる感覚がして、真田の脳は永久的なシャットダウンが行われる。
異世界転移後、一二回目となる死亡。
その原因は過負荷による脳破裂だった。
丁度、その頃。
真田たちが居る場所から少し離れた、宗教都市シンクフェイス。その中央に位置する大聖堂。
美しく巨大ではあるが華美ではなく、洗練されたその建物には荘厳で神聖な空気が満ち満ちて、国教であるオルド正理教の信徒が集い、静かな祈りを捧げている。
そんな中。
「星屑の平原で、事故が起こったらしいですよ。何でも近くの池で爆発が起こってクレーターが出来たとか」
「物騒ですね……何事もなければ良いのですけれど」
交わされる世間話。
それを聖堂の片隅で聞いていた誰かは、音もなく、その場を飛び去った。




