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可惜夜の優しい嘘  作者: 琴音
スタルハーヴェン
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48 レクイエム

 領主館の堅固な石壁は、凍てつく海原を吹き抜けて来た初冬の狂風を完璧に遮断していた。

 大理石の暖炉の中の薪たちは、冷えきった空気を拒むようにパチパチと乾いた音を立て爆ぜた。

 窓際に置かれたカウチには、黒の喪服に身を包んだセシリアが、火の粉を散らす炎を虚ろな目で見ていた。 その腕の中にルーカスを抱いて。 もう、冷たくなった我が子を。


 そんな二人をアレクシウスが呆然と見つめている。


「セシリア……。 何と言っていいか……」


 動揺を隠しながら、神妙な面持ちで労りの言葉を紡ぐアレクシウスだったが、セシリアは見逃さなかった。 


一瞬、ホッとした表情を見せた事を。 ルーカスが亡くなった事に安堵した事を。


「見て……。 貴方と同じ髪色なの。 綺麗よね……」


 恐ろしいほど弾んだ声で、そう言ったセシリアは、ウットリとした瞳で死んだ赤子を見つめ、その赤子の髪を、頭を、愛おしげに撫で始めた。

 そこには、深い悲しみは無く、底の知れない暗い歓喜が宿っていた。


 アレクシウスは、足の裏が床に張り付いたように動けない。 背筋を冷たい汗が伝い、心臓は早鐘を打つ。

 かつて、自分が愛したセシリアが、別の恐ろしい何かに変貌しているように感じた。


「ねぇ。アレクもこの子を抱いてあげて? ルーカスって言うのよ」


 セシリアは、ルーカスをアレクシウスへと差し出した。 ()()をだ。

 彼女の狂気に恐怖を感じたアレクシウスは、首を左右に振りながら後退りをする。

 そして、喉の奥から情けない割れた声を出すと、何も言わずに彼女の部屋から逃げ出した。

 セシリアの口端から、くぐもった笑い声が漏れる。


「――ヒドイ父上ね。 こんなにもかわいらしいのに」


 その時、部屋の隅からすすり泣く音が聞こえてきた。 アンナだ。


「お嬢様……」

「いいのよ。 アンナ……」


 泣いているのか、笑っているのか。 微妙な微笑みをたたえたセシリアは、歌を口遊む。 昔、彼女の母が歌っていた子守唄を。


 暖炉がどれほど熱く爆ぜ、部屋を黄金色に照らそうとも、セシリアが抱くルーカスの頬が再び温まることはない。セシリアは爆ぜる火の粉の音に、届くはずのない子守唄を重ねるように、ただ静かに悲しみの深淵へと沈んでいった。


 ※※※※※


 程なくして、ルーカスの葬儀が波止場近くの教会で執り行われる事になった。


 だが、ここで問題が起きた。

 セシリアとアレクシウスは婚姻無効となっている為、ルーカスは「罪の子」として扱われるのだ。


「申し訳ありません。 祈りを捧げる事はできません」


 黒衣の牧師が言うように、教会の鐘が鳴ることはなく、粗末なモミの木箱にルーカスの小さな身体が納められいく。 セシリアは必死に抗議するが、相手にされない。

 アンナがシルヴェストーレ侯爵家から渡された『大切な友人』と書かれた羊皮紙を掲げるが、「婚姻無効を撤回できる書類ではない」と、言われるだけだった。


「私はフランゲル伯よ? その子は、私の子なのよ」

「何と言われましても、婚姻無効となっている今、私たちにできる事はありません。 葬儀も日が暮れてから行います」と、取り付く島もない。


 こんなはずじゃなかった。 このままでは、不名誉で静かな葬儀が行われてしまう。

 セシリアは焦るが、良い案が何も思い浮かばない。 

 せめて、アミーラがいれば口添えをしてもらえたかもしれないが、海が凍りつく前にと、葬儀を待つことなくマグレブ公国へと戻る船に乗ってしまった。


 セシリアとアンナは手を取り合い、ただただ朽ちたモミの木箱に蓋が打ち付けられていくのを見守る事しか出来なかった。


 その時、部屋の扉が音を立てて開け放たれた。

 ドヤドヤと立ち入ってきたのは、スタルハーヴェンの領民たちだった。


「ルーカス様を、そんな粗末なモミの箱で逝かせてしまったら、前領主様に申し訳が立たない」

「エヴァーグリムを死守してくれたセシリア様に失礼だと思わないのかい?」

『そうだ、そうだ』と、声が重なる。


 一人の年老いた大工が、持ってきた布包みを解くと、見事な細工が施されたオークの板が現れた。

 彼は跪くと、モミの木箱の上にオークの板を貼り始めた。 トン、トンと静かな音が教会の中に響き渡る。


「止めなさい。 法に背くのですか? 許されませんよ」


 止めに入る牧師を街の女たちが押しとどめる。

 一人の老婆が、 懐からガラスの小瓶を出して棺の上に振りかけた。 聖水だ。


「あんたが祈りを捧げられないっていうなら、私たちが祈りを捧げる」


 誰からともなく賛美歌を歌い始め、若い衆が棺を担ぎ出した。 彼らが向かうのは日の当たる『聖なる場所』

 そこにはもう、先回りして穴が掘られていた。

 あきらめた牧師は、無言で十字を切った。 


 領民たちが代わる代わる黒土を棺の上にかけていく。 まるで、毛布を一枚一枚掛けていくように。 丁寧に、優しく、我が子を寝かしつけるように黒土をすくい、木箱を覆っていく。


 土が完全に盛られたとき、冬の短い陽光に照らされた『聖なる場所』には、見事な花の山と、領民の手によって清められた小さな墓標が出来上がっていた。


 アンナに連れられ、呆然とその様子を見ていたセシリアに、シグネが真っ白な冬薔薇を一輪握らせた。

 皆に後押しされながらセシリアは、その花の山に最後の一輪を乗せた。 


 こうして、ルーカスの葬儀は終わった。


 セシリアは涙の向こうで、初めて顔を上げる事ができた。婚姻は無効にされ、アレクシウスには裏切られた。しかし、彼女は孤独ではなかった。

 目の前で頭を垂れる住民たちの姿に、彼女は彼らの暖かい想いとスタルハーヴェンの明るい未来を感じたのだ。


 だからといって、セシリアの心は晴れない。 湿度の高い、ネットリとした漆黒の暗い闇が彼女の心を、身体を蝕んでいた。

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領民達の行動に救われました
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