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可惜夜の優しい嘘  作者: 琴音
スタルハーヴェン
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44/49

44 解怨

 セシリアの手紙が海を渡り、もういくつもの日々が過ぎ去った。


 産み月を迎えたセシリアは、ヴィンドストランドで流行っているという刺繍の施されたパラソル片手に、()()する事を日課にしていた。 散歩は、アミーラの提案だった。 身体を動かす事で、お産を軽くするらしい。


「こんな事で、()になるのかしらね?」


 セシリアは微笑みながら、日傘の刺繍を指先でなぞった。 

 その商品は、アレクシウスの商館の物だった。 どこかで、彼と繋がっていたい。 そんな気持ちが、彼の国の品物を増やしていく。


 手紙を出した事で、何か吹っ切れたセシリアは、人前に出る事を厭わなくなっていた。 あんなに、人目を気にして部屋にこもりきりだったのが嘘のようだ。


 波止場に寄れば、様々な国の商船が停まり様々な国の言葉が飛び交う。 セシリアは、それぞれの国の言葉で簡単な挨拶を交わす。 

 セシリアはアミーラの協力の元、簡単な会話ができるまでには成長した。

 今では、ウルリカの家、ステンボック家から派遣された役人に教えを請いながら、セシリアはスタルハーヴェンの統治の手伝いも初めた。


 初め街の人々は、セシリアに対し腫れ物に触るように遠巻きにしていた。


『国の事情により引き離された二人』それが、セシリアを取り巻く人々の共通認識であり、同情の声が多かった。 

 その悲哀の領主に対し、どう接すれば良いのか。 悩む所でもある。


 そんな環境で、勇気を出し一歩を踏み出したセシリアを、彼らは戸惑いながらも受け入れた。 もう、セシリアに怖いものは無い。 


 今では、すれ違う人々が気軽に声をかけてくる。


 スタルハーヴェンに住まいを得て、スタルハーヴェンで暮らす事を決めたセシリアだったが、やはり、アレクシウスとの思い出深い()()()で、彼の子供を育てる事に迷いが無かった訳では無い。


 だが、様々な文化や考えが入り混じる、ここスタルハーヴェンなら、父親のいない我が子でも幸せになれるかも知れない。 そんな思いが、セシリアの中に芽生えていた。


 だからこそ、アレクシウスとの思い出の街で、アレクシウスの子供を育てたい。 


 あんなに憎んでいたアレクシウスの事だったが、落ち着いてよくよく考えてみれば『致し方ない』という思いが強くなった。


 命懸けで自分を救い出してくれたアレクシウスに感謝する事はあっても、憎む事なんてあり得ない。とまで、思えるようになった。

 根回しを十分に行なってから、求婚してきたアレクシウスの事だから、侯爵家の私兵を動かした()()時も、懸念や障壁になる要素は払拭していたはずなのだ。 きっと、そう。


 まさか、グリムウッドが出てくるなんて想像もしていなかったのだろう。

 他の国も、スタルハーヴェンにある自国の商館の防衛の為と言い、護衛兵や護衛艦を配置していたのだから……。



「――あの海の向こうに、あなたのお父様はいるのよ」


 セシリアは、はち切れそうになっているお腹をさすりなが、空虚な言葉を呟く。 


 視線を遮る物のない短い秋の空は、どこまでも高く、冷徹なまでに澄み渡っている。 その蒼さを映し出した海は、深いインクを溶かしたような濃紺。 水平線は、アレクシウスに似た青銀色(ブルーシルバー)に煌めいている。

 寄せては返す波の音が、セシリアの心の内を写すように、桟橋の下で虚ろに響いていた。


 視線を横に向ければ、海岸線に沿って並ぶ琥珀色の木々が、燃えるような最期を謳歌している。 黄金色に彩られたアレクシウスの瞳のような木ノ葉が、一陣の風に舞い上がり海面の深い蒼へと吸い込まれるのが見えた。

 その鮮やかなコントラストは、まるで現実から切り離された一枚の絵画のようだった。


 ハラハラと涙が零れ落ちる。 


 会えないと分かれば分かる程、離れれば離れている程、切なさは募る。 

 瞳に映る物全てが、アレクシウスに由来してまう。アレクシウスを思い起こさせる。

 あんなに憎んでいたはずなのに、何故か恋しくて堪らない。


 スンスンと鼻を鳴らすセシリアの鼻腔に、潮風に混じり薪ストーブの香りが届いた。


「もうじき、冬なのね……」


 呟いた言葉は、秋の風にさらわれカモメの鳴き声と共に空の彼方へと消えていった。

 手紙を送ったのは、まだ夏の気配が色濃い時期だったのだ。 音沙汰がないまま、冬を迎えそうだ。


(願わくば、この恋心をアレクシウスに届けてほしい)

 そう、思わずにはいられなかった。


「フフフッ……」


 思わず笑みがこぼれる。 あんなに恨んで憎んでいたはずなのに、なんと身勝手な事か。 と、同時にままならない恋心に身悶えする。


 抜け渡る青空を見上げ一つ伸びをすると、心地良い暖かさに包まれる。 


 (大丈夫。私は大丈夫――)


「お嬢様ッ! また、そんな格好でッ!」


 振り返れば、アンナがガウンを片手に桟橋を駆けて来るのが見えた。


 秋口の、横から差し込むジリジリと刺すような陽射しを避ける為、レースのパラソルを刺していたセシリアは、どう見ても冬物のガウンを抱えているアンナが可笑しくて仕方が無い。


「まだ、必要ないわよ」

「何をおっしゃっているのですか? 風はもう、秋ですよ」


 そう言いながらガウンをかけてくるアンナの額に汗が滲んでいた。 それも、可笑しくて仕方が無い。


「暑いわよ」

「身体が冷えます」


 弾むような笑い声が追いかけっこをするように重なり合い、二人の間をガウンが行き交う。

 そんな二人を、波止場に留まる商船の乗組員が微笑ましく見守っていた。


 セシリアは、とても幸せだった。 


 ただ、もし、願いが叶うなら『アレクシウスに会いたい』と、思うほどの()()()不幸せは感じていた。





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