37 謁見
ドレスという名前の戦闘服に身を包んだセシリアは、今、王城の待機室にいる。
重厚なソファーに座らせられた彼女は、紅茶のカップに口を付ける。 使用人が言うには、庭で採れた薔薇を使用しているらしい。 という事は、市場には出回らない王室だけの紅茶だ。
カップから口唇を離し、ニッコリと使用人に微笑む。
「美味しいです」と、ありきたりな感想を述べるが、正直、緊張し過ぎて、まったく味がわからなかった。
一応、もと伯爵令嬢で、今はヴィンドストランド国の伯爵夫人となってはいるが、さすがに王城の部屋は設えからして、その存在感が違う。 とても場違いな感じがして、本当に居心地が悪い。
モジモジと身体を動かしたい衝動を抑えつつ、味の分からない紅茶を飲み続けていると、何やら話声が聞こえてきて、扉が開いた。
「セシリア嬢、お時間です」
セシリアは眉をしかめた。 ここでもやはり『イェレンシェルナ伯爵夫人』と言われなかった。
その事は、喉に刺さった魚の骨の不快感のように、ジワリジワリとセシリアの精神を衰弱させる。
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案内人に連れられたセシリアは、待機室から王族の待つ広間へと移動していた。
自分の背丈の倍以上の……、遥か見上げる程の天井には神々を賛美する絵画と金色の装飾で華やかに飾られていた。
壁面も、それと同じく金色の装飾に彩られた様々な絵画が、所狭しと飾られている。
天井まで抜ける程の大きさの窓から差し込む陽の光が、その装飾の輝きを反射して、大理石の白い廊下を黄金に輝かせている。
感嘆の溜息をつき、思わず立ち止まるセシリアを、苛ついた咳払いが急き立てる。
廊下の奥に続く大きな扉を通り抜ければ、そこには自分を呼び立てた王族がいるのだ。
思わず、身震いをした
「セシリア嬢。 扉が開いたなら、顔を伏せたままお進み下さい。 私の足元を見ながら進まれれば良いでしょう。 その後、私が止まったなら、そこで名前を名乗り、声が係るまで顔を伏せたまま、お待ちください」
こちらを伺うこともなく、案内人は正面の扉を見たまま、スタスタ進む。 セシリアの返事など気にする様子もない。
説明するだけ。 ただ、それだけ。 彼にとっては、「教えた」という既成事実があれば良いのだ。
その、機械的な不親切さが、セシリアの中に燻っていた不満に火をつけた。
だが、どんなに彼を睨んだ所で、セシリアの前を歩く彼は気が付かない。 それが、余計に腹立たしい。
案内人が歩みを止めた。 彼の足元を睨見つけていたセシリアは、危うく彼にぶつかりそうになる。
セシリアが顔を上げると、大きな扉の前だった。
案内人が扉の両脇にいる衛兵に軽く頷くと、物々しい音を立て、扉が開いていった。
背筋がゾクリとする。
扉の隙間から流れ出るヒンヤリとした空気が、セシリアの足元から這い上がってくる。
再び歩き出す案内人の足跡が、赤い絨毯に窪みをつける。 それを見ながら、セシリアもゆっくりと歩みを進めた。
足を踏み出せば踏み出すほどに、ヒンヤリとした空気がセシリアに纏わりつく。
緊張しているのか、それとも……。
(これが王族の威圧感なのかしら)
肌にヒリつくような視線を感じながら進んでいると、案内人が立ち止まった。 合図だ。
セシリアは立ち止まり、そっと片脚を斜め後ろへと滑らせた。 スカートの重みを指先に感じながら、流れるような動作で膝を折った。
「セシリア・イェレンシェルナです。 拝謁の光栄を賜り、心より感謝申し上げます。本日はどのようなご用向きでしょうか」
あえて『イェレンシェルナ』と名乗ったのは、せめてもの反抗心だった。
だが、ドレスを摘み上げるその指先は細かく震え、折り曲げる膝は今にも笑い出しそうだった。
視線は赤い絨毯に固定したまま、背筋をピンと伸ばし、奥歯を噛み締める。
カーテシをする機会など、ここ数年あるわけもなかった。 緊張も相まって、普段使わない筋肉が悲鳴を上げる。
ところが、いつまでたっても声が掛からない。
溜息のような息遣いが聞こえてくるが、感嘆なのか嘲笑なのか……。
膝がカクカクなる音が響き渡るのではないかと思った時、ようやく声が降ってきた。
「――面を上げよ」
その一言は、正に天の啓示だった。
ゆっくりと逸る心を抑えながら、重心を垂直に押し上げる。 関節がパキリと小さな音を立てた。
顔を上げ、肺いっぱいに新鮮な空気を吸い込み、解放感に心を震わせたセシリアだった。
が、その瞳を開けた瞬間、玉座に鎮座するその瞳と視線がぶつかった瞬間、セシリアの全身が凍りつくような感覚に囚われた。
穏やかな微笑を称えているが、その瞳の奥は凍りついた氷壁だった。
セシリアは、いたく後悔した。 反抗心など表さなければ良かった、と。
巨大な捕食者の前に引きずり出された小動物のように、セシリアはただ、早鐘のように鳴り響く自分の心臓の音に耳を傾け、凍りつく事しかできない。
「セシリア嬢。 此度の戦で、スタルハーヴェンにヴィンドストランド国の軍隊が駐屯していた事に対し、停戦相手国グリムウッドより抗議を受けている。 これは条約違反に抵触する案件でもある。 従って、ヴィンドストランド国シルヴェストーレ侯爵家三男アレクシウスとの婚姻は認める理由にいかない」
国王のその言葉は、セシリアの耳を通り抜け、意識の彼方へと過ぎ去って行く。
「だが、エヴァーグリムで『国の盾』として動いた、そなたの働きに報いる為、一代限りだが『フランゲル伯爵』の地位を授けよう」
(――さっぱり、理解出来ない)
権力者の口からこぼれる身勝手な言い分に、セシリアの喉の奥に酸っぱい塊がせり上がってくる。
それは胃の底で煮え繰り返った不満の滓だ。無理やり飲み下そうとするが、喉がそれを拒むように痙攣し、口内には苦い鉄の味が広がった。
吐き気がする。この空間も、耳に届く声も。
そして何より、発言する事もできない自分自身が耐えがたく忌々しい。




