33 スタルハーヴェン
ザァーザァーという潮騒が聞こえるテラスに佇むセシリアの頬を、涙が濡らしていた。
港町スタルハーヴェンにある、アレクシウス所有の商館の一室にセシリアは身を寄せていた。
岸壁に所狭しと並ぶ白壁の家々が、白み始めた水平線の輝きに染まり始める。
死を覚悟したあの時から、まだ数日しか経っていない。 あの時の沈もうとしていた太陽が、何事も無かったように再び昇ってくるのだ。
途中、野営をしながらもエヴァーグリムからスタルハーヴェンまで駆け抜けたセシリアは、防衛戦という名の死の淵にその身を置いていた事もあり、疲労困憊でありながらも気が高ぶっていて、熟睡する事が出来なかった。
眠りに落ちた……、としても、ものの数分で目が覚めてしまうのだ。
また、目を閉じれば、絶え間なく後悔が押し寄せてくるのだ。
エヴァーグリムは死んだ。 死んでしまった。 あの美しい街並みは、敵軍の手に落ちてしまった。
唯一の救いは、領民たち全員が避難できていた事だ。 誰一人欠けることなく。 もちろん、ニルスも。
だが、セシリアの心は晴れない。
(結局、私は何も出来なかった。 ただの自己満足でしかなかった)
そんな後悔の念で、涙が溢れてくる。 素直に皆で退避していれば、アレクシウスが騎士を率いてエヴァーグリムに来るなどという、危険な行為を犯さなくて良かったのだ。
白んでいた水平線に、薄っすらとオレンジが混じり始める。 濃紺と濃紫が混ざる不思議な色。 セシリアの大好きだった幻想的な時。
でも、今では胸が苦しくなる。 裏切りの思い出が湧き上がってくる。 それに、今回は、激しい後悔と反省の気持ちまでが上書きされていた。
「ハァ……」
セシリアは溜息をつき、テラスに置かれているカウチにゴロリと横たわる。
潮騒を聞きながら目を瞑ったセシリアは、このまま波音と共に溶けてしまいたい。と、願っていた。
だが、直ぐに激しい物音に飛び起きた。 部屋の中が荒らされている様な物音だ。
(敵襲? でも、奴らは進軍しているはずよね?)
セシリアは、身を屈め様子を伺っていた。 アレクシウスから敵軍は、隣領を目指している。と、聞いたばかりだったのだ。
スタルハーヴェンは王都への直線上に無いために、戦火を逃れていた。 ――はずだ。
「セシリアッ!?」
かなりの勢いでテラスに飛び込んできたのは、アレクシウスだった。 相当な慌てようだ。
「どうしたの?」
「――部屋にいないから」
そう言いながら近づいてくるアレクシウスの顔は、今にも泣き出しそうだった。
セシリアの頬を両手で包み、そこに涙の痕を見つけると、そっと親指で拭った。
「居なくなったのかと思った……」
そう言いながら、そっと抱きしめてくるアレクシウスの背に手を回したセシリアは、激しく打ち付ける彼の鼓動に気が付いた。
(――生きてる)
セシリアの手に力が入る。 ギュッとアレクシウスを抱きしめ、その鼓動を自身の胸に感じ『生きている』事を再確認した。
と、同時に急に死への恐怖が押し寄せてくる。
つい先日まで、自分は死ぬかもしれない所に居たのだと。
そう自覚してしまったセシリアは、ブルブルと震え出した。 急に足元にポッカリ穴が開いて、堕ちていくような浮遊感を覚えた。
ヒシとアレクシウスにしがみつくセシリアは、生きている事の確信が欲しくなった。
フツフツと滾るように、身体の内側から熱が溢れてくる。 マグヌスの気持ちがわかった――ような気がしてきた。
「アレク……」
セシリアは懇願するように、アレクシウスを見上げた。 その瞳に星の煌めきが映った。
説明の付かない焦燥感が、セシリアを駆り立てた。 身体の内側からジリジリと湧き上がる衝動は、行き場のない川の流れのように、セシリアの中で渦を巻く。
アレクシウスはセシリアが不安がっているだと思い込み、彼女の背中を優しく擦っていた。
その刺激は、より彼女の衝動を突き上げる。
セシリアは手を伸ばし、アレクシウスの髪に指を絡ませ、その首筋に口唇を寄せた。
「アレク……」と、囁くセシリアの吐息が、アレクシウスの情動を揺さぶる。
「セシリア?」
思わず仰け反りセシリアの顔を覗き込んだアレクシウスは、頬を染め潤んだ瞳のセシリアと目があった。
その瞳は熱に浮かされているように、トロンと溶けそうで、焦点が定まっていない。
それでいて真っ直ぐに自分を捉えているその視線は、甘く纏わりつくような色気を帯びていた。
アレクシウスの喉が鳴った。
それを合図にしたかのように、二人は噛み付くように口唇を合わせた。 何度も何度も。 角度を変え、繰返し口唇を重ねる。
セシリアの頭を支えていたアレクシウスの手に力が入る。 と、同時に重ねていただけの接吻がより深くなり、淡い水音を立て始める。
二人はなだれ込むようにカウチに座りこんだ。 その間も、まるで何かに急かされるかのように口唇を重ね、貪るように喰む。
アレクシウスの片手は忙しなくセシリアの胸を揉みしだき、組み敷かれたセシリアは、彼の背に脚を掛け下腹部を突き出した。
器用に服を脱ぎ捨てた二人は、互いの皮膚の間に隙間がある事を嫌うかのように密着する。
昇り始めた太陽が、セシリアの脚元にうずくまるアレクシウスの青銀の髪をオレンジに染め始めた。
時折、覗き込むアンバーの瞳が、オレンジ色を反射してキラキラと輝いていた。
そのオレンジ色の熱に浮かされているセシリアは(やっぱり、この色が好きだわ)と、その快楽の波に身を任せてゆく……。




