表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/41

30 沈みゆく街

 セシリアは森の中を馬で駆けていた。 なぜ、あんな事をしてしまったのか。と、後悔しながら。


 門塔から戻ったセシリアは、すぐさま領館に残るアンナを始めとした領民に、隣領への退避を命じた。

 そして、門塔から戻ってきた領民たち全員の無事を確認し、衛兵に守られながら隣領を目指したのだ。 途中で、堤を決壊させたニルスにも合流できるだろう。

 だが、セシリアにはまだするべき仕事があった。 防衛戦、最後の仕上げた。

 その任務を行うために、セシリアは一人退避の列から離れたのだ。 ほんの数十分離れるだけの予定だった。 それなのに……。


 *****


 湖の中程にそそり建つ円筒状の塔に、水門の扉を開閉させるハンドルがあった。 その扉を開けると、湖の水がエヴァーグリムにある()()()()から溢れ出る仕組みになっていた。 

 堤の決壊と共に、確実に街を水没させていく手段になっていた。


 セシリアは馬上のまま、慎重に塔の中へと続く頼りない跳ね橋を渡り、水門のハンドルを回した。 回してはみたものの、目に見えて変化はない。 ゴウゴウとした水音でも聞こえるかと思っていたのだが、何も聞こえなかった。

 外に出てみても、湖の湖面は穏やかで何の変化もない。 


「本当に水門は開いたのだろうか?」


 セシリアは不安になった。 だが、それ以上に好奇心も湧いていくる。

 本来ならば、直ぐに取って返し、退避する領民たちと合流するのが筋なのだろう。 だが、セシリアは誘惑に負けた。


「ちょっと、のぞくだけ」


『堤の決壊により水中に沈むエヴァーグリムの最後を見送りたい。それは、()領主の娘としての責務』だと、言い訳をしながらセシリアは、はやる心を抑え馬にまたがった。


 湖から少し行った所にある、街を見下ろせる高台へと続く、緩やかな坂をセシリアは駆け上っていく。 息が上がっているのは、緊張からなのか……。

 駆け登った先に見えた世界は、一変していた。 かつて人の営みのあったエヴァーグリムの街が、穏やかに、そしてゆっくりと酷く濁った水に飲み込まれようとしていた。 


「あぁ……」


 冷たい風が、セシリアの身体を吹き抜けた。

 彼女は、馬の手綱を引き、その場に制止する。 

 胸の奥が、歓喜で疼いた。 領主としての最後の勤めを()()果たせたのだ。

 自分の鼓動だけが、やけに鮮明に耳に響いていた。 身体の奥から込み上げる、震えるような痺れ。 

 思わず笑みがこぼれたセシリアは、達成感に包まれていた。


 その時、吹き抜ける風に()()()を感じた。 普段、感じない匂いを嗅いだのだ。 


 瞬間、破裂音が聞こえた。 セシリアの直ぐ側の木の幹が、弾けて飛んだ。

 しかし、辺りを見回すセシリアの視界には何も見えない。

 直ぐに手綱を取って引いたセシリアは、向きを変え走り出した。 


「なぜ?」


 セシリアの頭には、その言葉しか浮かんでこない。 敵はまだ()()()()()()()にいるはずなのだから。


(もっと早く、もっともっと)


 セシリアは手綱を緩めない。 喉が焼け、気管が鳴る。 吸い込む空気が喉に張り付くようだ。

 得体のしれない何かに狙われている恐怖。 背中を冷たい蛇が這い上がってくるような、ゾワゾワとした感覚。 鼓動が耳に響く。


(皆のいる所には戻れない。 それなら……)


 湖中に建つ、その塔に逃げ込む事に決めたセシリアだったが、直ぐそこの距離のはずの塔が、とても遠くに感じていた。


 全力で走る視界の端、木漏れ日に反射する木々の幹が高速で流れていく。 その明るさに影の濃さは際立ち、木々の隙間に潜む「漆黒の闇」が追手に見えてくる程に、セシリアは追い詰められていた。


 が、急に視界が開け、目の前に湖と()が見えてきた。


 つい先程、といってもかなり前のように感じているのだが、先ほど渡った頼りない橋が『希望』に見えてくる。


(――やっと、やっとだわ)


 セシリアは馬と共に跳ね橋を渡りきり、その暗く口を開ける塔の入口へと駆け込んだ。

 そして、馬から転がり落ちる様にして、跳ね橋を上げるハンドルに手をかける。

 気持ちははやるのだが、ハンドルを回す手に上手く力が入らず、何度も手が滑り落ちた。


 ようやく鈍い音を上げ、ゆっくりと跳ね橋が上がり始めた頃には、さらに数発の炸裂音が聞こえ、跳ね橋の板、木の欠片が弾け飛んでいた。


 ギィィィ……


 木くずを落としながら跳ね橋が上がると同時に、セシリアの視界は暗くなった。 はるか上の小窓から、薄く光が差し込むだけになった。


 その時、セシリアの耳に何かがバタリと倒れ込む音が聞こえた。 

 振り返ってみれば、セシリアをここに運んでくれた馬が倒れ込んでいた。 塔の中に響いていた、浅く早い呼吸音はセシリアの物だけではなかったのだ。


 だが、ここには馬に与える水も飼草もない。 セシリアを助けてくれた相棒を労る事もできやしない。


 なんと浅慮(せんりょ)だったのだろうか。 セシリアは汗ばむ相棒の身体をただ、撫でることしかできなかった。 相棒の身体は、暗闇に薄っすらと浮かび上がるように、陽炎のような蒸気を発していた。 上下する筋肉、時折苦しそうに(いなな)く相棒に、セシリアは胸苦しさを覚えていた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ