第八話 「盾」 その③ -第一章エピローグ-
気がつくと、白を基調とした部屋にいた。真っ白な天井、白いシーツのベッド。窓辺には淡いパステルのカーテンがひかれている。程よく空調が効いていて、暑くも寒くもない。掛け布団の中の自分の体温で少し暑い程度だ。
ベッドの側には簡易椅子に腰掛け、うつらうつらと舟を漕いでいるあさみがいた。深矩は彼女の方へと手を伸ばそうとして、自分の腕にチューブが接続されていることに気づいた。まだよく焦点が合わない目で体を観察すると、点滴だけでなく胸には心電図のセンサーのようなものも付いていることが分かった。
「―――」
あさみに呼び掛けようとしたが声がうまく出せない。まるで何日かぶりに声を出したときのようにのどに引っ掛かる。酸素マスクも邪魔だ。むしり取ろうとしたが手に力が入らず、外すことはできなかった。
「……ぁさ……」
「津野くん?」
まどろみの中にいたあさみも深矩の覚醒に気づいたようだ。酸素マスクを外そうとする深矩の様子を見て、逆にマスクを手で押さえ、首を横に振った。
「ダメだよ、まだ外しちゃ。」
深矩の手から力が抜け、再びベッドの上へと投げ出される。少し動いただけなのに、全身を襲ってくる強烈な倦怠感。同時に関節一つ一つが悲鳴をあげる。硬くなってしまったホースを無理やり曲げるときのミシミシという感覚によく似ていた。
「ここは……?」
病院だというのは、深矩にもなんとなくわかった。だが、どうして自分がここにいるのか、どういう状態なのかがよく思い出せない。思い出そうとすると、頭の芯が締め付けられるように酷く痛む。頭の中がグルグルとかき混ぜられているような感覚。意識をしっかりとまとめることができなかった。
「無理しちゃだめだよ津野くん。一週間ぶりのお目覚めなんだから。」
「一週間……」
そんなに眠っていたのか、と深矩は大きな衝撃を受けた。いったい自分の身に何があったというのだろうか。体のだるさと病院には何か関係があるのだろうか、と。
「ちょっと待ってね。」
あさみはそう言うとベッドの脇に設置されたナースコールのパネルに触れた。即座にウインドウが立ち上がり、看護師が呼びかけてきた。深矩の意識が戻った旨を伝えると、先生が来るまで待つようにと指示をされた。
それから、あさみは深矩の頭を軽くなでる。なんだか母親にあやされているようで少しくすぐったいし恥ずかしい。深矩は気恥ずかしそうに頬を赤らめながら、ピクリと右手を動かした。頬をかく動作――深矩のクセの一つだ――をしようとしたのだが、腕が重くてすぐには持ち上がらなかったのだ。代わりに目を伏せがちに逸らして布団の中へ顔を埋める。
「ふふ、津野くん可愛いね。」
「な」
顔面全体を真っ赤に染めた深矩は、リアクションをしようにも体を動かすことが難しく、されるがままの状態で恥辱に耐えるしかなかった。
一つ収穫があったとすれば、あさみのほほ笑む顔をしばらく眺めていられたことだろうか。深矩の記憶の中にあるあさみはもっと仏頂面だったはずだが、この一週間に心境の変化でもあったのだろう、実に穏やかで自然な笑顔を深矩に見せていた。
(なんでこうなった――??)
記憶の無い深矩には、そのギャップにカルチャーショックのようなものを感じる。あれだけあさみの笑顔を欲していたのに、いざ向き合ってみると何とも言い難い妙な心地であった。
――――――
――――
――
数分後、医師が部屋に入ってきた。深矩は現在までの経過の説明を受け、その後精密検査をすることになった。意識の度合いのチェックや脳波、血液採取、体の内部走査などなど、病院でやる検査というものはこれ以上に種類がないのではないかというくらい膨大な項目をこなしていく。結局、この検査だけで目覚めてから2日を要することになる。
深矩が考えていたよりも大きなケガだったようで、本当に異常がないのか、退院しても大丈夫なのかを調べるためだった。結果、異常なし。ただし筋肉が一週間使われなかったために体力・筋力が多少落ちており無理はできないらしい。また切断されかかった右腕の動作が完全に戻るには時間がかかるとのこと。
とりあえず学業復帰ができる程度にはリハビリをせねばならない。ひとまず検査の後の1日は安静にして過ごし、さらにその翌日からようやくプログラムに取り組むことになった。
脚を負傷したわけではないので歩行くらい苦労しないと深矩は考えていたようだが、いざリハビリになると、やはり体のあちらこちらが痛んでしまっているのが分かった。はじめは立ち上がるのもやっと。疲れてくると右腕の傷跡がズキズキと痛みはじめ、リハビリどころではなくなってしまう。最終的に歩く走るといった運動機能は問題なく回復したが、右腕の完治までは程遠い。腕が治るまでは安静と通院を義務付けられた。
このような流れで、今、深矩は退院の準備段階に入っているのだった。
「お邪魔―っ!」
「奥菜!みんなも!」
「よ、深矩。もう大丈夫なのかよ?」
「ああ。心配かけたな。」
荷物をまとめていると、≪仮面の騎士≫の皆が見舞いにやってきてくれた。入院している期間中、あさみや奥菜は頻繁に、トールも時々顔を出してくれていたが、いさみも含めて全員がそろったことは無かった。
もとから病室内にいたあさみが彼らを病室の中へと案内し、簡易椅子に座ってもらう。深矩はベッドへと腰かけ、あさみは立ったまま。奥菜が何気なく深矩の脇に腰かけると、あさみの眉がピクリと動いた。いつも眠たげな瞳をより半目にして睨む。周りの面子はそんなあさみの表情には気づいていないが、トールだけが背後からの異様なオーラを敏感に感じて冷や汗をかいているのだった。
「どう深矩、思い出してきたかなっ?」
「少しずつは。この腕をケガした瞬間のことは思い出したよ。でも、そのあと怪物がどうなったのかがわからなくて。」
話しているのは深矩の記憶について。深矩ははじめ混乱していたものの、徐々にケガをした当時のことを思い出せるようになってきた。ただし怪物事件のことを医師に話すわけにもいかず、周囲からは相変わらず記憶欠如状態だと認識されている。大ケガを負った際、その瞬間の記憶がなくなることはよくあるらしいので、これについては特に気にされることもなかった。
「いやぁ、びっくりしたよっ!現場に着いたらさ、変身できないはずの二人が≪デオキメラ≫倒しちゃってたんだからっ!」
「本当、驚きですよ。ボクが着いた時にはもうあさみさんが紅玉取り出してたんですからね。あの時のあさみさんのドヤ顔は深矩くんにも見せてあげたかったなぁ。」
「そんな顔してないから。」
病室に集まっていた≪騎士≫たちは、口々に当時のことを話した。非変身組であるはずの二人が≪デオキメラ≫を討ったことに対して賛辞の嵐である。記憶がまだおぼろげな深矩にとっては複雑な心境でもあった。
それから、深矩が気にかけていたことがもう一つ。
「そういえば、子供たちは!?あの子たちは無事か?」
「子供たちは全員無事だぜ?安心しろ。」
「今回の事件で被害者はゼロっ!これも深矩の頑張りのおかげだねっ。」
「……そうか、よかった。」
深矩は安心し、ほっと胸をなでおろす。子供だけでなく、被害者そのものが全くいない。≪デオキメラ≫発生と、深矩たちの介入にそれほど時間差が無かったのが一番大きな要因だった。
「しいて言えば、被害者は津野くんだね。」
「まあ、そうなるのか。」
今回の一件で大きな損害を被ったのはたった一人。深矩だけなのだ。
「ただし、津野くんはその見返りに英雄になりました。ついでに私もね。」
「は?」
あさみが添えるように付け加えた一言の意味がよくわからず、聞き返してしまう。あさみはそれに答える代わりに、「ターン・オン」の一声をかけた。部屋に備え付けられているTVの電源を入れたのだ。声に反応し、天井部に備え付けられた映写機から空間投影スクリーン・プロジェクションビューアが立ち上がる。これが最新のテレビジョン。深矩の家にあるプラズマスクリーンの先を行く存在だ。
スイッチが入った瞬間はよくわからないバラエティ番組だったが、番組表からワイドショーの欄を選択すると、すぐに見覚えのある学校や幼稚園の映像が映し出された。
「これって……」
「そう、こないだの幼稚園だよ。」
街中に現れた≪デオキメラ≫の情報は、さすがに完全にごまかし切ることはできない。子供たちや幼稚園の先生方には怪物の姿や戦う深矩たちの姿を目撃されてしまっているのだ。位置や時期が近かったこともあり、杜陸高校にも再びスポットがあてられることにもなった。
いくつか他の番組も確認してみる。ほとんどがこの怪物と≪仮面の騎士≫の話題で持ちきりであった。特に、幼稚園児たちが「お兄ちゃんとお姉ちゃんが助けにきてくれたの!」と元気よくインタビューに答える映像が流れると、≪仮面の騎士≫の正体か、などと騒がれていた。
「な、な、なにこれ!?」
「津野くんがリハビリに必死になっている間の出来事だよ。」
「へぇ、園児たちにはすっかりヒーロー扱いされてんのな、お前?」
いさみが深矩をからかうも、深矩は顔を真っ赤にしてそれどころではなかった。名前などはバレていないようだが、自分のことを言われているのだと思うと想像以上に恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
「深矩くんのケガについては理由や場所をごまかすことで何とかなりましたが、目撃証言はねぇ?」
「高校の時もそうだったけど、証拠は消したんだろ?」
「人間、二つ以上の場所で同じようなことが起きると証拠がなくとも疑ってしまうのですよ。ですので、“黒髪の少年”と“赤髪の少女”が英雄視されるのは仕方ないことなのです。にやり。」
にやり、の部分は口でそう言いながら表情を作るトール。あからさまにからかわれているのだが、慌てる深矩を他所に、あさみはどこか満足げだ。やはりヒーローという存在にあこがれていただけに、自分がそう呼ばれるのは素直にうれしいらしい。
「さて、そんな深矩にプレゼントだよっ!」
奥菜がそう言うと、トールがどこからか棒状の機械≪イド・ウェポン≫を取り出した。深矩の方へ投げてよこすと、深矩は左腕でそれをキャッチした。
「これって……」
「今、なにか想像してみてください。」
「何かって言われても――」
深矩のあいまいな記憶では盾を手に敵と戦ったこともおぼろげだ。それでも≪イド・ウェポン≫に触れたとき、何か予感めいたものがあった。目を閉じ、想像する。心の奥に刻まれたソイツを、掴みとって引き揚げる。
「――ッ!?」
頭の芯の方が痛んだ。やはり無理に記憶を思い出そうとすると、痛むようだ。脳に痛覚はないはずだが、それでも記憶に関わる領域が悲鳴をあげているのだとわかった。
人間の脳は120年分ほどの記憶の領域を持っているらしい。見たり聞いたりした膨大な量の情報をすべてしまってあるのだ。忘れることは、基本的にはない。人間に欠けているのは“思い出す”機能の方だ。今、深矩の脳にはある種のプロテクターがかかっていた。心理的に追い詰められたり、大きなケガを負ったりした記憶は封鎖され、思い出せないようになるのだ。
「大丈夫!?」
「だいじょうぶ、もうちょっとなんだ……。」
深矩はケガの瞬間の出来事は既に思い出している。あと少し、倒れる瞬間までのほんの少しの時間を取り戻すだけでいい。
「――平たい……いや、丸か……?」
そして、見えてきた。あの時左手に掴んだ、守るためだけのカタチ。
「――“シールド”!」
深矩が声をあげた瞬間、手にしていた棒状の装置がまばゆい光を放った。光の粒子が放出され、イメージを具現化する。粒子は液体のようにうねって形を整えると、一つ一つの粒子が繊維状になり強度を生み出す。同時に金属物質でコーティングされ、黒光りするシールドが完成した。
半球の一部を切り出したような滑らかな曲線をもつ逆台形。上部には棘が備わり、ここで受け止めた刃をへし折ることができる構造になっていた。
「さすがです、深矩くん。」
「深矩、やるじゃんっ!」
「これでその≪イド・ウェポン≫はお前のものだからな!」
一度その形を目にしたからだろう。イメージが容易になり、安定して具現化できるようになったようだった。深矩は自分だけの装備が手に入ったうれしさのあまり、盾を掲げてまじまじと観察する。
「やっと笑ってくれたね、津野くん。」
あさみがそう言った。何のことかわからずきょとんとする深矩に対し、≪仮面の騎士≫のメンバーは何やら意味深に笑っている。
「え?え??」
「津野くん、全然笑わなかったから。」
深矩は狼狽する。自分は笑顔になったことが無い?そんなことは無いはずだ。無趣味な人間だが、感情までは死んでいないと思っていた。実際、照れたり怒ったり、悲しんだり……この1か月の間にもいろいろな感情を持ったはず。いろいろな表情を見せたはずだ。
「深矩が笑うときって、大抵は苦笑いだよねっ」
「そうそう、コイツ、だいたい苦笑してるか照れてるか焦ってるかのどれかだよな!」
「ずいぶん無理してるように見えましたよ、ボクには。」
周りの皆には、深矩がそのように映っていたらしい。きっと、深矩があさみの笑顔が見たかったように、みんなは深矩に笑顔が無いことを気にしていたのだ。
ひょっとすると深矩はあこがれていたのかもしれない。あさみが心開いた人間に見せていたあの表情に。自分自身が誰にも心を開けないから。心を許せる相手が、側にいなかったから。
「津野くんがね、前に一度だけ笑顔を見せてくれた時があるの。いつだと思う?」
少し考えてみたが、見当がつかない。ここに至ってようやく、心から笑ったことが今までに無かったと、深矩は気付く。
「――わからないよ。」
「転校のあいさつが終わったとき。きっと安心したからだね。」
「深矩くんはいつも気を張ってますからね。」
1月6日。転校の日。深矩はあの時の気持ちを思い出した。見知らぬ道は心細くて、周りは知らない者だらけ。これからクラスに馴染めるのか不安だった深矩に、彼らが温かい気持ちで出迎えてくれたこと。自分もこの人たちの仲間になれるのかもしれないと、そう思ったこと。
その時と同じ感覚を、今も感じている。
不安だった。焦っていた。ようやく馴染めるかと思ったクラスが一瞬で崩壊し、仲良くなりかけた人たちが次々に居なくなって、それが許せなくて、何もなくとも学校へ足を運んだ。何かがこの理不尽を壊してくれるのではないかと願って。
そして彼らに出会った。出会いはしたが、すぐに心が折れかけた。こんな戦いについてはいけない、ここにも自分の居場所はないと。それから憤った。たった一つの繋がりを、自分の大切な人を傷つけられて、それだけで頭がいっぱいになった。
あがいて、もがいて、ようやくメンバーに入ることができても、自分は必要とされていないのだと悲しくなった。本当の意味で自分は仲間になってはいないと、心のどこかで感じていた。
深矩が≪イド・ウェポン≫を手にしたとき、自分だけの装備を手に入れたとき、やっと仲間に加われたのだと思ったのだ。何もできなかった自分に、やっと役割ができて、ようやく一歩踏み込めるのだと、彼はそう考えたからこそ笑みがこぼれた。心の底から安心して、笑ったのだ。
「おめでとう、津野くん。安心して、私たちはもう仲間だから。」
「!!」
あさみの言葉に感情が揺すられる。心臓にまとわりつくように絡んだ鎖が、一気に弾けて消えた。目頭が熱くなって、ついついその中からあふれ出しそうになる高ぶり。
「……あ、ああ……」
深矩は涙が出ないように堪えながら、返事の代わりに笑みで答えて見せた。感情を隠そうとしたからか、唇が震え、きっと変な顔になってしまっているだろう。
「馬鹿!お前そこはちゃんと泣いとけよ!感動の場面だろうが!」
「うるせぇよいさみ。こんなにうれしいのに、泣いたら恥ずかしくてせっかくの気持ちが吹き飛ぶだろ!」
「あははっ!やっぱり深矩は感情表現が下手くそだねっ!」
「下手くそ言うな!」
もう、隠すことは無かった。熱い液体が頬を伝うのを感じながら、深矩は思う存分笑った。
「いやー、やっぱり深矩くんとあさみさんは似てますよね。お似合いです。」
「「なにが?」」
「不器用なところが、です。」
「「いや、似てないから。」」
「ハモんな。」
また、笑った。
入院から2週間弱、ついに深矩は退院する。
季節は変わらず冬の最中。しかし時の歩みは着実に進んでいて、暦はいつの間にか2月の半ばに差し掛かろうとしていた。
◇ ◇ ◇
暗い室内に、二人の人間がいた。暗さ故に部屋の大きさは不明。人の数がわかるのは、何かのサンプルを入れる筒のような装置が発光し、シルエットを形作っているからだ。
何かの実験設備なのだろう、同じような小さなサンプルが所狭しと並んでいる。光っているのはそのうち数基。液体の中に肉片のようなものが封入され、浮遊している状態だった。一部の肉片はグネグネと揺れ動き、液体の中を“泳いで”いる。
二人の人間は向かい合って話をしている。サンプルの発光が逆光となり、顔は全くうかがえない。しかし、髪型や体つきから男性と女性であることだけは見て取れる。あるいは暗闇の中には他にも人間がいるのかもしれない。しかし、目に見えるのは二人だけ。
「さて、本題に移ろうか。」
「本題とは何のことかしらね?」
やけに低い男性の声は、施設内に反響して静かな振動を感じるほど。一方の女性は非常に澄んだ美しい声色で、大人の女性らしさを感じさせた。
「どうするんだ黒須、世間の目がついにミッドガルデに向かい始めたぞ。予想よりも早い。」
「結構なことじゃない。むしろ好都合でしょう?」
女性はそう返事すると、わずかに肩を震わせ始めた。くっく、と笑みが漏れ始める。その笑みはだんだん狂気の色を孕みはじめ、ついに壊れた。
「ヒヒッ!!!良い……実にいい流れよ。我々は、計画を次のフェイズに進めるとしようか!ヒヒヒヒ」
「……ふん、不気味な女だぜ。」
女は裏声で、狂ったように笑い続けた。否、きっと彼女は狂っているのだ。
いつまでも、いつまでも笑い続けた。
第一章 コトノハジメ End
――――To Be Continued.
ここまで読んで頂いてありがとうございます!
「第一章、完!」ってやつです。
良ければ感想・評価をお願いします。
また誤字や表記揺れ(1週間と一週間が混在など)が多いので、教えていただけると幸いです。
また、読みにくい文章があれば、今後の参考にいたしますのでご指摘ください。




