第八話 「盾」 その②
堀辺トールは走っていた。変身状態で屋根伝いに、なるべく人々の視界に入らないようにしながら。
25歳を過ぎても悠々自適な生活を送る彼は、実は戦隊にとって不可欠な存在だ。学生である他のメンバーに比べてとりわけ動きやすく、昼間の出撃にもなんなく対応できる。状況によっては戦闘をすべてトールに任せ、他のメンバーは学問にいそしむことも出来るのだ。
むしろ、トールは自分が≪仮面の騎士≫に選ばれたのはその生活スタイルが理由なのではないかと思うときがある。変身に適合した体質の人間は、探せばもっとたくさんいるはずだと感じているのだ。
観察眼の鋭い彼は、はじめから内藤のいうことを信じきれずにいた。なので裏通り戦の時、ひょっとして深矩が変身できるかもしれない、と心のどこかで思っていた。結果は惨敗であったので、少なくとも竜都出身者以外は変身できないという説明は間違っていない可能性が高まった。が、まだ疑う余地は残っている。
(まあ、どうでもいいことですね。)
トールは深く考えるのが苦手だ。だから、自分からは動かない。幸いにもごちゃごちゃと物事を考える役目は新メンバーが担ってくれそうだ。だから、今は戦いに集中しよう。
「内藤さん、聞こえますか?」
『え?あ、はい。聞こえてますヨ。あれれ、グリーン君本人ですか?』
「そうですよ。ヘッドセット着用したまま変身したので。」
変身スーツそのものは力の制御に特化したもののため、通信機能など余計な機能は付いていない、というより技術的な面で付けることができない。また、アニメでよくある魔法少女のように裸になってから変身することもなく、スーツは元の衣服の上から着装するタイプだ。つまり変身後も身に付けているものはそのままであり、ヘッドセットの電源を入れてから変身することで通信機能を残したままに出来る。
トールは以前誰かにこの裏技を伝えたと思っていたが、肝心の内藤に教えるのを失念していた。彼ならばこれを応用して新たな装備を作れるだろうに。
『なるほど、そんなにシンプルな方法で……。灯台もと暗し、という訳ですネ。それならば小型の通信器具を開発して、全員に持たせても良さそうですネ。』
「それより内藤さん。状況はどうなんですか?」
『ブルー君は華山高校方面から移動中、ピンク君が一番近いのですが、足止めを食らっているのか移動できていませんネ。レッド・ブラック両名は現場で活動しているようですヨ。変身できないため、具体的な身体の状態はわかりません。』
状況は決して良くないらしい。よりによって非変身組が真っ先にたどり着くなんて。奥菜の動きが気になるところだが、何か事情があるのだろう。この調子であればいさみが先に到着し、自分が二番手というところだろうか。
『ところで、グリーン君は何故中央特区方面から移動してるんです?自宅は三津輪区でショ?』
「今日はドラグナイトオンラインの限定イベントが竜都市内の一部の筐体で実施されていたのです!」
『それは……何というか、タイミングが悪かったですネ。』
元々ネットゲーマーだったトールは、今は騎士としての活動がメインになったお陰であまりイベント事には参加はしなくなった。普段は家にいたり、周囲を散歩……もとい巡回したりの毎日を過ごしている。ゲームにはせいぜいログインボーナスをもらうためにインする程度である。本当に偶然、この日のイベントが外せないものだったのだ。それがまさか、たまたまイベントに参加していた日にデオキメラが発生するなんて。
「もういっそ学生やニートに任せるのではなく、ちゃんとした組織を作ってみては?」
『そうしたいのは山々だったのですが、変身条件の件ですとか……まあ、いろいろと事情がありましてネ。それに私は今の≪仮面の騎士≫が嫌いではありませんヨ。』
そんな内藤のセリフに対し、返す言葉が見つからずに黙ってしまうトール。やんわりとはぐらかされたとは感じるものの、それ以上考えるのが面倒くさくなって、適当に挨拶だけ返して通信を切断した。
(さぁて、次のクエストはどんな相手ですかね!)
組織の思惑とか、敵の目的とか、戦う意味だとか、黒幕の正体だとか、そんなものはトールにとってはどうでもいいことだ。今はただ、この≪仮面の騎士≫という“超現実ハンティングアクションゲーム”のいちプレイヤーとしての振る舞いに徹するのだった。
トールの言うところの“クエスト”を、無力ながらも受注せざをえなかった二人、深矩とあさみの奮闘は続いている。
深矩は左腕と口を使って何とか右腕の止血を再開するが、すでに指先の感覚はなくなり、右腕は完全に使い物にならなくなっていた。激しい痛みと失血による脳内の血流量の減少により、もはや動き回ることは困難であった。肩で息をしながら幼稚園の塀へと寄りかかり、力なく座り込んでいる。
一方のあさみは相変わらずの防戦一方である。敵のハチ型≪デオキメラ≫は、無知脳だと思われていたが、実際には適応能力の高さが際立っている。というのも、翅を一枚破られ、脚を切られたのちの動き方がだんだん最適化されていたのだ。
そこに意志は存在しない。しかし経験値だけは蓄積していくようだった。翅は空中でのバランスがとりづらくなっただけで、実際には無力化はされていない。ハチは一瞬だけ翅を震わせてバックステップをしたり、急加速したりといった使い方を覚え始めていた。
また、脚一本失ったところで機動力は変わらず、攻撃に使用している4対は健在。深矩の放つ血の匂いによって興奮状態なのも変わらずである。
あさみにとってさらに分が悪いのが、“避けられないこと”だ。深矩が≪デオキメラ≫相手に数分持ちこたえたのは、必ず自分に目が向けられていたからだ。すべての攻撃は自分に対してのものであり、避けることに集中するだけでよかった。
しかし、あさみの場合は背後に深矩がいるため、下手に良ければ攻撃は深矩へと向かってしまう。守り続けるためには剣で攻撃を捌き続ける必要があった。
「はぁああああああッ!」
「ヂヂヂッ!!」
「――くっ」
複数の脚による猛攻を捌き、腹部の針の刺突はステップでかわす。すぐさま敵の目の前に戻ると再び攻撃を受ける。
「やばい……あさみが、追いつめられている!?」
こちらから押して返すことができない以上、徐々に追いつめられていくのは必至だ。毒針攻撃は「線」でなく「点」を突く攻撃のため、どうしても受けるのではなく回避行動をとらざるを得ない。そのせいで余計に距離が詰まっていくのだ。
狙いが自分なのだから、位置を変えれば状況が好転するはず、深矩はそう考えた。力を振り絞ってふらふらと立ち上がると、その場を移動しようとする。ところが。
「ダメ!!津野くん!!動かないで!!」
あさみが深矩を止める。コードネーム呼びを忘れるのは焦りの証拠だ。止まるように指示したのは、深矩が動くことで攻撃に微妙に角度が生じ、捌きづらくなったからだ。
八方塞がりであった。後はいち早く仲間が到着するのを祈るほかない。
「“PMS・オン”“コール・トゥ・チバシオクナ”」
深矩は左腕のPMSを起動し、奥菜に電話をかけることにした。右腕が使えないために音声認識操作機能を使用する。
奥菜にかけたのは、学校との距離が近い場所だからである。なので真っ先に到着するのは彼女のはずだと思ったのだ。それに、焦るあまり内藤にかけるという発想自体がぶっ飛んでしまっていた。
『もしもし深矩っ!?』
「奥……ピンク。今、どこに?」
『ごめん、いろいろあって今から出発するところっ!詳細は後で話すよ。』
「頼む……結構やばいことになってる。」
『了解っ!!』
何やら慌ただしい様子だった奥菜は、ようやくこちらに向かうところらしい。あと少し粘ればよいという希望が、少し陰りを見せる。
「“コール・トゥ・ヤオガミイサミ”!!」
変身して移動中なのだろう、応答がない。
「“コール・トゥ・ホリベトール”!!」
『ブラック、大丈夫ですか!?』
出た。
「やばい状況だよ。俺は動けないし、レッドも押されてる。どれくらいで着く!?」
『3分……いや、2分で。』
「頼む!!」
あと、2分。それだけ持ちこたえることができれば、二人とも助かる。それができなければ二人ともアウトだ。非変身組の二人にとって、アウトとはすなわち死を意味する。
≪デオキメラ≫の動きのキレはどんどん鋭さを増している。しかも、切断部位の再生がすでに始まっていた。切断面から肉芽が伸びだし、元の大きさまで成長しようとしている。さらに知能も上がっているようで、時折あさみの動きを見切っているかのようにフェイントを入れたり、こちらをあざ笑うかのように反撃を回避したりして見せていた。これが単なる行動の最適化だとすれば、それはそれである意味恐ろしいことである。
生物兵器。まさにその名に恥じぬ恐るべき成長スピード。この状態で残り1分強は絶望にも等しい長い時間に感じられる。
「―――!!」
敵の腕の攻撃を止めようと剣を掲げたあさみの、斜め下方向から敵の攻撃が飛んできた。ハチが掲げているいる攻撃用の四対ではなく、歩脚として使っていた四対の脚のうちの一本を、攻撃に転じさせたのだ。
持ち前の反射神経で後ろに跳躍したあさみは、間一髪、敵の足払い攻撃をかわす。しかし急な制動に体の反応が遅れ、バランスが乱れたあさみは躓いて尻餅をついてしまった。
「ぐッ!!」
「あさみ、避けろ!!」
姿勢的に、回避は不可能だった。真上から迫りくる怪物の脚を剣で受け止めようと、あさみはあおむけに寝そべった状態での防御を試みる。金属がぶつかり合うような甲高い音と、激しいスパークの後、あさみの持っていた左の小太刀が弾き飛ばされる。残る剣一本で敵の攻撃を防ぐのは、今までの数倍厳しいだろう。
怪物もそれを感知したのか、とどめの攻撃へと移ったようだ。脚での追撃をかけるのでなく、いったん翅で宙に浮いてから脚と針での同時多角攻撃を敢行したのだ。
剣一本だけで、地面に倒れた姿勢から、同時攻撃を防ぐのは物理的に100パーセント不可能。
「いやああああああああああああ!!」
絶叫。あさみらしからぬ、悲鳴。彼女の命のカウントダウンが、もう間もなく終わろうとしていた。
◇ ◇ ◇
走る。彼女を守るために。手を伸ばす。彼女に届くようにと。
しかし深矩のふらつく足はそれを許してくれなかった。つんのめって倒れそうになりながらも、必死で足を前に出した。
敵が翅で空気を叩き、その巨体を大きく持ち上げた。生えかけのものを含めた8対の脚、毒液を振りまく長い針を、同時にあさみに突き立てようとしているのだ。
重い。遅い。どうして前に出ないんだ、この足は。深矩は自分の体の限界値に怒りすら覚える。だが、守るには、助けるには肉体の限界など踏み越えなければいけない。凌駕しないといけない。そのあと自分の体がどうなろうと、知ったことか。
「あさみいいいいいいいいいいいい!!!」
深矩の走りはまさしく限界を超えていた。意図したものではなかろうが、傍からは彼が瞬時にあさみの前に飛び出したように見えたはずだ。
しかし、足りない。彼女を守るにはあと1ピースを埋めなければならない。生身の状態で飛び出した深矩。あさみの前へと身を躍らせても、その身を守る武器が一つもない。これではあさみもろとも死ぬだけである。自殺しに前へ出てきただけである。
―――見えてるんだ、アイツの動きは。
―――たどり着いたんだ、ようやくここまで。
攻撃が迫る中、深矩は反射的に手を伸ばした。右腕はピクリとも反応しない。だけど、左腕はまだ使える。深矩は考える。自分に残ったのはたった一つ、この左腕だ。利き腕ですらない、この左手でいったい何を掴めるのだろう。
彼は思い出す。あさみとの訓練中、さんざん目にしたあさみの動き。左の小太刀であらゆる攻撃を捌き、右の大太刀で相手を叩きのめす、あの動きを。あるいは今まで目にしてきた≪騎士≫の面々の戦い方を。
いさみがメイスで相手を突くあの動き、まるでボクサーの放つストレートのような直線的な動き。だが、その前に左手はどう使っていたか?鎌を振るいながら、相手の攻撃を避けるとき、補助的に左手を使ったり、あるいは相手との距離を測るのに自然に動いてはいなかったか。
ボクサーや空手家、拳法家……左前に構える武術家は多い。右利きの人口の方がわずかに多いためだが、
なぜ、左なのか。
気が付くと、深矩の左手の中には、先ほど弾かれて地面に落ちたあさみの武器≪イド・ウェポン≫が握られていた。
―――いつ拾った?
―――ああ、さっき転びかけたときか。
この武器で、何ができる。左手に握られたコイツで、何ができるというのだ。
―――盾だ。
そう、何か大きな、盾になるようなものがあったら。この左手に、そういうものがあったのなら。だって、左手は身を守るための腕なのだから。
実際には相手が左側面から攻撃してきた場合は右手で捌くことを推奨する武術は多い。しかし、この時の深矩が見出した真理は、この状況を打破するのに奇跡的にぴたりとはまったパズルの1ピースだった。
「“シールド”おおおおおおお!!!」
棒状の装置から光が迸ると同時に、左腕に感じる激しい衝撃。9つの衝撃が一瞬でぶつかり、一つの大きなインパクトとなって深矩を襲う。しかし、手にした巨大な盾は、そのすべてを受け止めてなお健在であった。
少し屈めば体全体をすっぽりと収めることができそうな重厚な盾。上面の淵には上方向にスパイクのようなものがついていた。攻撃用ではなく、おそらく武器破壊のための備え。可変機能はなさそうであった。深矩の深層心理に刻まれた、守るためだけの武器。
「おおおおおおおッ!!!」
深矩は敵の攻撃を受け止めるだけでなく、盾を構えたまま体当たりを敢行した。一撃必殺の大技のために空中にいたハチは、深矩の突進に押し込まれる形で地面へと転がった。全脚と針での一斉攻撃が仇となり、空中でのバランスが取れなかったのである。
「ギチチッ!!」
地面へと転がされたハチは、もう威嚇の羽音を立てることもできなかった。再生しかけの一枚があらぬ方向へとひん曲がり、残る数枚も地面への落下の際に少し折れてしまったのだ。
「あさみ!!立てるか!?」
「うん。行ける。」
深矩の背後で、あさみが大太刀を片手に構えていた。
「ありがとう。でも、呼ぶときはレッドだよ、津野くん。」
「お前こそ、呼ぶときはブラックだろ?あさみ。」
あさみの声を聴き、少し安心したのか膝をつく深矩。脚はガクガクで力が入らないが、自分を鼓舞して無理やり立ち上がった。最後に一度だけ、この脚が必要だ。
「アイツの腹、柔らかそうだな。」
飛び回っているときは8対の脚が邪魔で、地を這うときは持ち上げられていて剣が届かなかった敵の腹。確かに硬そうで関節部分を狙わないといけない脚よりは刃が通りそうだ。
「どうする気?」
「一度だけ、俺があいつの隙を作る。レッドはそれを突いてほしい。」
「無茶はしないでよ、ブラック。」
「するさ。ここだけは。いいか、俺は、お前の盾だよレッド。お前は攻撃だけに集中してくれ。」
「……!!」
あさみはこくりと頷く。深矩の言葉の裏にただならぬものを感じる。あさみはその正体に気づいていた。彼は、時間を稼ぐなんて消極的な考えではなく、あわよくば敵を倒そうとしているのだ。そしてそれだけの戦力がすでにこの場にあると告げている。
「私が、あなたの剣だよ。だから、思う存分、突っ込んでいい!!」
その言葉が合図だった。渾身の力を振り絞ってグラウンドの中央で体勢を立て直さんとしていたハチに体当たりを仕掛ける。巨大な盾に押し込められたハチは身動きを取ることもできない。体当たりの勢いはそのままに小さなグラウンドを横切り、反対側の塀へとハチを衝突させた。
「―――!!!」
すでに音の一つも立てられないハチは、その後に自分に何が起こるかは理解していないだろう。自分を壁面に圧し留めていた盾が消失したと同時に、正面から突撃してきた小さな影。大太刀を上段に構えたあさみの、全身全霊を込めた一閃。
「テァァァアアアアアアッ!!」
斜めに断ち切られた怪物の腹部から、大量の血液が噴出した。斬られた方の腹部は地面に転がり、ビクンビクンと痙攣していた。さらに、針の根元が脈動し、そのたびに毒液を溢れさせている。本体は壁際の狭い空間を、跳ねるように激しくのたうち回っていた。そのことが余計に出血を加速させ、文字通りの血の海を形成していく。
巨大な血だまりの海の中に身を横たえた深矩もまた、意識を手放そうとしていた。追撃を加えようとするあさみの姿を認めると、彼の思考は深く暗い闇の中へと引きずられていった。




