第八話 「盾」 その①
怪物≪デオキメラ≫には、いくつかのタイプがある。
一つは歪に肉体の一部が発達した結果、異形の存在となるもの。何を目的とした形状なのか理解不能な場合も多く、それ故に見た目の不気味さは一線を画す。ただし異形の体は行動に支障をきたすことすらあるため、ある意味対処しやすいタイプとも言える。
一つは動物の形を成すもの。何かしらの動物の特徴を色濃くし、その生態に近しい行動をとることが多い。しかし肉体の一部が肥大化していたり、特異な反応を示す者もおり、必ずしもモデルとなった生物とは行動が一致しない。中にはその目に知性の光を宿す者もいる。
そしてその中でも昆虫などの節足動物を模す者には注意が必要な点がある。何を考えているのかよくわからないので、攻撃のタイミングが読みづらいのだ。中途半端な知能よりも、無知能の方が怖い。それはあさみのような対人武術をかじっているものには特に顕著に影響が現れる。
「ぐッ!」
「ヂヂヂヂ」
不快な羽音。修羅場と化した幼稚園のグラウンドで、ハチのような姿の怪物があさみに猛攻を仕掛けていた。翅を用いて宮中をホバリング飛行しているため距離感がつかみづらい。攻撃のタイミングも一定ではなく、猛追を仕掛けると思いきや急に後退したり、かと思えば遠距離からいきなり近寄ってきて複数本ある腕でラッシュを仕掛けたりする。
攻撃のたびにあさみの体に浅い切り傷が増えていく。ラッシュを受けきれず、爪先が体に触れてしまうことがあるためだ。
今あさみが相手取っているのは、ただのハチではない。脚が8対もある異形のハチだ。尻尾(昆虫の腹部に当たる)が長く伸長し、先には鋭い針が備わっている。見た目に違わず毒があるのだろう。時折透明な液体が針の先端から垂れている。
不幸中の幸い、敵は高い高度からの攻撃はしてこなかった。いつも地面から一定の距離を保って飛行している。たまに大きく浮かび上がることがあり、それにさえ気を付ければ対処は可能。
「きついなぁ……それに……。」
あさみは横目で幼稚園の教室を見る。深矩が園児たちに駆け寄り、一生懸命なだめようとしていた。思考誘導波の影響下で冷静になれる子供がいるとは思えないが、状況を好転させようと彼も必死だ。
なぜなら、教室内で身動きが取れなくなっている子供は一人や二人の話ではなく、ざっと数えただけで十名ほどいるからだ。加えて脱出路であるグラウンド前はあさみとハチの戦場となっている。一人~二人ずつ抱えて走り抜ければ抜けられなくはないが、残された園児たちがパニックになる恐れがあった。
現に、目の前に怪物が現れたことにより、すでに恐慌状態となった園児たちの一部はグラウンドへと飛びだそうとしていた。深矩が懸命になだめているのはそのためである。
「私が、コイツを引き離さないと!」
手にした双剣が強い輝きを放つ。イメージを具現化させる≪イド・ウェポン≫があさみの強い意志に反応して、光の粒子をまき散らしているのだ。粒子は刀身にまとわりつき、光の剣のように見える。心なしかリーチが伸びているのもイマジネーションの成す力か。
「あああああああああああああああッ!!」
壮絶な気合。すさまじい闘気が空間を満たし、膨張し、弾ける。≪イド・ウェポン≫の光があさみを中心に眩く輝く。それは物理的な衝撃となって、深矩たちのいる教室の窓ガラスをも揺らした。
敵の殺気に負けるわけにはいかない。これだけの闘気を放つ敵なのだと認識させなければ。そうしなければ、子供たちを逃がすことはできない。それが囮役のあさみにできる精一杯。
「ヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂ」
敵は翅をこすり合わせるような威嚇音を出し、あさみに猛然と迫った。8対の腕をいっぱいに広げて距離を詰めると、今度はあさみを抱きかかえるように腕を振り下ろした。8方向からの同時多角攻撃。これを防ごうと、あさみは剣を逆手に持ち替え、左右両方向の腕すべてを受け止めた。長く伸びた剣が、全方向に対処するのに役立った。
が、敵の攻撃はこれで終わっていなかった。むしろ、今の動作は攻撃ではなく、あさみを捕らえるための挙動。ハチは長い腹部をCの形に曲げると、針の先端をあさみの方へと向けた。
「!!」
(―――あれはマズイ、あれはマズイ、あれはマズイ!!)
建物内からあさみの様子を見ていた深矩は、これからあさみがどういうことになるのか、容易に想像がついてしまった。あの針の毒の程度は分からないが、長大な針による刺突そのものが致命傷になるだろう。何故か頭をよぎるのは怪物に腹部を貫かれた明日菜の姿、今のあさみとダブって見える。奇跡的に助かりはしたが、あれが心臓の位置だったとしたら有無を言わさず即死していただろう。
刺されたらとんでもないことになるというのは誰の目にも明らかな事実だった。それは教室に残っている園児たちも同様で、今まさに目の前で人が死にかけている状況に泣き崩れる子もいた。恐怖や混乱といった精神状態は人から人へと伝播していく。子供たちならなおさらだ。
「うわあああああああ!!」
一部の園児たちが恐怖のあまり、ついに逃げ出した。グラウンドの向こうの幼稚園の入口へと、一目散に駆け出したのだ。
「おい、待て!!行くなああああ!!!」
「ヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂ」
「―――まずい、そっちは!」
あさみにとっては僥倖だったのかもしれない。だが客観的に見ればより悲惨な未来へと突き進んだことになるのかもしれない。突如、ハチの目標が切り替わったのだ。逃げ出していく園児たちの方へと反転し、追い始める。拘束を解除されたあさみが敵の後を追うが、とても間に合わない。
「危ない!!」
代わりに飛び込んだのは深矩だった。園児のうち狙いを定められた一人を守ろうと大きくダイブ。園児を抱きかかえると勢い余って地面を転がった。間一髪、ハチの振り下ろした腕は園児に届くことなく空を切る。しかし、敵の攻撃は深矩の右腕をかすっていた。
「あああああああッ!!うでが、腕がああああああ!!」
もぎ取られることは無かったものの、深矩の腕は上腕部から大きく裂けてしまっていた。骨には影響はなさそうだが、出血は酷い。
「ブラック!!」
あさみはハチの背後から剣で斬りかかる。彼女の剣は翅の基部を捉え、右側の一枚をもぎ取った。
バランスを失い、墜落するハチ。あさみは走る勢いを落とさず深矩の元まで駆け付けた。
「ブラック、大丈夫!?」
「うッ……ぐ……痛ええ!!」
「だろうね。―――君、逃げなさい。」
あさみはどうしてよいかわからずオロオロしていた園児を逃がすと、セーラー服のリボンを解いて深矩の腕にきつく縛り付けた。うまく止血できればよいが。
ハチの方は、体勢を立て直そうと翅を数回振るわせていた。そのたびに体は持ち上がるものの、あまり長い時間は持たずにバランスを崩してしまう。考える知能が低いためか、同じことを何度も繰り返す。やがて飛ぶことを諦めたハチは脚を使って地面を這いまわり始めた。毒針を備えた長い腹部を持ち上げた格好となり、そのシルエットは毒の尻尾を掲げるサソリを思わせる。
「……ありがとう、レッド。」
「いいのよ。子供たちは……まだ半分くらい残っているね。」
11名の園児のうち、逃げ出してしまったのは5名。残り6名は教室の中だ。
「今みたいに少しずつ逃がすのならいけそうだな。」
「馬鹿。危険すぎる。それであなたケガを負ったばかりじゃない。」
毎度毎度子供を守っていたなら、そのうち深矩の命が事切れてしまう。やるならば、きちんとタイミングを見計らってからでないとまずい。
「敵さんも黙ってないようだしな。」
地面を這う動きに慣れたのか、スピードを上げて突進してくるハチ。器用にも後ろ4対の脚で地面を蹴りつつ、前の4対の脚は上に掲げて戦闘の構えを見せていた。空中にいた時よりも数が減ったとはいえ、攻撃を捌くのが厳しいことに変わりはない。また、腹部の棘は常に前を狙っているかのように持ち上げられた状態で固定されていた。常に針へ注意を向けなければいけない分、より難しい立ち回りが要求されるかもしれない。
深矩とあさみは敵の突進をそれぞれ別の方向へ避けた。一度行き過ぎたハチは、翅を使って一瞬だけ飛び上がって反転、深矩を追い始める。先ほどまで戦闘していたあさみに注意が向かないのは、深矩の放つ血の匂いに反応しているからだろう。
不思議と腕を抉られた瞬間より、止血した後の今の方が痛みが引いていた。止血の効果というわけではなく、脳内でアドレナリンがドバドバと分泌されているためだろう。それでも力を入れようとするとひどく痛む。それに筋を切られたのか腕を持ち上げることができなかった。
(―――俺はただでさえ足手まといだってのに!)
あさみに余計な手間を取らせてしまった。深矩の止血などにかまけていなければ、あと数回はハチに攻撃も出来たろうに。普段は余計なことをせず情よりも実利をとる素振りを見せているが、本当は仲間思いなのだ。
深矩は襲い来るハチの動きを冷静に見て逃げながら、それでも活路を探っていた。汚名返上のため、必死で考える。
(今、こいつは俺を標的にしている。つまり俺が子供たちの方角からコイツを引き離せばいい!)
その考えは正しいのだが、少し敵の能力を過小評価しすぎであった。
「ブラック!!跳んで避けて!!」
突如、翅を振るわせたハチは、走りながら飛行するという荒業で急加速した。あさみの叫びに敏感に反応した深矩は紙一重で右へと跳躍してかわす。しかし跳躍後の着地の際、負傷した右手に尋常ではない痛みが走り、深矩は思わずもんどり打って転ぶ。
「ああああッ、あああああ!!!」
脳内麻薬があふれんばかりに出ているはずなのに、強烈に痛むとは何事かと深矩が自分の腕を見ると、傷口が徐々に大きくなっていき、止血したリボンをもとの赤色よりもより鮮やかな赤へと染め直していた。プチプチと筋繊維が切れる感触もある。無理をしすぎたようだ。
「ヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂ!!!!」
血の匂いに鋭敏に反応した怪物は、興奮した様子で大顎をカチカチと鳴らしながら再び深矩へと襲い掛かる。ついにお終いか、と深矩が覚悟を決めたとき、脇から飛び出してきたあさみが深矩の体を蹴飛ばした。深矩の頬を、真っ赤な液体が濡らす。
転がった際に自分の血を振りまいてしまったようだ。血が少なくなり、一瞬立ちくらみがしてよろめきながらようやく立ち上がる。再び前を向くと、あさみが深矩をかばうような立ち位置で必死に応戦しているのが見えた。
四本の腕の攻撃を二本の剣で捌き、腹部の針の攻撃はステップで無理せず回避。回避の際にも大きく距離を開けることなく深矩と怪物との間に陣取っている。
「ブラック……はやく逃げて!!子供たちと一緒に、この場を離れるの!!」
決死の覚悟で怪物に立ち向かうあさみの言葉に、深矩はは応じることができなかった。深矩の中のくだらないプライドがそうさせたのもあるが、一番の理由は、敵が血の匂いに興奮してるからだ。
自分と子供たちが一緒に逃げたら、きっと子供たちのほうにも怪物は興味を持ってしまう。出血の止まらない深矩が子供たちへ近づくのは得策とは言えない。むしろ、あまりその場を動かずにいたほうが敵の注意を惹きつけることができるのではないか。
「それは承諾しかねるよ、レッド。俺はここにいる。」
「何を――!?」
「ここにいるから、レッドは子供たちを頼む。俺が、俺の傷がアイツを呼び寄せているうちに!!」
止血のためのリボンを解く深矩。すると激しい痛みとともに血があふれ出す。意識が飛びかけるが、踏ん張って怪物のほうを睨む。
「行ってくれえええええ!!!レッドおおおおお!!」
あさみは刹那の隙をついて大きく踏み込むと、怪物の歩脚の関節部分を剣で切り裂いた。敵を切り裂いた後は自然と怪物の背後へと抜けることになる。だがあさみは残心を見せることなく子供たちのほうへと走っていった。深矩の覚悟を信用したのだ。
どくん。
深矩の心臓が跳ねる。
ど く ん 。
ど く ん
人間は身に危険が迫ると、周りの時間が非常にゆっくりに見えるそうだ。それが死に直結するようなものであれば、過去を振り返って走馬燈を見ることもあるらしい。とある説では、死の瞬間に時間の感覚は無限に引き延ばされ、人は静止した世界で永遠を刻むのだという。
深矩の経験しているこの現象も、おそらくそれに近い何かだった。彼は特別に何か力があるわけではない。身体能力も武術経験者に比べれば雑魚に等しく、精神的に達観しているわけでもなく、変身能力や武器召喚の能力すら与えられなかった。
だからこそ、このスローな世界を見ることができる。自分を含め、周りのすべてがゆっくりと進む世界。常に死と隣り合わせの深矩だからこそ得た起死回生の力。
ハチの化け物は切り落とされた左足など物ともせず、一直線に深矩目指して走っている。そして大きく掲げられた4本の腕を振りかざして深矩を捕らえようとするのだ。大顎を鳴らしていることから、捕食しようとしているのだとわかる。
その攻撃動作一つ一つが完璧に見えている深矩は、難なくとは言わないまでも全てを避けることができた。体術も、足さばきも未熟な彼は、ただ“見えている”だけで“見切っている”わけではない。一回一回避けるたびにかなりの神経をすりつぶす。小石に足を取られ、肝を冷やし、避けた先で足が絡まって、心が折れそうになる。
だが、それでいい。少しでも冷静になれば、逆にこのスローな世界からは抜け出してしまうだろう。命がけで立ち向かうからこそ長い時間この状態でいられるのだ。
攻撃される
避ける
攻撃される
よける。
こうげきされる。
よける。
そうして、どれくらいの時が経ったのだろう。体感では1時間近く経過した気もするし、同時に数秒しか過ぎていない気さえする。失血により意識がもうろうとしてくる中、深矩はついにやり遂げた。目の前にゆっくりと現れる赤い影。
「おつかれさま、ブラック。」
地面に倒れ伏した深矩の目の前に、あさみが剣を構えて立っていた。
「子供たちは、もう大丈夫だよ。あと少し、あと少しで≪騎士≫のみんなも来るはずだから。」
「はは……じゃあ、あとは任せたよ。」




