第七話 「そして、戻ってくる」 その①
その日、深矩が学校に行くと、信じられないものに遭遇した。
深矩が家を出ようとするとあさみが待っている。これは、学校再開から続いている習慣のようなものになっていた。そしてそのまま二人で校門をくぐる。これも、いつも通りだ。そこから再び学校外へ出るまであさみが余所余所しい態度になるのも慣れたもの。なので玄関から先へは特に会話もせずに教室まで行くのだった。
問題は、そこから先である。
「おーっ!津野っち!お久しぶり?になるのかな。」
「お、おう……?」
少し日に焼けた小麦色肌に、輝く艶の良い金色の髪、白い歯が良く目立つ、健康美の象徴のような少女。制服の上からでもわかる豊かな膨らみ。そのボリューム感は奥菜とタメを張れるだろう。まつ毛の長い大きな目で、必要以上に近い場所から深矩を見つめてくる。こんな女子を、深矩は一人しか知らない。
「あ、明日菜さん!?」
「やっほー!あはっ、なるほど、相変わらず童顔だね!」
母親が襲われたとき以上に衝撃を受け、真夜中のネコに形容される大きな瞳をぱちくりさせる深矩。口は開きっぱなしで、開いた口が塞がらないとはきっとこういうことなのだ。
彼の目の前にいる少女、それは怪物にメッタ刺しにされたのち行方不明になっていた枯尾 明日菜その人であった。襲撃事件の時、すでに死んでいるものと思われていた存在が、今目の前にいる。しかも、妙にフランクな態度で。
「ど、どうしてここにいるんだ?ケガは!?っていうか……。」
「いい感じに混乱してるみたいだね津野っち。大丈夫、この通り生きてるよ?」
「本当に良かった……。」
深矩が≪仮面の騎士≫に関わる最初のきっかけとなったのが、クラスメイトの明日菜と仁の死であった。そもそも≪仮面の騎士≫という都市伝説を教えてくれたのも彼らだ。うち一人でも生存が確認できたことに、深矩は心から安堵していた。
だが、今回深矩よりも耳ざといのはあさみであった。明日菜の言った何気ない一言が、どうしても引っかかったのである。あさみは深矩と明日菜の間に割って入ると、明日菜の胸倉をつかみあげる。
「なに?八百神さん。」
「あなた今、“生きてる”って言ったね。襲われた記憶があるってこと?」
「え、えーと。なんのことでしょう?」
「―――とぼける気。」
今までにも行方不明になった生徒たちが戻ってくることはあった。しかし、彼らは口をそろえて「覚えてない」という。気が付いたらどこかに倒れていただとか、家で寝ていただとか、そういうあいまいな表現をするにとどまっていたのだ。中には何者かに襲われたという記憶があるものもいたが、はっきり何があったのか、誰に襲われたのかを覚えているものは皆無だった。
また、あさみは明日菜がどのような状態に追い込まれたのかまで深矩から聞いているし、実際に中庭に残されていた血液の量は尋常でなかったのも知っている。あさみにとって“生きてる”という台詞は、明日菜の中に生死を彷徨うほどのの大怪我を負わされた記憶が残っているようにも聞こえるのだ。
「あたしが言ったのは、ご無沙汰しててすみませーん、みたいなことだよ?何か変だった?」
「変だよ。そもそもこの半月の間どうしてたの。」
「何って……気が付いたら病院に居て、回復するまで休んでたんだよ。」
「嘘。ついこないだまで行方不明だったはず。」
「嘘ってなに。何であたしが責められなきゃいけないわけ?」
にわかに険悪ムードになる二人。元々クラスでも仲の良い訳ではなかったうえ、あさみの方から突っかかっていったのだから明日菜がイラッとするのも無理はない。そして誰も彼女たちを止めようとはしない。それぞれ別の意味で女子から距離の置かれることが多い二人であるから、女子はみな我関せずのフリをしているのだ。
男子はどうして動かないのか?単純にビビッていて動かないだけだ。情けないぞ。
「ちょっと落ち着けよ二人とも。」
必然的に流れを止めるのは深矩の役割となる。あさみは掴んでいた制服を離すと渋々離れた。物理的に距離は離れたが、二人は押し黙ってしまい、険悪ムードは続行されている。原因は明らかにあさみの態度にあるのだが、深矩はあさみの立場もわかっているため、気持ちが理解できる分、いたたまれない心地がしていた。どちらの肩も持つわけにはいかないからだ。
「明日菜さん、あさみが変なことを聞いてごめん。でも俺も気になるんだ。明日菜さんはあの日のこと、どこまで覚えてるの?」
「……。」
明日菜は黙ってしまって答えない。しばらく沈黙が続いたので、あさみが前に出ようとする。それを腕で制止しながら、深矩は首を横に振った。
あの日の出来事は衝撃的過ぎた。深矩でさえそうだったのだから、襲われた張本人はもっと怖い思いをしたに違いない。忘れていたならばそれはそれで救いがある。だが、覚えているのなら?これ以上聞くのは本人にとっては苦痛以外の何物ではないだろう。
そんな深矩の気持ちを察してか、明日菜は態度を少し軟化させると、
「うん、やっぱり津野っちは優しいね!」
不意に、そう言った。そして深矩の耳元へ顔を寄せ、周りに聞こえないように小さな声で囁いた。
「覚えているよ、全部。」
「!?」
深矩がその意味を理解しきる前に、明日菜は深矩の元をそっと離れてしまう。持ち前の元気の良さを全面に押し出したような笑顔を見せると、やはり小声で、しかし今度はあさみには聞こえるように言葉を紡ぐ。
「安心して。あたしはあなた達の味方だから。」
知っている。
この少女は気付いている。
深矩たちが≪仮面の騎士≫に関わりがあると勘付いているとしか思えない言葉に、二人は即座に反応できず、呆然とするのみ。何も言ってこない二人を他所に、明日菜は振り返って別の女子生徒の元へと去って行ってしまった。先ほどまで明日菜を助けようともしなかった女子たちが、さも楽しそうに明日菜と会話しているのを見て、深矩は鳥肌が立った。
女子、怖い。
「津野くん。あとでこの件についても話そう。」
「わかった。」
あとでというからには屋上で待ち合わせをしている放課後になってからだろう。つまり今はこの一件には触れないという意味だ。深矩はあさみに返事をすると、荷物を机のサイドにひっかけ、椅子に腰かけた。
教室の片隅から生徒たちの様子を眺めると、どこかもの寂しさを感じる。今までは何も感じなかった、でも、明日菜が帰ってきたことで浮き彫りになってしまったのだ。仁とテツがいないことが。
深矩が転校してきたあの日、始業式のあの日、三人はこのクラスの中でもっとも明るくて楽しそうなグループだった。明日菜も女子たちと居るよりはテツジンコンビと話しているときの方が楽しそうだったし、友達のいない深矩にも積極的に接してくれた。
あの日の三人の姿が、どこにもない。仁はいまだに行方知れず、テツは引きこもってしまっている。親友を亡くした(と本人は思っている)のだ、無理もない。
(今度、大河くんのことも明日菜さんに聞いてみよう。何か知っているかもしれない。)
深矩はそう心に決め、授業の開始を待つのだった―――。
―――が、深矩は甘かった。事態を全く認識していなかった。
「ねえねえ、津野っち。教科書忘れてきちゃったから見せて―。」
「ねえ、津野っち、消しゴム拾ってー。」
「ねえ。」
「ねえ。」
……明日菜は深矩の右隣の席なのだ。必然的にあさみと明日菜に挟まれてしまい、非常に気まずい思いをする羽目になった。しかも、教科書を忘れたとか言いながら、明日菜が近くに体ごと寄ってくるものだから、そっちの面でも気が気でない。心なしかあさみがこちらを睨んでいるような気がする。
「やだ、八百神さん。目が怖いよ?」
「(ギロリ)」
気のせいではなかった。
――――――
――――
――
昼休みを告げるチャイムが鳴り、昼食の時間となった。精神的になぜか疲れ切っていた深矩は大きく伸びをして席を立つ。その足でそそくさと教室の出入り口へと向かう。早く購買に行かねば好物の玉子マヨ焼きそばパンが売り切れてしまうのだ。
ところが教室の扉に手をかけたとき、思い切り学ランの襟を引っ張られた。早足だったことと、襟のホックをきちんと留めていたも相まって、首を思い切り締め付けられてしまった。
「ゲホッ!?ゲホッ!!」
咳込みながら振り返ると、能面のように感情を感じさせない無表情のあさみが立っていた。その手には弁当箱を携えているが、別に深矩のために用意したものでもなさそうだ。
「どこ行くの?」
「どこって、購買だけど。」
「屋上で待ってるから。」
「へ?」
後で話をするということにはなっていたが、深矩はまさか昼休みのことだとは思っておらず、間の抜けた声をあげてしまった。あさみは特に意に介す素振りもなくスタスタと歩き去っていく。深矩にはあさみがいつもよりドライな態度に感じられた。朝の一件から、まだ機嫌が直っていないらしい。今から二人で話をしなければならないというのに気が滅入ってしまう。
ともかくまずは購買にて何か購入しないと、どのみち深矩には昼食がない。考えるのを先送りにして廊下へ出た。階段を本校舎の西階段を一階まで下りると、数秒出遅れたからだろうか、すでに購買部には人だかりができていた。これではお目当てのパンが買えるかどうか怪しい。
「なるほど、津野っちは購買派なんだね~」
不意に背後から声をかけられた。深矩がちらりと後ろを確認すると明日菜が笑顔で立っていた。声をかけられた時点で誰なのか予想していた深矩は別段驚くこともない。この学校内で話しかけてくるのはあさみ、奥菜、そして明日菜しか今はいないのだから。
「早起きして弁当作るのは億劫なんだよ。」
「食堂でもいいんじゃない?」
「友達いないと席を確保するのが大変だし、購買は気楽でいいよ。」
「友達、いないの?意外!」
意外もなにも、今日一日深矩の様子を見ていればわかるはずなのだが、気にされていなかったようだ。事件以降の学校での孤独感といったらない。誰も話しかけてくることは無く、唯一知り合いのはずのあさみですら学校内での会話はほぼゼロに近い。
どこからどう見ても友達がいそうな感じではないはずだ。もっとも、明日菜は久々の登校で、かつ深矩とは2回目にあっただけなので、まだ転校生フィルターがかかって見えているのかもしれない。
しかし、続く明日菜の言葉は少し意味合いが違って聞こえるものだった。
「てっきり八百神さんと一緒に食べるのかと思ってた。」
つまり深矩とあさみは仲の良い友達だ、とでも考えていたようなのである。
「普段は一人で食べてるよ。今日は、この後待ち合わせてる。」
「普段は一緒じゃないの??」
「……どういういみ?」
明日菜は不思議そうに首をかしげながら、
「だって、毎日一緒に登下校してるそうじゃん。付き合ってるんじゃないの?」
と、爆弾発言をしてくるのだった。
「付き合ってないから!っていうか、誰に聞いたの。」
「クラスのみんな噂してるよ~?転校生と八百神さんが毎日一緒にいるのを見るって。」
「そ、それは帰る方角が一緒だからで……」
「嘘つき~。家が別方向なのは知ってるよ!」
嘘で取り繕おうとする深矩に対し、それを即座に看破してくる明日菜。噂話系統はやはり女子の方がめっぽう強い、というよりは今までそういうものに無縁だった深矩が、この手の駆け引きにめっぽう弱いのだ。何も言い返せなくなった深矩は、引きつった表情で指で頬をかく。
明日菜は困り果てている深矩を見ると悪戯っぽく笑って、彼の肩にぽんぽんと2度、手を置いた。励ましているつもりなのだろうか。
「まあ、頑張れ若者よ!」
決して同じ年の男子にかける言葉ではないが、明日菜が言うとなかなか様になっている。むしろ奥菜よりも先輩っぽい雰囲気を出しているのではなかろうか。
「言ったでしょ?あたしはあなた達の味方だって!」
もうわけがわからないよ。
しかしそうこうしているうちに、前の方で並んでいた生徒たちがはけてきた。数秒のロスはあったとはいえ、チャイムの後間をおかず出てきた甲斐あり、まだ残っているパン・おにぎりの種類は豊富であった。明日菜と深矩はいよいよ売り場のパンへと手を伸ばす。
「「あ」」
二人の手が重なる。そこにあったのは売り場にたった一つ残されていた玉子マヨ焼きそばパン。焼きそばの濃厚なソースにマヨネーズの風味が合わさり、周りをふわとろの柔らかな玉子焼きで包み込んだ、絶妙なハーモニーを醸し出す逸品である。もちろん人気メニューであり、購買では真っ先に無くなる商品の一つ。
「「まさか、それが狙いだったとは。」」
深矩と明日菜、二人の視線がぶつかる。少し距離を取り、戦闘の構え。今は明日菜がパンを握っているが、真にその商品をゲットできるのは、この勝負に勝った者ただ一人。掛け声とともに、二人の拳が前へと突き出される――。
「「さーいしょーはグー!!!」」




