第七話 「そして、戻ってくる」 その②
「遅い。」
「何してたの、深矩っ?」
屋上へと至る道は、本校舎の中心にある中央階段の先にある。というより本校舎4階部分からそのまま中央階段で上に行けば即座に屋上にたどり着く。なので決して人通りの少ない場所ではないのだが、階段の周辺だけはなぜか人口密度が低い。注意してみればそこがエアポケットになっていると気付くだろうが、普通はスルーしてしまうだろう。
その階段の先、屋上の扉の前にあさみと奥菜が待っていた。奥菜も来るとは深矩にも予想外であった。そんな深矩の手には、購買にて購入したブラックの缶コーヒーと、メロンパンが一つ。
「深矩、それ少なくない?」
男子高校生の食欲を満たせるとは到底思えない分量しか買えなかったのは、ひとえに勝負に敗北したのが原因であった。
人気商品玉子マヨ焼きそばパンを賭けた真剣勝負、勢いよく拳を突き出した深矩に対し、明日菜は元気よく開いた平手で応戦、腕を伸ばし切る前に相手の出方に気づいた深矩は、人差し指と中指を伸ばし、二本貫手の形を作ろうとした。しかし、その深矩の途中で手を変えるという姑息な技を察知した明日菜は、超高速で平手を深矩の手に打ち付け、伸ばし切らない指を再び拳の形まで押し込めたのだ。
互いの闘気がぶつかり、弾けて空気を揺らす。ビリビリとした振動、おお、というどよめき。
一瞬の攻防により全力を出し尽くした両者は、お互いの健闘をたたえ合った。結局一枚上手だった明日菜が最後の玉子マヨ焼きそばパンを死守、深矩は別の商品を買うことになったのだが、その時にはほぼすべての商品が売り切れ、メロンパンとクリームパンしか残っていなかったのだった。両方買うお金はなく、またコーヒーは譲れない。仕方なくメロンパンだけをを購入したというわけだ。
「購買のメロンパンって、おいしいんだけど高いんだよね。無駄にこだわってるっていうか。」
「はあ。じゃあそのおいしい味を堪能するよ。」
深矩はそう言うと、屋上の扉に手をかけた。
「ん?」
ここで深矩はあることに気づく。学校の屋上というのは解放されていないのが普通ではないのか。ともすれば、鍵はどうするのだろうか。
「津野くん、取っ手の所をガチャガチャとまわしてみて。」
「こうか?」
言われるがままにドアノブを何度か捻ってみると、突然ドアが開いて外からの風が吹き込んできた。冬の乾いた空気にまぶしい光。そのくせ風だけは妙に冷たい。だが新鮮でおいしい空気が階段の踊り場を満たしていく。
「ここの扉、鍵が壊れていてこうすると開くの。先生には内緒ね。」
なるほどそういう理屈らしい。深矩は扉を開け放つと、屋上へと一歩踏み出した。落下防止用のフェンスの先に、竜都・杜陸区の住宅街の風景が広がっている。旧神竜川の堤防の向こう側は華山区のちょっとした商業施設街と団地、時計塔に隠れて見えづらいが、川沿いに海の方へ視線を移せば工業団地地帯がある。
工業団地とは逆方向、北方向に目をやれば、遠く離れた場所に高い電波塔が立っている。周りを取り囲むようにそびえたつビル群。
「あの電波塔がジオファイターズのラストシーンの撮影に使われたタワーで、今ではジオタワーって愛称がつけられてる。それから、もう一つ横に立っている高いビルがミッドガルデ本社だね。」
「あれが……」
目指すは、あの場所でふんぞり返ってこちらを観察している悪意の中枢。だが今の深矩では何もできないことは分かっていた。冬の澄んだ空の下、霞むことなくはっきりと見えるその場所を目に焼き付けた。いつか目に物見せてやるという気持ちを胸に。
「ねぇねぇ、この場所懐かしくないかい、少年っ!」
奥菜は屋上の心地よい空気を胸いっぱいに吸い込みながら、満面の笑みで深矩に話を振る。そう、ここは深矩と奥菜のファーストコンタクトの際に重要となった場所なのである。見下ろせば、あの日戦場となっていたグラウンドが良く見える。今もその時の様子が、目の前に映像が浮かんでくるようにはっきりと思い出せる。
「あの日、ここでわたしは宙づりに……。」
「ごめん。なんかあの時の俺、必死で。」
「良いの良いの。結果的にはいい出会いになったんだしっ!」
半月しか経っていないがなかなかに感慨深いものである。始まりの場所に、彼らは戻ってきたのだ。
「ん?そういえば。」
深矩にはこの場所に立って、改めて思い出されることが一つあった。襲撃事件の日、寒空の下一人孤独に救助を待ち続けた、あの怒りと虚しさがふつふつと湧き上がってきたのだ。ピンクの少女に会ったら一言文句を言ってやろうと、そう思っていた時期もある。
その旨を奥菜に訴えた深矩。しかし実にあっけらかんとした態度で奥菜は言う。
「あ、わたしそこのドアの開け方知ってたから、つい――ね?」
つまり、外側からでもドアノブをガチャれば扉が開くということを奥菜は知っており、その為に深矩の救出は急務でないと考え、後回しにしてしまったのだ。結果置き去りにしていることを忘れ、思い出した時にも「まあ何とかなるでしょっ!」といった感じで軽く考えていたのだ。
深矩の救出はずいぶん後になったと知ったのは後日だった。ちなみに生徒会長権限で先生たちにその時の様子をこっそり尋ねた奥菜は、屋上まで鍵を持って行って扉を開けたと確認している。鍵がバカになっていることは気付かれてはいない……と思いたい。あとは助け出された深矩がどう言い訳をしたのか、それを教師たちがどう捉えたかが問題になる。とりあえず鍵が交換されていないところを見ると、バレてはなさそうだ。
人払いは簡易思考誘導波≪エッグ≫で何とかなるものの、せっかくの密談場所、しかも学校の屋上という憧れのスポットを失ってしまうのはやはり避けたい。
「この場所はわたしのお気に入りスポットでもあるのだっ!」
「私のお気に入りでもあるね。」
「晴れてる日はよくここで一緒にお弁当食べてるんだ~。今後は深矩も一緒にどう?」
「むしろもっと早く誘って欲しかったよ。」
最後のつぶやきは、おそらく奥菜たちが思っているよりも切実なものだった。
――――――
――――
――
「枯尾 明日菜の件、どう思う?」
「少し情報を整理しようか。」
昼食に平行して、緊急ミーティングを行う。
深矩は自分の腕時計型PMSを起動し、メモ帳機能を選択する。目の前の空間に投影されたスクリーンがメモ用紙のような罫線付きのものにかわり、指で文字を入力することが出来るようになった。
深矩がまず書き込んだのは、明日菜が生きていたことについてだ。
「今までも、大ケガを負った生徒が無傷の状態で帰ってくることもあった。これがミッドガルデの仕業だとすると、明日菜さんにも当然奴らの手が伸びていることになるな。」
「そもそも、何ヵ所も体を貫かれて生きている方がすごいよねっ」
そう、あのときに即死していてもおかしくなかったはずだ。心臓や肺に傷がなかったとしたら、多少希望があった程度。あの日深矩が中庭へ向かおうとしたのは、そのわずかな可能性を信じたかったからだ。
「それから、津野くんに対する態度が怪しかった。呼び方も露骨に変わっていたよね?」
確かにその通りだったので、深矩は明日菜の自分への態度についてもメモ帳に書き加えておく。
「しかも、何らかしらの記憶操作を受けているであろう他の生徒と枯尾 明日菜とはリアクションの性質が違う。どこまで知っているのかは調べる必要がありそう。」
あさみの発言により、今度は明日菜の記憶の範囲について書き出す。深矩には「全部覚えている」と話した明日菜。その全部というのはどの範囲の事を指すのかが目下最大の問題だろう。
『それにさ、オレたちのことも知ってそうな素振りだったんだろ?』
今の声の主は、いさみだ。実はあさみが起動したPMSの同時通話モードにより、≪仮面の騎士≫の面々が一堂に集まっているのと同じ状態になっていた。深矩たちから見ると、トールといさみが別々のウインドウで表示されている。映像の背景から察するにトールは自宅、いさみはどこかの河川敷にいるようだった。
「その件なんだけどさ、どうもクラスで変な噂があるらしくて、≪仮面の騎士≫でなくて、そっちの話のことかもしれないんだ。」
「噂?」
「その……あさみと俺が付き合ってるって。」
『──ブッ!』
電話の向こうで思い切り吹き出す音が聞こえた。画面に目をやればいさみが大笑いしている様子が見えるだろう。あまりに大きな声で笑っているのか、マイクのノイズキャンセラーに引っ掛かって、殆どど聞こえない音量へと絞られてしまっていた。
『ボクはお似合いの二人だと思うのですがね?』
「冗談は髪型だけにしてよ、トール。」
「そうだよっ!冗談は顔だけにしてよっ!」
『顔まで否定しないでください奥菜さん……。』
口にはしなかったが、深矩にとっても今の話はそれこそ冗談ではない。あさみは深矩の好みにかなり近い容姿をしている。それは別に良いことだと思われるかもしれないが、逆に緊張してしまって気軽に接することが出来ない。
また、かなりきつい一言が多いために若干の苦手意識すら芽生え始めていた。信頼されたい、笑顔が見たい、それとは裏腹にどう接してよいのかわからない。
それでも万が一にも実際にあさみと交際できるのなら深矩にとっては嬉しかろう。だが今噂をたてられるのは正直迷惑以外の何でもないのだ。
「まあとにかく、この辺りは俺が会話で探ってみるよ。」
明日菜がいったいどこまで知っていて、何を知らないのか。また秘密を知っていたとして、黙っていてくれるのかを調べるのは割と急務のはずだ。また、あからさまに深矩に対する態度が変わったこと、これが深矩に近づくためだとすれば、場合によってはミッドガルデからのスパイというのもあり得ない話ではない。ならば、それを逆手に利用すれば相手の情報も探れるのではないかと深矩は考えたのだ。
『今回は深矩くんの働きが重用になりそうですね。』
トールも深矩とほぼ同じことを考えていた。ただし、深矩の考えと違う点があった。
『ただ、敵とつながりがあるわけではないと思います。それならばもっと慎重に動くはずですから。』
スパイならば、知ったような素振りは見せないはずで、わざわざ味方宣言をするのもおかしいと捉えているのだ。その宣言の意味するところは、本当に恋愛絡みなのかもしれない。なのでトールの中の優先順位はあくまでも“あの日、何があったか”を知ることなのだ。だとしても深矩の役割は変わらない。
『よろしく頼みます、深矩くん。』
初めて役割を得た深矩。トールの言葉に身の引き締まる思いがする。
『むしろ、もうあさみは深矩の監視役を離れて、深矩がその明日菜って子を四六時中見張った方がいいんじゃないか?』
「ダメだよいさみ。私、津野くんを鍛えあげることに決めたから。」
「え?そうなの?」
初耳であった。
まさかの急展開である。しかしさかのぼって思い出してみると、あさみが本来指定した放課後の屋上というのがこれを意味しているのだと分かる。伝令役をこなす為だとすれば、障害物を極力いなしながらまっすぐに走り抜ける、パルクールと呼ばれる技術を身に着けさせるつもりなのだろう。
「じゃあ、出来る限り教室での会話で明日菜さんの情報を引き出せるように頑張るよ。」
異論はなし。全員が首を縦に振ったことで、大体の方針が確定された。
「さて、そろそろ予鈴が鳴るよっ!教室に戻らないとっ。」
「そういえば、トールが自宅にいるのはなんとなくわかるんだけど、いさみはどこにいるんだ?」
『あァ?かせんじ……いや、学校だけど?』
明らかに今何かをごまかした。
「どうみても学校じゃないよね、いさみ。」
『学校だぜ?あはは、あさみも冗談きついぜー!あ、オレも教室戻らねぇと!』
能面のように無表情だったあさみが、だんだんと般若の形相になっていく。傍から見ている深矩と奥菜には禍々しいオーラまで感じることができそうだ。
「 い ・ さ ・ み ? 」
『ご、ごめんなさーい!!』
電波を介して呪殺されそうなほど強烈な殺気に、画面の向こうのいさみが思わず逃げ出したのがわかる。きっと慌てて学校へと舞い戻るのだろう。
接続が切れたプロジェクションビューアがブラックアウトし、ホーム画面へと戻される。そのままあさみはスリープモードを選択。PMSタブレットをスカートのポケットへとしまった。
「さあ、行こう。」
般若モードから能面モードへと戻ったあさみは、恐れおののく二人をそのままに、そそくさと屋上を後にするのだった。
◇ ◇ ◇
白い部屋。夕暮れの太陽は部屋の隅々までを照らすことはもうなく、徐々に影の範囲と色を濃くしていく。照明は備わっているものの、点灯する気にもなれず、枯尾 明日菜は一人ベッドへと体を預けていた。久々の登校による疲れが体を襲い、まどろみの世界へと引きずられていくふわふわとした感覚を味わっている。このまま眠ってしまいたい気分になるが、そういうわけにもいかない。
彼女は白いベッドの上、点滴を受けていた。その他色とりどりのケーブルのようなもので繋がれている。それにしては計測装置のようなものはなく、まるでベッドから生えてきた触手に拘束されているようにさえ見える。
首を左へと向ける。窓からの日差しはビル群の間に入ってしまい、ちょうどこの部屋のあたりが影に覆われてしまっている。それでも空一面に広がる紅色が、隣のベッドに横たわる少年のシルエットを映し出していた。
「……あんた、まだ目が覚めないの?」
明日菜は一言だけ少年に呼びかける。返事はない。
「ねえ、津野っち……」
今度はここにはいない別の少年の名前を呼んでみる。もちろん、返事などない。ため息交じりに天井を見上げる。小奇麗に整頓された部屋の隅、天井と壁の間にある小さなシミが少し気になる。そのシミが、自分自身の心の曇りを暗示しているようだったからだ。
「嘘をつくのって辛いね。」
再び虚空に呼びかける明日菜。ベッドの上の二人のほかには誰もいないはずなのだが、少し間をあけてから次のつぶやきへと移る。まるで電話をしているように見えるが、彼女のPMSタブレットは起動されずにベッド脇の台に置かれたままだ。
「そろそろ、帰るね。」
またしても誰もいないっ区間に呼びかけた明日菜は上体を起こす。ケーブルや点滴がひとりでに外れていく。まるで寄生先の宿主から離れる生き物のような動きだ。
荷物をまとめ、部屋のスライドドアに手をかける。かつては自動的に開閉したのだろうそれは、今はガタが来て手動でのみ開くようになっている。
部屋から出て再び扉を閉めるとき、明日菜は一日の終わりを告げる挨拶をした。
「また明日戻ってくるからね。おやすみなさい、仁。」




