四 空撃戦
「ねえ、ビットプリウス要塞って……」
惑乱するバアドクレア。キメラの若者に大柄な若者は言い切った。
――降りるぞ。
つまりはそここそがビットプリウス要塞なのだ。
「降りる?地上に?」
バアドクレアは慌てている。キメラの若者はもちろんカタパルト無しの発進をすることができない。一度地上に降りてしまえば再び自力で舞い上がることはできないのだ。
――時間がねーぞ。
トリセルディはそう言うと、自機の高度をどんどん下げていく。黒い髪の野人は間違いなく廃墟へと着陸するつもりなのだ。と、言うことは、森の中の遺構が要塞だということになるのか?要塞と言うよりはがれ場と表現したほうが良いような場所なのだが。当然のことだがあたりには離陸カタパルトは無い。
「僕、カタパルトがないと……」
――大丈夫だ。ワイヤ発進するから。
ワイヤ発進?あまり聞かない言葉にバアドクレアは戸惑ったが、もうどうしようもない。ワルデ湖のほとりで仲間達は待っているのだ。それに……。
「あ、あれ……」
バアドクレアはその時になって初めて気がついた。がれ場に人の姿があった。おそらくは女性であろう。
――人がいる……。
遺構の上をバアドクレアが飛ぶのはこれが初めてではない。だが、人の姿を見るのは初めてであった。人だけではない。廃墟には小さな天幕があり、そして、そのそばには緑のシートに覆われたギガドレイクが眠るようにして駐機している。
「これは……」
駐機中の飛竜は全部で五機。
カムフラージュのせいで武装までは分らないが、全ての機体が大型の軍用機である。王立機士学校の練習機を何と立派だろうと見上げていたバアドクレアはそのように思っていた自分が可笑しくなってきた。それほどに待機中の機体は立派なものであった。青いスフォルツァは遺構に留められた機体に比べればまるで子猫のようではないか。
「これが……」
バアドクレアは得心とともに呟いた。トリセルディはすでに遺跡内の空き地で着陸モーションに入っている。キメラの若者も腹を括った。男ならばこういう時に四の五の言わないものではないか。
「よし……」
バアドクレアは鹿の角に似た操縦桿を押して、遺跡へと機体を降下させていく。風をうまく利用して、翼を上手に羽ばたかせ、円を描くようにゆっくりと下り――着地の瞬間に僅かに操縦桿を引き、右手でグリップを回す。
神経を使う作業。それでもバアドクレアは割合にスムーズに着陸動作をこなすことができた。
ぼろぼろの練習機が懸命に翼を打ち合わせ、機首が起きる。風が大地を叩き、遺跡の上に塵が舞って飛ぶ。
――脚を下ろして……よし。
バアドクレアは手元の操縦桿を慌しく操作する。着陸脚が伸び、その先端が地上を掴んだ。小さなショックを感じ取ったバアドクレアはグリップをゆっくり戻す。練習機の羽ばたきのスピードが少しずつ遅くなり、やがてそれも止まった。
着陸作業の終わりであった。
――うまくいった!
バアドクレアの本日の自己採点は八十点といったところか。だが、キメラの若者は気を抜く暇が無かった。モニターにはすでに地上に下りたトリセルディの姿が映っていた。黒い髪の野人はバアドクレアの機体に走り寄ってきているところであった。
トリセルディはゲルでびしょぬれになっているが、そのようなことをいちいち構っていられるような状況ではない。とにかく時間がないのだ。
「時間がねーぞ!早く下りてこい!」
ルームメイトの叫ぶ声にバアドクレアもすぐに反応する。練習機の機能を停止させるとすぐにキャノピーを開いて地上に降り立った。金髪の若者もびしょぬれのままだが、顔を拭くこともできない。時間もないし、もとより顔を拭うタオルもないのだ。
「よし、行くぞ!」
トリセルディは頷いて言うと走りはじめた。バアドクレアのほうはいつの間にか自分が野人の手下扱いになっていることに気がついて面白くなかったが、諦めてトリセルディを追って走り始める。
黒い髪の若者が向かう先には砂色をした大きな天幕があり、その入り口の所には先ほどバアドクレアが空中から見た女性が立っていた。
見事な燃えるような赤毛を長く伸ばした背の高い女性。年の頃は三十代前半といったところか。広い肩幅をいからせるようにして立つ女性の姿は、荒ぶる誇り高き魂だけを選って天上に導く戦乙女の隊長そのままであった。この堂々たる女丈夫にトリセルディは次のように呼び掛けた。
「おふくろ!」
一方のバアドクレアは惑乱した。トリセルディは十七。女性はどう見ても三十前半。母子と言うにしては年齢に若干の狂いが生じているようにキメラの若者には思われたのだ。だが。
「何だ、いったい……」
赤毛の女性はトリセルディの呼び掛けに否定をしなかった。と、言うことは、やはりこの人物が野人の製造元と言うことか。女丈夫は持っていたタオルをトリセルディに投げて渡した。タオルは使用されることなく直ちにバアドクレアの手に渡る。
「おやじは?」
「出かけたよ」
赤い髪の女性はどうもいたく不機嫌な様子である。少なくともバアドクレアにはそのように感ぜられてならないのだ。さもなくば頭痛持ちか、虫歯か。生理痛かもしれない。とにかく女は険しい顔のまま、目だけを鷹のように輝かせている。その鋭い視線がバアドクレアのほうに向けられる。金髪の若者は握っていたタオルを胸の前で固く握った。
「こいつはバアドクレア。俺のクラスメイトだ」
不機嫌な赤髪の羅刹女はうむと頷いた。息子が世話になっていると言うわけでもなければ、仲良くしてやってくれでもない。何とも変な母親なのだ。
「おふくろのバステロータをこいつに貸してやってくれ」
息子の発言に母親は不機嫌なまま言った。
「いったい何に使うんだい?」
「王立機士学校の連中に仲間が襲われてるんだ。すぐに救援に向かわねえと」
「相手の戦力は?」
「スフォルツァが十一。一機、翼を破ったけれど、墜落はしていないはずだ。ゲルの修復がかなり早かったから。それから多分、もう一機、教官機が隠れているはずだ」
「味方は?」
「セプティアが七機。俺とこいつのを含めて」
赤い髪の女は初めて不機嫌以外の感情を面に顕した。凶悪な獣の笑みと言ったところか。
「そういうことならば良いだろう。よし。行ってきな!」
赤い髪の凶悪な母親はバアドクレアに視線を送った。金髪の若者はひどく居心地が悪い。きっと蛇ににらまれたカエルはこういう心境であるに違いない。
「坊主、多少、機体をぶっこわしても構わん。王立機士学校の豚共を皆殺しにしてやるつもりでやりな」
トリセルディの母親はあきれるほどに暴力的で過激なのだ。そして、この時になってバアドクレアはトリセルディと初めて出会ったときのことを思い出していた。あの時、校長室で交わされた新参者と校長の会話。
――母親が飛び出し、それを捕まえに行って……。
確かトリセルディは遅刻の言い訳をそのように言っていた。バアドクレアは何を馬鹿な言い訳をと舌打ちしたものであるが、あの時のトリセルディの発言はその場を取り繕う方便ではなく真実だったのではないか。ぽんやりとそのように考えるバアドクレアのわきで母子の会話はさらに続く。
「それからゼーノのおっさんに連絡つかないかな」
「つくよ。こっちから連絡しておこうかい?」
「ああ、そうして。ワルデ湖に大至急。飛空船は三隻で。できれば、俺たちが乗ってきたあのセプティアを拾ってからきて欲しいんだ」
「無理にでもやらせるよ」
肝が鉛のように座った赤毛の母親は頷いた。
「じゃあ、行ってくるわ。みんな待たせてあるから」
「行ってきな。傭兵軍団ツェルニーに盾ついたついたものは全員地獄の業火に焼かれてくたばるということを教えてやりな!」
トリセルディの過激な母親はにやりと笑い、そして、貸し出しの交渉を終えた息子は、級友の手を引っ張るようにして、今度はカモフラージュされた飛竜に向かって走り出した。
「トリセルディ……」
走りながらバアドクレアは尋ねた。
「今の女の人、君の……」
「おふくろだ」
「本当に?」
バアドクレアはまだ納得が行っていない。遺跡のがれ場を走りながらもう一度尋ねた。 「本当に今のが君のお母さんなの?」
「俺のおふくろだが、何かまずいのか?」
まずいのかと問われると、それ以上に尋ねることが出来ない。バアドクレアは納得がいかなかったが沈黙するより他なかった。だいたいその時のバアドクレアには、他人の母親について詮索するよりももっと難事が待ち受けていたのだ。
バステロータ。
トリセルディが言った、聞き慣れないそれが、キメラの若者の目の前に近づいてきたからである。きわめて大型の飛竜。スフィアーの飛竜、戦列機と呼ばれる実戦配備機には、一級から五級までの等級が決められている。一級が一番大きく、高度な武装がなされている。スフォルツァは五級となる。セプティアは民間機であり武装もないために等級にすら入っていない。トリセルディの母親が所有する機体は間違いなく一級に分類されるものであった。それも恐らくは最新鋭の機体である。
「あれに乗るの?」
バアドクレアの脚が止まった。
赤い機体は存在そのものが威容と言うべき迫力を持っている。バアドクレアは完全に気後れしてしまっている。これがエルマであれば喜び勇んで新鋭機に飛び乗っていたことだろう。
「……あんな大きなの飛ばす自信が無いよ」
バアドクレアの呟きにトリセルディも止まった。
「飛ばせたとしても、その後どうしたらいいのか分らない」
弱気なルームメイトにトリセルディは言った。
「心配するな。俺に任せておけ。おまえはあれを飛ばすだけでいいんだ」
泣き言を言うバアドクレアの耳元にトリセルディは何事かを囁いた。作戦が明示され、キメラの若者は不安そうな顔のまま二度首を縦に振った。
「……でも、うまくいくのかな?」
「うまく行く。絶対にな」
トリセルディは重々しく宣言した。まったくたいした自信ではないか。
「よし、早い所始めちまおう」
トリセルディはそのように言うと、バアドクレアとともに赤い機体を覆っているシートを外しにかかる。いや、外すというよりはずらすというほうが正確だろう。シートはキャスターがついた竹製の骨組みのうえにかかっている。簡易格納庫と言った所だろうか。若者達は左右から車輪のついた蛇腹状の骨組みを押してやると、赤い機体は後は天に舞い上がるだけとなっていた。
「乗れるか?」
トリセルディ両手を膝のところで組んだ。キメラの若者はそれを足がかりにして赤い機体のキャノピーを開いた。
「大丈夫……」
無味無臭のゲルに包まれた操縦席が搭乗者を待っている。バアドクレアはゆっくりとした動作で一級の戦列機の中に体を滑り込ませる。直ちに搭乗者を感知した機体内部に明かりが灯った。足元から乗機シートがせり上がり、頭上からは鹿の角に似た操縦桿が下りてくる。
「これはすごいや……」
練習機のセプティアとは何もかもが段違いである。グリップはおそらく最上級のセイウチの牙だろう。シートも大きく安定性が極めて良い。
「やれそうか?」
ゲルの向こうでトリセルディが見上げている。キメラの若者は、
「何とかやってみる」
と応じた。黒い髪をした野人は頷いて、外側からキャノピーを閉める。と、直ちに機体内のモニターが輝き始める。全方向三百六十度を捉えることのできる球形モニターの前方左手には廃墟とエラート家の天幕が見える。天幕の前では赤い髪をした女丈夫がじっとバアドクレアの方を眺めている。
「計器のチェックを……」
バアドクレアは画面を呼び出そうと手を伸ばした。途端、キメラの若者の目の前にいくつもの計器が一度に開いた。高度計や水平計、速度計、そこまではバアドクレアも分る。だが、その後がいけない。光威弾残弾数や待機爆雷数、光学防御障壁など見たこともない計器が一度に点滅を開始する。余りにも多すぎる計器にバアドクレアは面食らっている。
「トリセルディ、トリセルディ!」
バアドクレアは悲鳴を上げた。シートに収まったは良いが飛ぶ所ではない。何をすればいいのか最初の一歩から分らない!
「計器が多すぎて、何が何だか分らないよ!」
キメラの若者の悲鳴にトリセルディの答えがあった。野人はバアトクレアが乗る重武装機の背中に乗って何事かをしている。
「何だって?」
「トリセルディ、計器が多すぎて分らないよ!計器が多すぎるんだよ!」
黒い髪をした野人は一度、自分の機体に戻りワイヤを引っ張り出して、その先端のフックをバアドクレアの機体の背中にひっかけている所であった。
「慌てるな。グリップを握ってみろ。表示されているモニタの中で枠が緑に変化するのがあるだろう?」
若者は作業を続けたまま言った。バアドクレアはグリップを言われるままに握った。果たして表示モニタのうちいくつかが白から緑に変わった!
「変わった!」
「緑になったのが飛行に必要なモニターだ。白のままのモニターは全部切っちまえ!」
「分った……。切ったよ!」
画面の表示はセプティアのそれよりもずっと細かく精密である。速度計は小数点二の位までが表示され、水平計はセプティアのそれが平面図である所が立体的に映し出されている。多少の違いがあり戸惑いもあるがこれならば……。否、問題はまだ最初の一歩が解決されただけである。
「トリセルディ、どうすれば切ったけれど、これからどうすれば良いの?」
バアドクレアはカタパルト無しには機体を発進させることかできないのだ。単独での強行離陸などしたことがない。
「ワイヤ発進をする」
「だからワイヤ発進って何!」
トリセルディは赤いバステロータから飛び降りて、急いで自分の黒い機体に乗り込んだ。通信回線が開き、野人の顔が映った。
――俺のストラブレイドが先に発進してそっちの背中に取り付けたワイヤで引っ張り上げる。
「……そんなことできるの?」
バアドクレアは目を丸くした。そのような裏技があったとは。少なくともバアドクレアはそのような技術が存在することすら知らない。
――破損して推力が落ちている機体を飛ばすための技だ。ある程度の高度になったらワイヤフックを外すからあとは自力で翔べ。いいな?
トリセルディはそう言いながらすでに飛行のモーションに入っている。バアドクレアの前方に駐まっていた真っ黒な機体が二度ほど羽ばたきをすると、ふわりと空に舞い上がった。黒い機体は滑るようにホバリングをして、バアドクレアが乗る赤のバステロータの真上に静止した。上空からの風圧に赤い機体がぐぐっと押さえ付けられるような感覚があった。
「翼を動かし始めろ。垂直方向に機体を飛ばすんだ。できるか?」
トリセルディの声が響いた。バアドクレアは一度だけ定点待機、ホバリングの練習をしたことがあった。
「やってみる……」
キメラの若者は応えた。通信画面に映っている黒い髪の若者は誰にでもできる当たり前のような顔をして機体を空中に止め、しかも一分の狂いもなく垂直方向に機体をじわりじわりと動かしている。だが見るのとやるのでは大違い、トリセルディは実は大変な難作業をこなしているのだ。安定しない横風に加えて自機の羽ばたきで跳ね返ってくる風の影響を考えなければならない所に持ってきて、素人に毛が生えた程度の練習生という重りを引っ張り上げて翔ぶのだ。これはなまなかなことではない。
「やってみるよ」
バアドクレアは緊張しながら操縦桿を握ってフットペダルを踏み込んだ。重武装の赤い機体がゆるゆると翼を動かし始める。上空からこれを吊り上げるトリセルディが巧みに機体を操る。
ぎ、ぎいい……。
ワイヤが引っ張られる不快な音がバアトクレアにも感ぜられた。
「慌てるな。推力は十分に保持できる。翼の先端を地面にぶつけないように慎重にやれ」
トリセルディの指示か飛び、バアドクレアは左の奥歯を硬くかみしめてその指示に従って機体を操作する。黒の翼が激しく羽ばたき、赤の翼がゆっくりと様子を伺うようにして回転する。あたりを風が巻き、濛々と砂塵が舞った。
ぎいい……。
鋼鉄のワイヤが悲鳴を上げ、キメラの若者は祈るようにして操縦桿を握った次の瞬間……。
ふっとバアドクレアの視点が一〇センチばかり浮き上がった。
否、バアドクレアの視点が浮いたのではない。赤い機体が空に舞い上がったのだ。バステロータの着陸脚はすでに地面から薄くではあるが離れている。赤い機体の上昇はさらに続く。
「少しずつ、翼の動きを大きくしろ」
バアドクレアは舌を出して上唇の端をなめるような仕種を無意識にするとトリセルディのレクチャーの通りに機体を操作する。地面が少しずつ少しずつ遠ざかっていくのがバアドクレアにも分る。緊張が少しずつ喜びに変わる瞬間であった。トリセルディのほうは、そんなバアドクレアの動きを上空から細大漏らさず把握している。自分が吊り下げている機体の推力が大きくなれば、その分だけ自らが乗り込む機体の翼を羽ばたかせ、バアドクレアが機体のバランスを微妙に狂わせれば、それにあわせておなじ分だけは機体を微調整する。バアドクレアは自分の腕が思いもよらず優れていると錯覚を起こしているが、そうではない。上空で引っ張り上げている若者が恐ろしく手練であるのだ。
「やった……」
バアドクレアは無条件に喜んでいる。赤い機体はすでに相当の高度を保ちつつあった。カタパルトで弾き出される高度の三分の一といったところだろうか。それでもここまで上昇できれば十分に通常飛行に入れる……。
「よし、フックを外すぞ。三つ数える。いいか!」
トリセルディが叫び、バアドクレアは応じた。
「いいよ!」
「三、二、一……行けっ!」
トリセルディの叫びとともに、バアドクレアの上でびきっという鉄の弾ける音が響いた。ワイヤが外れ、重しを無くした頭上の黒い機体がすーっと空に舞い上がっていく。逆にバアドクレアの機体はすっと落ちるような感覚があった。だがそれも一瞬のことであった。キメラの若者は冷静に操縦桿を引きフットペダルをいっぱいに踏み込んだ。ばたりばたりと巨大な翼が踊るように波打ち、赤い機体もまた灰色の空を一気に上昇する。
――これはすごい!
バアドクレアは興奮した。赤いバステロータは翼が長く、面積も広い。羽ばたき一つが驚くほどに力強く、ちまちまと風を読んで上昇気流を捉える必要もなかった。いちいち細かいことに気を遣うぼろぼろの練習機とは違って、赤い機体は実にスムーズに自力だけでぐんぐんと高度を上げていくことができるのだ。まさに王者の貫禄、旗艦の底力といったところか。
「あはは、すごい、すごい……」
バアドクレアは笑った。押さえようとしてもどうしても笑いがこみあげてくる。楽しくて楽しくてしかたがないのだ。こんなに飛竜とは余裕のある乗り物であったのか。一方トリセルディのほうはクラスメイトの興奮に水を差したりはしない。良い機体を手に入れた機士は皆、バアドクレアのようにはしゃぐものだと言うことをトリセルディ自身が知っていたのだ。
赤い機体の上にトリセルディの黒い機体がすっと滑り込くんでくる。
「よし、そろそろ行くぞ」
興奮しているバアドクレアを野人は穏やかに促した。二人は遊んでいられるような状況ではないのだ。彼らの帰還を待ち望んでいる人達がいる。
「南だ。南に戻るぞ」
黒い髪の野人は宣言し、黒赤二機の飛竜は機首を揃えて南進を開始した。
ワルデ湖畔――。
サファイヤブルーに輝く美しい水面に、凶悪な暴竜が上下逆さまに映り込む。翼が羽ばたくその度に静かな湖面に波が立ち昇り、巻き上げられた白い泡が航路の跡となって長く伸びる。高度を低く取り、最高速度を保った青い飛竜は陸地目掛けて直進する。羽ばたくセラミックの怪異の前方には同じくセラミックの装甲を身にまとった巨大なゲルの機神の姿がある。陸上の機神は全部で五機。身を低くして円陣を組んで空からの攻撃に備えている。と。湖上を滑る青い飛竜の肩に据え付けられた筒状の機材がぱぱはっと赤い光を放った。軽機関砲の斉射であった。真っ白に焼けたゴム砲弾が円陣を組む地上の機神に降り注いだ。砲弾は守るもののない機神達に直撃する。
どどどどっ……。
鈍い音が連続して響き、砕けた黒いゴム弾が湖畔の白い真砂のうえに散乱した。模擬弾とはいえ直撃をもらった機神の装甲には次々に凹みや傷が刻まれる。耐え切れなくなって一人の搭乗者が叫んだ。
「やられっぱじゃないの!なんとかならないの!」
ヒステリーを起こして叫んだのはビーステアである。クオレルリオンの人間である自分が、名家中の名家の出自である自分が何故に下郎の射的の的にならなければならないのだ!
「なんとかなるならやってらあ!」
やけくそになっているのだろう。エルマの怒声が応える。普通であれば通信回線を用いてのやりとりになるのだが、二人とも興奮して訳が分からなくなっているのだろう。機神の外部スピーカーを使っての怒鳴り合いとなっている。仲間うちで罵声を浴びせ合うカペヴィアストル機士学校の生徒達に、王立機士学校の青いスフォルツァが三機迫る。左右一対の機関砲が鈍く響き、合計して六条になるのゴム弾がばらばらと砂を巻き上げて円陣を敷くエルマ達に向かう。
「うあっ!」
叫んだのはミューネであった。集中砲火をもらったミューネのセプティアはその場に崩れるようにして膝をついた。
「早く立って!」
ファーラの叫びは悲痛である。王立機士学校のスフォルツァがさらに三機、別の方角から飛来してくる。照準はすでに定まっている――。
王立機士学校の生徒達はエルマ達がダリエンに向かうこと無く西に飛び、平地に下りて防御陣を敷いたことに最初は戸惑っていたようである。空中戦を諦めて地上で決戦を挑むようなやり方を機士はあまり取りたがらないものである。同じ兵装で同じ兵力であれば上空を取ったほうが有利だからである。しかも、カペルヴィアストルの練習機は火器を積んでいない。地上でカメの子になっても反撃の手段を持ち合わせていない。王立機士学校の生徒達はだから、自分達の獲物が取った行動を最初、ただ単にとちくるっただけと考えていたのだ。だが。王立機士学校の生徒達も実は大事なことを忘れていたのだ。自分達が模擬弾だけしか積んでいないことを。カペルヴィアストルのセプティアは武器そのものをもっていなかったが、王立機士学校の生徒達も致命打を与えられないことでは一緒であった。かくして攻めあぐねる王立機士学校の生徒達を見て、地上に下りたエルマ達も、
――このまま諦めてくれるのではないか。
と、一度は思ったものである。しかしカペルヴィアストルの生徒達はすぐに相手の厚意と天の恵みに甘える者はろくなことにならないということを思い知らされることになった。王立機士学校の生徒達は直ちに戦術を変えると、上空からの斉射を地上の一機に集中させるようになった。防御陣の一角を崩して、そこを突破口にしようというのだ。かくして、名誉ある突破口として選ばれたのがミューネ機であった。
――ちょっとトロいところのある機体(ミューネ機)をまず潰せば、ほかの連中にも動揺が走り、陣形も崩れるに違いない。
そのような瞬時の判断は学生には難しい。やはり、王立機士学校の側には指揮官となるプロの教官がついていたのだ。作戦指揮をする砂色をした三級の戦列機が上空高くを旋回しているのに、しかし的にされているエルマ達が気がつくわけもない。
「まずい、また来るぞ、何やってんだミューネ!」
エルマの怒号が飛び、そしてかたわらのシエルは痛感していた。リーダーという職責は誰にでも勤まるものではないのだ。エルマは腕は良いがそれ以上が無い。そしてシエルのため息はファーラの口から表現を変えて別の言葉となって吹き出した。
「トリセルディはまだなの?早く戻ってきてよ!」
ブン屋娘は叫びながら、ミューネ機を助け起こそうとする。そしてその彼女に向けて王立機士学校の生徒達が駆るスフォルツァが五機でもって一斉射撃を見舞った。背中を強襲されたファーラの機体は吹き飛ばされるようにして前のめりに倒れた。立ち上がろうとするファーラのセプティアに上空からさらにゴム弾がまかれる。陣形が少しずつこじ開けられようとしていた。
「あーっ、もうっ、ちきしょーっ!」
エルマが叫んだが、こうも弾幕が激しいとどうすることもできない。ゴム弾でもこの威力である。もしも相手が実弾を使っていれはみんな今ごろ蜂の巣になったはずである。
「このままじゃ、みんなやられてしまうわよッ!」
ビーステアはせっぱ詰まっている。みんなそれは分っているのだ。分っているけれど……。
シエルは遠い空を見上げた。必ずやってくると言った援軍はどこに?
援軍どこに?
援軍はここに!
シエル達は気がついていないが、実はトリセルディ機はすぐ傍にあったのだ。近くにありながら助けに行かなかったのではない。黒い野人は低空から様子を見ていたのだ。王立機士学校は抗議に対して知らぬ存ぜぬを決め込んでいたが、その手際の良さからどうも講師や教官が一枚かんでいる、つまり、学校の授業の一環として他校の機体を的にした模擬訓練を組織的に行っているのではないかという噂があった。トリセルディはそのような噂については関知しないが、それでも、動きの良い王立機士学校の生徒達の姿からどこかに指令塔がいるということをすでに察知していた。
――とにかく頭を一撃で叩き潰してしまわないとどうにもならない。
野人は仲間達の様子を横目で見ながら敵の頭を探っていたのだ。そして。野人は上空高くを旋回している砂色の三級戦列機を見出した。
「……デミランスか」
航続距離に優れる中型機デミランス。ニールスでは一般兵達が使う汎用機である。扱いやすく改造もしやすい。パーツも揃っていて様々なタイプのものが存在している。
「バルカンを乗っけていやがるな……」
トリセルディは遠方から敵の兵装を確認する。
――翼上左右に一門ずつのバルカン。爆雷も積んでいる。
学生達はゴム弾を使っているが教官機はおそらく実弾を積んでいるはずである。
「……まあ、たいしたことはねえわな」
野人は振り返った。後背遥か高々度を赤いバステロータがゆっくりと飛んでいるはずである。策は上々。あとは振り上げた拳を相手の鼻先に叩き付けてやるだけ。トリセルディはフットペダルを無造作に踏んだ。悪には悪の報いあり。たとえ王法が許しても翼の神は許さないといったところか。黒い機体が森の中から一気に上昇を開始する。
ペレラ・パブロ。性別男性。二十二で結婚。四年後に離婚。子供は無し――。
彼が王立機士学校に教官として引っ張られたのは飛竜の腕に優れていたということもあるが、それよりも強力なコネがあったからである。パブロ家は王家の私的なボディガードをしていたテュケラ家の分家にあたる。そのテュケラの当主モーリス・テュケラが王弟クリーエフの推薦で機士学校の教官長に横滑りした際に分家筋のペレラ・パブロも一緒に騎士学校の教官として任官したのだ。
王立機士学校の教官は国軍の現役軍人の出向先になる。任期は二年。この教官の任務は新米の生徒達に適当に稽古を着けることであった。前線とは違って特に危ない目に合うわけでもない。給与は前線の兵士よりも二割ほど減ってしまうが、その分住宅費や光熱費などは学校持ちとなる。二年が過ぎれば勝手に昇進するということで、そういった意味では極めて気の抜けた楽な仕事である。もっともこの楽というところを楽ととるか暇ととるかは人それぞれであっただろう。ペレラはどちらかというと暇ととるほうであった。場所が場所だけにあまりはめを外すこともできない。学校の教師は進んで聖人になるのではない。まわりの視線によって聖人にならざるをえないのだ。そんなペレラが久しぶりにおやっと思う瞬間が演習訓練の最中に巡ってきた。
訓練と言うが要は弱小学校のおんぼろ機体を相手にしたいじめである。もちろんこのような弱いものいじめが実戦にいささかも役に立たないことは前線で戦ったことのあるパブロが良く知っていることである。
――エリートの坊やの自尊心を満足させるための余興。
パブロは長く続く王立機士学校の悪習をそのように笑っていた。
普段であれば適当に流してしまう演習。だが。その日は違った。思いもよらずカペルヴィアストルの青二才達が果敢な抵抗をしてきたのだ。後方上空に待機していたパブロが前線の学生達の要請を受けて教官が出張ってきたときにはカペルヴィアストルの生徒達は整然と西の湖へと転進しているところであった。そしてここでパブロは驚くべき事実を知らされることになったのだ。生徒が操る機体が一機、撃墜されたというのである。それも全く徒手空拳、非武装の相手の曲芸によってである。
――ソリッドダイブ! そんなことができる奴がいるのか!
パブロは唸ったものである。そんな離れ業ができる人間は学生などをやっているべきではない。即刻にでも南方のクレティア戦線に投入すべきだろう。きっと戦線投入がなされたその日から大活躍をするはずである。パブロは驚くと同時に、俄然やる気がでてきたものである。
――こいつは面白い。
ゲームをするのでも相手が弱すぎては張り合いが無さ過ぎる。退屈に浸り切っていたやくざな教官にとっては久しぶりに戦うに値する相手であったのだ。教官は学生達から指揮権をもぎ取ると小癪なカペルヴィアストルの生徒達の攻略にかかったものである。
「一番、二番、三番機、十一時から低空で侵入しろ。六番、七番、何やっている、もたつくな!」
パブロは騎士学校の校長から、演習に際しては遠くから生徒達を見守るだけにしてくれとくぎを刺されていたのだが、そのようなことはすでに忘れてしまっている。オオカミに文明的にやってくれというほうがもとより無理な話なのだ。
「砲火を集中させろ、集中だ!」
パブロは怒鳴り散らした。生徒達は教官命令に懸命に答えようとしている。だが、学生達の動きは実戦を経験しているパブロにはどうにも物足りない。
――ゴム弾では機神の装甲に傷をつけることができても破壊することはできない。
実弾を使えば死傷者が出ることはパブロも理解している。カペルヴィアストルの生徒にこれまで死者がなかったから、このような違法な演習が続けられたのだ。もしも死人が出れば、いよいよ知らぬ存ぜぬでは済まされなくなる。それは分った上でパブロは面白くないのだ。猪口才な弱小校の生徒達をここまで追いつめて起きながら決定打を与えられないとは。
――否。
パブロはにやりと笑った。
「……殺さなければ良いか」
学生達に実弾の力を見せることも無益ではないだろう。邪悪な教官は鹿の角に似た操縦桿のトリガーに取り付けられた鉄の輪に手をかけた。左右一対のバルカンのセーフティロックである。生徒達のゴム弾とは違い実弾が装填されたバルカンの封印を解くと言うことがどういうことであるか、パブロはもちろん知っている。だが同時に彼は自分の腕をもってすれば低空から侵入して弱小校の機体の膝だけを打ち抜くことぐらいはできることも知っていたのだ。それにしても退屈しのぎに実弾の的にされるカペルヴィアストルの生徒達は良い面の皮であった。
「全機待機。これより教官機が実弾発射のデモンストレーションを行う」
パブロは言うと、フットペダルを踏んだ。黄色い機体が翼を折りたたみ、まるでウサギに襲いかかる鷹のように急降下を開始した。
「攻撃がやんだ……」
地上でシエルが呟くようにしていった。王立機士学校の機体からばらばらと雨霰のように降り注ぐ銃撃が不意に止まったのだ。火薬の爆ぜる音が聞こえなくなり、砂煙が切れる。
「諦めてくれたのかしら」
ファーラがあたりを伺うようにしていった。
「いや。そんなつもりはないみたいだぜ」
エルマは仲間達に警告をした。青いスフォルツァは防衛陣を敷いているカペルヴィアストルの生徒達の上で旋回している。王立機士学校の生徒達はどうも何かを待っているようなのだ。いったい何を?推理推測をしている暇はなかった。黄色い現実が湖面すれすれにカペルヴィアストルの生徒達に襲いかかってきたかすらである。
「新手が来たわ!」
ファーラの言葉が発せられたのと同じ瞬間に、降下急接近する黄色いデミランスのバルカンが火を噴いた。ぱぱぱっと赤い炎が飛び、飛翔した火の玉は防御陣を敷いている練習機の一機、ビーステアの乗っている機体の膝に吸い込まれていった。何が起こったのかを咄嗟に理解できたものはいなかった。木片が砕けるような嫌な音と一緒に小さな貴婦人の絶叫が通信回線を通して学生達全員の耳に入った。膝を吹き飛ばされたビーステア機がその場に崩れ落ち、そこで生徒達は初めて自分達が何をされたかを理解した。
「実弾を使っている!」
シエルが叫んだ。カペルヴィアストルの生徒達は再び恐慌に陥った。まさかこのようなところで本当に実弾を使ってくるとは誰も思っていない。ビーステア機を撃破した黄色いデミランスは学生達の横をすり抜けて急上昇する。
「あいつ、まともじゃねえぞ……」
エルマの声がひきつっている。粗暴な獣娘も自分以上に横暴な相手に出会ったときは慌てるらしい。
「大丈夫、ビー!」
シエルが呼び掛ける。右足を潰されたセプティアの乗員からの応えがしばらく無いことに、生徒達は恐怖した。
「……だ、大丈夫。生きているみたい」
大貴族出身の娘は気丈に答えたが、声が震えている。
「ちくしょう、ふざけやがって……」
エルマは悔しそうに空を見上げた。黄色い教官機はまるで生徒達に実力を誇るようにしてゆっくりと旋回し、それから羽ばたいて再び降下を開始する。黄色いデミランスはどうやらカペルヴィアストルの機体を本気で全滅させるつもりであるらしい。
「また来る……」
ファーラの言葉がつまった。ミューネのほうは恐怖の余り身じろぎ一つできないでいる。黄色い機体は追いつめた獲物に無慈悲な止めを刺しにかかる。第一撃とは反対に黄色い機体は山側から湖に向かって機体を飛来する。凶悪なバルカンが牙を剥いた。
「駄目だ、やられる!」
シエルが叫んだ。他の学生も口々に何かを叫んだが、要するに言いたいことはシエルと同じであった。
ぱぱぱっと赤い光が黄色いデミランスの肩口で光り、焼けた鋼の弾頭が数発飛翔する。 「うおっ!」
吠えたのはエルマであった。エルマが乗っている機体の右腕がバルカンの一撃で肩から吹き飛んでいた。
「腕をやられた……」
エルマは真っ青になって呟いた。そして他の生徒達は思っていた。
――このままじゃ本当に殺されてしまう……。
黄色いデミランスの搭乗者は明らかに異常であった。すでに冗談であるとか訓練であるというレベルは超えてしまっている。
「な、何考えてんのよ、あの黄色いの……」
ファーラはほとんど泣きそうになっている。まさかこのようなところで、このような形で死の恐怖に脅えることになろうとは。恐ろしさに足がすくみ、何の防御策も講じられないでいる学生達の真上をすり抜けた黄色いデミランスが上空で旋回して再々度の射撃モーションに入る。湖の側から陸地へ。湖面すれすれに飛ぶ黄色い機体がワルデ湖の湖面に映る。バルカンの照準はミューネ機に合わされ、トリガーがぎりりと絞り込まれる。灼熱した銃弾がいよいよ発射される――かに見えたその時のことであった。翼を広げて低空を滑る黄色い機体の進路前方の湖面が不意に物凄い勢いで弾けた。
「!」
何かが起こったのだが、カペルヴィアストルの生徒達には何が起こったのか理解できていない。一方、不意に起こった爆発を急上昇で避けたデミランスの機士パブロは、自分が何者かに狙撃されたことを理解していたし、自分の機体を狙ったものが光威弾の弾頭であるということも理解していた。だが。いったいパブロを狙った機体はどこに?
「見て、あれ!」
シエルが驚嘆の声を上げた。
漆黒の翼――。
威圧というその言葉がそのまま物質化したような暴竜。力強く羽ばたく長い翼にバルカンの実弾などものともしない強硬な装甲をもった文字通りの怪物がワルデ湖の北の端から超低空で侵入してきたのだ。それも並の速力ではない。引き絞った弓から放たれた矢のようにまっしぐらにシエル達のほうに向かってくる。
「あれは……」
ビーステアはまだ何が起こっているのか良く分っていないのだろう。つぶやきがいかにもぼーっとしている。ぼーっとしているのは、王立機士学校の機士達も同じであった。状況を全く理解できていない青いスフォルツァが一機、不用意にも、教官が乗るデミランスと真っ黒い侵入機のちょうど真ん中を横切るようにして割って入る。割り込んだ学生には特に意図は無く、ぼんやりしている間に、黒い機体の射線上に飛び出してしまったのだろう。果たして、黒の機体は邪魔な障害となったぼんくらに無造作な一撃を見舞った。金色をした光の矢が二つ疾駆する黒い機体の背中から音もなく発射され、不注意に飛び出してきた青い機体の翼があっという間に引き裂かれた。推力と揚力を一度に失った青い練習機は空中を泳ぐように露出した骨格を振り回していたが、ゲルを空中での修復するには僅かに高度も技量も足りなかったようである。急速に落下失速した青い機体は放物線を描いてそのままワルデ湖の湖面に激突した。大きな水飛沫が湖面の上に立ち上がり、不意のスコールのようにしてばらばらばらっと水面に波紋がいくつも生じる。黒い機体は降り注ぐ雨の中を突っ切ってさらに速度を上げた。速度を上げただけではない。金色の矢が立て続けに四発発射される。
「光威弾!」
エルマは叫んだ。全てを引き裂く強力な光弾。値段が張ることに加えて銃身本体の重量がかさむということで機体に載せるよりは対空砲として用いられるほうが多いこの武装は、しかしスフィアーにおいて間違いなく最強の火器であった。
「フレアーブラッツ……違う、ストラブレイドだ。あんな機体が飛んでいるのを本当に見ることになるなんて……」
あまりに興奮すると人間の筋肉というものは硬直するものであるらしい。エルマは固くなっている口の回りの筋肉ぼそぼそと動かして呟いていった。
一方、宙を切り裂いた四本の光の矢は黄色い教官機を背後から襲う形になった。コネ仕官のパブロはしかし、後方から飛んできた光弾を翼を折りたたみ急降下をすることでかわした。光の矢は強力ではあったけれど、飛び方が直線的で距離さえあればかわせないことはないのだ。
退くか、闘うか?
黄色い機体には一瞬の躊躇があった。
黒い機体と黄色いデミランスでは機体の性能は明らかである。パプロ・ペレラの機体も決して悪くはない。味方の援護が貰えるのであれば戦いにもなるだろう。だが一対一のサシの勝負ではとてもではないが苦しいものがある。王宮甲冑師クレイバンダが作った最高級の飛竜フレアーブラッツ。それをベースにして軽量高速化を実現した機体がストラブレイドであるという。デミランスも脚の早い機体であるが、黒のストラブレイドの追撃をかわせるとはとても思われない。パブロが生還する策は学生達を煙幕代わりにして自分だけ逃れるという卑劣なものがただ一つ。そのような策はしかしパブロにとって絶対に認められないものであった。教育者の高邁な理想からではなく、宮仕えのしがない性からである。一方、黒いストラブレイドのほうは、相手が何を考えているかということを全く考慮しなかった。これは戦いと言うよりは狩りであった。鷹は自分が喰い殺すネズミが何を思うかなどは考えない。果たして黒い機体はデミランスのほうに急速に接近する。追われる黄色い機体も反撃を試みる。逃げることは叶わない。あとは自分の才覚の運命を信じるしかないのだ。北から南へと侵入する黒い機体に黄色い機体は湖の東岸からワルデ湖の中央に進み出て、北へと向かう。
黒黄両者激突。
光威弾が飛び、鋼のバルカンが火を噴いて応戦する。黄色い機体が光の矢をよければ、黒い機体もまた灼けた鋼の弾頭を湖の上を滑るようにして避ける。物凄い勢いで攻守の二機がすれ違った。黄色いデミランスは直ちに機種をかえすと黒のストラブレイドを追尾する。相手が武装に優れるだけにパブロの側としてはなんとしても早めに戦いに決着をつけなければならない。背後を取られた黒い機体に直ちにバルカンが斉射される。もはや相手の命のことなど考えている余裕はその場にいる誰の心からも吹き飛んでいた。灰色の空は完全に修羅場と化している。後背上空から射撃を貰ったストラブレイドの機体を追い越すようにバルカンの弾丸がまき散らされ、湖面に無数の水柱が立ち上がる。だが追われる黒い竜は悠然と翼を大きく広げて風をブレーキとして捕まえる。突然失速した黒い機体の上をパブロ・ペレラの黄色い飛竜は追い越していく。追うもの追われるものが一瞬で入れ替わり、攻守もまた一度にかわった。今度は黒い機体が光の矢を発射する――かに見えたそのときのこと。パブロの黄色いデミランスが翼の下から何かを投下した。自分がいずれ追われるようになるということをパブロとは予測していたのだ。バルカンが作った小さな水柱とは比べ物にならないほどに大きな、まるで海底噴火でも起こったような爆発が二回あった。デミランスが追っ手を振り払おうと爆雷を投下したのだ。すぐ後ろを低空で飛んでいた黒い機体は果たして爆雷の巻き上げた巨大な水柱に呑まれた。
「やられた!」
エルマが叫んだ。観客は固唾を飲んで成り行きを見守るばかり。
「……いや、まだ生きているッ!」
シエルが叫んで応える。
デミランスの機体が相手の動きを予測していたように、黒い機体の搭乗者もまた敵の動きを予期していたのだ。爆雷が落ちたその瞬間に黒い機体はスピードをあげ、爆雷の雷管が爆ぜるその直前に、着弾点の真上を滑り抜けていたのだ。水しぶきを背中に黒い機体はいよいよ早く、いよいよ軽快に飛翔する。黄色い機体はさらにもう二つ爆雷を投下したが、俊足の黒い機体には無益であった。むなしく湖面に水柱が二本上がり、今度は追い越すのではなく爆心を迂回するようにして黒い竜が爆雷の一撃をやり過ごす。デミランスは爆雷を全て使い切り、残された武装はバルカンだけとなった。だが、このバルカンの銃口は進行方向に固定されており、背後の敵を射撃することはできない。手練のパブロはストラブレイドの機士がそうしたように、翼を広げて機速を落として追ってくる黒い機体を追い抜かせようと試みる。追っ手はこざかしいネズミの抵抗を嫌って追い抜くかわりに機体の進路を北西に向けた。湖面をすれすれに飛ぶ黄と黒の翼の距離が一瞬だが離れる。だが、追うものと追われるものの状況は変わらない。黄色い機体の右手後方を飛ぶストラブレイドが再び横滑りをするようにデミランスの背後をとった。光威弾が飛び、水面で炸裂する。パブロ・ペレラにとってはあまりぞっとしない状況である。最初から分っていたことであるが黒い機体の性能は恐ろしいほどに冴えている。その搭乗者の技術も驚くべきものがある。
「凄い……」
ファーラが呟いた。湖岸からめる若者達は感嘆のあまりすでに言葉もない。そして戦いはいよいよ最終局面を迎えようとしていた。戦場となるワルデ湖の上空を赤い機体が旋回し始めたのだ。それまで赤い巨竜は雲の上を飛んでいたのだろう。大型機の出現は本当に出し抜けであった。赤い大型機は王立、カペルヴィアストルどちらの味方であるのか?喧嘩の仲裁に来てくれたわけではないだろうことは明らかであった。深紅に塗装された機体は、眼下の様子を上空から傲然と眺め下ろすようにして綺麗な正円を描いて旋回している。赤い巨竜が眼下で追撃戦をしている黒いストラブレイドよりもさらに一段重武装であることは遠目にも明らかであった。
ドスをふるって暴れ回る若頭を拳銃片手に煙草をふかしたやくざの親分が眺めている。雰囲気的にはそんなところか。もちろん若頭に何かがあれば、親分の拳銃が直ちに火を噴くことになる。それにしてもなす術なく防戦一方の教官の窮地に王立機士学校の生徒達はさぞかし肝を潰したに違いない。
そして。とうとうその瞬間がやってくることになった。湖面を必死に逃げ回る黄色い機体の背後に高速の一級戦列機がひたひたと忍び寄り、まばゆい光の矢が飛翔した。光の矢はデミランスの翼に直撃し、失速した飛竜はそのまま湖面に叩き付けられた。墜落した機体は加速がつきすぎていたために着水したその場で停止することができない。それはまるで水の上を行く外輪船のスクリューのごとく――黄色い機体は水の上をバウンドしながら分解していく。装甲が、ゲルが、各種パーツが花火のように弾けて飛び散っていく。物凄い光景に見ているものは皆あっけに取られて言葉も出ない。黄色いデミランスは最後は砂浜に激突してようやくそこで動きを止めた。大地に突き刺さった黄色い機体はぴくりとも動かない。搭乗している機士は果たしてどうなったのか?そんなことわかるわけがない!
「終わった……」
ミューネが小さく呟いた。
王立機士学校の生徒達もカペルヴィアストルの見習い連中も言葉を失っている。その瞬間のことであった。上空の親分に動きがあった。まるでタイミングを測っていたかのように真っ赤な機体の翼の先端からスモークがすーっと流れ出たのである。右の翼の先端から赤い色をした煙が、左の翼からは黒い煙。
信号煙である。その意味は機士の見習いなら誰でもが分かるきわめて単純であった。
――全機着陸せよ。刃向かうものは撃破する。
王立機士学校の生徒達にとってはそれこそ小便を漏らしそうな状況であったろう。一方のカペルヴィアストルの生徒達からは大歓声があった。
「やった、やったぞ!」
エルマは無条件に喜んでいる。シエルは思わず練習機のキャノピーを開いて飛び出している。
「す、すごい……」
ビーステアは湖面を羽ばたく黒い機体に魅入っている。ファーラもミューネも意味不明な歓喜の声をあげて騒いでいる。興奮が余りにすぎて皆デミランスの乗組員が死んいるかもしれないということについてはすっかり失念している。もっとも覚えていたところで誰も何も思わなかっただろう。最初に実弾をばら撒いて来たほうがどう考えても悪いのだ。やがて黒い機体に頭を押さえつけられるようにして青いスフォルツァがぞろぞろと数珠つながりになって地上に降りてくる。王立機士学校の練習機が全機、陣形を組んで立っている五機のセプティアのそばに着陸を果たすと、ようやく赤と黒の機体が舞い降りた。カペルヴィアストルの生徒達はゲルでずぶぬれのまま降りてきた赤と黒の機体に駆け寄る。赤黒の両機は地上に降り立つとそのまま機神へと形態を変化させた。
「でけえ……」
エルマは目を輝かせている。寒空にゲルまみれ。けれど少女は寒さを感じていないのだろう。聳えると赤黒の一級戦列機の大きさは図抜けている。まさしく神の名に恥じぬ威容であった。と、赤い機体のキャノピーが開いた。ゲルの中から出てきたのはキメラの若者であった。
「みんな、大丈夫?」
男でもなく女でもない金髪の若者はワイヤを使って赤いバステロータから降りてくる。若者は凱旋した英雄のようにして仲間達に迎えられた。一方の黒い機体の機士はなかなか降りてこない。
「トリセルディ!」
バアドクレアの呼び掛けに黒い機体は直接は答えなかった。彼は、青いスフォルツァのほうに外部のマイクを使って呼び掛けた
「全員、降りろ。早く!」
王立機士学校の生徒達はすでに戦意どころか意識も半分喪失しているようである。青い練習機から若者達がぞろぞろと雁首揃えて降りてくるのが見えた。
「あんた達ねー」
新聞女は弱いものいじめの王立機士学校の生徒達どうしても一言いわずにはおられないらしく、眦を吊り上げて、悪童達に近づいていった
「どういう了見してんのよ、全く!」
と、ファーラの怒りをトリセルディの黒い機体が止めた。
「ねーちゃん、ちょっと下がっていてくれ」
ファーラは自分が止められた理由が分らない。すぐにバアドクレアが空中でトリセルディに言われたことをそのままファーラの耳に囁いた。
「相手に油断を見せちゃ駄目だよ」
機神は人間のような小さな相手は実は苦手であるのだ。仮に逆上した――そのようなことは無いだろうとトリセルディは分っていたがそれでも念を入れるにこしたことがない――王立機士学校の生徒が、不用意に近づいてきたファーラを人質に取った場合、トリセルディはせっかく積み上げてきたアドバンテージを一時に失ってしまう。バアドクレアの耳打ちにファーラはなるほどと頷いた。だが。おしゃべりなブン屋娘は納得して去ったが、お嬢様にはそのような理屈は通用しない。真っ青な顔のままビーステアはつかつかと王立機士学校の生徒達の元に歩み寄り――そして、手近なところにいた男子生徒の横面を力任せに平手で張り飛ばした。王立機士学校の生徒達は戦意を喪失しており、ビーステアの平手打ちにも沈黙を守り通したものである。トリセルディの黒い機体が再び叫んだ。
「ま、そんなところで良いだろうよ」
黒い機体は続ける。
「命だけはとらないでやる。今日のことを反省したら、もう二度とこんな真似をするんじゃねーぞ」
トリセルディの圧倒的な暴力を後ろに貰ってエルマも気分が良いのだろう。足元に転がっていた拳大の石を拾って悄然うなだれる悪童目掛けて投げつけた。
「ざまーみろ、ばかやろー、死ね死ねっ、死ねーっ」
エルマは明るい笑顔で石を投げる。投石は王立機士学校の生徒達には当たらなかったが、当たればそれなりの傷は受けただろう。
「やめなよ、やめなって……」
大笑いで石を投げ続けるエルマをシエルは必死に止める。エルマリィンは敵には笑い掛けるくせに仲間には激怒して石くれを押しつけた。
「いつもやられてんだぞ。おまえも投げろ、おまえも!」
「僕は良いよ、僕は……」
シエルは迷惑そうに答えている。そして法務官のトリセルディは厳正な裁きを続ける。
「分ったら、もう帰れ!」
黒い機体は傲然として言い、王立機士学校の生徒達はほとんどふらふらの態で各自の機体へと戻っていこうとする。これから長い距離を彼らは機神を歩かせていかなければならない……。と、ここでトリセルディの声があった。
「おい、こら、待て。おまえらどこいくつもりだ?」
王立機士学校の学生の一人が黙って自分の練習機を指さした。トリセルディは言った。
「何、考えてやがる。おまえらは歩いて帰るんだよ」
王立機士学校の生徒達もカペルヴィアストルの生徒達も一瞬、トリセルディの言っている意味が分らなかったようである。黒い機体は言った。
「スフォルツァは俺が接収する」
接収。
そういえば言葉は良いが、要するに分捕りと同じ意味である。
そして、驚くべきことに状況はトリセルディの思惑通りにどんどんと進んでいくことになったのだ。赤と黒の機体が地上に降りてから数分もしないうちに、北の方角から飛空船が現れる。帆を張って飛ぶ巨大な船は機神を運搬するための軍の兵員輸送船を払い下げられたものであった。列を成してワルデ湖に着水する船団の舷側には大きく、
――ゼーノ武器商会。
と書かれてある。
「何だ、何で武器商が……」
エルマは怪訝な顔をしている。国都警邏隊や銃士隊に先駆けて武器商人が訪れる。いったい何が起こっているのか?事情を把握しているのはただ一人。その人物が王立機士学校の生徒達に大声で怒鳴った。
「早く行け!国都警邏隊がきちまうぞ!パクられてやばいのはおめーらだろう」
トリセルディの怒声に王立機士学校の悪童達は弾かれたように走り出した。王立機士学校の幹部達は自分のところの生徒達が逮捕されることなど想定したこともないたろう。もしも仮にそのようなことになったとき、学校は生徒達を護るだろうか?おそらくは守らざるをえないだろう。何と言っても教官ぐるみの犯罪であるのだから。けれど、そうであったとしても生徒達にとってこの一件は完全に人生最大の汚点となることは間違いない。自業自得とはいえ寒空の下を走っていく王立機士学校の生徒達はきわめて情けないものがあった。
「これでよし!」
トリセルディは大らかに頷いた。
かくて悪党は去り、入れ代わりに武器商人達がやってくる。湖面に着水した船団は静かに錨を下ろし、すぐに小舟が下ろされる。それと同時に黒い機体から精悍な若者が降りてくる。何が起こるのか理解し兼ねているクラスメイト達を代表して、シエルが訊ねる。
「トリセルディ、あの人達は……」
「機体を運んで貰えるように手配したのさ。こっちは誰一人として自力発進ができねえからな」
華奢なシエルは軽く手を打った。何という手回しの良さだろう。そう、そのとおりなのだ。カペルヴィアストルの生徒達はトリセルディを除く全員がカタパルト無しの自力発進ができないのだ。ワルデ湖からダリエンの駐竜場までは翔べばすぐであるが、機神を歩かせていくとなると二時間以上はかかる計算となる。
――地上に降りた後のことはこっちでなんとかする。
トリセルディはそのような約束を確かに守ったのだ。
「知り合いの商人の人に頼んで手助けに来て貰ったのさ」
トリセルディはゲルまみれになったまま笑った。数隻の小舟に分乗した商人達がぞろぞろと上陸してくる。何をすべきであるのか理解している商売人達は手慣れたものである。
――こちらで宜しいですか。
――ちょっと失礼……。
などと営業スマイルを浮かべて、カペルヴィアストルの生徒達の横をすり抜けて、運搬すべき機神のほうへと散っていく。商人達はすでに乗機服を身につけている。どうやらおんぼろのセプティアに乗り込んでこれを船まで移動させるつもりのようである。
「あ、移動ならあたしらで……」
商人達の過剰サービスにエルマが口を挟んだが、それをトリセルディが止めた。
「任せておけって。それよりも、船のほうにシャワーがあるから、使わせてもらえよ」
黒い髪の若者はそう言って仲間達を湖上の飛空船のほうに先に向かわせる。何から何までよく気の付くことである。若者達はしかし、なかなかその場を動こうとしない。皆完全に戦勝に酔ってしまっているのだ。特にミューネのごときはまるでトリセルディのことを黄金でできた神像でも見るようにぽーっとなってしまっている。黒い髪の若者はそこでもう一度言った。
「シエル、先に行ってくれ。俺はちょっとやらなきゃならんことがあるんだ」
トリセルディは笑い、そして、彼のやらなければならないことは向こうのほうからやって来た。太りぎみの脂切った中年男。どうやらその人物が商人の長のようである。
「これは、エラートの若旦那、派手にやりましたな……」
太っちょの商人はえらくご機嫌がよろしい。血色の良い商人の芋虫のように丸まった指には金の指輪が一つキラキラと輝いている。
「ああ、ゼーノさん、ご面倒をおかけします」
「何の何の……」
ゼーノは最後まで言わなかったが、彼が言いたいことは『儲け話に面倒も何もありますかいな』と言うことであっただろう。つまるところトリセルディは級友が思うさらに一手先を読んでいるのだ。
「それよりも、ゼーノさん、仲間に船のシャワー室を使わせてやってくれませんか?」
「お安い御用。着替えも用意しておりますよ」
商人は上得意に対する最高のサービスでもって機士見習いに臨んでいる。最上のものを飲み食いし脂肪肝となっているだろう中年の商人は部下の一人を呼びつけた。
「皆さんを、船のほうに案内してさしあげなさい」
機神の運搬に取りかかろうとしていた商人はうなずくと、ただちに、学生達を先導してボートに乗り込む。勝利に浮足立っている生徒達の目には何もかもが不思議で新鮮に映るのだろう。シエルもエルマも目を輝かせている。取材好きのファーラについてはいまさらに言うべくもない。学生達は小舟に乗り、母船のほうへと一足先に向かい、後には作業をする商人達とその長であるゼーノ、そしてトリセルディが残される。否、バアドクレアもその場に留まっている。キメラの若者は赤のバステロータに乗って作戦に参加していたということもあって、何となく雰囲気的にその場に残ることになってしまったのだ。
「さてと、それでは……」
ゼーノは言った。利の無いところにサービス無し。逆に言えばサービスの影には必ず利益あり。商人は中々に侮れない。
「スフォルツァが十一機と、デミランスが一機……」
バアドクレアはすでに何となく何が起こるかを理解している。トリセルディは接収した敵機をどうもそのまま右から左に流すのではないか。勘の鋭いキメラの若者はそのようにだいぶ前から疑っていたのだ。金髪の細君は夫君のやりそうなことならば何でも理解しており、そして恐ろしいことに、その疑いは現実のものとなってしまった。
「スフォルツァは一機あたりで一六八〇ゼルナ、デミランスはちょっと痛んでいるの二四五〇というところで……」
ゼーノは暗算でもって巧みに算盤をはじいている。と、そこに王立機士学校の教官機を見に行っていた商人達が何かを発見したらしいそいそと戻ってきて言った。
「親方、向こうの機体の機士はどうしますかい?伸びちまってますぜ」
迷惑そうな手代商人に親方は言った。
「怪我は?」
「大丈夫みたいですぜ。とりあえずはくたばってないみたいで」
ゲルの衝撃吸収力は素晴らしいものがある。親方は面倒臭そうに手を振った。
「どこかそこいらに寝かせておけ。あとな、財布や持ち物は残しておいてやれよ。気がついたら勝手に家に帰るだろう。何と言ってもわし達は商人であって盗賊ではないんだからな」
合点だ。手代の商人は再び作業に戻った。哀れ、目が覚めたときにパブロは何を思うのだろうか?恐らく自分の正気を疑うのではないか。部下への厳しい顔を再び客向けの営業スマイルに戻してゼーノは言った。
「何の話でしたかな……そうそう下取り値のことでしたな」
バアドクレアは脇にいるトリセルディがどのような応対をするのか興味をもって眺めている。
「申し訳ありませんな。お話の最中に……」
「値段についてはお任せします。適当にやってください」
トリセルディは言い、ゼーノは満足そうに笑った。スフォルツァは新品のものが付属品一式付きで四五〇〇ちょっと。中古価格は機体の傷み具合にもよるが三〇〇〇ゼルナが平均となる。南のクレティア戦線にもっていければさらに二割ほど値が高くなる。紛争が激化すれば中古相場はさらに上昇するだろう。
「お支払いは手形になされますかな?小切手?」
商人は訊ねた。
「小切手でお願いできますか」
若者は言った。
「御宛名はエラートの若旦那で?」
トリセルディは首を横に振った。バアドクレアは意地になって評価しないが、トリセルディの金への執着の無さは十分にほめられてしかるべき美徳ではなかったか。
「カペルヴィアストルの機士学校でお願いします。小切手はうちの校長に渡してください。それから……」
黒髪の若者が何かを言おうとするのを商人は最後まで言わせなかった。
「……戦地の支払いという奴でしょう。判っておりますよ、長いつきあいでございますからな」
「センチノシハライ?」
聞き慣れぬ言葉にバアドクレアは首をかしげる。トリセルディがすぐに説明をした。
「前線では拿捕した機体を下取りに出すときにその代金を小切手か手形で貰うのさ。それとは別にいくらかを現金で貰うんだよ」
「何のために?」
きょとんとしているバアドクレアにゼーノは言った。
「一杯やるためですよ、お嬢さん」
誓って言おう。ゼーノは決して悪気はないのだ。ただ営業トークがちょっと滑り過ぎただけなのだ。商人はバアドクレアが可愛らしいお嬢さんであり、ことによればエラートの若旦那のナニかではないかとまで気を回している。さすが、御曹司、良い娘を手に入れているわいなどとでもゼーノは考えているのではないか。一方、機嫌を損ねながらも、バアドクレアは商人に抗議をしなかった。相手は年上であり、悪気も無く、また事情も知らないのだ。それにキメラの青年は商人の事をよく知らない。バアドクレアは商人に反感を抱く代わりに八つ当たりのようにトリセルディに心の中で文句を言っていた。
――僕が男だってどうしてきちんと訂正してくれないんだよー!もーっ!
ついでに言えば、バアドクレアはトリセルディがすでに自分の秘密を知っているとは考えていない。そしてキメラの若者の怒りについてはさしたる考慮もされることのないままに大人の話は続けられる。
「小切手は学校長様に、かしこまりましたと……」
商人はすでに懐から紙束を取り出すとそこに何事かを書き始める。バアドクレアは商人が何をしているのか理解できなかった。否、文字を書き込んでいるということは見れは判るのだが、その意味の重大性が理解できないのだ。キメラの青年は小切手を切るという行為をそれまでに見たことがなかったのである。郊外に美田のついた邸宅を四つばかり買える巨大な資産がきわめてあっさりと受け渡される瞬間であった。
「一応、金額をお確かめください」
ゼーノはそう言って薄っぺらな紙切れをトリセルディに手渡した。青年はうんとうなずいて、それを『おまえも確認してくれ』と言った具合にバアドクレアに見せた。その場に残っていたのが金髪の若者だけであったということは恐らく幸いであったのだろう。驚くべき額面が書き込まれた小切手にバアドクレアは理解が及ばず、そこで曖昧にうなずいただけであった。
「こいつはゼーノさんのほうから校長に渡してください」
トリセルディはゼーノに紙切れを返し、中年の商人は心得たとばかりにうなずいた。そして、そのころには商品となる機神の積み込みもほぼ終わろうとしていた。商人達の手際は本職ということもあっていかにも鮮やかであった。買い取ったスフォルツァとデミランスを一所に集めて、これを素早く飛空船に積み込み、積み込みが終った船から次々に出発していく。まるで夜逃げのようでもある。商品の積み込みが終わると、次はお客へのサービスであった。ぼろぼろの練習機がこれも手際よく船に積まれていく。
「あれは買い替えたほうが良いですな」
ゼーノは船に乗せられていくカペルヴィアストルの機体を呆れたように眺めている。
あまりにもみすぼらしい機体。
バアドクレアは自分の学校のドレイクがなんとなく可愛そうに見えてくる。
――本当に小さい……。
おんぼろの練習機の積み込みはすぐに終わり――そして、ここでゼーノはもう一度懐に手を入れた。景気の良い商人が取り出したのは紐で縛った剥き出しの札束であった。
――これは、また、すごいなあ……お財布ぐらい使えばいいのに。
大金にひるんでいるバアドクレアのことを特に気にするこもとなく商人は札束から一ゼルナ紙幣を四十枚を取りあげ、これをトリセルディに手渡した。
「これぐらいでよろしいか?」
飲み代ということなのであろう。若者は当然の権利としてその紙幣を受け取った。
「十分です」
ちなみに、貴族の子弟であるバアドクレアの月の小遣いは四ゼルナである。学生が飲み食いをして、文房具や書籍、衣類を買うとだいたい四ゼルナ。それほど贅沢のできる額ではない。四十ゼルナは機士学校を卒業したばかりの平均的な月収に相当する。セプティアに続いてバステロータとストラブレイドの二機も船に誘導される。全ての用意はここに整ったことになる。
「バステとストラはビットプリウスのほうでよろしいですかな?」
商人は訊ね、トリセルディは応える。
「お願いします」
かくて商談は済み、トリセルディ達もボートで飛空船の客人となった。
湖畔にはただ一人、パブロ・ペレラだけが残される。
王立機士学校の教官が意識を取り戻した時にはすでに何もかもが終り、ただ寒々とした風が吹き抜けるばかりとなっていた。




