第9話 ブス専の店
【ペトラ視点】
冒険者ギルド王都本部、受付係。それがあたしの仕事である。
仕事の半分は書類で、残りの半分は噂話だ。どこの誰が何を倒して、誰と組んで、誰と別れたか。受付台に座っていれば、王都の冒険者のことはだいたい耳に入る。
そのあたしにも、分からないパーティーがひとつある。
王国に3組しかいないSランク。そのうちの2組は有名だ。『白銀の牙』と『蒼天の槍』。酒場に絵姿が貼ってあるし、子どもがごっこ遊びをする。
3組目は、『余り席』という。
ふざけた名前だが、正式な登録名である。4年前、兜の女が登録に来たとき、先輩の受付係がパーティー名を聞いた。兜の女は少し考えて、こう答えたそうだ。
「隅の席で余っていた3人だ」
先輩は『余り席』と書いた。訂正の申し出は、4年間ない。
兜の剣士と、フードの魔術師と、厚いローブの治癒師。
誰も、3人の顔を知らない。
登録証の人相書きの欄には、それぞれ「兜」「フード」「布」と書いてある。人相ではない。
仕事は確実だった。派手さはないが、受けた依頼を見積もりどおりの日数で、見積もりどおりに片づけてくる。報告書は短くて正確。受付にとっては、いちばん手のかからないSランクだった。
半月前までは。
*
最初におかしいと思ったのは、鼻歌である。
兜の剣士が、依頼の紙を取りに来た。その兜の中から、鼻歌が聞こえた。反響して、受付じゅうに響いていた。
4年間、「ああ」と「頼む」しか言わなかった人である。
次に、フードの魔術師だ。
あの子はいつも、フードを目の下まで下ろしていた。それが眉のところまで上がっている。受付台の上の書類を、向かい側から逆さまに読んで、こう言った。
「3行目、綴りが違う」
合っていた。あたしの書き間違いだった。今まで、見えていなかったのだろうか。
最後に、ローブの治癒師。
この人はいつも愛想がいい。それは変わらない。ただ、ときどき声が違う。少し低くて早口の、素っ気ない声がまじる。そっちのほうが、なぜか感じがよかった。
そして3人とも、同じ匂いがする。
木の実の油と、石けんの匂いだ。
*
4日前、『余り席』は灰色峠の双頭竜の討伐を受けた。
峠まで片道3日。討伐に2日から4日。見積もりは10日である。
3人は、翌日の夕方に帰ってきた。
報告書は、こうだった。
依頼:灰色峠の双頭竜の討伐
所要:2日(見積もり10日)
負傷:なし
薬の使用:なし
備考:峠の形が少し変わった。申し訳ない
あたしは3回読んだ。
片道3日の峠から、2日で帰ってきている。往復だけで計算が合わない。
「あの、行きと帰りは」
「走った」
兜の剣士が答えた。
「走ったら、着いた。体が軽かった」
「竜は」
「首が2つあったので、1つずつ」
「私が1つ。ジークリットが1つ。同時に」
フードの魔術師が補足した。
「私は、することがなかったわねえ。2人とも、かすり傷もないんですもの。帰り道に、峠のふもとの村を1軒ずつ回って、腰の悪いお年寄りを治してきたわ。37人」
ローブの治癒師が、のんびり言った。
治癒師が1日に治せるのは、腕のいい人で10人と聞いている。
「それで、峠の形というのは」
「岩が、少し」
「少しというと」
「山ひとつぶんくらい」
あたしは測量係を出す書類を書いた。
3人は報告を済ませると、急いで帰ろうとした。
「待ってください、報酬の受け取りが」
「明日でいい」
「予約がある」
「遅れると、今日のぶんがなくなっちゃうのよ」
よやく、とは何だろう。
Sランクの3人が、竜より急ぐ用事である。
噂話で食べている身として、これを放っておくわけにはいかなかった。
*
Sランクの冒険者を尾行するのは、ふつうは自殺と同じである。
ただ、あの3人は浮かれていた。兜は鼻歌を歌い、フードは空ばかり見上げ、誰も後ろを気にしていない。
ローブの治癒師だけが、一度振り返って、あたしに手を振った。
気づかれている。気づかれたうえで、放っておかれている。
3人は職人通りを抜けて、外れの小さな店に入っていった。
あたしは看板を見上げた。
美容室 レン
知っている。王都の女なら、誰でも知っている。
パン屋の女将さんが、娘の婚礼の3日前に、髪に艶を出されて頬のひびを消された店だ。女を醜くする店。気持ちよくされて、寝ているうちにやられる店。
そこへ、顔を隠した3人が通っている。
あたしの中で、噂話の虫が大声を上げた。
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【レン視点】
開店36日目。
昼前に、扉の鈴が鳴った。
今日の予約は、3人とも昼から夕方にかけて入っている。決まりを作ってから、3人は見事に1日1枠を使いきるようになった。髪は3日おき。それ以外の日は、手、爪、肌、眉。毎日どこかしらを手入れして帰っていく。
だから、この時間のお客様は予約にない。
また髭だろう、と思った。
「申し訳ありません、親方の店へ——」
「あたし、髭ないけど」
入ってきたのは、若い女性だった。
頬には、ほどよくひびが入っている。髪はほどよくぱさついている。この世界の物差しで言えば、ごく普通の、感じのいい娘さんである。
女性のお客様。5人目。しかも、顔を隠していない。
俺は背すじを伸ばした。
「いらっしゃいませ。本日はどのような」
「あ、ごめん。客じゃないの」
背すじが元に戻った。
「冒険者ギルドの受付をやってる、ペトラ。ちょっと聞きたいことがあって」
彼女は店の中を見回した。壁の張り紙の前で、足が止まる。
店内での魔法は、ご遠慮ください
塀を撃たないでください
当店の決まり
1 予約は、お1人につき1日1枠まで
(中略)
4 店内での魔法、抜剣、買収は禁止
「……ここ、何の店?」
「美容室です」
「美容室で、抜剣?」
「未遂でした」
*
ペトラさんは、椅子には座らなかった。寝ているうちにやられる、という噂を知っているのだろう。立ったまま、腕を組んだ。
「単刀直入に聞くけど。うちのSランクに、何したの?」
「申し訳ありません。お客様のことは、お話しできないんです」
「片道3日の峠を、2日で往復してきたんだけど」
「さようでございますか」
「竜の首を2つ同時に落として、ついでに山をひとつ削ったんだけど」
「……さようで、ございますか」
「今、眉が動いた」
この10日ほどで、俺の眉は信用を失いきっている。
「まあいいや。じゃあ、これだけ教えて」
ペトラさんは声をひそめた。
「あんた、あの3人の顔、見たことあるの?」
「お答えできません」
「あるんだ」
「…………」
「ギルドじゃ、誰も見たことないのよ。4年間、誰も。で、どうなの。やっぱり、その……」
彼女は言いにくそうに、言葉を探した。意地の悪い顔ではなかった。気の毒そうな顔だった。この世界の人が、整った顔の女性の話をするときの、あの顔だ。
「相当、気の毒な感じ?」
お客様のことは話せない。
ただ、これは黙っていられなかった。
「美しい方々です」
ペトラさんが止まった。
俺の顔をまじまじと見る。冗談を言っている顔かどうか、確かめている。
「……本気で言ってる?」
「本気です」
「あんた、パン屋の女将さんを泣かせた人よね。艶を出して、ひびを消して」
「全力で仕上げました」
「で、客は顔を隠した3人だけで」
「さようです」
「その3人のことを、美しいって言う」
「はい」
ペトラさんは、ぽんと手を打った。謎が解けた人の顔だった。
「あんた、ブス専なのね!」
*
その言葉は、前世にもあった。
聞いた瞬間、腹の底が熱くなった。20年やってきて、めったにないことである。
「恐れ入りますが、その言い方は、うちのお客様に失礼です。訂正していただけますか」
「え、なんで。褒めてるのよ? 物好きっていうか、心が広いっていうか」
「褒めておりません」
「あんたをじゃなくて?」
「俺は何と呼ばれても結構です。ただ、その言葉は、うちのお客様が醜いという前提に立っています。俺はそう思っておりません」
ペトラさんは首をかしげた。
「じゃあ、何て言えばいいの」
「美しい方を、美しいと申し上げているだけです」
「だから、それをブス専って言うんじゃない」
「違います」
「違わないって。世間が醜いって言う顔を、美しいって言うんでしょ」
「……はい」
「ほら」
平行線だった。
物差しが逆なのだ。俺が言葉を尽くせば尽くすほど、この世界ではその呼び名の証明になっていく。
ペトラさんは悪い人ではなかった。むしろ感心していた。
「いやあ、いるんだねえ、そういう人。あの3人も救われるわ。よかったよかった」
「ペトラさん」
「大丈夫、誰にも言わないから!」
鈴が鳴って、彼女は出ていった。
足取りが軽い。誰かに言いたくてたまらない人の足取りである。
誰にも言わない、と言う人が黙っていたためしは、前世でも今世でもない。
*
翌日。
朝いちばんに、親方が来た。
いつもは「戻ってくる気になったか」と言う人が、今日は戸口でもじもじしている。髭の大男がもじもじするのを、初めて見た。
「レン。お前……そういうことだったのか」
「違います」
「いいんだ。人の好みはそれぞれだ。俺は何も言わん」
「違います」
「女の美容室をやりたいと言ったときから、妙だとは思っていた。そうか。そういう女に、会いたかったのか」
「親方、話を」
「ただな、母親には自分の口で言えよ。人づてに聞かせるな」
親方は俺の肩を、ごつい手で2回叩いて帰っていった。励まされた。
昼前に、母さんが来た。
壺を抱えている。例の灰色の粉だ。
「レン。母さんはね、どんなお嫁さんでも、うれしいのよ」
「母さん、違うんだ」
「でもね、もしその子が望むなら、母さんが毎晩擦ってあげるからね。あきらめちゃだめよ」
母さんは壺を台に置いて、涙ぐんで帰っていった。励まされた。2人目である。
それから、男が来た。次々に来た。
「レン、お前、ブス専だったのか!」
「髭はいい。話を聞かせろ」
「どんな顔なんだ。そんなにひどいのか」
床屋時代のお客様が、冷やかしに押しかけてくる。全員断った。今日は髭を理由にしなくても断れるので、楽だった。
夕方には、看板の下に炭で書き足しがあった。
美容室 レン(ブス専)
消した。
帳面を開く。
来店:26名(うち再来店22名)
売上:銀貨57枚
預かり金:金貨6枚弱
断った男性客:131名(うち冷やかし27名)
受け取ったもの:母さんの壺
備考:呼び名がついた。訂正に失敗
俺のことは、どうでもいい。
前世でも、いろいろ書かれた。店が大きくなれば、悪口も大きくなるものだ。慣れている。
気になるのは、3人のほうだった。
あの呼び名は、3人の顔を知らない王都じゅうの人間に、「あの店の客はひどい顔だ」と触れ回っているのと同じである。
*
日が落ちるころ、鈴が鳴った。
3人だった。今日は3人とも、夕方からの予約である。
いつもなら入ってくるなり、誰が先かで小さくもめる。今日は誰も何も言わなかった。兜も、フードも、ローブも、戸口に並んだまま動かない。
「……聞いた」
ジークリット様が言った。
「ギルドで。市場で。宿の食堂でも」
「原因は、私たち」
ミルテ様が言った。帳面は出さない。
「ごめんなさいねえ、店主さん」
カタリーナ様の声は、練習していないほうだった。
「私たちが通わなければ、あなた、そんなふうに呼ばれずに済んだのに」
「気にしておりません」
本当だった。
「呼び名などいくらでも。それより、本日のご予約は」
3人は顔を見合わせた。見えないが、見合わせたのが分かる。
ジークリット様が、低い声で言った。
「今日は、帰る」
「え」
「明日、来る。考えがある」
鎧が向きを変えた。フードとローブが続く。
鈴が鳴って、3人は施術も受けずに帰っていった。
開店以来、初めてのことである。
予約表の今日の欄が、3つとも空いたまま残った。
嫌な予感がした。Sランクの冒険者が3人そろって「考えがある」と言うとき、たいてい山がひとつ減る。




