↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
前世で予約3か月待ちだった美容師の俺、美醜逆転の異世界で開業したら客が3人しか来ない ~その3人がSランク冒険者で、予約枠を奪い合っている~  作者: 中原九尾
第1部 開業と3人の客

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/10

第7話 笑顔の練習

【カタリーナ視点】


 店を出て、角を曲がった。


 後ろから、がしゃん、がしゃんと聞き慣れた音がする。鼻歌つきである。


 あぶないところだった。もう少し長居をしていたら、うちのリーダーと戸口で鉢合わせになっていた。


 私は足を速めた。綿入れを3枚着ているので、速めてもたいして速くならない。


 夕暮れの風が、口もとの布を揺らした。


 布の下の頬に、今日はひびを描いていない。7年間、1日も欠かさなかったのに。


 肩が軽かった。


 軽すぎて、落ち着かなかった。


   *


 私は、親の顔を知らない。


 王都の神殿の前に置かれていた、と聞いている。神殿が育ててくれた。


 10歳のとき、治癒の力があると分かった。すりむいた友だちの膝に手を当てたら、傷がふさがったのである。


 神官様たちは喜んでくれた。孤児に才があるのは、神殿にとってもありがたいことだった。


 私はうれしかった。役に立てるものが、自分にもある。


 16歳で、一人前の治癒師になった。


 腕はよかったのだと思う。ほかの人が半日かける傷を、私は1時間でふさいだ。神殿でいちばんだと言われた。


 ただ、ひとつ困ったことがあった。


 治癒というのは、手を当てて、相手の体に力を流しこむ技である。相手が身をあずけてくれるほど、よく流れる。相手が身を固くすると、流れが悪くなる。


 私が口布を外して寝台の横に立つと、患者さんは身を固くした。


 誰も、何も言わない。皆、礼儀正しかった。


 ただ、私の顔を見て、少し息をのむ。目を閉じる。治してもらう相手に失礼がないように、じっと耐えてくれる。


 耐えられると、力が流れない。


 神殿でいちばん腕のいい治癒師は、神殿でいちばん患者さんを緊張させる治癒師だった。


   *


 17歳の春に、上役の神官様に呼ばれた。


 穏やかな方だった。孤児の私に字を教えてくれた人でもある。


「あなたを、夜の番に回そうと思います」


 神官様は言った。


「それから、意識のない方の担当に。重い傷で運ばれてきて、まだ目の覚めない方々です。あなたの腕がいちばん要るのは、そういう方でしょう」


 筋の通った話だった。


「患者さんも、そのほうが落ち着きます。あなたも、気をつかわずに済む。あなたのためです」


 神官様は、本当にそう思ってくださっていた。


 私は礼を言って、その夜から夜番になった。


   *


 夜の病室は静かである。


 寝台が12並んでいて、起きている人は私しかいない。


 意識のない人は、身を固くしない。息をのまない。目をそらさない。


 私の手を、拒まなかった。


 力はよく流れた。昼間の倍は流れた。私は初めて、自分の腕を全部使うことができた。


 ただ、静かすぎた。


 だから、話しかけることにした。


 今日はいいお天気でしたよ。市場に早い苺が出ていました。門番さんのところに子犬が生まれたそうです。角の店の焼き菓子は、朝いちばんに行かないと売り切れてしまうんですって。


 返事はない。それでよかった。


 ひと晩じゅう、手を当てながら話し続けた。12の寝台を順に回って、どうでもいい話を、できるだけ楽しそうに。


 あの人たちが目を覚ますのは、たいてい朝である。朝には私の番は終わっていて、昼の治癒師が代わっている。


 目を覚ました人は、昼の治癒師に礼を言う。


 それでいい、と思っていた。本当に、そう思っていたのだ。


   *


 19歳の冬に、小さな女の子が運ばれてきた。


 7歳くらいの子である。ひどい熱で、3日間、目を開けなかった。


 私は3晩、その子についた。小さな手を握って、力を流し続けた。苺の話も、子犬の話も、焼き菓子の話もした。同じ話を、何度も。


 3日目の明け方、熱が下がった。


 私は疲れて、寝台の横の椅子でうとうとしていた。口布は、いつの間にか外れていたのだと思う。


 握っていた手が、動いた。


 目を開けると、女の子がこちらを見ていた。


 熱の引いた、きれいな目をしている。


 よかった、と思った。私は笑いかけた。


 女の子は、悲鳴を上げた。


 私の手を振りほどいて、寝台の端まで下がって、母親を呼んで泣いた。


 廊下から、母親が駆けこんできた。3日間、控えの間で祈っていた人である。娘を抱きしめて、背中をさすって、それから私のほうを向いた。


 そして、何度も頭を下げた。


「すみません。すみません。この子、びっくりしただけなんです。治していただいたのに。本当に、すみません」


 謝られた。


 3晩かけて治した子に泣かれて、その母親に、謝られたのである。


 誰も悪くない。あの子は、目を覚ましたら知らない顔があったから、こわかっただけだ。母親は、娘の無礼を詫びただけだ。


 私は「いいんですよ」と言った。笑って言えたと思う。


 それから洗い場に行って、口布を洗った。


 ずいぶん長いこと、洗っていた。


   *


 その日から、練習を始めた。


 顔が見えると、こわがらせてしまう。それなら、顔が見えなくても伝わるものを使えばいい。


 声である。


 夜番の廊下で。誰もいない洗い場で。薬草庫の奥で。


「あらあら」


「大丈夫よ」


「痛かったわねえ」


 何百回も言った。高すぎない、低すぎない、聞いた人の肩から力が抜けるような声。布ごしでも、笑っていると分かる声。


 半年かけて、作り上げた。


 ついでに、いくつか覚えた。


 眉用の炭で、頬にひびを描くこと。遠目には本物に見える。


 ローブの下に、綿入れを重ねること。3枚で、ちょうど「立派」になる。


 口布で口もとを隠し、ひびを描いた頬と目だけを見せる。そこに、練習した声をのせる。


 患者さんは、身を固くしなくなった。


 私はよく喋る、明るい治癒師になった。皆がそう言った。カタリーナさんは話しやすい。カタリーナさんがいると場が明るくなる。


 誰も、それが夜の病室で覚えた癖だとは知らない。


 返事のない人たちに、ひと晩じゅう話しかけていた。黙ると、静かすぎたから。


   *


 神殿を出たのは、22歳のときである。


 炭と綿と声で、遠目にはごまかせた。けれど治癒は、手の届くところまで近づく仕事だ。近くで見れば、描いたひびは描いたひびである。


 昼の番には、最後まで戻してもらえなかった。上役の神官様は「今のままが、あなたのためです」と言った。あの方は、最後まで優しかった。


 冒険者には、治癒師が足りないと聞いた。


 それに、血を流している冒険者は、治癒師の顔など見ない。傷をふさいでくれるなら、誰でもいいのだ。


 ギルドの隅の席に座った。少し離れた席に、フードを深くかぶった小さな子が1人で座っていた。


 何日かして、兜をかぶった背の高い女が、私たちの前に立った。


「組まないか」


 それだけだった。


 私は「まあ、うれしい。よろしくねえ」と言った。練習した声で。


 あれから4年になる。私は26歳になった。


 あの2人は、隠している。兜と、フードで。


 でも、嘘はついていない。


 私だけが、毎朝30分かけて嘘を描いている。綿を着て、声を作って、世間の物差しに合うふりをしている。


 2人には、言えなかった。


   *


 路地の先で、子どもの泣き声がした。


 5歳くらいの男の子が、石畳に座りこんでいる。膝をすりむいて、血がにじんでいた。


 体が先に動いた。


「あらあら。転んじゃったの? 痛かったわねえ」


 しゃがんで、膝に手を当てる。


 力を流した。


 流れすぎた。


 いつもなら、すり傷ひとつに息を3つぶんかける。今日は、手を当てた瞬間に、もうふさがっていた。あかぎれだらけの小さな手まで、ついでにつるりと治っている。


 なのに、少しも疲れていなかった。


 いつもは力を流すそばから、どこかへ漏れていく感じがする。穴のあいた桶で水を運ぶようなものだ。治癒師は皆そういうものだと思っていた。


 今日は、漏れない。首から肩、肩から腕へ、流しただけの力が、まっすぐ手のひらに届く。


 あの店主さんが、油を塗って、ほぐしてくれたところだった。


「……なおった」


 男の子が、膝を見て目を丸くした。それから私を見上げた。


 私は口布をしている。頬には、ひびがない。


 男の子は、こわがらなかった。夕暮れで、よく見えなかったのだろう。


「ありがとう、おばちゃん!」


「おねえさんよ」


「ありがとう、おねえちゃん!」


 男の子は走っていった。途中で振り返って、手を振る。もう一度転びそうになって、こらえて、角の向こうへ消えていく。


 私は、しゃがんだまま見送った。


 それから、気がついた。


 今の「おねえさんよ」は、練習した声ではなかった。


 考えるより先に、口から出ていた。少し低くて早口で、たぶんあまり感じのよくない声だ。


 口布の下で、頬が動いている。


 いつもと違うところが動いていた。練習した笑顔は、口の端を同じ高さに上げる。目を細める。頬を少し持ち上げる。順番も角度も決まっている。


 今のは、順番がばらばらだった。


 片方の口の端だけが、先に上がっている。


「……あら」


 誰もいない路地で、声が出た。


「私、こういう顔で笑うのね」


 布の下なので、誰にも見えない。


 鏡もないので、自分にも見えない。


 7年ぶりだった。あるいは、初めてかもしれなかった。


   *


 焼き菓子の店に寄り道をして、日がすっかり落ちてから宿に戻った。


 2人はもう食堂にいた。


 リーダーは兜のまま、壁に貼った紙に何か書きこんでいる。日付らしい。3日先のところに、丸がついていた。


 小さい子は、フードを眉まで上げて、自分の爪を眺めていた。ランプにかざして、10枚ぜんぶ、順番に。


「ただいまあ。2人とも、今日はいい日だった?」


「別に」


「普通だ」


 そろって返事をした。そろって目をそらした。


 私は2人の間に座った。


 兜の裾から、ふわりと匂いがする。木の実の油と、灰の少ない石けんの匂い。


 フードの中からも、同じ匂いがした。


 私の首すじからも、たぶん同じ匂いがしている。


「……カタリーナ」


 小さい子が、鼻を動かした。


「今日、どこか行った?」


「あら。お散歩よ?」


「ふうん」


 夜の色の目が、じっと私を見ている。この子は鋭い。数えたり、比べたりするのが得意なのだ。


 リーダーは、兜の中で小さく鼻歌を歌っていた。こちらは、何も気づいていない。


 おかしな話だと思った。


 4年も一緒にいて、互いの顔も知らない。聞かれたくないことは、聞かない。そう決めて、本当に何も聞かずにやってきた。


 それなのに、3人そろって同じ匂いになっている。


 私は口布の下で、もう一度笑った。


 今度のも、順番がばらばらだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。