第6話 力を抜いてください
開店28日目。
昼のお客様は、今日も前髪を紙1枚ぶん切って帰っていった。
夕方には、兜のお客様の予約が入っている。3日おきの洗髪である。
それまでは暇だ。俺は椅子の革を拭きながら、2枚目の張り紙の文面を考えていた。
塀を撃たないでください
美容室の張り紙として、いよいよ何の店か分からなくなってきた。
扉の鈴が鳴った。
「こんにちはあ。開いてるかしら」
明るい声だった。
*
入ってきたのは、厚いローブの人だった。
昨日、通りの向かいから手を振っていた人である。
背が高い。ローブは足首まであって、綿でも入っているのか、全体にずんぐりと丸い。頭には頭巾。口もとは薄布で覆っている。見えているのは目もとだけだ。
その目が、にこにこと笑っていた。少し垂れた、やわらかい目である。左の目尻に、小さなほくろがひとつある。
「いらっしゃいませ」
「まあ、きれいなお店。瓶がたくさん。あれは何? 油? いい匂いねえ」
よく喋る人だった。
店をひと回りして、棚の瓶をひとつずつのぞきこみ、椅子の背をなで、張り紙を読んで声を上げて笑った。
「魔法はご遠慮ください、ですって。うちの小さい子が何かしたのね?」
来た、と思った。
5日前、俺は「蜥蜴」のひと言で、お客様の秘密を3秒で漏らしている。同じ失敗は二度しない。
「申し訳ありません。お客様のことは、お話しできないんです」
「あら、口が堅いのねえ。えらいわ」
彼女は椅子に腰を下ろして、ひじ掛けに頬杖をついた。
「じゃあ、私が勝手に話すわね。兜の子が、3日おきの夕方。フードの子が、毎日のお昼。合ってる?」
「お答えできません」
「今、右の眉が動いたわ」
「…………」
「私、治癒師なの。人の顔色を読むのが仕事なのよ」
口を閉じていても漏れる。俺の守秘義務は、このパーティーとの相性が悪すぎる。
*
お客様は、カタリーナと名乗った。
兜のお客様とフードのお客様の、パーティーの仲間だそうだ。
「だっておかしいんですもの。うちのリーダー、このごろ鼻歌を歌うのよ。兜の中で。反響してすごいの」
「さようでございますか」
「小さい子のほうは、フードを上げて歩いてるし。柱にもぶつからなくなったし。2人とも、どこへ行くのか言わないし」
それで4日かけて、あとをつけたのだという。Sランクの冒険者が、仲間の尾行に4日である。
「それでね、店主さん」
垂れた目が、いっそう細くなった。
「私にも、同じことをしてちょうだい。仲間はずれは嫌なの」
お客様である。
女性のお客様が、4人目である。うち3人が同じパーティーだ。客層が偏っている。
「かしこまりました。では、少し拝見します」
見えているのは、目もとと手だけだった。
手は荒れている。指の関節が赤い。治癒師は傷口を酒で洗うので、手の脂が抜けるのだろう。
目もとは。
俺は少し顔を寄せた。
目の下から頬骨にかけて、細いひびが何本も走っている。この世界の美人の条件だ。
ただ、妙だった。ひびの縁が、どれも同じ太さをしている。
「……失礼ですが。そのひび、描いていらっしゃいますね」
にこにこしていた目が、ぴたりと止まった。
ほんの1秒である。すぐにまた笑った。
「あら。ばれたの、初めてよ」
「眉用の炭ですか」
「そう。毎朝、30分かけて描くの。うまいものでしょう?」
「お上手です。線に迷いがありません」
「褒められちゃった」
彼女は口もとの布の下で、くすくす笑った。
「このローブもね、綿入れを3枚重ねてあるのよ。夏は地獄。でも、こうしておけば遠目には立派に見えるでしょう?」
立派、というのは、この世界では太っているという意味である。
兜のお客様は隠した。フードのお客様も隠した。
この人は、合わせにいっている。ひびを描き、綿を重ね、明るく笑って、世間の物差しの内側に入ろうとしている。
3人の中で、いちばん骨が折れるやり方だと思った。
*
「本日は、お肌のお手入れをご提案します。お顔から首、肩までです」
「まあ、素敵」
「つきましては、ローブを」
「脱がないわよ?」
笑顔のまま、即答だった。
かぶりものを脱いでいただく交渉は、通算3件目である。俺も慣れてきた。
鏡に布をかけ、鎧戸を閉め、鍵をかける。
「お顔は必要なところしか見ません。当店の標準の手順です」
「あらあら、手際がいいのねえ。……でも、襟を少し下げるだけじゃだめ?」
彼女は首もとの布を、指1本ぶん下げた。
「あごしか出ておりません」
「じゃあ、これで」
指2本ぶん。
「あごと、あごの下が出ました」
「欲ばりねえ」
「肩まで、お願いいたします」
彼女は笑いながらため息をついた。それから口もとの薄布を外し、頭巾を取った。
髪は栗色だった。頭の後ろで、石のように固くまとめてある。
顔は見ない。約束である。俺は後ろに回って、壁の棚のほうを向いた。
「施術用の布をお渡しします。肩を出して、胸もとに巻いてください。巻き終わったら、声をかけていただけますか」
「はあい」
背中で、布のこすれる音がした。
1枚。どさり、と重いものが床に落ちる。
2枚。どさり。
3枚。どさり。
本当に3枚あった。床が揺れた気がする。あとで見たら、綿入れだけで長持ひとつぶんの山になっていた。
「いいわよ」
振り向いた。
椅子の上に、さっきの半分の幅の人が座っていた。
縮んでいる。綿3枚ぶん、きれいに縮んでいる。
白い布を胸の上で巻いて、肩と腕を出している。首が長い。うなじから肩へ落ちる線が、なだらかで、やわらかい。布の下の体つきは、巻いた布ごしでも分かった。
前世の言葉で言えば、週刊誌の巻頭を飾る体である。
俺は美容師だ。花嫁の着付けを何百とやってきた。動じない。
動じないが、綿3枚でこれを隠していたのか、とは思った。夏は地獄だろう。
「……ねえ。黙らないでちょうだい。怖いじゃないの」
「失礼しました。肩がよく凝っていらっしゃるな、と」
「そっち?」
*
椅子を倒して、後ろに立つ。
まず、描いたひびを落とす。木の実の油を指に取って、頬の上でくるくるとなじませた。炭の線が浮いて、布でぬぐうと消えていく。
「先に申し上げておきますが、俺は目が逆でして」
「変わった目ねえ。世間と反対に見えるの?」
「はい。ですので、俺が何か申し上げても、世間の物差しとは別の話だと思ってください」
「ふうん。じゃあ聞くけど」
彼女は目を閉じたまま、明るく言った。
「どう? ひどいでしょう。笑っていいのよ。私は慣れてるから」
炭を落とした頬には、ひびの1本もなかった。きめが細かく、少し乾いているが、白くてなめらかだ。垂れた目に長いまつ毛。ふっくらした唇。目尻のほくろ。
笑うところを探した。
「笑うところが、見つかりません」
「…………」
「乾燥はしていらっしゃいます。酒で手を洗ったあと、顔を触っていませんか」
「……触ってるわ」
「それです」
蒸し布を顔にのせる。目の上まで、すっぽりと。
その間に、首と肩に取りかかった。
油を手のひらで温めて、耳の下から首すじへ、ゆっくり流していく。
「ひゃ」
肩が跳ねた。
「冷たかったですか」
「ち、違うの。びっくりしただけ。人に触られるの、慣れてなくて」
「力を抜いてください」
「抜いてるわよ?」
抜けていない。首から肩にかけて、板のように張っている。
親指で、うなじの際を押していく。そこから肩の先へ。鎖骨の上のくぼみを、指の腹でやさしくなぞる。
「ん……っ」
蒸し布の下から、声がもれた。
彼女のほうが慌てた。
「ち、違うのよ! 今のは、その、変な意味じゃなくて」
「ここが凝っている方は、皆さんそういうお声が出ます」
「皆さん出るの!?」
「出ます。力を抜いてください」
「……あなた、本当に動じないのねえ」
動じていては、花嫁の支度はできない。
肩甲骨の内側に指を入れると、布の下の体がぴくりと反った。巻いた布の合わせ目が少しゆるんだので、俺は黙って上から押さえ直した。こういうときに何も言わないのが、一流である。
耳の先から首すじまで、桜色に染まっていた。血のめぐりがよくなった証拠だ。たぶん、半分くらいは。
*
彼女は、ずっと喋っていた。
昔治した患者の笑い話。ギルドの受付嬢の噂。王都でいちばんおいしい焼き菓子の店。うちのリーダーが兜のまま湯屋に入ろうとした話。4年も組んでいるのに、3人とも互いの顔を知らないという話。聞かれたくないことは聞かない、という決まりなのだそうだ。
明るい声で、途切れなく。
前世の店にも、こういうお客様がいた。椅子に座っている間じゅう、楽しい話をし続ける人だ。
そういう人はたいてい、黙るのが怖い。
肩は、まだ固かった。
この固さには覚えがある。姿勢を保っている人の肩だ。背すじを伸ばして、胸を張って、にこにこしている。それを何年も、1日も休まずに続けてきた人の肩である。
「力を、抜いてください」
3度目だった。
声は小さくした。頼むのではなく、許すつもりで言った。
彼女の話が、途中で止まった。
焼き菓子の店の、2軒目の名前を言いかけたところだった。
店の中が静かになる。炉の上で、湯の沸く音だけがしている。
手の下で、肩が少しずつ下がっていった。板のようだった首すじがゆるむ。張っていたものが、ほどけていく。
蒸し布の端から、水が1すじ流れた。
湯気のしずくではなかった。
「……あら」
彼女の声が、震えていた。
「ごめんなさい。なんでかしら。おかしいわねえ」
笑おうとしている。声だけが、うまく笑えていない。
俺は何も聞かなかった。
「蒸し布を、替えますね」
新しい布を炉で温めて、目の上にのせ直した。さっきより少し大きいやつだ。
泣いているところを、誰にも見られずに済む大きさである。
それから黙って、肩をほぐし続けた。
しばらくして、布の下から小さな声がした。
「……治癒師ってね。触る側なのよ」
「はい」
「毎日、何十人も触るの。でも、触られる側になることは、ないの」
それきり、彼女は何も言わなかった。
俺も聞かない。お客様が自分から話すまで、美容師は待つ。
*
終わるころには、彼女の肩は元の位置より指2本ぶん下がっていた。
温かいお茶を1杯出す。前世で、弟子の話を聞いたあとにいつもそうしていた。
彼女は布を巻いたまま、両手で器を包んで飲んだ。目のふちが少し赤い。炭を落とした頬は、油を吸ってしっとりと光っている。
「みっともないところを見せちゃった」
「いえ。椅子で泣かれるお客様は、めずらしくありません」
「そうなの?」
「前の店では、週に3人はいらっしゃいました」
「……そんなに泣かせてたの? ひどい店主さんねえ」
いつもの調子が、少し戻っていた。
彼女は器を置いて、布のかかった鏡のほうを見た。
「ねえ。鏡、見せてちょうだい」
明るい声だった。器を置いた手は、少し震えていた。
俺は布を外した。
彼女は鏡の前に立って、自分の顔を見た。ひびのない頬に、指先でそっと触れる。
長いこと、黙っていた。
「……あらあら」
やがて、いつもの声で言った。
「ひびがないわ。描き直さなきゃ、外を歩けないわねえ」
彼女は懐から炭を出した。鏡に顔を寄せて、頬に線を引こうとする。
炭が、頬の手前で止まった。
3つ数えるくらいの間、そのままだった。
「…………今日は、いいわ」
炭が懐に戻る。
「布で隠れるもの。もったいないじゃない。せっかく、こんなに気持ちよくしてもらったのに」
俺は何も言わずに、頭を下げた。
*
彼女は綿入れを3枚着こんで、元のずんぐりした姿に戻った。俺はその間、また棚のほうを向いていた。
「お代は、銀貨4枚です」
台の上に、銀貨が4枚置かれた。
その隣に、もう2枚。
「これは、お茶代」
「お茶はお出ししただけで」
さらに3枚。
「これは、口止め料」
「いただけません」
さらに5枚。
「これは、塀の修理代。うちの小さい子が穴をあけたんでしょう?」
「ご本人から、きっちりいただいております」
「あら、じゃあ2回ぶんね。次にあけたときの」
最後に、紙包みがひとつ。
「これは、王都でいちばんおいしい焼き菓子」
「カタリーナ様」
「受け取れない? じゃあ、置いていくわね」
置いていかれた。金貨を置いていく人と、理屈は同じである。このパーティーは、全員お釣りという考え方を知らないのか。1人だけ知っていた。
「それから、予約というのがあるんでしょう? うちのリーダーが、宿の壁に日付を書いて数えてたわ」
「ございます」
「じゃあ、3日後のお昼すぎに。……あの子たちには、内緒にしてね」
3人目である。
3人全員に、内緒にすることになった。3人とも同じパーティーで、3人とも互いに気づいていない。いや、1人は全部気づいたうえで黙っている。
板ばさみが、三角形になった。
彼女は口もとの布を直して、戸口で振り返った。
「次は、泣かないようにするわね」
「泣いていただいて構いません。蒸し布は、何枚でもございます」
垂れた目が、少しだけ見開かれた。
それから、今日いちばんやわらかく細くなった。
「……ひどい店主さんねえ」
鈴が鳴って、ずんぐりしたローブが通りに出ていく。
角を曲がって見えなくなった。
30も数えないうちに、反対の角から、がしゃん、がしゃんと音が近づいてきた。
鼻歌が聞こえる。兜の中で反響して、たしかにすごい。
心臓に悪い店である。
その夜、帳面を開いた。
来店:12名(うち再来店8名)
売上:銀貨24枚
預かり金:金貨4枚弱
その他:お茶代、口止め料、塀の修理代(2回目ぶん)、焼き菓子
断った男性客:82名
備考:泣かれた。今度のは、泣いていただいてよかった




