↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
前世で予約3か月待ちだった美容師の俺、美醜逆転の異世界で開業したら客が3人しか来ない ~その3人がSランク冒険者で、予約枠を奪い合っている~  作者: 中原九尾
第1部 開業と3人の客

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/11

第6話 力を抜いてください

 開店28日目。


 昼のお客様は、今日も前髪を紙1枚ぶん切って帰っていった。


 夕方には、兜のお客様の予約が入っている。3日おきの洗髪である。


 それまでは暇だ。俺は椅子の革を拭きながら、2枚目の張り紙の文面を考えていた。


  塀を撃たないでください


 美容室の張り紙として、いよいよ何の店か分からなくなってきた。


 扉の鈴が鳴った。


「こんにちはあ。開いてるかしら」


 明るい声だった。


   *


 入ってきたのは、厚いローブの人だった。


 昨日、通りの向かいから手を振っていた人である。


 背が高い。ローブは足首まであって、綿でも入っているのか、全体にずんぐりと丸い。頭には頭巾。口もとは薄布で覆っている。見えているのは目もとだけだ。


 その目が、にこにこと笑っていた。少し垂れた、やわらかい目である。左の目尻に、小さなほくろがひとつある。


「いらっしゃいませ」


「まあ、きれいなお店。瓶がたくさん。あれは何? 油? いい匂いねえ」


 よく喋る人だった。


 店をひと回りして、棚の瓶をひとつずつのぞきこみ、椅子の背をなで、張り紙を読んで声を上げて笑った。


「魔法はご遠慮ください、ですって。うちの小さい子が何かしたのね?」


 来た、と思った。


 5日前、俺は「蜥蜴」のひと言で、お客様の秘密を3秒で漏らしている。同じ失敗は二度しない。


「申し訳ありません。お客様のことは、お話しできないんです」


「あら、口が堅いのねえ。えらいわ」


 彼女は椅子に腰を下ろして、ひじ掛けに頬杖をついた。


「じゃあ、私が勝手に話すわね。兜の子が、3日おきの夕方。フードの子が、毎日のお昼。合ってる?」


「お答えできません」


「今、右の眉が動いたわ」


「…………」


「私、治癒師なの。人の顔色を読むのが仕事なのよ」


 口を閉じていても漏れる。俺の守秘義務は、このパーティーとの相性が悪すぎる。


   *


 お客様は、カタリーナと名乗った。


 兜のお客様とフードのお客様の、パーティーの仲間だそうだ。


「だっておかしいんですもの。うちのリーダー、このごろ鼻歌を歌うのよ。兜の中で。反響してすごいの」


「さようでございますか」


「小さい子のほうは、フードを上げて歩いてるし。柱にもぶつからなくなったし。2人とも、どこへ行くのか言わないし」


 それで4日かけて、あとをつけたのだという。Sランクの冒険者が、仲間の尾行に4日である。


「それでね、店主さん」


 垂れた目が、いっそう細くなった。


「私にも、同じことをしてちょうだい。仲間はずれは嫌なの」


 お客様である。


 女性のお客様が、4人目である。うち3人が同じパーティーだ。客層が偏っている。


「かしこまりました。では、少し拝見します」


 見えているのは、目もとと手だけだった。


 手は荒れている。指の関節が赤い。治癒師は傷口を酒で洗うので、手の脂が抜けるのだろう。


 目もとは。


 俺は少し顔を寄せた。


 目の下から頬骨にかけて、細いひびが何本も走っている。この世界の美人の条件だ。


 ただ、妙だった。ひびの縁が、どれも同じ太さをしている。


「……失礼ですが。そのひび、描いていらっしゃいますね」


 にこにこしていた目が、ぴたりと止まった。


 ほんの1秒である。すぐにまた笑った。


「あら。ばれたの、初めてよ」


「眉用の炭ですか」


「そう。毎朝、30分かけて描くの。うまいものでしょう?」


「お上手です。線に迷いがありません」


「褒められちゃった」


 彼女は口もとの布の下で、くすくす笑った。


「このローブもね、綿入れを3枚重ねてあるのよ。夏は地獄。でも、こうしておけば遠目には立派に見えるでしょう?」


 立派、というのは、この世界では太っているという意味である。


 兜のお客様は隠した。フードのお客様も隠した。


 この人は、合わせにいっている。ひびを描き、綿を重ね、明るく笑って、世間の物差しの内側に入ろうとしている。


 3人の中で、いちばん骨が折れるやり方だと思った。


   *


「本日は、お肌のお手入れをご提案します。お顔から首、肩までです」


「まあ、素敵」


「つきましては、ローブを」


「脱がないわよ?」


 笑顔のまま、即答だった。


 かぶりものを脱いでいただく交渉は、通算3件目である。俺も慣れてきた。


 鏡に布をかけ、鎧戸を閉め、鍵をかける。


「お顔は必要なところしか見ません。当店の標準の手順です」


「あらあら、手際がいいのねえ。……でも、襟を少し下げるだけじゃだめ?」


 彼女は首もとの布を、指1本ぶん下げた。


「あごしか出ておりません」


「じゃあ、これで」


 指2本ぶん。


「あごと、あごの下が出ました」


「欲ばりねえ」


「肩まで、お願いいたします」


 彼女は笑いながらため息をついた。それから口もとの薄布を外し、頭巾を取った。


 髪は栗色だった。頭の後ろで、石のように固くまとめてある。


 顔は見ない。約束である。俺は後ろに回って、壁の棚のほうを向いた。


「施術用の布をお渡しします。肩を出して、胸もとに巻いてください。巻き終わったら、声をかけていただけますか」


「はあい」


 背中で、布のこすれる音がした。


 1枚。どさり、と重いものが床に落ちる。


 2枚。どさり。


 3枚。どさり。


 本当に3枚あった。床が揺れた気がする。あとで見たら、綿入れだけで長持ひとつぶんの山になっていた。


「いいわよ」


 振り向いた。


 椅子の上に、さっきの半分の幅の人が座っていた。


 縮んでいる。綿3枚ぶん、きれいに縮んでいる。


 白い布を胸の上で巻いて、肩と腕を出している。首が長い。うなじから肩へ落ちる線が、なだらかで、やわらかい。布の下の体つきは、巻いた布ごしでも分かった。


 前世の言葉で言えば、週刊誌の巻頭を飾る体である。


 俺は美容師だ。花嫁の着付けを何百とやってきた。動じない。


 動じないが、綿3枚でこれを隠していたのか、とは思った。夏は地獄だろう。


「……ねえ。黙らないでちょうだい。怖いじゃないの」


「失礼しました。肩がよく凝っていらっしゃるな、と」


「そっち?」


   *


 椅子を倒して、後ろに立つ。


 まず、描いたひびを落とす。木の実の油を指に取って、頬の上でくるくるとなじませた。炭の線が浮いて、布でぬぐうと消えていく。


「先に申し上げておきますが、俺は目が逆でして」


「変わった目ねえ。世間と反対に見えるの?」


「はい。ですので、俺が何か申し上げても、世間の物差しとは別の話だと思ってください」


「ふうん。じゃあ聞くけど」


 彼女は目を閉じたまま、明るく言った。


「どう? ひどいでしょう。笑っていいのよ。私は慣れてるから」


 炭を落とした頬には、ひびの1本もなかった。きめが細かく、少し乾いているが、白くてなめらかだ。垂れた目に長いまつ毛。ふっくらした唇。目尻のほくろ。


 笑うところを探した。


「笑うところが、見つかりません」


「…………」


「乾燥はしていらっしゃいます。酒で手を洗ったあと、顔を触っていませんか」


「……触ってるわ」


「それです」


 蒸し布を顔にのせる。目の上まで、すっぽりと。


 その間に、首と肩に取りかかった。


 油を手のひらで温めて、耳の下から首すじへ、ゆっくり流していく。


「ひゃ」


 肩が跳ねた。


「冷たかったですか」


「ち、違うの。びっくりしただけ。人に触られるの、慣れてなくて」


「力を抜いてください」


「抜いてるわよ?」


 抜けていない。首から肩にかけて、板のように張っている。


 親指で、うなじの際を押していく。そこから肩の先へ。鎖骨の上のくぼみを、指の腹でやさしくなぞる。


「ん……っ」


 蒸し布の下から、声がもれた。


 彼女のほうが慌てた。


「ち、違うのよ! 今のは、その、変な意味じゃなくて」


「ここが凝っている方は、皆さんそういうお声が出ます」


「皆さん出るの!?」


「出ます。力を抜いてください」


「……あなた、本当に動じないのねえ」


 動じていては、花嫁の支度はできない。


 肩甲骨の内側に指を入れると、布の下の体がぴくりと反った。巻いた布の合わせ目が少しゆるんだので、俺は黙って上から押さえ直した。こういうときに何も言わないのが、一流である。


 耳の先から首すじまで、桜色に染まっていた。血のめぐりがよくなった証拠だ。たぶん、半分くらいは。


   *


 彼女は、ずっと喋っていた。


 昔治した患者の笑い話。ギルドの受付嬢の噂。王都でいちばんおいしい焼き菓子の店。うちのリーダーが兜のまま湯屋に入ろうとした話。4年も組んでいるのに、3人とも互いの顔を知らないという話。聞かれたくないことは聞かない、という決まりなのだそうだ。


 明るい声で、途切れなく。


 前世の店にも、こういうお客様がいた。椅子に座っている間じゅう、楽しい話をし続ける人だ。


 そういう人はたいてい、黙るのが怖い。


 肩は、まだ固かった。


 この固さには覚えがある。姿勢を保っている人の肩だ。背すじを伸ばして、胸を張って、にこにこしている。それを何年も、1日も休まずに続けてきた人の肩である。


「力を、抜いてください」


 3度目だった。


 声は小さくした。頼むのではなく、許すつもりで言った。


 彼女の話が、途中で止まった。


 焼き菓子の店の、2軒目の名前を言いかけたところだった。


 店の中が静かになる。炉の上で、湯の沸く音だけがしている。


 手の下で、肩が少しずつ下がっていった。板のようだった首すじがゆるむ。張っていたものが、ほどけていく。


 蒸し布の端から、水が1すじ流れた。


 湯気のしずくではなかった。


「……あら」


 彼女の声が、震えていた。


「ごめんなさい。なんでかしら。おかしいわねえ」


 笑おうとしている。声だけが、うまく笑えていない。


 俺は何も聞かなかった。


「蒸し布を、替えますね」


 新しい布を炉で温めて、目の上にのせ直した。さっきより少し大きいやつだ。


 泣いているところを、誰にも見られずに済む大きさである。


 それから黙って、肩をほぐし続けた。


 しばらくして、布の下から小さな声がした。


「……治癒師ってね。触る側なのよ」


「はい」


「毎日、何十人も触るの。でも、触られる側になることは、ないの」


 それきり、彼女は何も言わなかった。


 俺も聞かない。お客様が自分から話すまで、美容師は待つ。


   *


 終わるころには、彼女の肩は元の位置より指2本ぶん下がっていた。


 温かいお茶を1杯出す。前世で、弟子の話を聞いたあとにいつもそうしていた。


 彼女は布を巻いたまま、両手で器を包んで飲んだ。目のふちが少し赤い。炭を落とした頬は、油を吸ってしっとりと光っている。


「みっともないところを見せちゃった」


「いえ。椅子で泣かれるお客様は、めずらしくありません」


「そうなの?」


「前の店では、週に3人はいらっしゃいました」


「……そんなに泣かせてたの? ひどい店主さんねえ」


 いつもの調子が、少し戻っていた。


 彼女は器を置いて、布のかかった鏡のほうを見た。


「ねえ。鏡、見せてちょうだい」


 明るい声だった。器を置いた手は、少し震えていた。


 俺は布を外した。


 彼女は鏡の前に立って、自分の顔を見た。ひびのない頬に、指先でそっと触れる。


 長いこと、黙っていた。


「……あらあら」


 やがて、いつもの声で言った。


「ひびがないわ。描き直さなきゃ、外を歩けないわねえ」


 彼女は懐から炭を出した。鏡に顔を寄せて、頬に線を引こうとする。


 炭が、頬の手前で止まった。


 3つ数えるくらいの間、そのままだった。


「…………今日は、いいわ」


 炭が懐に戻る。


「布で隠れるもの。もったいないじゃない。せっかく、こんなに気持ちよくしてもらったのに」


 俺は何も言わずに、頭を下げた。


   *


 彼女は綿入れを3枚着こんで、元のずんぐりした姿に戻った。俺はその間、また棚のほうを向いていた。


「お代は、銀貨4枚です」


 台の上に、銀貨が4枚置かれた。


 その隣に、もう2枚。


「これは、お茶代」


「お茶はお出ししただけで」


 さらに3枚。


「これは、口止め料」


「いただけません」


 さらに5枚。


「これは、塀の修理代。うちの小さい子が穴をあけたんでしょう?」


「ご本人から、きっちりいただいております」


「あら、じゃあ2回ぶんね。次にあけたときの」


 最後に、紙包みがひとつ。


「これは、王都でいちばんおいしい焼き菓子」


「カタリーナ様」


「受け取れない? じゃあ、置いていくわね」


 置いていかれた。金貨を置いていく人と、理屈は同じである。このパーティーは、全員お釣りという考え方を知らないのか。1人だけ知っていた。


「それから、予約というのがあるんでしょう? うちのリーダーが、宿の壁に日付を書いて数えてたわ」


「ございます」


「じゃあ、3日後のお昼すぎに。……あの子たちには、内緒にしてね」


 3人目である。


 3人全員に、内緒にすることになった。3人とも同じパーティーで、3人とも互いに気づいていない。いや、1人は全部気づいたうえで黙っている。


 板ばさみが、三角形になった。


 彼女は口もとの布を直して、戸口で振り返った。


「次は、泣かないようにするわね」


「泣いていただいて構いません。蒸し布は、何枚でもございます」


 垂れた目が、少しだけ見開かれた。


 それから、今日いちばんやわらかく細くなった。


「……ひどい店主さんねえ」


 鈴が鳴って、ずんぐりしたローブが通りに出ていく。


 角を曲がって見えなくなった。


 30も数えないうちに、反対の角から、がしゃん、がしゃんと音が近づいてきた。


 鼻歌が聞こえる。兜の中で反響して、たしかにすごい。


 心臓に悪い店である。


 その夜、帳面を開いた。


  来店:12名(うち再来店8名)

  売上:銀貨24枚

  預かり金:金貨4枚弱

  その他:お茶代、口止め料、塀の修理代(2回目ぶん)、焼き菓子

  断った男性客:82名

  備考:泣かれた。今度のは、泣いていただいてよかった

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。