第4話 前髪、切りますね
開店23日目。
俺は朝から予約表を眺めていた。
2日後 夕方 ジークリット様 洗髪とお手入れ
1行である。たった1行だが、あるとないとでは大違いだ。前世で3か月ぶんの予約に追われていたころは、予約表を見るたびに胃が痛んだ。今は見るたびに顔がゆるむ。
人間、足りないくらいがちょうどいいのかもしれない。
いや、足りなさすぎる。家賃は金貨のお釣りから出ているのだ。
「レン、髭を」
「親方の店へどうぞ」
65人目を送り出して、昼飯のパンを噛んでいたときだった。
扉の鈴が鳴った。
戸口に、小さな人影が立っていた。
*
背丈は俺の胸までしかない。
灰色のフードを目の下まで深く下ろしている。フードの下からは、さらに黒い前髪が鼻の先まで垂れていた。二重の守りである。顔で見えているのは、小さなあごと口もとだけだ。
手には、自分の背より長い杖を持っている。
「いらっしゃいませ。お嬢ちゃん、おつかいかな。お母さんは一緒?」
人影は動かなかった。
かわりに、ローブの内側から金属の札を1枚出して、俺の顔の前に突きつけた。
冒険者の登録証だった。生まれ年が刻んである。
「22歳」
「……大変、失礼いたしました」
「成人。酒も飲める。飲まないけど」
「申し訳ございません」
「よく間違われる。慣れてる。でも毎回、札は出す」
声は小さくて平らだった。怒っているのかどうか、まったく分からない。
彼女は札をしまって、店の中に3歩入った。
「質問がある。3つ」
「はい」
「1つ目。この3日のうちに、兜をかぶった女が来た?」
来た。2日続けて来た。予約まで入れて帰った。
しかし美容師には、守らなければならないものがある。
「申し訳ありません。お客様のことは、お話しできないんです」
「そう」
フードが少しうなずく。
「2つ目。その女に、何の術をかけたの」
「術はかけておりません」
「嘘。彼女は昨日、岩を斬った」
「蜥蜴とうかがっていますが」
店の中が静かになった。
「……今、蜥蜴と言った」
「言いましたね」
「蜥蜴の話を知ってる。つまり彼女は来た。昨日の討伐のあとにも来た。確定」
前世の20年で、お客様の秘密を漏らしたことは一度もない。その記録が、開店23日目に3秒で破られた。
「正確には、蜥蜴の後ろの岩ごと斬った。背甲も割らずに」
「さようでございますか」
「3つ目」
杖の先が、こつんと床を打った。
「代償は何。寿命? 魂? それとも、あとから取り立てる類いのもの?」
「銀貨3枚です」
「…………」
「洗髪だけなら2枚になります」
フードの奥から、長い息が聞こえた。
*
小さなお客様は、ミルテと名乗った。
ジークリット様と同じパーティーの魔術師だという。リーダーの様子が急におかしくなったので、原因を調べに来たのだそうだ。本人に聞いても、どこで髪を切ったのか答えなかったらしい。
「仮説は3つあった」
彼女は懐から帳面を出して開いた。細かい字がびっしり並んでいる。
「1、呪い。2、魔剣にすり替えられた。3、寿命を前借りする禁術」
「どれも違います」
「口では何とでも言える。だから検証する」
「検証?」
「彼女にしたのと同じことを、私にして。全部記録する」
つまり、お客様である。
女性のお客様が、3人目である。
にやけそうになる顔を、20年の接客で鍛えた筋肉で押さえこんだ。
「かしこまりました。ではフードを」
「取らない」
やっぱりか、と思った。
「恐れ入りますが、フードの上からでは洗えません」
「理由を、論理的に説明して」
「布が濡れます」
「……妥当」
通った。兜のお客様のときより、ずいぶん話が早い。
俺は壁の鏡に布をかけ、鎧戸を閉め、扉に鍵をかけた。
「お顔は見ません。後ろ頭だけを見ます。当店の標準の手順でございます」
「標準なの?」
「おとといから標準になりました」
*
フードの下から出てきたのは、黒い髪だった。
長い。腰まである。何年も鋏を入れていない長さだ。
そして、いろいろなものが入っていた。
まず、羽ペンの羽の切れ端が3つ。次に、干からびたインクのかたまり。毛先は何か所か、ちりちりに焦げている。
「この焦げは」
「ろうそく。本を読んでると、近づきすぎる」
「なるほど」
指を通していくと、何か固いものに当たった。
そっと引き出す。革の栞だった。
「……栞が出てきました」
「探してた」
もう少し奥から、干したあんずが1個出てきた。
「あんずが」
「それは、探してない」
彼女はあんずを受け取って、しばらく見つめていた。
「……まだ、食べられる?」
「いつのものか分かりませんので、おすすめいたしません」
あんずは、しぶしぶ懐にしまわれた。捨てないらしい。
いちばん奥、うなじの近くから、小さな真鍮の鍵が出てきた。
彼女の肩が、初めてぴくりと動いた。
「……それ」
「はい」
「3年前になくした、書庫の鍵」
「3年間、こちらにあったようです」
ミルテ様は鍵を受け取って、しばらく黙っていた。それから帳面に何か書きこんだ。
「記録。店主、失せ物探しの能力あり」
「ございません」
*
椅子を倒すと、彼女は杖を握りしめた。ただ、剣と違って杖は抜けないので、俺の寿命は縮まなかった。
顔に乾いた布をかけて、湯をかける。
「記録を続ける。帳面を」
「お顔に布がかかっておりますので、書けないかと」
「……口で言う。あとで書く」
指の腹で、頭皮をほぐしていく。
ジークリット様の頭は鉄板だった。こちらは逆で、やわらかいが冷たい。血のめぐりがよくない。1日じゅう下を向いて本を読んでいる人の頭である。
「記録。湯をかけられた。温度は適切」
「ありがとうございます」
「記録。指で頭を押されている。害意は感じない」
「ございませんので」
「記録。…………気持ち、いい」
少し間があった。
「今のは記録しない」
「かしこまりました」
石けんで2度洗い、髪油をなじませる。焦げた毛先は、切り落とすことにした。
油をなじませ終えたとき、彼女が急に息をのんだ。
「……待って」
「どこか痛みますか」
「違う。流れてる」
「何がでしょう」
「魔力。頭から首、背中まで。いつもと、流れ方が違う」
彼女の声が、初めて速くなった。
「髪は傷めるもの。灰の水をかけて、乾かして、ぱさぱさにするもの。何百年も、ずっとそう。誰も疑わない。私も疑ったことがない」
布の下で、小さな口が動き続ける。
「だから、誰も知らない。傷んだ髪じゃなくて、整った髪だと、どうなるのか」
おとといのことを思い出した。結び目をほどき終えたとき、ジークリット様の髪の根元がかすかに光った。目の疲れだと思っていた。
どうやら、目の疲れではなかったらしい。
「仮説4」
ミルテ様が言った。
「ジークリットは強くなったんじゃない。もともとの強さに、戻っただけ。……かもしれない」
「俺は、髪を洗っただけなんですが」
「そう。それが、いちばん信じられない」
*
椅子を起こして、後ろから切っていく。
長さは背中の真ん中まで残すことにした。本人の希望である。短くすると、首が出て落ち着かないらしい。
後ろと横が終わって、残るは前だ。
俺は鋏を持ち直して、いつもの台詞を言った。
「前髪、切りますね」
「だめ」
即答だった。
「理由を、論理的にうかがっても」
さっきのお返しである。フードのない後ろ頭が、少しむっとしたように見えた。
「前髪は、遮蔽物。見られないための」
「はい」
「それと、見ないための」
「見ない、というのは」
「窓。水たまり。磨いた盾。……顔が映るもの全部」
彼女の声が、また小さく平らに戻っていた。
俺は鋏を下ろした。
「ひとつ、うかがってもよろしいですか。その前髪ですと、前はどのくらい見えていらっしゃるんでしょう」
「見えてる。隙間から」
「何割ほど」
「…………3割」
「3割で、魔法を撃っていらっしゃる」
「当たる」
「それは、たいしたものです」
本心だった。前世で言えば、目隠しをして針に糸を通すようなものである。
「では、7割見えたら、どうなるんでしょうね」
彼女は黙った。
長い沈黙だった。帳面をめくる音がする。何かを計算しているらしい。
「……検証の、価値はある」
「ありがとうございます」
「でも、前に回ったら顔を見る」
「見ることになります。先に申し上げておきますが、俺は目が逆でして」
「逆?」
「世間が美しいと言うものがそう見えず、醜いと言うものがきれいに見えます。おかげで店がこのとおりです」
「……変な目」
「よく気の毒がられます」
*
前に回った。
そして俺は、奥歯を噛みしめた。
言うな。言うなよ、俺。おとといはそれで剣を抜かれかけたのだ。
黒い前髪の下にあったのは、大きな目だった。夜の色をしている。小さな顔に、小さな鼻と口。肌は白く、ずっと日に当たっていない人の白さである。
前世の言葉で言えば、アイドルグループの真ん中に立つ顔だ。
22歳だと、登録証は言っていた。信じる。信じるが、札を出されなければ今でも迷う。
「…………」
「何か言って」
「お顔立ちが、はっきりしていらっしゃいます」
「遠回し。醜いなら、醜いと言えばいい」
「言いません」
「なぜ」
「思っていないので」
大きな目が、2回まばたきをした。
「……目が逆なのは、本当らしい」
彼女は帳面に書きこんだ。
「記録。店主、視覚に異常あり」
「異常ではなく個性ということで、ひとつ」
前髪は、眉がちょうど隠れる長さで切りそろえた。目にかからず、本を読むときにも落ちてこない長さだ。
ついでに眉も整える。伸び放題だったので、鋏で長さをそろえ、はみ出したぶんを少し剃った。眉を整えるだけで、目もとの印象はずいぶん変わる。化粧の入り口である。
切っている間、彼女はきつく目を閉じていた。まぶたが震えている。
「終わりました。目を開けていただいて大丈夫です」
鏡には布がかかっている。映るものは何もない。
彼女は、そろそろと目を開けた。
そして、動かなくなった。
*
「……広い」
最初に出た言葉は、それだった。
大きな目が、店の中をゆっくり動いていく。天井の梁。棚に並んだ油の瓶。鎧戸の隙間から落ちる、細い光の筋。
「瓶が、14本ある」
「ございます」
「天井に、梁が3本」
「ございますね」
「右と左が、同時に見える」
彼女は自分の両手を目の前に上げて、ひっくり返して、また戻した。
「世界は、こんなに横幅があったの」
何年ぶんの隙間だったのだろう、と思った。
3割の視界で本を読み、3割の視界で魔法を撃ち、3割の視界で仲間の背中を見てきたのだ。
俺は何も言わずに待った。こういうときに美容師が口を挟むのは、野暮である。
しばらくして、彼女は杖を取った。
「検証する」
「検証?」
杖の先に、ぽっと火がともった。
ろうそくほどの火、のつもりだったのだろう。実際に出たのは、たいまつほどの火柱だった。天井の梁の手前まで伸びて、ぎりぎりで止まる。
「…………」
「…………」
「出力、2割増し。照準は、杖の先から少しもずれない」
「ミルテ様」
「何」
「店内での魔法は、ご遠慮いただけますか」
「……妥当」
火が消えた。梁は無事だった。
明日、張り紙を1枚作ることにする。
*
彼女は銀貨を3枚、きっちり数えて台に置いた。お釣りの出ない、気持ちのいいお支払いである。金貨を置いていく人とは対照的だ。
「結論」
「はい」
「呪いではない。害もない。ただし、仕組みは未知。継続して調べる必要がある」
「と、おっしゃいますと」
「明日も来る」
俺は予約表を広げた。
「では、ご予約を」
「よやく?」
「あらかじめ、次にお越しになる日を決めておくんです」
「明日。明後日。その次も」
「髪は毎日洗うと傷みます。3日おきがよろしいかと」
「髪以外は」
「以外?」
「髪以外に、手入れするところはないの」
言われて、彼女の手もとに目が行った。杖を握る指先。爪が割れて、ささくれている。インクが爪の間にしみこんでいた。
ある。大いにある。
ただ、それは明日の話だ。
「明日、ご相談しましょう」
明日 昼 ミルテ様 ご相談
予約表が2行になった。倍である。
彼女はフードをかぶり直した。いつものように、目の下まで引き下ろす。
そのまま歩き出して、扉の横の柱にぶつかった。
「…………」
「大丈夫ですか」
「見えない」
それはそうだ。今までは前髪の隙間とフードの隙間を合わせて、3割を確保していたのである。前髪がなくなった今、フードを下ろせば0割になる。
彼女はしぶしぶ、フードを眉の高さまで上げた。夜の色の目が、片方だけのぞいている。
「不便」
「申し訳ありません」
「前髪のせい」
「前髪のおかげ、と言っていただけると」
彼女は答えずに鍵を開けた。戸口で、半分だけ振り返る。
「ジークリットには、私が来たこと、言わないで」
「お客様のことは、お話ししません」
「さっき蜥蜴って言った」
「……気をつけます」
鈴が鳴って、小さな背中が通りに出ていく。
少し歩いて、立ち止まった。右を見て、左を見て、空を見上げる。それからまた歩き出した。3歩ごとに、きょろきょろしている。
帳面を開いた。
来店:4名(うち再来店1名)
売上:銀貨8枚
預かり金:金貨2枚弱
断った男性客:65名
備考:髪から鍵。店内で火。梁は無事
備考欄が、だんだん美容室の帳面ではなくなってきた。




