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前世で予約3か月待ちだった美容師の俺、美醜逆転の異世界で開業したら客が3人しか来ない ~その3人がSランク冒険者で、予約枠を奪い合っている~  作者: 中原九尾
第1部 開業と3人の客

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第2話 兜は脱いでいただけますか



 兜をかぶったお客様の髪を、どうやって切るか。


 ひと晩考える時間がほしい。しかしお客様は、もう目の前に立っている。


 それに、20日ぶりの女性のお客様である。逃がすわけにはいかない。


「かしこまりました。兜はそのままで結構です」


 言ってから、どうするんだ俺、と思った。


   *


 鎧のお客様は、がしゃんと音を立てて椅子に座った。


 椅子が悲鳴を上げた。大工と3日かけて相談した椅子である。鎧を着た人が座ることまでは相談していない。


「鎧も、そのままですか」


「そのままだ」


「かしこまりました」


 かしこまるしかない。


 俺は椅子の後ろに立って、兜を観察した。


 継ぎ目のない鉄の塊だ。あごの下で革の帯を留めてある。裾から、くすんだ金色の毛先が何本かはみ出していた。


 まずは、できることからやってみる。


 はみ出した毛先を、鋏で切りそろえた。


「……終わりました」


「もうか」


「兜から出ている部分は、きれいにそろっております」


 沈黙が落ちた。


「中は」


「中は、兜がありますので」


「隙間から鋏を入れればいい」


「目のところの隙間ですか」


「そうだ」


「そこから鋏を入れる美容師を、信用なさってはいけません」


 兜が少しうつむいた。考えているらしい。


「では、兜を少しだけ持ち上げる。その間に切れ」


「何秒ほど」


「3秒」


「3秒で切れるのは、お客様の耳だけです」


 また沈黙。鎧の肩が、わずかに落ちる。


 俺は鋏を置いて、椅子の横にしゃがんだ。目の隙間と同じ高さになる。お客様と話すときは、見下ろさない。前世からの決まりである。


「差し支えなければ、うかがってもよろしいですか。なぜ、うちの店に」


「……噂を聞いた」


「女を醜くする店、という」


「そうだ」


 兜の奥の声は、低くて平らだった。


「私はもう、これ以上醜くなりようがない。なら、どこで切っても同じだ」


 なるほど、と思った。


 顔を隠して暮らす人がいる、と母さんが言っていた。布を巻いたり、頭巾をかぶったり。


 兜は聞いていない。兜は聞いていないが、理屈は同じだろう。


「ほかの店には行けなかった。兜を脱げば、店の者が気の毒そうな顔をするだろう。客は席を立つだろう。……自分で切っていたが、後ろに手が届かない」


「短剣で、ですか」


「なぜ分かる」


「はみ出した毛先の切り口が、斜めでしたので」


 職業病は、こういうときだけ役に立つ。


「では、こうしましょう」


 俺は立ち上がって、壁の鏡に布をかけた。蒸し布用の、いちばん大きいやつだ。


「鏡は隠します。窓の鎧戸も閉めます。看板も下ろして、扉に鍵をかけます。俺は後ろに立って、後ろ頭だけを見ます。お顔は見ません」


「……前髪は」


「前髪は、最後にご相談ということで」


 兜は長いこと動かなかった。


 それから、革の帯に手がかかった。


   *


 兜が外れた瞬間、まず湯気が出た。


 比喩ではない。本当に出た。


 朝からかぶっていたのだろう。鉄の中に1日ぶんの熱がこもっている。夏場の厨房の寸胴鍋と同じ仕組みだ。


 外した兜の置き場がないので、荷物用のかごをお出しした。かごの底が抜けた。


 そして、髪。


 約束どおり、俺は後ろ頭だけを見ていた。見ていたが、それだけで十分にひどかった。


 金色の髪が、肩のあたりでばらばらの長さに切られている。右は肩につき、左はあごまでしかない。後ろは手が届かなかったらしく、背中の半ばまで伸びて、汗で固まり、兜の内側の形に平たくつぶれていた。


 ところどころに、小さな結び目ができている。革の帯に巻きこまれて、ちぎれた跡もあった。


 美容師として、言いたいことが40個ほどある。


 しかし全部のみこんだ。初めてのお客様に説教をする美容師は、二流である。


「……ひどいだろう」


「いえ」


「正直に言え」


「短剣にしては、お上手です」


 彼女の肩が、ふっと揺れた。笑ったのかもしれない。


   *


「では、まず洗います。椅子が倒れますので」


「倒れる?」


 背もたれを寝かせた瞬間、彼女の右手が剣の柄に飛んだ。


 速かった。目で追えなかった。気づいたときには、鞘から指3本ぶんの刃がのぞいていた。


「椅子です。椅子が寝ただけです」


「……なぜ椅子が寝る」


「大工にも同じことを聞かれました」


 刃が鞘に戻る。俺の寿命も少し戻った。


 ぬるま湯を頭にかける。約束どおり、俺は彼女の頭の後ろ側に立ったままだ。顔の上には乾いた布を1枚かけてある。前世のシャンプー台と同じやり方で、これなら見ずに洗える。


 指の腹で、頭皮をゆっくりほぐしていく。


 固い。鉄板のようだ。1日じゅう兜の重さを支えている頭である。


「おかゆいところは、ございませんか」


「……全部だ」


「全部?」


「兜の中は、蒸れる。かゆくても、かけない。戦いの最中は、特に」


 それはつらい。魔物と斬り合いながら頭がかゆいのは、想像するだけでつらい。


「では、全部いきます」


 全部いった。


 石けんを泡立てて、生え際から襟足まで、指を細かく動かしていく。1度目はほとんど泡が立たなかった。2度目でようやく白い泡が立ち、3度目で、金色がくすみの下から出てきた。


 彼女は何も言わなかった。


 ただ、がちがちだった肩の板金が、少しずつ椅子に沈んでいく。剣の柄を握っていた右手が、ひじ掛けの上にほどけて落ちた。


「……これは」


「はい」


「これは、何という術だ」


「洗髪です」


「せんぱつ?」


「髪を洗っております」


「洗うだけで、こうなるのか」


「洗うだけで、こうなります」


 前世の新人は、洗髪だけで1年は修業する。洗うだけ、と言われると少し言いたいこともあるが、のみこんだ。


 すすぎ終えた髪に、木の実の油をなじませる。結び目を1つずつ、指でほどいていく。全部で23個あった。


 23個目をほどいたとき、彼女の髪の根元が、ほんのかすかに光ったような気がした。


 窓の鎧戸は閉めてある。光の入る隙間はない。


 目の疲れだろう。20日間、暇すぎて鋏ばかり研いでいたせいだ。


   *


 椅子を起こして、後ろから切っていく。


 長さは肩の少し上でそろえることにした。兜に収まる長さで、なおかつ蒸れにくいよう、襟足の内側を軽くすく。革の帯に巻きこまれないように、耳の後ろは短めに落とした。


 兜をかぶるための髪型である。そんな注文は、前世の20年でも受けたことがない。


 後ろと横は、うまくいった。


 残るは前だ。


「お客様。前髪のご相談です」


「前は、自分で切る」


「その結果が、こちらになります」


 彼女は黙った。


 前髪は、鼻の下まで伸びたものと、眉の上でぶつ切りになったものが半々だった。短剣で、鏡を見ずに切るとこうなる。


「前に回らないと、切れません」


「…………」


「目を閉じて切ることもできます。ただ、その場合は眉の保証ができません」


「眉?」


「眉です」


 長い沈黙のあと、彼女は言った。


「……笑うな」


「笑いません」


「気の毒そうな顔も、するな」


「しません」


「席を立つな」


「ここは俺の店です」


 彼女は、小さく息を吐いた。


「……回れ」


 俺は前に回った。


 そして、止まった。


 鋏を持った手が、宙で止まっている。


 前世で、俺は女優の髪を切っていた。雑誌の表紙を飾るモデルも、何人も担当した。きれいな人は見慣れている。見慣れているつもりだった。


 切れ長の、青みがかった灰色の目。まっすぐな鼻すじ。固く結ばれた唇。兜の熱で少し赤くなった頬には、ひびのひとつもない。


 雑誌の表紙が、兜をかぶって歩いていたのだ。


「……美しい」


 口から出ていた。


 仕事中に、お客様の前で、考えるより先に言葉が出た。20年で初めてのことである。


 彼女の顔が、凍った。


 次の瞬間、灰色の目から温度が消えた。右手が剣の柄に戻っている。


「……侮辱か」


「え」


「笑うなとは言った。だが、そこまで言えとは言っていない」


 声が震えていた。怒りではない。もっと下のほうから来る震えだった。


「からかうなら、ほかを当たれ」


 しまった、と思った。


 物差しが逆なのだ。この世界で、整った顔の女性に「美しい」と言う。それはたぶん、前世で言えば、いちばんたちの悪い皮肉にあたる。


 俺は鋏を置いて、両手を見えるところに上げた。


「お客様。この店の噂を、もう一度思い出していただけますか」


「……女を醜くする店」


「はい。俺が全力で仕上げると、お客様は泣いて帰ります。ところが俺の目には、その仕上がりがきれいに見えているんです」


 彼女の眉が、わずかに動いた。


「つまり、俺の目は逆なんです。生まれつき」


「逆?」


「逆です。世間が美しいと言うものが、俺にはそう見えない。世間が醜いと言うものが、俺にはきれいに見える。だから店がこのありさまです」


 俺は、がらんとした店内を手で示した。予約表の裏の買い物の覚え書きも見せた。玉ねぎ3個、と書いてある。


 彼女は覚え書きを見て、店内を見て、もう一度俺の顔を見た。


 剣の柄から、ゆっくりと手が離れる。


「……そうか」


「はい」


「お前は、目が悪いのか」


「悪くはないです」


「気の毒に」


「気の毒がらないでください」


 気の毒そうな顔をされた。するなと言った本人にである。


   *


 前髪は、眉が隠れるくらいの長さで、少し流してそろえた。兜の目の隙間に毛先が入らない長さだ。


 切っている間、彼女はずっと目を伏せていた。


 近くで見ると、まつ毛が長い。言わなかった。今日はもう、十分に言いすぎている。


 最後に首まわりの毛を払って、布を外す。


 いつもなら、ここで鏡をお見せする。


「仕上がりを、ご覧になりますか」


「見ない」


 即答だった。


「鏡は、見ない。もう何年も見ていない」


「……かしこまりました」


 決め台詞は、今日は出番なしである。


 彼女は篭手を片方外して、自分の髪に手をやった。指が、耳の横から毛先まで、すっと通る。


 指が止まらなかったことに、彼女のほうが驚いたようだった。もう一度通す。もう一度。


「……軽い」


「6割ほど、すいております」


「頭が、軽い。首も」


 彼女は兜を取り上げて、かぶった。


 革の帯が、引っかからずに留まった。かぶったまま、首を左右に振る。兜の中で、何かを確かめるように。


「かゆく、ない」


「それは何よりです」


 彼女は腰の袋から硬貨を1枚出して、台の上に置いた。


 金貨だった。


「お客様、カットは銀貨3枚です。お釣りが」


「いらん」


「いえ、うちの家賃の2か月ぶんです」


「いらんと言った」


 がしゃん、がしゃんと、鎧が戸口へ歩いていく。


「あの、お名前をうかがっても。お客様の記録をつけておりまして」


 鎧が止まった。


 兜が、半分だけ振り返る。


「……ジークリット」


「ジークリット様。本日はありがとうございました」


「目は、大事にしろ」


 扉の鈴が鳴って、鎧は夕暮れの通りに出ていった。


 最後まで心配された。


   *


 鍵を閉め直して、帳面を開く。


  来店:2名

  売上:銀貨3枚(金貨でいただいた。お釣りは受け取ってもらえず)

  断った男性客:63名

  備考:泣かれなかった。気の毒がられた


 開店21日目にして、初めての売上である。


 金貨をランプの灯りにかざしてみた。本物だ。前世で2万2千円いただいていた男が、金貨1枚で手が震えている。


 鏡にかけた布を外す。


 鏡には、にやけた美容師が1人映っていた。


 泣かれなかった。お代もいただいた。兜も脱いでいただけた。


 足りないものは、あとひとつだけだ。


『来たときより、少しだけ自分を好きになって帰っていただく』


 前世の店の壁に貼っていた言葉である。


 彼女は鏡を見なかった。自分がどう仕上がったのか、知らないまま帰っていった。


 次に来てくれたら、と俺は思った。


 次は、鏡を見てもらおう。


 来てくれたら、の話だが。

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