第2話 兜は脱いでいただけますか
兜をかぶったお客様の髪を、どうやって切るか。
ひと晩考える時間がほしい。しかしお客様は、もう目の前に立っている。
それに、20日ぶりの女性のお客様である。逃がすわけにはいかない。
「かしこまりました。兜はそのままで結構です」
言ってから、どうするんだ俺、と思った。
*
鎧のお客様は、がしゃんと音を立てて椅子に座った。
椅子が悲鳴を上げた。大工と3日かけて相談した椅子である。鎧を着た人が座ることまでは相談していない。
「鎧も、そのままですか」
「そのままだ」
「かしこまりました」
かしこまるしかない。
俺は椅子の後ろに立って、兜を観察した。
継ぎ目のない鉄の塊だ。あごの下で革の帯を留めてある。裾から、くすんだ金色の毛先が何本かはみ出していた。
まずは、できることからやってみる。
はみ出した毛先を、鋏で切りそろえた。
「……終わりました」
「もうか」
「兜から出ている部分は、きれいにそろっております」
沈黙が落ちた。
「中は」
「中は、兜がありますので」
「隙間から鋏を入れればいい」
「目のところの隙間ですか」
「そうだ」
「そこから鋏を入れる美容師を、信用なさってはいけません」
兜が少しうつむいた。考えているらしい。
「では、兜を少しだけ持ち上げる。その間に切れ」
「何秒ほど」
「3秒」
「3秒で切れるのは、お客様の耳だけです」
また沈黙。鎧の肩が、わずかに落ちる。
俺は鋏を置いて、椅子の横にしゃがんだ。目の隙間と同じ高さになる。お客様と話すときは、見下ろさない。前世からの決まりである。
「差し支えなければ、うかがってもよろしいですか。なぜ、うちの店に」
「……噂を聞いた」
「女を醜くする店、という」
「そうだ」
兜の奥の声は、低くて平らだった。
「私はもう、これ以上醜くなりようがない。なら、どこで切っても同じだ」
なるほど、と思った。
顔を隠して暮らす人がいる、と母さんが言っていた。布を巻いたり、頭巾をかぶったり。
兜は聞いていない。兜は聞いていないが、理屈は同じだろう。
「ほかの店には行けなかった。兜を脱げば、店の者が気の毒そうな顔をするだろう。客は席を立つだろう。……自分で切っていたが、後ろに手が届かない」
「短剣で、ですか」
「なぜ分かる」
「はみ出した毛先の切り口が、斜めでしたので」
職業病は、こういうときだけ役に立つ。
「では、こうしましょう」
俺は立ち上がって、壁の鏡に布をかけた。蒸し布用の、いちばん大きいやつだ。
「鏡は隠します。窓の鎧戸も閉めます。看板も下ろして、扉に鍵をかけます。俺は後ろに立って、後ろ頭だけを見ます。お顔は見ません」
「……前髪は」
「前髪は、最後にご相談ということで」
兜は長いこと動かなかった。
それから、革の帯に手がかかった。
*
兜が外れた瞬間、まず湯気が出た。
比喩ではない。本当に出た。
朝からかぶっていたのだろう。鉄の中に1日ぶんの熱がこもっている。夏場の厨房の寸胴鍋と同じ仕組みだ。
外した兜の置き場がないので、荷物用のかごをお出しした。かごの底が抜けた。
そして、髪。
約束どおり、俺は後ろ頭だけを見ていた。見ていたが、それだけで十分にひどかった。
金色の髪が、肩のあたりでばらばらの長さに切られている。右は肩につき、左はあごまでしかない。後ろは手が届かなかったらしく、背中の半ばまで伸びて、汗で固まり、兜の内側の形に平たくつぶれていた。
ところどころに、小さな結び目ができている。革の帯に巻きこまれて、ちぎれた跡もあった。
美容師として、言いたいことが40個ほどある。
しかし全部のみこんだ。初めてのお客様に説教をする美容師は、二流である。
「……ひどいだろう」
「いえ」
「正直に言え」
「短剣にしては、お上手です」
彼女の肩が、ふっと揺れた。笑ったのかもしれない。
*
「では、まず洗います。椅子が倒れますので」
「倒れる?」
背もたれを寝かせた瞬間、彼女の右手が剣の柄に飛んだ。
速かった。目で追えなかった。気づいたときには、鞘から指3本ぶんの刃がのぞいていた。
「椅子です。椅子が寝ただけです」
「……なぜ椅子が寝る」
「大工にも同じことを聞かれました」
刃が鞘に戻る。俺の寿命も少し戻った。
ぬるま湯を頭にかける。約束どおり、俺は彼女の頭の後ろ側に立ったままだ。顔の上には乾いた布を1枚かけてある。前世のシャンプー台と同じやり方で、これなら見ずに洗える。
指の腹で、頭皮をゆっくりほぐしていく。
固い。鉄板のようだ。1日じゅう兜の重さを支えている頭である。
「おかゆいところは、ございませんか」
「……全部だ」
「全部?」
「兜の中は、蒸れる。かゆくても、かけない。戦いの最中は、特に」
それはつらい。魔物と斬り合いながら頭がかゆいのは、想像するだけでつらい。
「では、全部いきます」
全部いった。
石けんを泡立てて、生え際から襟足まで、指を細かく動かしていく。1度目はほとんど泡が立たなかった。2度目でようやく白い泡が立ち、3度目で、金色がくすみの下から出てきた。
彼女は何も言わなかった。
ただ、がちがちだった肩の板金が、少しずつ椅子に沈んでいく。剣の柄を握っていた右手が、ひじ掛けの上にほどけて落ちた。
「……これは」
「はい」
「これは、何という術だ」
「洗髪です」
「せんぱつ?」
「髪を洗っております」
「洗うだけで、こうなるのか」
「洗うだけで、こうなります」
前世の新人は、洗髪だけで1年は修業する。洗うだけ、と言われると少し言いたいこともあるが、のみこんだ。
すすぎ終えた髪に、木の実の油をなじませる。結び目を1つずつ、指でほどいていく。全部で23個あった。
23個目をほどいたとき、彼女の髪の根元が、ほんのかすかに光ったような気がした。
窓の鎧戸は閉めてある。光の入る隙間はない。
目の疲れだろう。20日間、暇すぎて鋏ばかり研いでいたせいだ。
*
椅子を起こして、後ろから切っていく。
長さは肩の少し上でそろえることにした。兜に収まる長さで、なおかつ蒸れにくいよう、襟足の内側を軽くすく。革の帯に巻きこまれないように、耳の後ろは短めに落とした。
兜をかぶるための髪型である。そんな注文は、前世の20年でも受けたことがない。
後ろと横は、うまくいった。
残るは前だ。
「お客様。前髪のご相談です」
「前は、自分で切る」
「その結果が、こちらになります」
彼女は黙った。
前髪は、鼻の下まで伸びたものと、眉の上でぶつ切りになったものが半々だった。短剣で、鏡を見ずに切るとこうなる。
「前に回らないと、切れません」
「…………」
「目を閉じて切ることもできます。ただ、その場合は眉の保証ができません」
「眉?」
「眉です」
長い沈黙のあと、彼女は言った。
「……笑うな」
「笑いません」
「気の毒そうな顔も、するな」
「しません」
「席を立つな」
「ここは俺の店です」
彼女は、小さく息を吐いた。
「……回れ」
俺は前に回った。
そして、止まった。
鋏を持った手が、宙で止まっている。
前世で、俺は女優の髪を切っていた。雑誌の表紙を飾るモデルも、何人も担当した。きれいな人は見慣れている。見慣れているつもりだった。
切れ長の、青みがかった灰色の目。まっすぐな鼻すじ。固く結ばれた唇。兜の熱で少し赤くなった頬には、ひびのひとつもない。
雑誌の表紙が、兜をかぶって歩いていたのだ。
「……美しい」
口から出ていた。
仕事中に、お客様の前で、考えるより先に言葉が出た。20年で初めてのことである。
彼女の顔が、凍った。
次の瞬間、灰色の目から温度が消えた。右手が剣の柄に戻っている。
「……侮辱か」
「え」
「笑うなとは言った。だが、そこまで言えとは言っていない」
声が震えていた。怒りではない。もっと下のほうから来る震えだった。
「からかうなら、ほかを当たれ」
しまった、と思った。
物差しが逆なのだ。この世界で、整った顔の女性に「美しい」と言う。それはたぶん、前世で言えば、いちばんたちの悪い皮肉にあたる。
俺は鋏を置いて、両手を見えるところに上げた。
「お客様。この店の噂を、もう一度思い出していただけますか」
「……女を醜くする店」
「はい。俺が全力で仕上げると、お客様は泣いて帰ります。ところが俺の目には、その仕上がりがきれいに見えているんです」
彼女の眉が、わずかに動いた。
「つまり、俺の目は逆なんです。生まれつき」
「逆?」
「逆です。世間が美しいと言うものが、俺にはそう見えない。世間が醜いと言うものが、俺にはきれいに見える。だから店がこのありさまです」
俺は、がらんとした店内を手で示した。予約表の裏の買い物の覚え書きも見せた。玉ねぎ3個、と書いてある。
彼女は覚え書きを見て、店内を見て、もう一度俺の顔を見た。
剣の柄から、ゆっくりと手が離れる。
「……そうか」
「はい」
「お前は、目が悪いのか」
「悪くはないです」
「気の毒に」
「気の毒がらないでください」
気の毒そうな顔をされた。するなと言った本人にである。
*
前髪は、眉が隠れるくらいの長さで、少し流してそろえた。兜の目の隙間に毛先が入らない長さだ。
切っている間、彼女はずっと目を伏せていた。
近くで見ると、まつ毛が長い。言わなかった。今日はもう、十分に言いすぎている。
最後に首まわりの毛を払って、布を外す。
いつもなら、ここで鏡をお見せする。
「仕上がりを、ご覧になりますか」
「見ない」
即答だった。
「鏡は、見ない。もう何年も見ていない」
「……かしこまりました」
決め台詞は、今日は出番なしである。
彼女は篭手を片方外して、自分の髪に手をやった。指が、耳の横から毛先まで、すっと通る。
指が止まらなかったことに、彼女のほうが驚いたようだった。もう一度通す。もう一度。
「……軽い」
「6割ほど、すいております」
「頭が、軽い。首も」
彼女は兜を取り上げて、かぶった。
革の帯が、引っかからずに留まった。かぶったまま、首を左右に振る。兜の中で、何かを確かめるように。
「かゆく、ない」
「それは何よりです」
彼女は腰の袋から硬貨を1枚出して、台の上に置いた。
金貨だった。
「お客様、カットは銀貨3枚です。お釣りが」
「いらん」
「いえ、うちの家賃の2か月ぶんです」
「いらんと言った」
がしゃん、がしゃんと、鎧が戸口へ歩いていく。
「あの、お名前をうかがっても。お客様の記録をつけておりまして」
鎧が止まった。
兜が、半分だけ振り返る。
「……ジークリット」
「ジークリット様。本日はありがとうございました」
「目は、大事にしろ」
扉の鈴が鳴って、鎧は夕暮れの通りに出ていった。
最後まで心配された。
*
鍵を閉め直して、帳面を開く。
来店:2名
売上:銀貨3枚(金貨でいただいた。お釣りは受け取ってもらえず)
断った男性客:63名
備考:泣かれなかった。気の毒がられた
開店21日目にして、初めての売上である。
金貨をランプの灯りにかざしてみた。本物だ。前世で2万2千円いただいていた男が、金貨1枚で手が震えている。
鏡にかけた布を外す。
鏡には、にやけた美容師が1人映っていた。
泣かれなかった。お代もいただいた。兜も脱いでいただけた。
足りないものは、あとひとつだけだ。
『来たときより、少しだけ自分を好きになって帰っていただく』
前世の店の壁に貼っていた言葉である。
彼女は鏡を見なかった。自分がどう仕上がったのか、知らないまま帰っていった。
次に来てくれたら、と俺は思った。
次は、鏡を見てもらおう。
来てくれたら、の話だが。




