ミステリー作家の死
「ないっ! ないっ! ないっ!」
伊豆諸島の外れに浮かぶ織部島へ向かう船内の中で事件が起こった。
「テマリの大事なお菓子がありませんっ!」
この日、僕たちは所属劇団の取材旅行に来ていた。貸し切りの小型クルーザーで贅沢な船旅ができるのも千華お嬢様のおかげだ。
「残念ながら、この中にコソ泥がいます」
旅行といっても新作公演の取材なので同行しているのは全部で四人。日程も二泊三日と短い行程となっていた。快晴が続くということで、光害のない島で天の川を見る目的は果たせそうなので、幹事としては一安心だ。
「花園先輩は間食をしないのでシロの可能性が高いわけです」
今回も花園くんを誘ったら快く応じてくれた。皮張りのソファー席に腰掛けて、背もたれに肘を掛けながら何もない海を眺めているけど、見惚れるくらい格好よかった。名前が海翔なので、海がよく似合う。
「先生は泥棒なんかしないのでシロで間違いありません」
先生というのは、『劇団ののはな』で座付き作家をしている友利ミモザのことだ。僕の一つ先輩で、劇団名も彼女が名付け親だった。
黒髪ロングの知的な美人さんで、あまり陽気に振る舞うことのない人だ。旅行もあまり好きじゃないらしく、今回も船に乗った直後から酔ってしまって、ソファー席で横になっていた。
「ということで先輩、あなたが犯人ですね」
先ほどから一人で騒いでいる彼女は猫田手毬で、僕の一つ後輩の女の子だ。ナチュラルパーマが特徴的で、猫みたいな八重歯がある。
せっかく椅子に座って、大きな空と海を見ながら人生を奮い立たせていたのに、テマリに邪魔されてしまった。
「どうして僕が犯人なんだよ」
「他に容疑者がいないからです」
「証拠はあるのか?」
そう訊くと、お菓子の袋を突きつけてきた。見ると、大袋の中に個包装されたチョコが入っていた。
「見てください。十四個入りなんですけど、もう八個しかありません」
「自分で食べたんだろう? 僕もよくあるよ、ついつい食べちゃうんだよな」
「これは今回の遠足のために買ってきたんです!」
「遠足じゃなくて、取材旅行な」
僕の言葉を無視して、テマリがテーブルの上にチョコをぶちまけた。それからリュックの中からゴミ袋を取り出して、その中のゴミも同じようにぶちまけるのだった。
「見てください。テマリはゴミをポイ捨てしたことがありませんから、ゴミも残してあるんです。昨日三個食べて、今日の朝に一個食べました。チョコが八個にゴミが四つで十二個。ほら、二個も足りないじゃないですか」
正直、どうでもよかった。
「なんで旅行のお菓子を前日に食うんだよ」
テマリが呆れたように笑う。
「先輩、知らないんですか? 『家に帰るまでが遠足』って言葉がありますよね? もっと大事なのは、『遠足の前日も遠足』なんですよ。てるてる坊主を吊るす時から遠足は始まってるんです」
本当に、どうでもよかった。
「てまり、お菓子の袋を見せてごらん」
花園くんが興味を示した。手渡された袋を確認して、探偵が答える。
「十二個入りって書いてあるから、数は合ってるよ」
「えぇぇ!」
テマリが袋を取って何度も確認する。
「前は十四個入りだったんです。信じてください」
「メーカーが個数を減らしたんだろうね」
「なんで、そんな酷い仕打ちを」
嘆く彼女に対して、花園くんはメーカーも大変だと論理的に擁護するも、テマリは子供だから簡単に納得しないのだった。
八丈島ほど遠くはないので、その半分の五時間半で織部島に到着した。島のスケールも千分の一くらいで、住民も六十名くらいしかいないと聞いている。
船が接岸できる港も一か所で、それでも定期便は一日に一回はあるので、いわゆる〝絶海の孤島〟ではなかった。
小さな島といっても海底から聳え立つ休火山の頂上のようなものなので、緑に覆われた天然のアクティビティとして人気のスポットだ。
「住めば不便かもしれませんけど、観光客のみなさんは、その不便さを求めているので、何度訪れても変わらないと言ってもらえるのが一番だと思ってます。といっても島民が集まってる集落の村は本土の田舎と変わりませんけどね」
宿の人が港まで車で迎えにきてくれたので、車中で島についての話を聞くことができた。
「あちらが泊まって頂くホテルとなります」
森の山道を抜けると高原が広がっており、そこに宿泊所が建っていた。木製のトレーラーハウスが等間隔で八棟並んでおり、その横にレストランと天然温泉の大浴場を完備した、『天の川温泉』と呼ばれる平屋の施設が建っていた。
「お客様の他には団体客が四名お泊りですが、みなさん優しい方ばかりですのでご安心ください。その中に有名な方がいらっしゃるんですが、私は存じ上げなくて、もう、恥ずかしい思いをしちゃいました」
テマリはミーハーなので食いついたが、宿の人は本当に詳しくないそうで、会話は広がらなかった。
「それじゃあ、鍵をお渡ししますので、荷物を置いたらレストランにおいでください。お昼を用意して待ってますんで」
渡された鍵には6番から9番までの番号が振ってあり、それが部屋番号にもなっていた。やはり縁起の悪い4番は使われていないようだ。
その鍵を三人に選んでもらったところ、若い番号からテマリ、僕、花園くん、ミモザさんの順に割り振られた。
「それじゃ、また後で」
挨拶をしてから7号棟に行ったけど、トレーラーホテルは初めてだったのでワクワクした。見た目は長方形のコンテナそのもので、中で眠るイメージが湧かなかった。
室内を見ると、少し窮屈に感じたけど、普通のホテルと変わらなかった。クローゼットがあって、ライティングデスクの上には電話があり、奥に幅いっぱいのダブルベッドが置かれていた。
「やぁ、君たちが若い俳優さんの卵たちか」
レストランで昼ご飯を食べた後、今後の予定について四人で話し合っていたところへ、三十代の爽やかなイケメン紳士が話し掛けてきた。
「どうも、探偵の沢村京介です」
本を出版したり、テレビドラマの監修をしたり、事件が起きるとワイドショーのコメンテーターとして呼ばれたりもする日本一有名な探偵だ。
ただしWikipediaによると探偵所の営業届は出していないので、正確には〝探偵ライター〟というのが、彼の正式な肩書だった。
ノータイだけど着こなしがスマートで、皮膚の弛みもなく、自己管理を徹底しているような身体つきをしていた。
「一緒に混ぜてもらってもいいかな?」
「どうぞどうぞ、待ってましたぁ」
テマリが勝手に許可して、わざわざ椅子を運んで上座の位置に座らせるのだった。
「どうも、すまないね。それでは失礼するよ」
すごく感じのいい人だ。それから改めて順番に自己紹介したのだが、彼が興味を持ったのはミモザ先輩だった。
「なるほど、天の川を見て新作の舞台をイメージするわけか。面白そうだね。公演が決まったら招待してくれないかな? ちゃんとチケット代は払うからさ」
初対面なのに名刺まで頂いた。
「君が書く物語に興味があるんだ」
普通のオジサンなら気持ち悪がられるけど、まさにイケメン無罪だった。
「私も探偵さんに興味があります。先生がこちらにいらしたのは、半年前に焼死したミステリー作家と関係があるのでは?」
彼女は気後れしないタイプだった。
「鋭いね。そう、佐山天願の謎の死について本を書こうと思って取材に来たんだ」
佐山天願は新本格ミステリ・ブームが起きた時に活躍した何世代も前のミステリー作家だ。その彼が織部島の旅館火災で焼死して半年が経つ。
火災の跡地に慰霊碑が立てられ、それから旅館業の復旧が急ピッチで進められて、ここに『天の川ホテル』が完成して、間もなくリニューアル・オープンを迎える予定だ。
経営が再開される前に常連客への優先予約枠があって、それを僕たちはコネで譲ってもらったのだが、沢村探偵の場合はPRのための取材も兼ねているという話だった。
ミモザさんが沢村探偵の言葉に引っ掛かりを覚える。
「謎の死? 確かタバコの不始末で亡くなられたと聞いてますけど」
「君は記憶力もいいんだね。そう、警察発表で確定している事実だ」
「そこに謎があるんですか?」
「そう、だって天願は喫煙者じゃなかったからね」
それを爽やかな笑顔で言うものだから、リアクションに困った。
「どうだろう? その謎を僕と一緒に解いてみないか?」
「はいっ! 頑張りますっ」
「手毬ちゃん、君は元気がいいね」
「頭も良いので任せてくださいっ」
「これは頼もしいな」
「名探偵の助手として、きっとお役に立ちます」
「よし、謎を解いたら正式に採用しようじゃないか」
「本当ですか?」
「頑張ってくれたまえ」
「はいっ!」
二人とも調子がいいのでノリが合うようだ。
「みんな話が分かる学生さんで良かったよ。なにしろ一緒にきた連中ときたら余計な気を遣ってばっかりで、こっちが気疲れしていたからね」
彼の他に出版社に勤める編集者が三人も同行していると聞いた。
ミモザさんが落ち着いたトーンで尋ねる。
「しかし先生、警察が調べてタバコの不始末だと断定した火災事故から、今さらどうやって新事実を見つけようというのですか? 現場も残っていませんし、文字通り、とうに証拠は燃え尽きたじゃありませんか」
彼は探偵業の他にもゴシップをネタに動画を作ることもあるので注意が必要だ。世の中には、火のないところに煙を立てて金を稼ぐ人がいる。いや、彼がそういう人だと言いたいわけではないが。
「今回、僕の取材旅行に同行してくれた三人が、火事の時に佐山天願と一緒の旅館に泊まっていた人たちなんだ。当時の話を一緒に聞いて、何か疑問があれば質問をしてほしいんだ。僕が相手だと警戒させてしまうからね」
ミモザさんが気怠そうにカップを取り、温くなったコーヒーを一口だけ口に含ませる。
「協力はしますが、だからといって事故が殺人に変わるなんてことはないですよね? 先生だって、そこまで期待されていないと思いますが」
「うん、そうだね。僕としてはタバコの謎が解ければ充分だと思ってる」
「その謎だって、喫煙者が部屋にいたってだけの話じゃありませんか」
「うん、そう、僕としてもそれが誰だったのか知りたいだけなんだよ」
「探偵さんって、どうでもいいことが気になるのですね」
「そうそう、警察を出し抜こうなんて、これっぽっちも思ってないんだ」
そこで沢村探偵が話を本題に戻す。
「そのタバコだけど、ミモザ君は佐山天願の他に喫煙者がいたと言ったね。他の三人も同じ考えかな? シュウ君、君はどう思う?」
何も考えてなかった。
「大御所先生の前でもタバコを吸えるくらい親しい人が部屋を訪れたんでしょうね」
「うん、そういうことになるね」
「でも、それで出火して火事になるというのはピンときません」
「同感だ。手毬ちゃんは、どうかな?」
聞くだけ無駄だが、彼女も平等に接した。訊かれたテマリが、名探偵かのように力んだ表情を見せて知恵を振り絞る。
「これは殺人の可能性があります。死んだ人が寝ている間に、誰かが火種となったタバコをこそっそり投げ入れて火事を起こしたんですよ」
無茶苦茶な話だが、沢村探偵は愉快そうに微笑んで称えた。
「面白いじゃないか。そういう突飛な発想を期待してたんだ」
「どうも、ありがとうございます」
「酒を呑んで寝てたっていうから、ない話じゃないんだよ」
「真実をめくっちゃいましたか」
自画自賛してるが、不謹慎にも程がある。
「海翔くんはどう思う?」
「佐山天願本人が吸っていたんでしょう」
「僕もそう思った。喫煙歴があったしね」
「警察も同様の見解だったわけですから」
「そう、だけど、問題はライターがなかったんだ」
「マッチもなかったわけですか」
「そうだね」
「それは確かに興味が掻き立てられます」
そこで二人の探偵が無言で見つめ合ったけど、何を感じたのか、僕には分からなかった。
「先生は、こちらにいらっしゃる前に警察にも取材されたのですか?」
ミモザさんの丁寧な質問に沢村さんが真摯に答える。
「もちろん、そう、警視庁に顔が利くので、知り合いに頼んで担当した一課の刑事さんを紹介してもらったんだ。若いけど、とても熱心で、何度も島を訪れて捜査したそうだ。聞き取り調査も完璧で、その彼が事件性はないと判断したんだ」
火災捜査係の刑事はプロ中のプロなので何よりも信頼できる結論だ。
「でも、収れん火災の可能性もあるって言ってたな」
「しゅうれん火災ってなんですか?」
僕もテマリと同じく、聞き慣れない言葉だった。
「解りやすく説明すると、太陽光を通した虫メガネで火が着いちゃうやつさ。ペットボトルに入った水もレンズになるから油断できないんだよ。死亡例が多い割に、あまり周知されていないんだろうな」
そこで沢村探偵が話を戻す。
「佐山天願が亡くなったのは冬だったけど、収れん火災は季節を問わないんだ。火事が発生した時間が十五時過ぎで、ちょうど太陽の光が一階の客室に差し込む時間と合致していたから、真っ先に疑ったと言ってたね。実際に全焼した現場で実験までしたそうだ」
そこでミモザさんが悩まし気な表情をしながら疑問を口にする。
「火事が起きたのって日中だったんですか?」
「そう、十五時半過ぎだった」
「夜中でもないのに逃げ遅れたんですか?」
「作家先生は夜型だったらしいからね」
「寝ていたと?」
「正確には寝入った直後だろうけど」
「カーテンは?」
「半分しか閉まっていなかった」
「明るいのに寝れるものですか?」
「それは本人に訊いてみないと判らないな」
「そうですね」
僕は明るくても普通に寝れる。
「でも日中なら他の人は起きてたわけですよね?」
「だから全焼でも犠牲者が一名だけだったんだ」
「火元の部屋だけ助からなかったわけですね」
「それもあるけど、天願は左足が悪かったから」
「そうですか、それはお気の毒でした」
そう言って、身内を失くしたかのように消沈してしまった。ミモザさんは感受性が豊かなので、気持ちが引っ張られることが度々ある。
「それでも結論はタバコの不始末だったんですね」
花園くんが話を戻した。
「そう、いずれにせよ、タバコが火種になった事実は変わらないからね。粘った方だけど、最終的に係長の判断に従ったそうだ」
ライターがない謎は無視されたわけだ。
「部屋の暖房器具は?」
「古い二階建ての木造だけど全室エアコン完備だ」
「そうですか」
「基本的な情報を押さえるのは大事なことだ」
そこでテマリが花園くんに対抗する。
「先生、部屋の鍵は閉まってましたか?」
「うん。出口に向かうこともなかったそうだ」
煙を吸って中毒死していたのかもしれない。
「窓の鍵はどうですか?」
「窓は閉まっていたが、施錠はされていなかった」
「じゃあ、他殺の可能性もあるじゃないですか」
「そうだね、ゼロではない」
「それでは、今すぐ容疑者を呼んできてください」
「おいおい、無茶な尋問は止してくれよ」
「その辺は上手くやってみせます」
「参ったな」
沢村探偵は笑っているが、ここは僕が注意しなければならない。
「警察じゃないんだから、他人を殺人犯のように疑ったら大事になるんだぞ」
「先輩、テマリを子供扱いしないでください」
「子供じゃないか」
「見た目は子供、頭脳は大人、心は乙女なんですから」
「とにかく失礼がないようにな」
「テマリに任せてください」
世の中で、これほど頼りない言葉はなかった。
「あっ、番場さん、ちょうどいいところに来た。彼女たちに話を聞かせてやってください」
「はぁ」
と、ポロシャツの中年男性が気の抜けた返事をした。
「四人とも学生演劇をやっていて、取材で来ているそうなんだ」
「随分と本格的ですね」
「みんな佐山天願のファンでもあるんだ」
「それは珍しい」
「ファンにとって担当編集者の話は貴重だからね」
「担当してたのは昔の話ですよ」
隣のテーブル席に座ったところで軽く自己紹介をする流れになった。番場忠弘は、主にミステリーを担当している現役の編集者だ。
アラフォーにしては老け込んでおり、その冴えない表情から、あまり景気が良さそうとは思えなかった。
「長く担当されていた方が移動して引き継いだだけですので、結局、私は一冊の本も出してあげることができませんでした」
終始覇気がないので、こちらまで気分がどんよりとしてしまう。それでも相手のネガティブな感情に左右されないのが沢村探偵だ。
「それは番場さんの責任ではないですよ」
「はぁ」
「寡作でしたし、何より本人が偏屈だった」
「いえ、決してそのようなことは」
「本人が書かないのだから、出しようがない」
「いえ、私の力不足です。遺作も逃しましたし」
「結果的に二十五年振りの新作が遺作になっちゃったんですね」
「はぁ」
「半年前に何があったのか、みんなに聞かせてあげてくれませんか」
要約すると、今から一年前に佐山天願から番場さん宛てにメールが届いたそうだ。新作を書き始めたから出版の準備をしてほしいと。
いきなりの提案だったので、お会いして話がしたいと返信したが、それからいつものように音信不通となったそうだ。
それから半年後の冬、すっかり忘れていたそうだが、再び佐山天願からメールが届いた。もうすぐ完成するから、原稿が欲しければ織部島まで取りに来いと。
そこで初めて編集長に相談したが、そんなカビの生えた作家の原稿はいらないと言われたそうだ。それでも担当を降りていなかったので、最後のお務めのつもりで自腹を切って会いに行った。
その時に、同じ理由で呼ばれた編集者が他にも二人いることが判った。さらに、その中の一人に原稿を渡すと言われ、大いに困惑したそうだ。
なにしろ佐山天願は原稿を奪い合うような人気作家ではなく、すでに忘れ去られたミステリー作家だからだ。
一人ずつ刺し呑みで語り合うのが条件で、結果は後日決めるという話だったが、逗留二日目にして火事が起こり、遺作を手に入れることができなかったと残念がった。
それでもライバルの編集者が原稿を手に入れて、無事に出版される予定なので、それに関しては良かったと語った。
「はいっ、質問があります!」
テマリが小学生みたいに真っ直ぐ手を上げた。
「何かな?」
沢村探偵が学校の先生みたいに優しく尋ねた。
「番場さんは、火事が起きた時、お酒に酔っていなかったんですか?」
当時を思い出しながら答える。
「あぁ、うん、警察にも同じことを話したけど、私がお酒に付き合ったのは、朝風呂の時と、昼飯の一時間だけで、午後は部屋で仕事をしてたんだ。酔っ払ってたけど、深酒はしないから、原稿に目を通すことくらいは問題なかった」
何を言い出すか分からないからヒヤヒヤしたけど、テマリが「火事に巻き込まれなくて良かったです」と常識ある態度を見せたので安心した。
「天願先生って、普段はどんな方なんですか?」
「普段?」
テマリの質問に、番場さんが返答に困っている様子だ。
「何年前だろうな? 担当を引き継いだ時に顔を合わせたけど、しばらく音信不通で、先生も数年前にSNSを開設するまで積極的に表に出なかったから、人となりについてはよく知らないけど、半年前にお会いした時の印象は、古き良き時代の、お酒をこよなく愛する小説家といった感じで、私は好きでしたよ」
テマリが攻める。
「じゃあ、火事が起きた当日も酔っ払ってましたか?」
「そりゃもう、朝から晩まで呑んでるような方でしたから」
「それならタバコの不始末で決まりですね」
そう言って、あっさりと自分から言い出した他殺説を一蹴してしまった。
「タバコをやめたと聞いていたので警察に訊かれた時はビックリしたけど、やめたと公言した手前、人前で吸わないように我慢してたんだろうね」
テマリが頼りないので、僕の方から質問してみた。
「こういった不審火の場合、警察は事故の他にも自殺や他殺を疑いますが、それらの可能性についてはどのように考えていますか? 例えば、自殺を匂わせるような言動はありませんでしたか?」
番場さんが頭を振る。
「そういうのは一切なかったな。何十年振りかで新作を出せるって話になって、実際に三社で競合したわけだからね。まぁ、うちは厳しかったけど、他社さんは意欲的だったから、そんな機会を前にして自ら命を絶つような人はいないと思うね」
他殺説についても訊いてみた。
「いや、それもないよ。恨まれるとか、そういう人でもないし、原稿欲しさに先生を殺しちゃうなんて、一番ありえないからね」
ここら辺が素人である僕の限界だった。
「他の二人は、どこにいるか知らない?」
僕たちの質問が途切れたので、沢村探偵が察してくれたようだ。
「先生が今日は自由にしていいと言うので、二人でドライブに行きましたよ」
「へぇ、僕も誘ってもらいたかったな」
宿の駐車場にある車は自由に乗っていいと言われていたので、時間があったら僕も花園くんを誘ってみようと思った。
「じゃあ、番場さんも後は自由にしてください」
ということで他の編集者が帰るまで、五人で館内を見て回ることにした。
「先輩、あそこに写真がありますよ!」
温泉施設の一角に佐山天願の足跡を記録した展示室が設けられていた。幼少期を織部島で過ごしたとあり、本人の写真は残っていないものの、当時の島の風景がパネルとして飾られていた。
「先輩、この展示品も見てください」
部屋の真ん中にショーケースがあり、その中に生前に愛用した品々が並べられていた。中でも目を引いたのは万年筆だ。火災現場で見つかったものらしく、熱で溶けだしており、それが火災の恐ろしさを物語っていた。
「先輩、こっちには天願先生の写真もあります」
パネルには撮影日も示されており、半年前の日付なので、亡くなる直前の近影だと判った。パッと見、石川啄木が年老いて白髪頭になった感じだ。
畳部屋に文机が置かれていて、和装の佐山天願が振り返って、しかめっ面でカメラを睨んでいる。
「その写真、撮ったの私なんですよ」
しっとりとした女性が、後ろから声を掛けてきた。
「白木さん」
「沢村先生が捜していると聞いたもので」
紹介されたのは、編集者の白木怜さん。三十代の落ち着いた女性で、一重の目が知的な印象を与え、深遠な美しさを感じた。
「彼女たちは佐山天願に興味があって」
「そのようですね、番場さんから伺いました」
「だったら話が早いね。知ってることを聞かせてあげてほしい」
「先生がお望みならば」
要約すると、本格ミステリを扱う部署にいたものの、佐山天願とは一面識もなかった。しかし五年前に新人を発掘するだけではなく、過去に実績があるものの、出版から遠ざかっている作家を再発掘しようと声を掛けた中で彼と出会ったそうだ。
最初は断られたが、説得に応じて筆を取り、それでも自作に納得できず、原稿を見せてもらうことはできなかったそうだ。
軽い気持ちでSNSへの投稿を勧めたところ、とても気に入ったらしく、それがキッカケで新作を書き上げることができたのではないかと振り返っていた。
しかし、当然ながら新しい原稿をもらえるとばかり思っていたところ、他社との競合となり、酷いショックを受け、しばらく落ち込んだそうだ。これには僕も同情した。
それでも一度は筆を折ったミステリー作家に再び筆を握らせ、新作の出版を実現させた自分の仕事には誇りを抱いていると語った。当然ながら遺作となったのは残念がったけど。
「実際のところ、レーベルと作風が合っていないこともあり、すり合わせができなかったので、企画を通すのが難しかったでしょうから、他社ですんなり決まって良かったと思っています。後悔はありません」
しおらしい態度を見せる白木さんに対して、みんなが敬意を込めた目で見ていた。
ここで余韻をかき消すように、テマリが動く。
「天願先生がお亡くなりになった当日は、どのような様子でしたか?」
舞台じゃないけど、彼女は女優でもあるので、やや芝居がかっていた。
「その日、先生とは朝食をご一緒して、お昼過ぎにも次回作の打ち合わせをさせて頂きました。出版の予定は立てられないので、具体的な話にはなりませんでしたが」
過去に三冊も出版して話題にもなった作家なのに、それでも企画が通らないとはシビアな世界だ。
「白木さんご自身もお酒に付き合われたわけですね?」
「えぇ、あまり強くはありませんが」
「酔われた状態で火災に巻き込まれたわけですか」
「本読みの仕事を抱えていたので、唇を濡らす程度しか呑んでなかったんです」
「原稿に命を救われたわけですね」
「そうですが、先生を助けられなかったので喜べませんね」
「心中、お察しします」
テマリはドラマ好きの母親の影響を受けたので、芝居がジジ臭くなることが多かった。僕はクセのないスマートな芝居を好むので、ストレートに尋ねることにした。
「警察が過失と断定したので、今さら蒸し返しても仕方ないのですが、自殺の可能性はなかったんでしょうか?」
即答せず、じっくりと考え込んでくれた。
「まず、先生のお気持ちは、先生にしか分からない。それを踏まえても、私には見当もつきません。次回作にも意欲的でしたし、そもそも還暦でリタイヤできるほど、しっかりと老後を見据えて生きてこられた方なので、自殺はないと思います」
そこで一言、付け足す。
「ただ、孤独でしたけどね」
「では、他殺の可能性もなさそうですね」
これにもじっくりと考えてくれた。
「先生は愛憎が絡むほどの人間関係を持たなかった、あるいは断ち切って島に逗留されていたので、トラブルがあったという話も聞きませんし、お酒という友人を大切にする、素晴らしい小説家でした」
質問がなくなったので、沢村探偵が助け舟を出してくれた。
「山田さんは一緒じゃないの?」
「お風呂で汗を流してくると言ってましたね」
そう言って、白木さんは仕事があるので部屋に戻った。
それから展示室でパネルや展示品を見終わった後、レストランに戻ると浴衣を着た湯上りの女性が一人で缶ビールを呑んでいた。
「あっ、沢村先生」
「山田さん、一人で呑んでるの?」
「先生も一緒にやりませんか?」
「夕食の時に付き合うよ」
「約束ですよ」
そこで紹介されて、僕たちは隣のテーブルに腰を下ろした。山田美和さんは二年目の編集者で、まだまだ学生のノリを失っていない、元気の良さがあった。
サイドの地肌が見えるくらい綺麗に刈り上げており、すっぴんなので高校生の男の子のような印象を受けた。
「話は聞いてる?」
「何がですか?」
彼女だけ横の繋がりがなかったようで、最初から説明して、佐山天願についての話を聞いた。
「あまり、よく知らないんですよね」
要約すると、天願の担当だった初代の編集者が新興の出版社に転職して、その上司に言われるがまま、織部島まで原稿を取りに行ったそうだ。
それまで連絡を取り合ったこともなく、亡くなる前日に初めて顔を合わせたようで、自分でも、なぜ競合を勝ち得たのか理解していない様子だった。
「先生に会う前に、とにかく呑み負けるなって言われて、それで初日からガンガン呑み散らかしたんですよ。それで気に入られたので、担当って、奥が深いなって思いました」
昭和のやり方って感じがするけど、佐山天願にはそれが良かったのかもしれない。ところが、彼女の顔に急に影が差した。
「でも、先生の前でタバコを吸っちゃって、普段はやめてるんですよ? いつもは電子なんですけど、旅行の時だけは吸いたくなるんです。先生も『我慢しなくていい』って言ってたので、売店で売ってたから、お言葉に甘えて吸っちゃいました。それを見て、先生も吸いたくなったのかもしれないですよね」
流石にそれは関係ないと思ったが、本人も立ち直りが早い性分なのか、ケロッとした顔で文句を言う。
「わたしも死にかけたので、いい迷惑ですけどね!」
テマリが元気に質問する。
「火災があった当日の様子を教えてください!」
山田さんがノリを合わせて答える。
「ごめん、酔っ払ってたから憶えてない。午前中に呑んで、午後からも呑んで、お酒を抜くためにお風呂に入ってたら火事になったの。他の人は荷物を運び出したのに、わたしは全部焼けちゃったの。おまけに外でタバコ吸ってたら知らないオジサンに怒られるし、散々だった」
そこで久し振りに花園くんが口を開いた。
「佐山天願の原稿は無事だったんですか?」
「うん。火事になる前にファイルを送ってもらってたから」
「手書きじゃなかったんですね」
そんなことよりも、タバコが気になったので質問してみた。
「天願先生にライターを貸した覚えはないんですよね?」
「貸してない」
「でも部屋でタバコを吸っていた」
「売店で買ったのかも。わたしも自宅から用意してきたわけじゃないから」
ついでに同じ質問をした。
「自殺の可能性は考えられますか?」
「よく知らないけど、自殺はしても、他人は巻き込まないと思う」
「そうですよね」
「お母さんが働いてた旅館だって言ってたし」
自殺のセンはなさそうだ。
「他殺でもなさそうですね」
「ないない。島の人もみんないい人だもん」
「それを聞いて安心しました」
そこで話すこともなくなったので解散した。
「どうしたの?」
この日は深夜に天の川を見るイベントがあったので、時間を有効活用するため、先に天然温泉に入ろうと思ったのだが、花園くんがフロントの横にある売店コーナーで足を止めたので声を掛けた。
「買いたいものでもあるの?」
「いや、特にないけど」
と言いつつ、お土産コーナーを丁寧に見て回っていた。
「そういえば、千華お嬢様のお土産は何がいいかな?」
「今は何でもお取り寄せできる時代だから難しいところだね」
店頭に並べられているのは八丈島を中心とした伊豆諸島で有名な商品が目立った。青唐辛子しょうゆや島のりなど日持ちするものが多いので安心だ。
「でも自分で取り寄せる人じゃないから大丈夫じゃないかな」
「そういうのはシュウくんに任せるよ」
基本お土産は自分が欲しいと思うものを贈ると決めているが、とりあえず後回しにしようと思った。
「何かお求めですか?」
宿の人から声を掛けられた。
花園くんが尋ねる。
「品揃いは火事になった旅館と同じですか?」
「はい。そんなに変わりませんね」
「では、タバコやライターも売ってるわけですね」
「はい。ご購入されますか?」
「いや、僕たちは未成年なので誰も吸いません」
「これは失礼しました。随分と大人っぽいんですね」
正確にはミモザさんは二十歳ちょうどだけど、タバコをやらないので訂正しなかった。
「当時、旅館に勤めていた方を知りませんか?」
「その時も勤務していましたよ」
そこで花園くんが、佐山天願にタバコとライターを販売したか訊いたけど、よく憶えていないとのことで、話は終わった。
「五時までには夕食を用意しますんで、レストランにいらしてください」
そう言って晩ご飯の支度をしに行ったが、島の夜は早いと思った。
花園くんと一緒に大浴場に行ったら、脱衣所でお風呂上がりの番場さんと鉢合わせしたので挨拶をしたら、そのまま立ち話することになった。いや、彼は扇風機の前で座りながら汗を乾かしていたので立ちっぱなしではないが。
「実は、佐山天願のことはよく知らないんです」
花園くんの方から切り出した。
「ファンだって嘘を吐いたものだから、沢村さんの手前、訊きたいことも訊けなかったんですが、実際のところ天願って、どんな人物だったんでしょうか?」
番場さんが笑みを浮かべて得心する。
「だよね? ファンのはずがないって思ったよ。いや、僕も先生の手前、担当した作家の悪口を言うわけにはいかないからさ、答えるのに苦労したよ」
相手の笑顔に、花園くんも合わせたので、僕もとりあえず笑った。
「あのジイサンは本が出せなくなって当然だよ。物書きの人って『老害』って言葉を安易に使う人はいないんだけどさ、ほら、自分も老いるって理解してるからね。だけど、あの人は別。若い頃に『老害』って罵ってた人に、自分がなっちゃったんだもん」
愚痴の勢いが止まらない。
「俺が許せないのはね、本格ミステリでデビューしておいて、その時は『人間が書けてない』って批判に怒っていたんだ。そんな奴らは『老害』だと言い切った。それなのに『本格ミステリや謎解きはくだらない』とまで言うようになったんだ」
天願はSNSの運用が上手じゃなかった、というのは知っている。
「それだけは禁句というか、ご法度だろう? 本を買ってくれた人にも失礼だし、わざわざ口にすることじゃない。謎解きが好きな人や本を買ってくれた人に対して喧嘩を売るようなものなんだから」
番場さんのミステリー小説に対する愛情の深さは理解できた。
「だから亡くなられた時もさ、『トリック小説をバカにしたブーメラン作家さん、謎の焼死をするも、警察さんにあっさりとタバコの不始末だと見抜かれてしまう』なんてSNSに書かれちゃうんだ」
他にも皮肉たっぷりな追悼文がネットに残っている。
「私もそこまで腹を立てていたわけじゃないから、そういうのは酷い書き込みだと思ったけど、今さら『人間が書けてない』なんて古臭い遺物みたいな批判はすべきじゃなかったとは思う。老いたことに気づかない、浦島太郎みたいな人だったよ」
そこで深刻な顔をする。
「いや、これは他人事じゃないんだ。作家に若い感性を求めるけど、編集者や会社自体が古臭くなってるなんて、案外と自分たちじゃ気づかないものだからね。だからこそ佐山天願がどんなミステリーを書いたか気になるけど、どのみちウチじゃ企画は通らなかっただろうな」
そこで喉が渇いたと言って、浴衣に着替えて脱衣所を後にしたのだった。それから僕たちもゆっくりと湯に浸かった。
浴衣に着替えて館内をぶらぶらしていたら、自販機のある喫茶ルームで缶コーヒーを飲みながらスマホを凝視していた白木さんがいたので、僕たちはパックのコーヒー牛乳を購入しつつ、花園くんが様子を窺いながら声を掛けた。
「お話を伺っても、よろしいですか?」
「うん。いいよ」
さっき会った時と違って、表情も柔らかく気さくな感じだった。そこで椅子を勧められたので、彼女の前に並んで腰掛けた。
それから花園くんは先ほどと同じように、沢村さんに気を遣って上手く質問できなかったと説明してから、改めて人となりについて尋ねた。
「有名人だもんね、しかも探偵さんだし、緊張するのも無理はないよ。私も佐山天願に大学生のファンがいるとは思えなかったもん。でも二人とも真面目そうだし、ふざけてるとは思えないから、私も真剣に答えるね」
歳の離れた大人の女性だけど、優しいから好きになりそうだった。
「……今でも、後悔しているの」
しばらく考えて、それだけ口にして、また考え込んでしまった。
「私のせいで、先生は誤解されたまま亡くなられた。どうしたらいいんだろう?」
言葉通り、その表情には後悔の念が滲んでいた。
「SNSの開設を勧めたのが拙かったのかな? それでミステリーファンを敵に回しちゃったけど、あれって実は、私の思いを代弁してくれてたんだ。投稿したのは先生だけど、中身は私が相談した内容そのもの」
基本的にSNSの投稿は必ずしも本人の言葉だとは限らないと思っているので、僕は驚かなかった。
「この歳でミステリーに偏ったレーベルに移動させられたんだけど、どうしても自分の趣味と合わなくて、正直、謎解きの本を読むのが苦痛で仕方がなかった。そこでショック療法として、本格ミステリ至上主義の先生に会って、喧嘩してこようと思ったの。再発掘なんて格好つけただけで、あれは嘘」
あまり楽しそうに見えなかったのは、そのためだろうか。
「だけど、天願先生は違った。相談したら、先生も歳を取ってからトリック小説が一切読めなくなったって仰っていて、同じような気持ちの人がいるんだと思って、そこで私は救われた。先生の仰ってる言葉が、全部共感できるの」
すごく嬉しそうに話している。
「犯人がトリックを用いた時点で、その犯人は小賢しい人間だから、登場人物にまったく魅力を感じないとか。動機と殺害方法が合ってないから気持ち悪いとか。謎解きに都合のいい人物しか出てこないから、とにかく読むのが苦痛だと。私がぼんよりと抱えていた違和感を、すべて言葉にしてくれた」
僕は好きと言えるほどミステリー小説を読んでいないけど、ファンが大切なものを傷つけられたと思う気持ちは理解できる。だから賛同の意を示すのは控えた。
「佐山天願が書き上げた小説は、ミステリーの側を被ったアンチ・ミステリーで、トリックもなければ謎解きもないの。だけど探偵による救済がある。先生はミステリー好きの読者に対して『本の読み方を変えてしまいたい』と仰ってた」
よく解らない話になってきた。
「だけど、ウチの会社では出版できないから、それで方策を練って競合させることにしたの。昔の担当さんに話を持ち掛けたのは、そうでもしないと出版の目途が立たないと思ったから。これって内緒の話だけど、噂を流すくらいなら許してあげる」
見込みのない原稿が本になったのだから、二人の作戦は成功したわけだ。
「だけど、その本を先生は手に取ることができないのよね」
しんみりとして会話が続かなくなったので、お礼を言ってから退出した。
それからちょっと早いけど、夕飯をもらいに天の川レストランに行った。お腹は空いてなかったけど、後片付けが遅くなっては申し訳ないと思ったからだ。
お座敷と六人掛けのテーブルが四つある、ゆったりと寛げるようになっているが、流石に早すぎて客は僕たち二人だけだった。
献立は期待通り、島で獲れた鮮魚が中心だった。調理場には若い夫婦がいて、旅館業を再開した苦労話を聞きながら頂いた。特に金目鯛のしゃぶしゃぶが、ほんとに目が飛び出るくらいに美味しかった。
「おっ、そこのイケメン大学生、お姉さんと一緒に露天風呂に行かないか?」
イベントまで時間があるので、食後にサウナに入ろうと思ったら、廊下で酔っ払った山田さんに声を掛けられた。
「お姉さんが背中を流してあげる」
「ここは混浴じゃありませんから」
想像したらドキドキしたけど、悟られないように平静を装った。
「なんか、編集の仕事って楽しそうですね」
「はっ?」
思ったことを口にしたら睨まれた。
「ぜんっぜんっ、楽しくないよ。時間は不規則だし、休みの日もガンガン連絡を入れてくるし、作者とは話が通じないし、読みたくもない本を読まされるし、わたし、これ以上は続かないと思う。ほんと、読めなきゃ話にならない世界だから」
花園くんが会話に割って入る。
「佐山天願が書いた新作の感想を聞かせてください」
友だちには優しい顔をする、花園くんあるあるが発動した。
「う~ん、つまんなかった。探偵が主人公なんだけど、いつまで経っても事件が起こらないの。なんか、それっぽい伏線というか、匂わせというか、前フリみたいのはあるから、どんな仕掛けがあるんだろうと思ったら、なんにもなかった。たしかに探偵小説なんだけど、あんなの本にしちゃダメだよ。あれは買わない方がいい」
ネタバレ全開の酷評だが、いわれてみれば、そもそもネタと呼べるものがなかった。
「焼死したミステリー作家の遺作だから初動は見込めるけど、レビューが出たら即死レベルで動きが止まると思う。わたしは辞めるから、どうでもいいけどね」
辞めると言いながら辞めないタイプかもしれないので返事に困ったが、それに関しては僕もどうでもよかった。
「温泉で溺れないでくださいね。後はタバコの不始末も」
良かれと思って言ったのに、またしても睨まれた。
「沢村先生はタバコを吸わないから、わたしも吸わないの。そういうところはちゃんとしてるんだから。それより一緒にお風呂入ろうよ」
それから花園くんが腕を組まれて絡まれたけど、僕が追い払って、なんとか逃げ出すことに成功した。
夜になり、天の川を見るイベントが始まった。背もたれを倒せる折り畳み用のアウトドアチェアの貸し出しがあったので、駐車場に運んで、四人で浴衣着のまま夜空を見上げた。
都会に住んでいると星が寂しそうなので、あまり夜空は好きになれなかったけど、織部島の夜空には、たくさんの仲間たちがいて、それを自分の目で確認できただけでも良かった。
ただ、残念なのは〝天の川〟という名称だ。〝川〟と呼んでしまったら、もう、他の言葉で表現したいという意欲が失せる。
しかも地球自体も天の川銀河の一部だと言われてしまうと、間違うのが怖くて、飛躍した発想で表現することも恥かしくなる。
「先輩、これは消えない花火ですよ」
無邪気に表現できるテマリが羨ましかった。
「夜空に絵を描いた神さまは天才です」
「そうだね。神さまがいることを教えてくれているみたいだ」
花園くんがテマリの子供っぽい話に付き合ったのが意外だった。
「そうですよ、夜空にはたくさんの物語があるんですから」
「昔の人は神さまとの付き合い方が上手だったんだ」
七夕に関しては説明するまでもない。織姫と彦星が一年に一度だけ、七月七日に天の川で会うことが許される、という中国の古い神話だ。
ロマンティックな話とされているけど、僕にはピンとこなかった。天帝に逆らうと酷い目に遭うぞ、っていうのが透けて見えるからだ。
しかし日本では古くから皇室にも伝わり、江戸時代までは慶事として祝われていたので、僕としてもわざわざケチをつけるつもりはなかった。
織姫が機織りの仙女ということで、日本では芸事の上達を願うお祭りに変化したところに、歴史の面白さを感じたので、それが主な理由だ。
でも自分としては、天の川ではなく、ミルキーウェイの語源となったギリシャ神話に強く惹かれるものがある。
あの有名なゼウスが、浮気して生まれた息子に妻のおっぱいをあげようとしたところ、その妻が驚いて、夜空に母乳をぶちまける。
これほどダイナミックな話があるだろうか。どんな創作物だろうと、ギリシャ神話の前では霞んでしまうし、笑っちゃうくらい壮大な物語だ。
「宿の人から聞いた話だけど──」
ミモザさんが天の川を見上げながら語り始めた。
「──この島にも七夕伝説のような話が身近な問題としてあるみたいね。島を訪れた本土の人と恋仲になって、燃えるような恋をするけど、横たわる海が障害となって、会えなくなったり、駆け落ちしたり、そういうことが今もあるみたい」
僕たちが離島を訪れる際に気をつけなければいけないのは、島民の生活基盤である、島の暮らしを軽視してはいけないことだ。
「お互いに優しい人ほど上手くいかないのよね。簡単に島を出ろなんて言えないし、逆もそうで、簡単に島を捨てることなんてできないもの」
人は天帝がいなくても、何かに縛られて生きるものだ。いや、縛りとか、そういう概念ですらないのかもしれない。
「守るって大変よね。人は進化を求めて何かを変えようと頑張るけど、守るには踏ん張り続けないといけないんだもの。暴風雨に耐える根のように、何もしてないように見えるけど、しっかりと立ち続けないと何も守れないのよ」
何もしていないように見える人ほど、歴史の偉人なのかもしれない。
「次の公演の新作は、島の恋愛をテーマにした物語を書きたい。舞台の真ん中に天の川を作って、待たせる男と待つ女、それぞれの生活を同時に描くの。それは都会と田舎の対比でもあり、デジタルとアナログの違いでもある。それを二項対立ではなく、悩みを抱える二人に寄り添った芝居にしたいの」
安易に対立軸を作らないのがミモザ先生の作風だ。
「うわっ、それは大役です、テマリも頑張らないと」
「なに言ってるの? あなたは妹役に決まってるでしょ」
「またですか?」
「手毬に主役はまだ早い」
「ううっ」
「丁度いい取材相手がいるし、あなたも一緒に勉強なさい」
僕の役は今回も端役だろう。理由は判っている。稽古が好きじゃないからだ。
それから解散して、トレーラーハウスの自室に戻った。ウッドデッキの階段を上がってドアを開けようとしたら、テマリが後ろから声を掛けてきた。
「先輩、一人で眠れますか?」
何を言っているのか、よく分からなかった。
「テマリが一緒に眠ってあげましょうか?」
「いいよ、別に」
「せっかくの旅行なのに一人で寝るのはヘンですよ」
「後輩の女と一緒に泊まる方がヘンだろ」
「夜は、これからじゃないですか」
テマリが、やけに粘る。
「都会の夜とは違うんだよ」
「お菓子パーティーをしましょうよ」
「もう、眠いんだよ」
「今夜は寝かせませんよ」
コイツの意図が分かった。
「お前、一人で寝るのが怖いんだろう?」
「ギクッ」
図星だ。
「ミモザ先輩に頼めよ」
「もう、頼みました」
「だったら諦めろ」
「一緒に寝るくらい、いいじゃないですか」
「良くないよ」
「なんでですか?」
「ヘンに噂されたら嫌だろう」
「大丈夫です。心配しないでください」
「いや、オレが嫌なんだよ」
「後輩の面倒見が悪いって言われますよ?」
眠気がキツくて、頭が回らない。
「いいよ、別に」
「え? いいんですか?」
「もう眠いから、また明日な」
そこで会話を切り上げて、部屋に入った。
電気は点けないことにした。
それからベッドに直行した。
カーテンは、閉めなくてもいい。
目覚ましは……。
スマホ……。
もう、どうでもいい。
気持ちいい。
至福のとき。
「シュウくん!」
目が覚めた時、一瞬で夜が明けていた。
「シュウくん!」
花園くん?
「起きろ!」
身体が言うことを聞いてくれない。
「隣が火事だ!」
となり?
「テマリは?」
思わず叫んでしまった。
「先輩、テマリは無事であります!」
隣のベッドにいたテマリが起き上がり、状況が飲み込めないまま、手を掴まれて部屋の外に連れ出された。
「とにかく、急いで避難しよう」




