ゲームの答え合わせ
その日の夜、劇団員たちがバンガローへ引き上げた後、僕は花園くんを誘って七つの大罪ゲームの答え合わせをすることにした。
ロッジの食堂は静まり返っており、二つのコーヒーカップから立ち上る湯気だけがゆらゆらと踊り続けている。
テーブル席で向かい合わせに座っているけれど、久し振りに花園くんの顔を正面から拝んだ気がする。この日も神々しく瞳が輝いていた。
「〝暴食〟は梅本くんで間違いないよね。実際によく食べていたし、頑張ったと思う。花園くんはどう思う?」
探偵が答える。
「面白かった。どんな会話でも食べ物に結び付けていたし、よく考えていた。しかし全ての言動が常識の範囲内で、暴食の罪を背負っているようには見えなかったかな」
彼は一番の後輩だから気を遣ってしまったのだろうか。
「暴食の罪って何だろう?」
探偵が答える。
「食欲は否定していないので、節度を守るという簡単な話なんだ。現代に置き換えると、大食いを罰するというより、食の安全を脅かしてまで金儲けに走る者が背負っている罪を指しているんだと思う。現に法律で取り締まっているわけだし」
罪とは、他人に迷惑を掛けないのが原則としてあるようだ。
「〝憤怒〟は高橋くんだよね? ずっと怒ってたもん。でも愚痴ってる姿が可笑しくて、笑いそうになるのを我慢してたんだ」
探偵が答える。
「彼は自分の強みをよく知っている素晴らしい役者だ。しかし常に冷静だった。常軌を逸した怒りは一つもなかったんじゃないかな? どれも劇団の運営に必要な怒りや不満だったように思う」
どこからが罪なのか、線引きが難しい。
「一線を越えた怒りは、暴力や復讐へと変わるものだ。喜怒哀楽は巧みに表現できる人かもしれないけど、まだ自分では引き出すことができていないように見えた。ヤクザ映画に出れば、化ける可能性はあるけどね」
コメディアンが任侠映画に出て評価を得ることが多分にある。
「憤怒の罪も、怒ること自体は否定してないので、やはり一線を超えないことが大事だ。怒りに任せて他人を傷つけることは許されない。七つの大罪は、それくらいシンプルなものだよ」
いかなる理由があろうと殺人やテロは許されない。
「〝嫉妬〟は文香ちゃんだよね? 他人の行動を監視しては僻んでばかりいて、会話するのがつらかった」
探偵が答える。
「魅力的な女優だ。彼女が誰よりも役になりきっていたように思う。いわゆる憑依型なんだろうな。いや、それが本人の性格で、演技なんかしていなかった可能性もあるか。……いずれにせよ、役か本人か区別がつかなかったくらい素晴らしかったということだ」
僕には疑問があった。
「そもそも、嫉妬って罪なのかな? 誰にだってある感情で、それこそ幼稚園児にだって見られる普通の感情だよね? それの何が罪なんだろう?」
探偵が答える。
「それも一線を越えると、奪いたいという衝動に駆られるんだ。それは時に幸せな家庭を壊し、幸せな恋人たちを引き裂き、慎ましく生きているだけの人生を奪われることがある。それは自分の人生にとっても良くないし、なにも難しい教えではないんだ」
かんたんな教えほど大切なのかもしれない。
「〝怠惰〟は小夜さんだと思う。ずっと木陰で休んでいたし、自分から積極的に動こうとしなかったから。気怠そうにしてたのは、元々の性格だと思うけど」
探偵が答える。
「難しい役柄だ。怠けるといっても、オーディションも兼ねてるから手を抜くわけにはいかないしね。いっそのことゲームそのものを放棄しても面白かったかもしれない。そういう意味でも『流れ蜂』のキャストは、誰一人として舞台そのものを壊す人がいなかった」
蜂屋くん自体が前衛的ではなく、伝統を重んじるタイプなので納得できる分析だった。
「でも怠惰が罪になるって、けっこう厳しいね」
探偵が答える。
「これも休息すること自体は責めてないんだ。そうではなくて、取るべき責任から逃げること、困っている人を前にして無関心でいること、助けられる状況なのに見て見ぬふりをすること、
そういった意味合いで怠惰と表現しているんだ」
責任は当然として、それ以外は罪とまでは呼べない気がする。
「前提として、自分自身に余裕がなければ人助けはできないから、他人を裁くために七つの大罪を利用してはいけない。それでも難しく考える必要はなくて、これも基本的なことなんだ。助け合いましょうとか、みんなで協力しましょうとか、なにも聖人になれとは言ってないんだよ」
基本、子供にもわかる話ばかりだ。
「〝色欲〟は、残念だけど、朝日ちゃんだと思う。すごく積極的にアプローチしてきて、これがゲームじゃなかったらって、なんど思ったことか」
探偵が答える。
「他の劇団員に対してはアピールが弱かったから、シュウくんは芝居相手としてやりやすかったんだろうね。器用なタイプではないけど、主役を張れば客にピンポイントで刺さる演技をするだろう」
まさに心が奪われた心境だった。
「ただ、やっぱり演技に罪の意識が感じられなかった。純粋に恋愛を楽しんでいる感じで、それでも無邪気に異性を翻弄しているとしたら、彼女の魔性は本物だけどね」
本気で彼女のことを好きになりそうな自分がいるけど、花園くんには黙っておいた。
「人類の長い歴史においては、性におおらかな時代の方が圧倒的に長いから、近視眼的な価値観のみで色欲を語るのは、命を繋いでくれたご先祖様に申し訳ない気持ちがするけれど、基本的には相手の性を尊重するということなんだと思う」
それなら理解できる。
「自己中心的な考えで相手を傷つけないのが肝心で、昭和時代の言葉にある不純異性交遊とは違うと思うんだ。性に関しては、過去に比べて現代の方が進歩的だ。加害者が感じる現代社会の息苦しさは、それまで苦しんできた被害者の息苦しさだったわけだからね」
自分の大切な人が性被害に遭うのは許せない、というシンプルな話だ。
「残り二つだけど、〝傲慢〟と〝強欲〟の違いがよく分からなくて、どうもすっきりしないんだ。でも蜂屋くんの態度が傲慢に見えたから、やっぱり彼なのかな? それが役を演じてるだけならいいんだけど、彼自身、演技との境目を見失ってる気がして、心配になるよ」
探偵が答える。
「七つの大罪は、聖書には書かれていない。それでも語り継がれてきたのは、万人にとって基本的な教えだからなんだろうね。特にその中でも傲慢は、最も根元的で、誰もが犯しやすい罪だと考えられる」
罪の根元とは何か?
「多くの人が全能感を経験すると思うけど、それが思春期を終えた大人が持ち続けたらどうなるか? 社会的に成功を収めたとしても、どれだけの人が犠牲となるのか、それが見えていなければ大きな代償を払うことになる。場合によっては、取り返しのつかない事態を招くんだ。それが傲慢の正体さ」
脚本を書いて世界を構築し、キャストを意のままに操る。作家や演出家は、神に似た作業を行うから、傲慢の罠に陥りやすい。蜂屋くんのことが本気で心配になった。
「神になりかわろうとする者を厳しく罰するところがキリスト教らしいと言えるね」
人類の歴史において、宗教が果たしてきた役割は非常に大きかったんだと実感した。
「じゃあ、真夏ちゃんが〝強欲〟か。彼女は大空に向かって大きな夢を語っていただけなんだけどな。それを罪と呼ぶのは、なんだか可哀想に思える」
探偵が答える。
「僕も同感だ。誰かが描いた大きな夢のおかげで恩恵に与り、利益や快適さや喜びを享受できている側面があるからね。それでも必要以上に求めすぎてはいけないという教えがあるのは、破滅を迎える場合もあるからなんだろうね」
やはり線引きが大事なのだろうか。
探偵が得心する。
「そうか。このゲームは罪と向き合うものであって、罪を犯すものではない。そう考えると、心の葛藤や、罪への誘惑と闘う気持ちを表現することも大事なんだ。そのことに、蜂屋くん自信も気が付いているといいんだが」
そこで探偵の一日は終わった。
それから部屋に戻って、明日も早いから寝ようと思ったけど、現在の時刻は夜の十時。いくら疲れているとはいえ、眠気が襲ってくる時間ではなかった。
僕も花園くんのように本を読もうと思ったけど、昔から旅先での読書はどうにも集中できなかった。
ベッドに入って、強引に寝ようと目を閉じると、瞼の裏に朝日ちゃんの笑顔が浮かんできた。そして、考える。彼女が僕なんかを好きになることがあるだろうかと。
頭の中で、想像や、願望が、勝手に作られていく。それが夢かどうかも分からない、意識と、無意識の狭間で、目を覚ましたり、眠りに就いたり。
突然、大きな音がした。
ビックリして、一瞬で目がさえた。
ベッドの中で身構える。
何の音か分からなかった。
辺りは静寂そのもの。
まだ虫の演奏が聞こえる時期じゃない。
気のせいだろうか。
スマホを取る。
ライトが太陽を直視した時のように目を痛くした。
夜の十一時。
眠ってから、さほど時間が経っていない。
もう一度、眠りに就こうとした瞬間。
今度は小さな音がした。
コツコツ、と。
ドアを軽くノックする音だ。
控え目な音。
こんな時間に訪問者?
誰だろう?
「はい。いま開けます」
返事をした。
しかし相手からの反応はなかった。
朝日ちゃん?
直感が、そう告げた。
いや、願望だろうか。
深夜の訪問。
女が一人で男の部屋へ。
色欲。
淫らな想像で頭がいっぱいになる。
「ちょっと待って」
部屋の電気を付けた。
スマホをミラーにして自分の顔を見る。
ひどい顔。
表情を整えることにした。
緊張する。
とうとう彼女は一線を越えてきたわけだ。
僕はどうしたらいいのだろう?
冷静でいられるだろうか?
いつもの感じで、ドアを開ける。
「うわっ」
目の前に突き出された包丁。
「肉をもらいにきました」
現れたのは〝暴食〟の梅本くんだった。
「いや、ダメだよ、こんなことしちゃ」
「肉はありませんか?」
「そういうのは明日にしよう」
「あれ? 怒ってます?」
「うん。花園くんのところに行っちゃダメだからね」
「すんません」
こうして僕の長い一日は終わったのだった。




