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探偵の花園 【ミステリー短編集】  作者: 遊川遊
File 2 白鳥湖畔の悲劇
4/10

一日目

 天女という言葉はあるのに、天男という言葉はない。こうして比較すると、天男は字面も悪いし、てんお? てんなん? てんだん? とにかく音の響きも悪い。


 湖畔の浜辺で木の幹にもたれながら本を読んでいる花園海翔はなぞのかいとくんがあまりにも美しく、この世の物とは思えなかったので、ついそんなことを考えてしまった。


「花園くん」


 本当は彼の読書の邪魔などしなくなかったけど、仕方なく話し掛けた。


「座長が全員でミーティングをしたいって」

「わかった」


 ベージュのパンツに白いシャツをラフに着こなしているだけなのに、ファッションモデルみたいに格好よかった。


「本当に静かなところだね、誘ってくれてありがとう」


 そう言ってくれるだけで救われた。


 僕たち九人は、大学の演劇サークルでもある劇団『流れ蜂』の合宿旅行で福島県に来ていた。観光地として有名な猪苗代湖よりも北部にある湖で、羽根を広げた鳥みたいな十字型の形状をしていることから白鳥湖と名付けられた湖畔の別荘地に来ている。


 一部は公園や釣り場となっているが、大部分は私有地なので他人と顔を合わせるどころか、気配すら感じない秘密の隠れ家となっていた。といっても、それが友人である千華せんかお嬢様の持ち家であることは言うまでもない。


「前面に見える山々も綺麗だし、湖水も透き通るくらい美しい。それよりも素晴らしいのは砂浜だよ。海岸でもないのに砂の粒が小さい。これは、どういうことだろう?」


 花園くんが訊いたので、わざわざ湖岸工事をして砂を運び入れた、と千華さんが自慢気に話していたので、それをそのまま伝えた。



「シュウくん、勝手にキッチンを使わせてもらったよ」

「うん。許可はいらないよ」


 僕の名前は木蔦修きづたしゅうといって、苗字が発音しにくいので、ある程度親しくなったら下の名前で呼ばれることが多くなる。


 劇団『流れ蜂』で座長をしている蜂屋流左衛門はちやるざえもんくんもその一人だった。芸名の由来は、溝口健二の映画『近松物語』に感銘を受けて、近松門左衛門に似た名前にしたそうだ。


 花園くんとは比べ物にならないけど、彼も劇団で主役を張るだけあって、なかなかの男前だった。無頼派の影響も受けており、退廃的な雰囲気が気障きざに見える時がある。


「コーヒーを淹れたので運ぶのを手伝ってくれないか」

「うん」


 キッチンの隣が食堂で、四つのテーブルを真ん中に集めて、向かい合わせで食事が出来るように配置換えされていた。全員にコーヒーが行き渡ったところで流左衛門くんが上座に座り、ミーティングを始めた。


「これから三泊四日の合宿を始めるが、俺たちは遊びに来たわけじゃない。芝居の質を上げないと、面白い本を書いても、それが客に伝わらないんだ。だから演技力を高める実験を用意した」


 そこでカードケースを取り出して、みんなの前にトランプのような札を見せるのだった。そこには何やら文字が書かれている。


「管理人のシュウくんと、友人の花園くんを除いて、劇団員は七人いる。その七人に〝七つの大罪〟を演じてもらう」


 カードにはそれぞれ『暴食』『色欲』『強欲』『憤怒』『怠惰』『嫉妬』『傲慢』と書かれてあった。


「カードを切って、伏せた状態で一人ずつ選んでもらおう。それで明日の朝から晩まで、書かれた通りに演技し続けてもらいたいんだ。例えば『暴食』なら、それこそ一日中、食べることばかり考えてほしいんだよ」


 僕も演劇サークルに属しているが、こんな練習は聞いたことがない。


「ここにいる間は二十四時間、演技に徹してほしい。言葉の解釈は自由だし、演技に正解はない。とにかく頭を使って、想像力を働かせるんだ。正解はないのだから間違いは気にしなくていい。演出に頼らず、自分の頭で考えろ。とりあえず各自、それぞれの罪と向き合ってほしい」


 正直、部外者で良かったと思った。


「ルールは一つだけ。それは選んだカードを誰にも見せないこと。寝る前に、誰が何のカードを引いたか当てるゲームをしたいんだ。答え合わせをすることで演技力が判る。過剰に演技すれば大袈裟だと思われるし、芝居を抑えすぎれば伝わらない」


 なかなか難しそうだ。


「当てられないように頑張るのではなく、その逆。感心させるとか、感動させるとか、上手いと思わせてほしい。そのためには全員と交流する必要がある。明日の行動は自由だけど、一人でいたんじゃ芝居は伝わらないし、相手の芝居も見ることができない。だからいつもより活発にコミュニケーションを取るようにお願いする」


 自分がやる分には嫌だけど、よく考えられた練習法だ。


「この『七つの大罪』ゲームの推理にはシュウくんと花園くんにも参加してもらう。いわば彼らは一般客だ。彼ら二人に答えを当ててもらい、尚且つ高評価してもらうことが一番重要ともいえるだろう。お願いできるかな?」


 反対できない空気だったので仕方なく了承した。


「二人とも、ご協力ありがとう。できれば二人の方から積極的に話し掛けてもらいたい。じゃないと引いたカードによってアピール機会に不公平が生じると思うからね。とにかく答え合わせをするまで芝居を続けることだ」


 宿泊所の管理人として同行しただけなのに、余計な負担を背負わされてしまった。座長以外はほぼ初対面で、会話どころか目を合わせたこともない。これは面倒くさいことになった。



 キッチンで夕飯の支度をしていると、花園くんが手伝ってくれたので、座長の代わりに謝ることにした。


「ヘンなことに巻き込んじゃって、ごめんね」

「いや、僕はけっこう楽しみにしてるんだ」


 そう言ってもらえて救われた。


「花園くんは、このゲームのポイントって何だと思う?」

「それはプレイヤーとして? それとも解答者として?」

「じゃあ、両方」


 深く考えずにざっくりと訊いたけど、せっかくだから欲張ることにした。


「自分がプレイヤーなら、まずは一晩じっくりと考えるよ。例えば『暴食』とは何なのか。誰だって実際に暴飲暴食すれば観客に分かりやすく伝えることができるけど、蜂屋くんの狙いはそこじゃない。おそらく目には見えない心の演技を要求しているんだと思う」


 それが表情や仕草、言葉遣いや言葉選びに現れるということだ。


「それにはベースとなる基礎知識も必要だ。『七つの大罪』はキリスト教の宗教用語で、基本的には人間の健康や安全を願った上での教えだ。罪と向き合うことで個人、または社会の幸福に繋がることを希求している」


 僕は名作映画『セブン』の印象が強い。


「現代だと太りやすい遺伝子があったり、性病に感染すると行動まで操作されることが判っていたりするよね。だから見た目や行動で人を判断するのは浅薄せんぱくだし、反対に無知だと思われる」


 食べても太らない大食いタレントがいるけど、それを社会に認知させた功績はあまりにも大きい。


「科学的な見地から宗教を悪し様に言う人もいるけれど、現代に生まれたというだけで、人類を紡いできた先人をバカにしていいとはならない。キリスト教において重要なことの一つは、罪と向き合うこと。すべてを知った上で演技しなければならないのだから、このゲームは簡単じゃないと思うよ」


 蜂屋くんを軽くバカにしていた、僕の方がバカだった。


「解答者としては、いわば観客なのだから、何も考えずに参加することだ。客に向かって『勉強してこい』って言えるのは、客がいなくても困らない人だけで、今回のゲームは向こうからお願いしてきたからね。だから僕たちはヘンに身構える必要はないさ」


 花園くんが一緒に来てくれて本当に良かった。もの凄く気分が楽になった。


 この日は劇団員との接触を控えるために、あえて夕飯の席を一緒にしなかった。それから食後のミーティングにも参加せず、ロッジで夜を明かした。


 ちなみに部屋割は、僕と花園くんが設備の整ったロッジの個室に泊まって、劇団員は外にベッドだけ置かれたロフト付きのバンガローが二軒並んでいるので、そこに男子三人と女子四人が宿泊することになっている。


 山の中といっても金持ちが別荘地にするくらいだからスマホは常に圏内だし、近くに集落もあるので、隔絶された土地というわけではなかった。


 夜中に花園くんから「星を見よう」と誘われて、浜辺で寝転びながら、特に何も語らずに過ごしたけど、それだけで来た甲斐があった。


 最初は今にも落ちてきそうに思えた星たちも、見ているうちに段々と、自分も宇宙に浮かぶ星たちの一つでしかないと同化してゆく感覚を得た。それは一生涯、忘れることはないだろう。



「これを使ってください」


 早朝に目覚めて、洗面所で歯磨きをしてから顔を洗った後、そこへタイミング良く江島朝日えじまあさひが現れて、タオルを差し出してくれた。


「ありがとう」


 と言いつつ、僕は内心「あっ、さっそくゲームが始まった」と思った。


 朝日さんは劇団の二期生で、清楚な見た目をした可愛らしい女の子だ。普通なら一瞬で恋に落ちるケースだが、普段なら絶対に有り得ないので冷静でいられた。


「管理人さんはこれから朝食を作るんですよね? わたし、手伝います!」


 ただの良い子なのかもしれないが、彼女は『色欲』か『暴食』のどちらかなので、まったく嬉しくなかった。


「ありがとう、助かるよ」


 それでも芝居を壊さないのが観客のマナーでもある。



「すごい! オリーブやピクルスまであるんですね」


 キッチンでバケットサンドを作っているのだが、イチイチ反応してくれるので可愛くて仕方なかった。


「わたしサブウェイによく行くんですけど、オリーブが大好きなんです」


 そこからサブウェイの好きなメニューに話が広がったが、これほど女の子の方からグイグイこられることはないので夢のような時間だった。


「おはよう」


 途中で花園くんも合流して一緒に朝食を作った。


「花園先輩の分は、わたしが作りますね」


 すぐに朝日ちゃんの興味が僕の友だちに移った。この程度のことで感情が揺さぶられるとは思わなかった。


 ほぼ初対面なのに、朝日ちゃんが他の人と喋っているだけで寂しい気持ちになる。この感情移入のスピードの速さが芝居の持つ魔力なのかもしれない。


「朝日ってば、こんなところにいたんだ」


 そこへ劇団二期生の中村文香なかむらふみかがやってきた。『流れ蜂』の舞台を観たことあるが、彼女は平凡で地味な見た目をしてるけど、端役を一人で何人も演じ分けていた実力のある演技派の女の子だ。


「花園先輩、ワタシにも料理を教えてください」


 と言いつつ、あっという間に朝日ちゃんから花園くんを奪ってしまった。


「木蔦先輩の朝食も、わたしが作りますね」


 僕には朝日ちゃんがいた。ゲームだと解っているけど、僕を一人にさせないところに彼女の優しさを感じた。


「あっ、木蔦先輩のは、ワタシが作りますよ」


 と思ったら、文香ちゃんが横から割り込んできた。


「朝日は他の先輩の分を作ってあげて」


 余計なことを、と言い掛けたが、やめておいた。すべては芝居だからだ。女にやれないことはない、と僕は芝居から学んできた。


 それとは別に、現代人にも『七つの大罪』を戒める必要があると思った。この程度のやり取りで、人間はいとも容易く翻弄されてしまうからだ。



 この『七つの大罪』当てゲームには、もう一つ重要なルールがある。それは特定の人と話すのは最長でも三十分までで、次に同じ人と話す場合は三十分のインターバルを開けるのが決まりとなっていた。これは同じ人と喋り続けるのを防ぐ目的があった。ただし例外として、僕と花園くんには適用されない。


 というわけで、食堂では四人掛けのテーブルが部屋の四隅に置かれて、劇団員たちが一か所に固まらないように工夫されていた。


「こんなゲーム、オレたちには何の意味もないよ」


 僕ら二人と一緒に食卓を囲んでいるのは、劇団の旗揚げメンバーでもある高橋浩司たかはしこうじだ。座長とは高校時代からの盟友で、一番の理解者という立場にある。


 演技にも定評があり、老け顔で恰幅のいい体型をしているから、おじさん役がピッタリとハマり、学生演劇では貴重なバイプレイヤーでもあった。


「このゲームには裏テーマがあって、新作ヒロインのオーディションも兼ねてるんだ。だから脇役しか回ってこないオレには頑張る意味がないんだよ」


 同じ舞台人として同情するが、興行でもあるので仕方がない。高橋くんがバケットサンドに恨みでもあるかのように噛み千切りながら続ける。


「オレがアドバイスしたって、蜂屋が全部一人で決めちまうんだもん。結局はアイツが気に入るかどうかで決まるから、ヒロイン候補だって蜂屋にしかアピールしなくなるんだ。おかしいだろう? オレたちが相手にするのは座長じゃなくて、観客なのにさ」


 この話もゲームの役柄に合わせて喋ってるだけかもしれないので、僕も「どこも大変ですね」などと適当な相槌しか返せなかった。


「っていうか、オマエも食ってばかりいないで、何か喋れよ」


 高橋くんが隣に座っていた後輩にツッコんだ。


「すいません。さっきから腹減っちゃって」

「それ、食いながら言うセリフじゃないだろ」


 そう言って、高橋くんは一足先に席を立った。


「そのポテトフライ、もらっていいっすか?」

「俺のをあげるよ」


 花園くんが手を付けていない皿を彼の前に置いてあげた。


「あざす」


 確実に『暴食』のカードを引いたであろう梅本賢也うめもとけんやは劇団二期生で、彼も蜂屋くんと高校時代に知り合った直属の後輩だ。ヤンチャな見た目をしており、舞台では悪役や主人公のライバル役をやることが多い。


「高橋くんの話、本当なの?」


 自分から喋らないので、僕の方から尋ねた。


「なにがっすか?」

「ヒロインのオーディション」

「そうみたいっすね」

「興味ないの?」

「そんなことより肉が食いたいっす」


 役を忠実に演じる姿が可笑しかった。


「ヒロイン・レースの本命は?」

「はい?」

「誰が最有力候補なの?」

「わからないっすね」

「梅本くんは誰がいい?」

「女より、肉っすよ」


 珍しく花園くんが笑った。

 彼は先輩から可愛がられるタイプの後輩のようだ。


「今日の夕食はBBQだよ」

「ホントっすか」

「テーブルや椅子を運ぶの手伝ってくれる?」

「もちろんっす」

「だからそれまでお腹を空かせておいた方がいいよ」

「そっすね。……いや、普通に食います。自分、腹へってるんで」


 どうやら彼は嘘をつけない性格のようだ。



 それから花園くんと一緒にロッジを出た。この日も天気が良くて、なにより空気がおいしかった。こうして都会から離れると、日頃の息苦しさを忘れ、肺まで気持ち良くなった。


「見つけた!」


 後ろから声を掛けてきたのは劇団二期生の飛鳥井真夏あすかいまなつだ。僕たちが同時に振り返った瞬間、間に割り込んで、その勢いで僕たちと腕を組み、引っ張るように歩き出すのだった。


「一緒に山登りするよ!」


 真夏さんはショートボブが似合うボーイッシュな女の子で、舞台でも元気な女の子役が多い。サバサバした印象があり、声が大きいのも特徴だ。


「意外とキツいね」


 腕を組んで歩いていたが、湖岸沿いの山道は細いので、花園くんを先頭に、真夏さんを挟むように縦一列で小高い山を登ることになった。


「右が頂上で、左は向こうの湖岸に降りられるみたい」


 分かれ道で僕たちは山の頂上を目指した。


「すごい! 公園みたいになってる」


 私有地だけど、小山の上にベンチがあって、そこから白鳥湖の全景を見渡せるようになっていた。右手側の湖岸に僕たちのキャンプ地があり、左側にも美しい浜辺の湖岸が続いていた。


「ちょっと座って休もうよ」


 二人掛けのベンチだけど、無理やり三人で座った。花園くんはいつも僕に振り回されているので、こういうのに慣れてしまった様子だ。


「このゲームは次回作のヒロイン・オーディションでもあるって聞いたけど、真夏さんも候補者の一人なの?」


 横目でチラッと彼女の方を見たけど、横顔もきれいだった。朝ドラのヒロインに選ばれそうな雰囲気がある。


「もちろんだよ。他の子には絶対に負けない。どんな役だってできるし、自分に限界はないと思ってる。自分のことを知った気になって、主役を目指さないなんて、そんなのおかしいよ。誰もが人生では主役なんだから、ヒロインを譲る気持ちなんて必要ない」


 見た目通り、勝気な女の子だ。


「でも僕は最近、脇役も悪くないと思うようになったんだ。主役を諦めたとかじゃなくて、神様がいて、人間がいる。そういう関係性だから、人間から見た世の中の方が面白いんじゃないかって」


 花園くんとの出会いが僕を変えたけど、そこまでは説明しなかった。


「確かに、神様はいる。いるけど、自分だって神様になれる。だって演劇って、そういう世界でしょう? 神様の役をもらったら、神を演じなきゃいけないんだよ。そこで『できない』っていうのは、役者失格だもん」


 友だちにも話を振ってみた。


「花園くんは逆に主役以外は似合わなそうだよね。探偵小説なら探偵役だし、警察小説なら刑事役で、犯人役や被害者役は合わなそう」


 探偵の花園くんが答える。


「そういったミステリー小説の主役って、探偵なのかな? 加害者がいなければ被害者は生まれない。事件がなければ、探偵は必要ない。そう考えると、人ではなくて、罪そのものが主役なのかもしれないよ」


 もう少し三人で話したかったけど、三十分ルールがあるので、彼女を残してキャンプ地に戻ることにした。



 山を下りると湖畔の木陰で日光を避けながらシートを広げて座っている姉小路小夜あねこうじさやがいたので話し掛けた。


「少し、いいですか?」

「どうぞ」


 スマホを置いて、僕たちの相手をしてくれた。シートには余裕があったけど、適切な距離感が掴めなかったので、二人とも原っぱに腰を下ろした。


 小夜さんはキレイなお姉さんタイプの女の子で、歳は一つしか違わないけど大人っぽい雰囲気があった。彼女は旗揚げメンバーで、年下の座長が他の劇団から引き抜いたという話だ。


「小夜さんも次回作のヒロインを狙ってるんですか?」

「私? そういうのは、どうでもいい」

「でも『流れ蜂』の看板女優ですよね」

「誰が言ったの?」

「みんなが認めています」

「うちの劇団は蜂屋くんのものだから」


 終始、気怠そうに話すが、それが色っぽい。


「小夜さんは蜂屋くんの世界観にピッタリですよね」

「あの人、暗い話が好きだもんね」

「いえ、そういう意味で言ったんじゃ」

「いいの、私も嫌いじゃないから」

「次回作は、どんな話なんですか?」

「知らない」

「知りたくないんですか?」

「だって、私は女優だもの」


 彼女ほど〝女優〟という言葉が似合う女性はいない。


「演出に口出すなら演出家になればいい。台本が気に入らなければ脚本家になればいい。なんでもできる時代なんだから、不満があるなら自分でやればいい。私は与えられた役を演じるだけでいいの」


 そう言って、一方的に会話を終わらせてしまった。



 ロッジに戻ると、食堂でコーヒーを飲みながらノートパソコンで作業をしている蜂屋くんがいたので、少しだけ話をすることにした。


「このゲームって、ヒロインのオーディションが目的なの?」

「そうだけど、何か問題でも?」

「いや、ないけど」

「それなら良かった」

「いや、でも事前に教えてほしかったよ」

「その必要はない。決めるのは俺なんだから」


 作・演出・主演のワンマン劇団だ。


「俺だって好きで王様をやってるわけじゃない。反対の意見だってほしいんだ。でも、誰も自分の頭で考えて口出ししてこないから、結果的に一人で全部やる羽目になる。もっとさ、喧嘩になってもいいから、感情をぶつけてほしいんだよ」


 彼は戦後のアングラ演劇の影響も受けているので、同じ世代だけど〝昭和の人〟のようなイメージがある。


「劇団『流れ蜂』の芝居には、人間の感情がないんだよ。みんな従順だからさ、それがずっと不満だったんだ。芝居をつければ、その通りに演じてくれる。だけどロボットみたいでさ、気持ちが悪いんだよ」


 苦そうなコーヒーを表情一つ変えずに飲んだ。この人は舌の感覚がおかしくなっているのではないだろうか。


「じゃあ蜂屋くんは、どんなヒロインがお望みなの?」

「今までの作品とは変えてみたいんだ」

「ってことは、小夜さんを主役から降ろすんだ」

「いや、彼女は何でもできるから」

「具体的なイメージはある?」

「男の言いなりにならずに、ついてくる女がいいな」


 贅沢というか、ワガママというか、身勝手な男だ。


「そもそも次回作はどんな話なの?」


 そこでパソコンの画面を僕たちの方に向けて見せてくれた。


「近くにある村役場のホームページに白鳥湖にまつわる昔話が掲載されてるから読んでみて」


 以下のように書かれていた。


「むかしむかし、あるところに

 若い夫婦が住んでいました

 妻を亡くした若い男は湖へ行き

 来る日も来る日も泣いていました

 その日も湖へ行き泣いていると

 死んだはずの妻が現れました

 若い男はその妻を家に連れて帰り

 幸せに暮らしました

 それから湖には白鳥がいなくなりました」


 目を通したけど、意味が解らなかった。


「これだけ?」

「あぁ」


 まるで誰かが途中で話を端折った感じだ。


「どういう話なの?」

「わからない」


 仕方ないので探偵に訊いてみた。


「花園くんはわかる?」

「日本各地にある羽衣伝説の一つだろう──」


 詳しく説明してくれたけど、要するに今回の場合は、湖にいた白鳥が妻に化けて、そのまま人間と一緒に幸せに暮らしたのだろうと推察した。


 羽衣伝説には他にも様々なパターンが存在するようだ。人間が天女に魅了される部分は一致するけど、天女が天に帰れるケースと、帰れないケースがあるそうだ。


「──バレエの名作『白鳥の湖』も似たような話だ」


 それなら知っている。


「最期は二人で心中する悲劇的な話だよね」


 そこで蜂屋くんが否定する。


「シュウくん、それは違うんじゃないか? 二人が愛を誓って、悪魔が滅び、死ぬことで魂が永遠となったんだ。これ以上のハッピーエンドはないよ」


 いや、それは違う。


「『白鳥の湖』は悲恋を描いた作品として世界的に有名だよ」


 しつこく否定してくる。


「それは周りが勝手に悲恋だと思い込んでるだけじゃないか。本人たちが幸せなら、それは悲劇じゃないんだよ。幸せは、自分で決めるしかないんだから」


 これ以上は堂々巡りになるので言い返すのはやめた。


「何人かには話してるんだけど、次回作は心中をテーマにしようと思ってるんだ。近松門左衛門を現代に甦らせたい。江戸時代の人間が感動し、後世に残したいと思ったほどのテーマだ。いよいよ挑戦する時がきた」


 僕にはさっぱり理解できない話だった。


「うん。『白鳥の湖』も参考になるかもしれないな。ヒロインが魔法で白鳥にされるアイディアも素晴らしい。天女に魔法に心中か、これはイケるかもしれないぞ」


 そこでパソコンに向かって作業を始めようとしたところで、恥ずかしそうに笑う。


「ごめん。俺もゲームの参加者だったことをすっかり忘れていたよ。演じるのを止めて、素で話し込んでしまった。これじゃあ示しがつかないな」


 そこで時間を確認する。


「どうやら劇団員たちが暇を持て余してるみたいだから、シュウくんと花園くんは午後から別々に行動して、みんなの相手をしてくれないか?」


 ということで、二巡目は僕一人で行動することにした。



 一人目は、ロッジから遠くに見える浜辺の先で釣りをしている高橋くんを発見したので、彼に会いに行くことにした。


「釣れますか?」

「ボウズだよ、ボウズ」


 訊かなくても判っていたが、お決まりの挨拶が彼を不快にさせてしまったようだ。


「ったく、ゲームがなければもっといい釣り場に行けたのに、本当に迷惑な話だよ」

「そんなイライラしてると魚も寄ってきませんよ」

「木蔦くんも釣りをやるの?」

「いや、やったことないです」

「じゃあ、クソみたいなアドバイスすんなよ」


 怒られたけど、怒り方がコミカルなので面白かった。


「隣、いいですか?」

「うん。座りなよ」


 折り畳みの椅子があったので腰を下ろした。


「座長から次回作の構想を聞きました」

「あぁ、近松っぽい恋愛悲劇ね」

「本人は悲劇じゃないって言ってたけど」

「アイツだけだよ、そんなこと抜かしてんのは」

「だよね」

「死んでる時点で悲劇に決まってんだろ」


 僕もそれが普通の認識だと思う。


「次回作のヒロインだけど、高橋くんは誰がいい?」

「オレか、……いや、結局アイツが決めるからな」

「でも、あるんだよね?」

「イチオシはマナツちゃんかな」

「え? 彼女が心中モノのヒロイン?」

「ダメかな?」

「元気が良すぎますよ」

「バカ、そこがいんじゃないか、芝居なんだから」


 口が悪いけど、憎めない見た目で得するタイプのようだ。


「僕は普通に小夜さんがいいな」

「まぁね。いつか彼女で近松をやりたいってアイツも言ってたもんな」

「だったら決まりじゃないですか?」

「そんな単純な話じゃないんだよ」

「どういうことですか?」

「アイツと小夜さん、別れちゃったから」

「え?」

「付き合ってたんだよ」

「え?」

「いいんですか? 僕なんかに話しちゃって」

「みんな知ってるよ」


 僕は経験ないけれど、演劇サークルではよく聞く話だ。


「あの野郎は昔からそうなんだよ。先輩と付き合ったかと思えば、同級生と付き合いだして、それから後輩にも手を出す。それで辞めてった子がどれだけいたか。アイツが遊び散らかすせいで、もうメチャクチャだよ」


 愚痴が止まらない。


「小夜さんと別れてマナツちゃんと付き合ってるんだけど、それにも飽きて朝日ちゃんを狙ってるんだ。元カノと今カノと次カノが一緒に活動しているんだから、オレたちの方がストレスで頭がおかしくなる」


 予想以上にドロドロしていた。


「劇団『流れ蜂』は蜂屋のものだから仕方ないんだけどさ、腹立つよな」


 それから劇団運営に関する愚痴を時間いっぱい聞かされるハメになった。



 二人目は、ロッジの前でBBQの準備をしている梅本くんがいたので、彼と話をすることにした。


「これ、全部一人で用意してくれたの?」

「いや、他の人にも手伝ってもらいましたよ」


 夕方からなのに、すでにグリルセットの横にテーブルや椅子が並べられていた。


「楽しみっすね」


 空いている椅子に座って一息ついたので、僕も隣に腰掛けた。


「梅本くんは次回作について何か聞いてる?」

「知らないっす」


 そこで聞いた話を説明すると、本当に初耳だったようだ。


「座長は昔から近松みたいな心中モノをやりたいって言ってましたからね」

「ヒロインは誰がいいと思う?」

「そりゃ、小夜さんしかいないっしょ」

「だよね」

「他にいるんすか?」

「今回の合宿は、それを決めるオーディションなんだって」

「いやぁ、小夜さんしかいないけどな」


 彼とは趣味が合うようだ。


「揉めそうだけど、大丈夫かな?」

「なにがっすか?」

「サークル内がギスギスしない?」

「それはないっす」

「え? でも恋愛のイザコザとか面倒じゃん」

「ウチはそういうのもオープンなんで」

「劇団員の恋愛も?」

「昔からそうっすよ」

「珍しいね」

「そうなんすか?」


 いや、僕も多くは知らないから安易な返答は避けた。


「でも、元カノと今カノが一緒の舞台に立つって、気まずくならないのかな?」

「そういう経験も舞台に活かせ、っていうのが座長の哲学ですから」

「ほんと、芝居が命の人だよね」

「尊敬してます。いや、メシを奢ってもらえるのが理由っすけど」


 設定を思い出して、慌てて修正した感じだ。


「じゃあ、みんなサークル内の恋愛には寛容なんだね」

「じゃなきゃ辞めてますよ」

「なるほどね」

「客演の人や裏方スタッフは普通に引いてますけどね」


 ウチの大学の演劇サークルは、どこの劇団もキャストやスタッフが足りていないので、他から融通し合うことが多い。


「小夜さんは蜂屋くんとの別れを引きずったりしないのかな?」

「あの人はプロですから」

「確かに、そんな感じだった」

「すごい女優ですよ」

「小夜さん主演で観たいよね」

「観たいっす。いや、そんなもんより早くメシにしましょうよ」


 会話の邪魔になるゲームが鬱陶しくなってきた。


「でも、本当にオーディションなんてやってるんすか? 前に座長は朝日ちゃんを主役にした台本を書いてるって言いってて、てっきりそれが次回作になると思ってましたよ」


 僕が蜂屋くんに、白鳥湖畔に合宿地に向いてるキャンプ場があると話してから今日に至るので、予定が変わったのかもしれない。


「自分はどっちでもいいっすけどね。どうせ次もかたき役だと思うんで。でも、それが悪くないんすよ。舞台で嫌なヤツを演じると、日常の些細なことでも優しい人だと思われるんで。それでモテるようになりましたし、座長には感謝してます」


 それから桃のストレートジュースを飲みながら、時間いっぱい演技論を語り合った。



 三人目は、無性に小夜さんに会いたくなったので、浜辺の先まで歩いて、狙い通りシートで休んでいたので話し掛けた。


「座ってもいいですか?」

「どうぞ」


 シートの半分を空けてくれたので隣に腰を下ろした。


「これ、桃のジュースです。美味しいので持ってきました」

「ありがとう」


 唇が濡れただけでドキドキしてしまった。


「ほんとだ。すごく美味しい」

「ですよね」

「うん」

「福島の桃を食べてから果物ランキング一位は桃になりました」

「わかる」


 小夜さんと分かり合えたのが嬉しかった。


「次回作は心中モノらしいですね」

「そのようね」

「主演は小夜さんしかないと思います」

「そう?」

「絶対に似合いますよ」

「どこが?」

「儚そうに見えて、情念を感じられるところとか」

「あんまり嬉しくないけど」

「あっ、すいません」

「謝らないで、褒めてくれたんだもんね」


 大人の対応をされたということは、子供扱いされたということだ。


「そんなに私って、執念深く見える?」

「いや、そういう芝居をしてたんで」

「舞台を観て感じたんだ」

「はい。怨念すら感じました」

「それも褒め言葉よね?」

「もちろんです」


 小悪魔のように微笑むが、その遊ばれてる感じが堪らなく心地よかった。


「蜂屋くんと付き合ってたけど、別れたって聞きました」

「耳が早いのね」

「言っちゃ、まずかったですか?」

「そうね、まだ私が傷ついてたらどうする?」

「あっ、そうですよね」


 恋愛にオープンなのは蜂屋くんであって、相手の女性も同じだと限らないわけだ。


「ごめんなさい。デリカシーが欠けていました」

「いいのよ、別に終わったわけじゃないから」

「どういう意味ですか?」

「輪廻」

「りんね?」

「そう、生は死であり、死は生である、そんなところ」

「意味が解りません」

「シュウくん、あっ、ごめんなさい。彼がそう呼んでるから」

「構いません。好きに読んでください」


 僕も考え無しに「小夜さん」と呼んでいたことを反省した。


「シュウくんは、彼女いる?」

「いません」

「恋愛をしたことは?」

「ないんです、プラトニックな恋愛は、なくもないんですが」

「別に恥じることじゃないから、気にする必要はないと思う」

「それでも恋愛願望はあるんです」

「うん。それでも焦ることはないわよ。未知の先を知るには、未知である必要があるんだから」


 小夜さんが湖面を見つめる。その眼差しを見て、湖そのものが神秘的に感じられた。


「出会いと別れ、情熱と冷静、嫉妬と無関心、夢中と倦怠、狂気と正常、そして生と死、人生で経験することを、蜂屋はすべて体験させてくれるの。彼以外には考えられないと思わせて、平気で突き放す。そうかと思えば、『君なしじゃ生きられない』って言うのよ? それが蜂屋の恋愛なの」


 湖面はスポットライトが当たっているかのように輝いていた。


「蜂屋にとっては、すべてがお芝居なの。どこが本番の舞台かも分からない。演劇はお芝居だけど、舞台から降りてもお芝居なのよね。あの人は、そういう人」


 それから過去に出演した舞台について時間いっぱい話を聞かせてもらったが、スマホを見ている時間の方が長かったので、彼女の方は退屈に感じていたかもしれない。



 四人目は、蜂屋くんの今カノでもある真夏ちゃん。ロッジの周りにいなかったので、小山の頂上にいると思って、ふたたび登ることにした。


「隣、空いてる?」

「どうぞ」


 ベンチでスマホを見ていたが、声を掛けた瞬間、オフにしてくれた。


「先輩に聞きたいことがあったんですよ」

「あれ? 学年は一緒のはずだけど」

「ワタシは大学に入ってから演劇を始めたので」

「あっ、芸歴が上ってことか」

「そういうことです」


 アマチュアなので芸歴は意識したことないけど、どうでもよかったので深くは追及しなかった。


「アドバイスできることなんて何もないよ?」

「役立つかどうかは、ワタシが決めます」

「なるほどね」

「そういうことです」


 まるで女性版の蜂屋くんと喋ってるみたいだ。


「役者って台本をもらうと自分とは違う人間を演じなきゃいけないじゃないですか? 人殺しでもないのに人を殺したり、自殺なんて考えたこともないのに自殺したり、好きなタイプでもないのに好きになったり、先輩は役者としてどのようにアプローチしていますか?」


 彼女も頭の中が芝居でいっぱいのようだ。


「ウチの劇団は、座付き作家がキャラの掘り下げをやってくれるから、みんな助かってるよ。登場人物の履歴書を書いてくれたり、家族構成を考えてくれたり、台本には描かれない過去の思い出まであったりするんだ」


 興味深く聞いてくれている。


「でも台本のあがりが遅いから他の人にも本を書いてもらっていて、セリフとト書きだけ丸投げする作家さんの場合は、自分たちで話し合いながらワイワイ楽しくやっていく感じかな」


 真夏ちゃんが深く悩んでいる。


「演劇にも色々なやり方があるんだね。ウチは蜂屋くんが全てだから。せっかく憶えたセリフがなくなったり、稽古のアドリブが本採用されたり、それどころかストーリーが変わったりするんですよ?」


 初日と最終日で内容が変わることもあるらしい。


「小夜さんとか朝日ちゃんがそういうの上手くて、それでもワタシは誰にも負けたくないんだ。セリフを減らされたり、出番が削られたりしないように頑張らないとって。やっぱり、やるからには主役をやりたいし。だから──」


 そこでスマホを手に取り、無防備にパスコードを入力してロックを解除し、開いていた検索画面を見せてくれた。


「──過去に自殺した有名人がいて、死ぬ理由が分からないから、その人の人生を知ればヒントを掴めるかもしれないと思って調べてるの」


 次回作のヒロインに選ばれるために彼女も頑張っているわけだ。


「蜂屋くんの舞台は業界の人にも注目されてるし、ワタシもいつかはプロの世界でやってみたい。それにはどうしても次の作品で主役になりたいんだ」


 実際、プロに転向した大学OBの業界人が観劇に訪れているし、まったくの夢物語ではなかった。それから時間いっぱい夢を語り合った。



 五人目は、山道を下りたところの三差路で蜂屋くんと鉢合わせしたので、軽く立ち話をすることにした。


「さっき真夏ちゃんと話してきたよ」

「感想は?」

「彼女、ものすごく頑張ってるよ」

「他の連中だって頑張ってるさ」

「いや、もちろんそうだけど」

「それしか印象に残らなかったってことだろう?」


 随分と辛辣な意見だ。


「もう少し自分に自信を持ってくれるといいんだがな」

「いや、自信満々だったよ」

「そうか、それなら良かった」

「むしろ気負いすぎてないか心配になる」

「女優なんだから、それくらいが丁度いいんだ」

「でも、追い込み過ぎるのは良くないと思うよ」


 そこで蜂屋くんの表情が一変して、見たことのない眼光で睨みつけてきた。


「それは俺に対する批判か?」

「いや、僕は彼女が心配で」

「だからアドバイスしたと?」

「アドバイスというか」

「なんだよ?」

「頑張る姿が、精神的に追い詰められてるように見えたから」

「それで俺の演技指導にケチをつけたわけか」

「そんなつもりはないよ」


 それでも彼は許してくれなかった。


「凡人のアドバイスは、才能ある人間をも凡人に変えてしまう。君は、どれだけ自分に才能があると思ってんだ? 俺に向かって劇団の演技指導にまで口を出すくらいなんだから、それ相応の実績があるんだろうな? 自分が何者か説明してみろ」


 答えられるはずがなかった。


「凡人が偉そうに芝居を語るなよ。それともなにか? 俺をそんなに凡人にしたいのか?」


 そこで蜂屋くんが我に返ったような表情を見せる。


「ごめん、言いすぎた。こちらからオーディションの審査をお願いしておいて逆ギレするなんて理不尽だよな。本当に申し訳ない。俺もさ、芝居のことになると冷静じゃいられなくなるんだ。これは俺が悪かった」


 出会った時は演劇好きの謙虚な少年だったけど、注目されるようになってから人が変わってしまったような印象がある。


「ちょっと頭を冷やしてくる」


 そう言って、登山道には上らず、小山の向こうの外れ湖畔に向かうのだった。



 六人目は、向こうから声を掛けてきた。僕を見つけた朝日ちゃんに手首を掴まれて、連れられた湖畔の浜辺にビーチパラソルがあった。


「先輩、ここで、わたしと、湖畔デートしてください」


 傘の下にはビーチチェアが二つ並んでいた。


「朝日ちゃんがセッティングしたの?」

「いいえ」


 パラソルの土台は重いので、運ぶだけでもかなりの重労働だ。


「花園先輩にお願いしました」

「え? 言ってくれれば僕がやったのに」

「先輩を探したんですけど、見つからなくて」


 その残念がる表情が堪らなく可愛かった。


「花園くんとデートできた?」

「してません!」


 急に大きな声を出したのでびっくりした。自分でも驚いたのか、申し訳なさそうに謝る。


「ごめんなさい。花園先輩にお願いしたら、快く探してくれて、ロッジの物置に行ったんですけど、鍵が見つからなかったんです。それで先輩のバッグから拝借しちゃいました。勝手なことして大丈夫かなって思ったんですけど、花園先輩が『シュウくんのためなら』って、そう言ってました」


 花園くんに僕の恋愛を応援してもらえるとは思ってもみなかった。


「だから設置するのに時間が掛かって、それで時間切れになりました」

「なんだか申し訳ないね」

「そうなんですけど、わたしは先輩とデートしたかったので」

「そうなんだ、それじゃあ、座って話そうか」


 僕だってバカではないので、これがゲームなのは百も承知だ。それでも、ゲームから始まる恋があってもいいじゃないか、とも思っている。


「僕の周りには花園くんとか千華お嬢様とかクラシックな人が多くて、同世代の人たちと比べると浮いてるんだけど、『流れ蜂』の人たちも古風というか、チャラさがなくて、逆に変わってるよね。それはやっぱり蜂屋くんの影響なのかな?」


 朝日ちゃんもクラシカルな清楚さが特徴的な女の子だ。


「それは分かりませんけど、チャラそうだから不真面目とか、真面目そうだから誠実とか、そういうのはないと思います。傍から見れば、芸能をやってるだけで浮ついてるように見えると思うし、わたしも自分が優等生だとは思っていないので」


 その自己分析が生真面目さを物語っていた。


「次回作の話は聞いてる?」

「はい。詳しくは知りませんけど」

「なんでも心中モノらしいよ」

「らしいですね」

「朝日ちゃんも、やっぱり主演を狙ってるの?」

「わたしはそこまで主役にこだわっていません」


 意外な答えだった。


「先輩に遠慮してるのかな?」

「いえ、与えられた役も満足にできていないので」

「朝日ちゃんならプロでもいけるよ」

「ありがとうございます」

「そういう人が選ばれたりするから芸能は難しいよね」

「それは人生や恋愛も同じじゃないですか?」

「どういうこと?」


 そこで考えるが、一生懸命に言葉を見つけようとしている表情が知的で美しかった。


「いくら理想を追い掛けても、出会ったことのない人とは恋愛どころか会話すらできないんです。わたしという役を与えられたら、そこで懸命に生きるしかありません。主役になりたいという思いだけでは、延々と一人芝居を演じることになります。人との出会いは相手があってのことなので、運命に委ねすぎないようにしているだけなんです」


 そこで、はにかむ。


「その運命の人が、先輩かもしれないですけどね」

「え?」

「わたし、なに言ってんだろう」


 頬を染めて照れる仕草が可愛くて仕方がなかった。


「ゲームだって解ってるけど、そんなこと言われたら誰だって好きになっちゃうよ」

「ゲームとか関係ありません。そんなの思い出させないでください」


 ほっぺを膨らませて怒る姿も愛らしかった。


「でも、僕らほぼ初対面だし、話が急すぎて」

「わたしのこと、信用できませんか?」


 ゲームを壊さないのも僕の使命だ。


「朝日ちゃんみたいな可愛い子が、僕なんかを好きになると思えなくって」

「どうしてですか?──」


 この子は芝居が上手い。僕が何を言うか分からないはずなのに、間を入れずに瞬時に切り返しのセリフが出てきた。


「──友だちを大切にされていて、演劇仲間からも信頼されていて、ちゃんと話を聞いてくれるし、大人からも信用されている。見た目だって素敵です。どうしてそんなに自信が持てないのか、わたしには理解できません」


 ゲームを考案した蜂屋くんに感謝した。


「わたしと、お友だちになってください」

「あ、うん、友だちね」

「先輩、誤解してませんか?」

「いや、むしろ誤解が解けた」

「やっぱり誤解してます」

「どういうこと?」

「今のわたしにとって、それが精一杯の告白なんです」


 この子になら騙されてもいいと思った。


「東京に帰ったら、わたしとデートしてください」

「え? ゲームは明日で終わりだよ」

「だからゲームじゃないんです」

「本当に会うの?」

「先輩が、良かったらの話ですけど」


 ということでスマホを取り出して、本当に連絡先を交換してしまった。


「みんなには秘密ですよ」


 それから理想のデートとか、付き合う前のカップルみたいな話をして、途中で文香ちゃんが割り込んできたけど、朝日ちゃんが真剣な顔で追い払い、時間いっぱい楽しく会話をすることができた。



 最後の七人目は、その文香ちゃんだ。ずっと僕たちのことを監視していて、時間が過ぎたところで、今度は朝日ちゃんを追い払って、空いたビーチチェアに腰を下ろしたのだった。


 三十分ルールは目安であって厳格なものではないのに、彼女だけキッチリ守ろうとしていた。僕の時もわざわざスマホでアラームをセットするほどだった。


「先輩、朝日と何を話してたんですか?」

「芝居のこととか、他にも色々と」

「色々って?」

「それは個人的なことだから」

「先輩、合宿中だって忘れてませんか?」

「もちろん、演劇の話しかしてないよ」


 朝日ちゃんとの会話は、ゲームの一部であることを誰よりも理解しているつもりだ。


「彼女も主役になりたいんだよ、だから僕との会話を頑張ってるんだから」

「次回作のヒロインですか」

「彼女は天性の女優だね」

「でも心中モノは朝日に合いませんよ」

「そうかな? なんでもできると思うけど」


 唯一の懸念は、主役以外が似合わない可能性があることだ。


「先輩は、誰が主役に相応しいと思いますか?」


 難題だ。三人の候補と話してから余計に悩むようになり、蜂屋くんの気持ちが少しだけ理解できた。


「やっぱり僕は小夜さんがいい。心中ごっこや恋愛の真似事ではなく、彼女なら女の情念を描けると思うから。でも朝日ちゃんに期待するのは解るんだ。彼女の輝きを一刻も早く解き放ってやらないのは、演出家の罪だからね。それでも蜂屋くんは個人的に真夏ちゃんに期待してると思う。彼女もまた、それに応えようと努力しているからね」


 そこで文香ちゃんに睨まれた。


「どうして私じゃダメなんですか? 私もキャストの一人なんですよ? 先輩は、私を候補の一人とも思っていませんよね? それはなぜなんですか? 答えてください」


 四姉妹の中で損な役回りをする三女のようなキレ方をした。


「いや、文香ちゃんは素晴らしいよ」

「どこがですか?」

「芸の幅が広いし、舞台の完成度を高めてくれる存在だ」

「意地でも『主役に向いてる』とは言わないんですね」

「向いてるよ、向いてる、そういう作品もある」

「〝個性派〟って言葉で逃げようとしてませんか?」


 こじらせすぎだ。


「もう、やめようかな」

「なんでそうなるの?」

「もう、疲れました」

「そんなことないよ」

「私の何を知ってるんですか?」


 それから時間いっぱい彼女が退団しないように必死に説得した。僕は同じ劇団員でも何でもないというのに。



 それから日没時間を調べて逆算し、早めに夕食を摂った。九人全員のBBQは、この上なく楽しかった。


 肉汁を落とすのがもったいないほどの福島牛とカラフルなパプリカ。玉ネギやトウモロコシも串刺しにして食べた。


 ちょっと変わったものといえば、じゅうねん味噌を塗った焼き団子だろうか。初めて食べたけど、甘じょっぱくて美味しかった。


 夕暮れ迫る中、後片付けの時間を考慮して早めに食事を終えたのだが、最後に蜂屋くんがテーブルを囲む八人に向かって、立ち上がり挨拶をした。


「俺自身にも言えるけど、バーベキューが始まってからゲームの設定を忘れて楽しんじゃったので、明日はもっとカードに書かれた役柄を徹底して演じ切ろう。初日の経験を活かせないようでは質の高い連続公演なんてできないからな。それじゃあ、明日もよろしくお願いします。以上、解散!」


 ということで、お開きとなった。

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