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白いノートと、君の線  作者: 佐藤 めあ


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第十五章 見られる線

 水曜日の朝、反対側の隣は三日目になった。


 教室に入って、自分の席へ向かう。


 窓側から二列目。


 後ろから三番目。


 最初はよそよそしく見えた机も、少しずつ自分の場所になってきている気がした。


 左隣には、まだ誰もいなかった。


 滝さんの鞄もない。


 昨日は先に鞄だけがあったけれど、今日は席ごと空いている。


 僕は椅子に座り、ノートを開いた。


 昨日のぴょん吉がいる。


『反対側の音。』


『たぶん、届いた。』


『たぶんでも、分かった。』


 見返すと、昨日の体育館の音が少しだけ戻ってきた。


 金管の大きな音。


 木管が前に出たところ。


 その中で、たぶん滝さんだと思った音。


 確信はない。


 でも、たぶん分かった。


 昨日はそれでよかった。


「おはよう」


 左から声がした。


 滝さんだった。


 今日は、鞄を持ってそのまま左隣に座った。


「おはよう」


「反対側、三日目」


「確認されました」


「生存確認」


「確認されました」


「体調は?」


「普通。眠気なし。反対側には少し慣れた」


「おお」


「何その反応」


「進歩確認」


 滝さんは小さくうなずいた。


 それから、ノートを開く。


 今日のぴょん吉は、昨日より少しだけ普通に座っていた。


 机の横に座って、耳だけ反対側へ向けている。


 横に一言。


『反対側、慣れ始め。』


「慣れ始め」


「まだ完全ではないので」


「確かに」


「佐倉くんは?」


「同じくらい」


「確認しました」


 滝さんは少しだけ笑った。


 昨日の演奏の疲れが残っているのか、いつもより少し眠そうだった。


 でも、朝の表情は軽い。


 昨日の『たぶん、届いた。』は、まだノートの端に残っている。


 僕はそれを見ないようにしながら、少しだけ見てしまった。


 朝のホームルームで、担任の先生が部活動の話をした。


「一年生の仮入部は今週で一区切りになる。正式入部の届けも出始めているから、各部は活動場所や案内をもう一度確認しておくように」


 教室の中が少しざわついた。


 運動部の人たちは、一年生が何人来るかを小さな声で話している。


 吹奏楽部の方でも、昨日の新入生歓迎の演奏がどうだったかという話が出ていたようだ。


 美術部も、たぶん関係がある。


 仮入部の一年生は何人か来ている。


 山城くんの弟も来た。


 困っている筆の掲示は、まだ貼ってあるはずだ。


 朝の連絡を聞きながら、僕は何となくその掲示を思い出していた。


 困っている筆。


 最初は変だと思った。


 でも、それを見て来てくれた一年生がいる。


 そう考えると、変なものも少しは役に立つらしい。


 二時間目が終わったあとの休み時間、廊下に出ると、向こうから藤野先生が歩いてきた。


 美術室ではなく、普通の廊下で会うのは少し珍しい。


 先生は僕に気づくと、手に持っていたプリントを軽く持ち上げた。


「佐倉、ちょうどよかった」


「はい」


「放課後、少し相談してもいい?」


「相談ですか?」


「うん。美術部の案内、少し描き足したくて」


 ちょっとだけ予想はしていた。


 朝のホームルームで言われた通りだろう。


「掲示のやつですか?」


「そう。仮入部も今週で一区切りでしょ。正式入部の前に、もう少し分かりやすくしたいの」


「何を描くんですか?」


「部室の場所とか、活動日とか。あと、ちょっとしたカット絵」


「カット絵」


「そう。今の困っている筆、結構評判いいのよ」


「評判いいんですか?」


「少なくとも、足を止める力はあるわ」


 足を止める力。


 それは褒め言葉なのか、少し分からなかった。


 でも、悪い意味ではなさそうだった。


「困っている筆の続きでもいいし、パレットでもいいし。佐倉の線が入ると、美術部らしくなる気がして」


「僕の線ですか」


「うん」


 先生はそれだけ言うと、プリントを持ち直した。


「じゃあ、また放課後ね」


「はい」


 先生は職員室の方へ歩いていった。


 僕はしばらく廊下に立っていた。


 僕の線。


 美術部らしい。


 そう言われても、よく分からない。


 僕にとっては、ただ描いているだけの線だ。


 でも、掲示に入れば、それは誰かを案内するための線になる。


 一年生が見る。


 美術部に入るかどうか迷っている人が見るかもしれない。


 それを考えると、少しだけ背筋が伸びた。


 教室に戻ると、滝さんがこちらを見た。


「佐倉くん」


「うん」


「廊下で固まってた」


「見てたの?」


「少し」


「藤野先生に相談されてた」


「何を?」


「美術部の掲示」


「掲示」


「案内を描き足したいって」


 滝さんの目が少し動いた。


「困っている筆、続編?」


「たぶん、そのあたり」


「筆、外部進出」


「もう外に出てるけどね」


「追加進出」


「何それ」


 滝さんはノートの端に何か描こうとした。


「今、描こうとしたでしょ」


「確認されました」


「やめて」


「保留」


「保留なんだ」


 滝さんは少し笑った。


 そのやり取りの途中で、次の授業の先生が入ってきた。


 話はそこで一度止まった。


 でも、藤野先生の言葉は頭の中に残ったままだった。


 僕の線。


 見られる線。


 昼休み、如月さんが来た。


「夏美」


「沙耶」


「弁当」


「うん」


 もう完全に決まった流れだった。


 滝さんが弁当箱を出す。


 僕も弁当を出す。


 如月さんが椅子を持ってくる。


 席替えをしても、昼休みの形はあまり変わらなかった。


 ただ、僕と滝さんの左右だけが変わっている。


「佐倉くん、筆の追加進出」


 滝さんが言った。


「その言い方、定着させないで」


 僕はすぐに返した。


 如月さんが弁当を開けながらこちらを見る。


「何の話だ」


「美術部の案内を描き足す話」


「藤野先生に言われました」


「佐倉が描くのか」


「たぶん」


「たぶん?」


「まだ何を描くかも、誰が描くかも決まってないので」


 滝さんが真面目な顔で言う。


「困っている筆、続編」


「だから決まってない」


「掲示追加、未確認」


「勝手に進めないで」


 如月さんは弁当を食べながら言った。


「見られるのも活動だろう」


 僕は箸を止めた。


「見られるのも?」


「美術部なら、描いたものを見られることもある」


「それはそうですけど」


「ノートの端に描くなら平気で、掲示だと迷うのか」


「迷います」


「なぜ」


 そう聞かれて、少しだけ考えた。


 嫌だから、ではない。


 恥ずかしいから、だけでもない。


「掲示だと、ちゃんと意味がいる気がします」


「意味?」


「余白があるから描く、とは根本的に違う気がして」


「筆、余白要員ではない」


 滝さんが言った。


「そういうこと」


 滝さんは少しだけ真面目な顔になった。


 如月さんも、弁当を食べる手を少し止めた。


「なら、意味を作ればいい」


 如月さんが言った。


「意味」


「美術部の掲示なんだろう。描くなら、見る人に伝わる役目があればいい」


「簡単に言いますね」


「簡単ではない。だが、考えることはできる」


 如月さんは少しだけ考えてから続けた。


「困っている筆を続けるなら、前より少し進んだ筆にすればいい。仮入部から正式入部に進む案内なんだからな」


「進んだ筆」


「困っているままでもいい。だが、同じ困り方でなくてもいいだろう」


「同じ困り方」


「前は、入口が分からなくて困っていた。今回は、入る前で少し迷っているくらいでいい」


 如月さんはそう言って、少しだけ箸を止めた。


「困っていることと、進もうとしていることは、別に矛盾しない」


 その言葉に、滝さんが少しだけ目を丸くした。


「沙耶、今のいい」


「何がだ」


「困っていることと、進もうとしていることは、矛盾しない」


「繰り返すな」


「本採用?」


「するな」


「でも、いい」


 滝さんはノートの端に筆を描いた。


 筆が少し困った顔をしながら、前へ進もうとしている。


 横に一言。


『困っているけど、進行中。』


「筆、進行中」


「正式入部なので」


「なるほど」


 滝さんは少し笑った。


 僕も少しだけ笑った。


 でも、心の中ではまだ考えていた。


 見られるのも活動。


 困っていることと、進もうとしていることは矛盾しない。


 何かを掲示に出すなら、ちゃんとそこにいる意味がほしい。


 その言葉が、昼休みの間ずっと残っていた。


 放課後、美術室へ行くと、藤野先生は大きな紙を机の上に広げていた。


 白い模造紙ではなく、少し厚めの紙だった。


 上には、すでに文字が入っている。


『美術部 活動案内』


 その下に、活動日、場所、持ち物、正式入部についての説明。


 余白がいくつか空いていた。


「来たね、佐倉」


「はい」


「体調は?」


「普通です。少し緊張しています」


「掲示で?」


「掲示で」


「正直でよろしい」


 先生は笑った。


「今日は無理に完成させなくていいわ。まずは端に小さく描いてみるだけ」


「端に」


「そう。いきなり真ん中じゃなくていいのよ」


 端。


 その言葉に少しだけ安心した。


 いきなり掲示の中心に何かを描くよりは、ずっと考えやすかった。


「何を描けばいいですか」


「まずは、困っている筆の続きでいいと思う」


「続き」


「うん。今の掲示を見て来てくれた一年生もいるから、雰囲気は残したいの」


「なるほど」


「でも、少しだけ前向きにしてもいいかもね。正式入部の案内だから」


如月さんと同じことを言ってるなと思ったけど、言わないでおいた。


「前向きな困っている筆」


「難しい注文ね」


「先生が言いました」


「言ったわね」


 藤野先生は少し笑った。


 僕はシャーペンを持った。


 いきなりマジックでは描けない。


 まずは薄い線。


 仮の線。


 紙の端に、小さく筆を描く。


 前の困っている筆より、少しだけ前向きに見える筆。


 でも、完全に堂々とはしていない。


 少し緊張している。


 困っているけれど、進行中。


 昼休みの滝さんの文字を思い出した。


 それは、美術部に入る前の一年生にも少し似ている気がした。


 中が気になる。


 でも、いきなり真ん中には入れない。


 端に困りながらどこかを見ている。


 そこまでは描けた。


 ただ、筆だけだと少し寂しい気がした。


 筆の視線の先が、少し空いている。


 この筆は、ただ困っているだけではない。


 誰かを見ているようにも見えた。


 その先に何かを描くなら。


 パレットでもいい。


 絵の具でもいい。


 でも、紙の余白を見ていると、ぴょん吉が頭に浮かんだ。


 美術部の中にいる筆。


 その外から、少しだけ覗いているぴょん吉。


 まだ入るかどうか迷っているけれど、少し気になっている。


 そういう顔なら、ここにいてもいい気がした。


「止まったわね」


 藤野先生が言った。


「はい」


「何か浮かんだ?」


「……ぴょん吉です」


「ぴょん吉?」


 先生は思い出したようにもう一度


「ああ、ぴょん吉ね」


 と言った。


「まだ仮ですけど」


「仮でいいわよ。見せて」


 僕は紙の端に、小さなぴょん吉を描いた。


 片耳が折れている。


 顔は少し大きめ。


 体は小さめ。


 分け目もある。


 掲示の端から、少しだけ顔を出している。


 完全に出ているわけではない。


 でも、隠れているわけでもない。


 筆の視線の先にいる。


 美術部の中を、少しだけ覗いている。


「いいじゃない」


 藤野先生が言った。


「そうですか」


「うん。覗いてる感じがいい」


「覗いてますね」


「美術部を覗いてみませんか、って感じ」


「なるほど」


 自分で描いたのに、先生に言われて初めて意味がはっきりした気がした。


 掲示の端から顔を出すぴょん吉。


 それは、美術部の入口から中を覗く一年生にも少し似ている。


 ちゃんと入る前の、少し迷っている感じ。


 仮入部。


 未確認。


 でも、少し気になる。


 そういう顔だった。


 僕が線を少し直していると、美術室の入口から声がした。


「失礼します」


 滝さんだった。


 僕は思わず手を止めた。


「滝さん?」


「音楽室に行く途中」


 滝さんはそう言ってから、机の上の掲示に目を止めた。


「あ」


 小さく声が出る。


 僕はシャーペンを持ったまま固まった。


 見られた。


 描いているところを。


 完成したものを見られるより、途中を見られる方がなぜか落ち着かなかった。


 線が迷っているところ。


 消しゴムで直した跡。


 まだ決まっていない形。


 そういうものまで見られている気がした。


「ぴょん吉、いる」


 滝さんが言った。


「うん」


「外部進出?」


「たぶん。筆が中にいて、ぴょん吉が外から覗いてる」


「美術部を?」


「うん。まだ入るか迷ってる感じ」


 滝さんは少しだけ黙った。


 そして、掲示の端から顔を出しているぴょん吉を見た。


「それなら、ぴょん吉っぽい」


「そう?」


「うん。端にいるけど、ちゃんと見てる」


 そう言われて、少しだけ安心した。


 ぴょん吉をただの飾りとして置いたわけではないことが、滝さんにも伝わった気がした。


「これなら、いいと思う」


「本当?」


「うん。美術部を覗いてる」


「藤野先生にもそう言われた」


「じゃあ、本採用」


「僕が決める前に?」


「ぴょん吉がそう言ってる」


「言ってないよ」


 滝さんは少し笑った。


 その声は、いつもの冗談っぽさより少し静かだった。


「でも、いい」


「どこが?」


「佐倉くんの線な気がする」


 意味が分からなくて、僕は少しだけ黙った。


「僕の線?」


「うん」


「線って、そんなに分かる?」


「分かる」


 滝さんは真面目に言った。


 藤野先生は何も言わずに、少し離れたところで紙を整理している。


 たぶん、わざとだ。


「佐倉くんの線、静か」


 滝さんが言った。


「静か?」


「うん」


「上手いじゃなくて?」


「上手いもあるけど、静か」


 その言葉は、褒め言葉なのかよく分からなかった。


 でも、嫌ではなかった。


 上手いと言われるより、少し深いところを見られた気がした。


 それが嬉しいような、落ち着かないような、不思議な感じだった。


「静かって、いい意味?」


 僕が聞くと、滝さんは少しだけ考えた。


「いい意味」


「本当に?」


「本当。うるさくないけど、ちゃんといる」


 ちゃんといる。


 昨日、僕が滝さんのクラリネットに感じたことに少し似ていた。


 他の音に混ざっている。


 でも、ちゃんとそこにいる。


 滝さんは僕の線に、そういうものを見つけたのかもしれない。


「受け取ったほうがいいわね」


 藤野先生が離れたところから言った。


「先生」


「今のは受け取るところよ」


 滝さんも少しだけ笑った。


 僕はシャーペンを置いて、少しだけ目をそらした。


「受け取ります」


 小さく言うと、滝さんはうなずいた。


「確認しました」


 藤野先生も満足そうにうなずいた。


「じゃあ、その静かな線で、もう少しだけ描き足してもらおうかな」


「今の流れで増えるんですか」


「増えるわね」


「厳しい」


「厳しいのはいいこと、なんでしょう?」


 どこで聞かれたのか、先生にまで言われた。


 僕は少し笑った。


 滝さんは用事が終わったので、音楽室へ戻ることになった。


 入口のところで一度振り返る。


「佐倉くん」


「うん」


「掲示デビュー、本採用?」


「まだ仮採用」


「確認しました」


 滝さんはちょっとだけ不満そうにそう言って、音楽室の方へ戻っていった。


 その後ろ姿が見えなくなってから、僕はもう一度掲示を見る。


 美術部の中にいる、少し前向きな困っている筆。


 その外から覗いているぴょん吉。


 少しだけ震えた線。


 でも、消さなくてもいい線。


 僕は掲示の下に、小さくパレットを描き足した。


 派手ではない。


 でも、少しだけ楽しそうに見えるように。


 部活が終わる頃、掲示はまだ完成していなかった。


 でも、端のカット絵はいくつか入った。


 藤野先生はそれを見て、うなずいた。


「いい感じ。今日はここまでにしましょう」


「完成じゃないんですか」


「完成は明日でいいわ。仮の線も残しておきたいし」


「仮の線を?」


「うん。少し直しすぎると、かえって硬くなるから」


 僕は紙の端を見た。


 ぴょん吉の耳の線が、少しだけ歪んでいる。


 でも、それも悪くない気がした。


 美術室を出て昇降口へ向かうと、滝さんと如月さんが待っていた。


 如月さんは竹刀袋を持っている。


 滝さんは楽器ケースを持っていない。


 今日は音楽室に置いてきたらしい。


「お疲れ」


 滝さんが言った。


「お疲れ」


 如月さんが僕を見る。


「掲示は」


「まだ途中です」


「ぴょん吉は」


「少しだけ出ました」


「外部進出」


 滝さんがすぐに言った。


「仮進出」


「仮がついた」


 如月さんは少しだけ僕を見る。


「見られたか」


「見られました」


「どうだった」


「落ち着かなかったです」


「それでやめたか」


「やめてないです」


「ならよい」


 短い言葉だった。


 でも、少しだけ背中を押された気がした。


 校門へ向かう途中、滝さんが隣に並んだ。


「佐倉くん」


「うん」


「静かな線」


「まだ言う?」


「本採用」


「僕が決める前に?」


「たぶん本採用」


「たぶんか」


「でも、たぶん本採用」


 僕は少しだけ笑った。


「じゃあ、仮採用」


「厳しい」


「まだ慣れてないので」


「確認しました」


 如月さんが前を歩きながら言った。


「褒め言葉くらい、そろそろ素直に受け取れ」


「受け取りました」


「半分だ」


「半分」


「残りは明日受け取れ」


「持ち越しですか」


「そうだ」


 滝さんが笑った。


「受け取り、分割払い」


「何それ」


「本採用?」


「しない」


 如月さんが即答した。


 三人で少し笑いながら、校門を出た。


 反対側の隣にも、少しずつ慣れてきている。


 滝さんの音を見つけた。


 今日は、僕の線を見つけられた。


 見られるのは、まだ少し怖い。


 でも、見られたから分かることもあるのかもしれない。


 家に帰ると、母さんが台所から顔を出した。


「おかえり」


「ただいま」


「今日はどうだった?」


「美術部の掲示版用の絵を描いた」


「あら、すごいじゃない」


「まだ途中」


「それでもすごいわよ」


「ぴょん吉が少しだけ外に出た」


「外に?」


「掲示に」


 母さんは少しだけ笑った。


「デビューね」


「みんな同じこと言う」


「みんな思うのよ」


 僕は鞄を置いた。


「滝さんに、僕の線は静かって言われた」


「いい言葉ね」


「そうなのかな」


「いい言葉だと思う」


「上手いじゃなくて、静かって」


「ちゃんと見てくれてる感じがするわね」


 ちゃんと見てくれている。


 その言葉で、少しだけ胸の奥がくすぐったくなった。


 夜、部屋でノートを開いた。


 今日のぴょん吉は、ノートの端から少しだけ外へ顔を出している。


 その横に、筆が一本。


 少し困っているけれど、前よりは逃げていない。


 横に一言。


『見られる線、未対応。』


 少し考えて、もう一つ足した。


『静かな線、仮採用。』


 書いてから、手が止まる。


 仮採用。


 でも、消さなかった。


 見られるのはまだ怖い。


 褒められるのも、まだうまく受け取れない。


 それでも今日、僕の線はノートの端から少しだけ外に出た。


 白いノートの端にいるぴょん吉も、今日は少しだけ外を見ているように見えた。


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