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心霊内科5 〜猫又〜  作者: Phanyuxonn


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3/4

 酷く薄暗い箱の中で生まれたのを覚えている。糞尿の臭う劣悪な環境だった。

 兄弟の中で自分だけ特別だと気がついたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()事を知った時だった。

 兄弟の中には先天的に足の不自由なものもいた。しかしそれは知らぬ間に居なくなっていた。

 狭い部屋で多くの仲間と共に()()()()()()()()()と知った時、酷く憤った記憶がある。狭く不自由で食べ物の腐敗臭と糞尿の臭う部屋。窓は開かれる事は無く、唯一外へと通じる扉への通路はいつも閉まっていた。

 所狭しと大小様々なゴキブリが這い回り、コバエが飛び回った。十分な食事は与えられず、いつも腹を空かせていた。

 気がつくと五匹生まれた兄弟は、一匹残してみんな死んでしまった。

 生まれてどのくらい経ってからだろうか、知らない人間がぞろぞろとやってきた。ホケンジョがどうとかドウブツアイゴがどうとか聞こえた。仲間達が捕まえられて連れて行かれる中、俺だけどうにか逃げ出した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 初めて見た外の世界は、広く眩しく美しく、そして自由だった。

 しかし、外の世界でも腹が減るのはどうにもならなかった。たまに親切な人間が食事を与えてくれた。これは正直ありがたかった。だが人間はすぐに俺を撫でようとする。よく食事をくれた人間には仕方ない、撫でさせてやった。しかしその人間も結局俺を捕まえようとした。冗談ではなかった。またあの薄暗く汚い部屋に戻ってなるものか。

 俺はここでもまんまと逃げてやった。しばらくして人間の世界で生き残るには、()()()姿()()()()()()()()()()()()()という事に気がついた。

 そう、俺は()()()()()()()

 もっと早くに気がついていれば、あの扉を自由に開けて、仲間も外へ逃してやれたのに。

 だが、現実は自分ひとりが生きていくのがやっとだった。あの薄暗い部屋では分からなかったが、人間というものはフクというものを身につける。それを知らない頃は何も身に着けない人間の姿になって、大騒ぎになったこともあった。暫くの間、人間達の間で警戒されたものだった。

 暫く人間たちを観察して、イフクやクツを身につける姿を学んだ。人間はしばしば大きな箱の様なものに乗って遠くまで移動する。何度か追いかけてみたが、普通の猫には追いつけないスピードだった。俺ですらついていけないものもあった。

 そうして、少しずつ移動して気がつけば山の中にいた。

 山の中ではめったに人間に出会うこともなかった。食事はネズミや小型の鳥、トカゲやヘビ、カエルから昆虫まで食えるものは何でも食べた。しかし寒い季節になると食べ物が無くなり、人のいる所へまた行かなければならなかった。

 猫の姿でいれば食事を与えてくれる人間もいた。しかしそいつらは必ずと言っていいほど俺を捕まえようとした。人間の姿で食事を得ようとするにはカネが必要だった。カネを盗むことは簡単だったが、使う事が難しく、人間に不審な目で見られることも度々あった。

 そうして何度も季節を繰り返していくうち、気がついたことがあった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()。これだけ沢山の人間がいるのに。

 人間は食事を与えてくれる存在ではあるが、基本的に俺を不快にすることの方が多かった。

 ネズミも喰った。鳥も喰った。ヘビもトカゲも昆虫も喰った。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 そんな事はない。だから人間を襲った。

 最初はいつも外で寝ている年老いた男だった。

 初めて喰った人間は、生暖かい血の匂いがして()()()()()()()()()()()()()

 その時俺は初めて知った。

 ()()()()()()()、と。

 これは本能だった。(あやかし)の本能であった。

 それからは人を喰うのが当たり前になった。

 その辺で寝ている年寄りが多かった。

 一人食えば、しばらくは妖力が持った。また人間を喰らうほど妖力も強くなっていった。人間を喰らう事は俺にとって効率が良かった。

 一度子供を喰った。若い肉は柔らかく生命力に満ちており美味であったが、その後かなりの騒ぎになって残念ながら、子供を喰うのは難しくなった。

 若い女を喰うのは簡単だった。若い男に化けて騙して連れだしてやれば良かった。

 幸いにして俺の化ける若い男は女受けするようだった。

 家出して一人暮らしをしている女、天涯孤独だと言っていた女、ちょっと優しくしてやれば簡単に家に転がり込むことができた。

 そうして生きてきて、ある日アイツに出会った。

 一目で分かった。俺と同じ、()()()()()()()()──()()()()()()

 同じ猫又に生まれながら、人間に飼われてのうのうと生きている。

 最初は俺と同じように人間の住処に捕らわれているのかと思った。それならば助けてやろうとすら思っていた。

 だがアイツは違った。自分の意思で人間に飼われている。

 美しい毛並み。十分な食事を貰い大事にされて生きている。

 俺とは違った。

 それが何故だか無償にムカついた。 

 ──人間なんぞに飼われやがって。

 人間は喰らうものである。

 だから考えた。アイツの前でアイツを飼っている人間を喰らってやったらどうなるだろうか。

 アイツは泣くのだろうか。怒るのだろうか。一丁前に俺に向かって来るかもしれない。

 想像したら楽しくなった。

 だから喰らってやると決めた。

 アイツの飼い主にワザとニオイをつけてやった。そうすればアイツも警戒するだろうと。

 だがアイツは家から出てこない。飼い主を見張っているが、アイツが外で近くにいる気配がない。

 ──臆病者め。

 別にアイツの居ないところで喰らってやってもいいが、どうせなら面白いほうがいい。

 もしかして他にあの人間を護っている奴がいるのかとも思ったが、その気配もない。

 まぁいい。急いでいるわけでもない。アイツが出てくるまでゆっくり待ってやる。

 だから早く出てこい。お前の飼い主は狙われているぞ。

 早く出てきて俺を楽しませてくれ。



 土曜日は連日の雨から解放され、久々に天気が良かった。それと同時に四月にしては気温もグンと上がり、朝の天気予報では5月中旬並と言われていた。どうりで暑いわけだ。晃輔は昨日と同じ上着を羽織って出勤し、早速後悔に襲われた。

 予約時間の十分前、十一時二十分過ぎに渋谷陽翔はクリニックに訪れた。

 白のTシャツの上にグレーのルーズシルエットのカーディガンを羽織り、ネイビーのテーパードパンツにスニーカーという装いである。その姿はとても小学生の娘がいるような年齢には見えなかった。

 受付に向かうと朔ににこやかに声をかけた。

「今日十一時三十分から予約している渋谷ですが」

「陽翔様お待ちしておりました」

 心得ているとばかりに朔は笑顔を返した。

「朔さんこんにちは、今日はよろしくお願いします。これ、よかったら休憩の時間にでも」

 すると陽翔はそう言って朔に笑顔で手土産を渡す。有名西洋菓子店の包みである。こういうところもこの男はぬかりない。

「まぁまぁ!お気遣いいただきまして…申し訳ありません。ありがとうございます」

 朔は立ち上がって両手で丁寧に手土産を受け取るとお礼をいった。手土産をすぐに受付のカウンターから引っ込める。

 それから朔は待合室のソファーへ座るよう促した。

「準備が整いましたらお呼びいたします。席にお掛けになってお待ちくださいまし」

 陽翔はそれに従い待合室を見渡すと、隅の目立たな空いている椅子にゆっくりと歩いていった。

 膝に肘をついて顎の下で手を組んで座る。そんな姿も様になる。晃輔の兄、壮亮も華のあるイケメン、いや年齢的にイケオジであるが、陽翔も壮亮とはまた違ったタイプのイケオジである。

「渋谷様、処置室へお入りください」

 程なくして、晶湖が処置室の扉を開け、陽翔を呼んだ。

 陽翔は軽く手を上げ立ち上がると、早足で処置室へと向かった。

「やあ渋谷くん、初めまして、晃輔の兄の高梁壮亮です」

 処置室内の机で検査伝票に記入していた壮亮は、陽翔が入ってくるなり立ち上がり、陽翔を迎え入れると右手を差し出した。

「こちらこそ初めまして。晃輔くんの高校時代にラグビー部で一緒だった渋谷陽翔です。今日はよろしくお願いします」

 陽翔は差し出された右手をしっかり握り返した。イケオジ同士の対面である。どうでもいいが、晃輔の周りには兄の壮亮を筆頭に朔、晶湖と顔立ちの整った人物が多い。

「じゃあ早速だけど、ベッドに横になってもらっていいかな?」

 壮亮が促すと、晶湖が心得たようにベッドへ案内した。

「こちら側を頭にして横になっていただけますか?」

 陽翔は言われた通りに、頭の部分だけ防水シートが敷かれた電動昇降ベッドに、仰向けで横になる。晶湖は寒くないように身体に毛布代わりの大判のバスタオルを足元からかけるが、背の高い陽翔には胸までギリギリ届かない。そもそもベッドすらギリギリであった。

 それから晶湖は陽翔の血圧を測る。

「百二十八の七十です」

「はーい」

 カルテに血圧を入力すると、壮亮は立ち上がって陽翔の横になっているベッドへ向かう。晶湖がベッドのちょうど中央の足元にあるフットペダルを踏んで、壮亮の処置しやすい高さまでベッドの高さを調節している時に、第一診察室から処置室へつながるの扉から晃輔が顔を出した。

「やぁ、体調はどうだい?」

 ベッドに横になった陽翔に扉から声をかける。

「緊張はしているけど悪くはないかな」

 陽翔は寝たままほとんど顔を動かさずに、目だけを晃輔に向けそう答えた。

「兄貴はうまいからすぐ終わると思うけど、頑張ってくれ」

 晃輔はそのまま会話を続ける。

「ははっ、それはありがたい」

 陽翔がそう返事しているときにベッドの高さの調節が終わったのか、陽翔の頭側からベッドへ向けて壮亮が椅子に座る。晶湖に目で合図をしてスキンマーカーを受け取った。

「じゃ、兄貴、頼むよ」

 晃輔は兄の壮亮に目で合図を送ると、壮亮はワザとおどけたような態度で返事をした。それから陽翔の頭上から声をかける。

「プレッシャーだね。了解した。では渋谷くん、始めていくけれど何かあったら遠慮なく言ってくれ」

「ありがとうございます。お願いします」

 陽翔はお任せしますとばかりにゆっくりと目を閉じた。



「じゃ、一旦帰って嫁さんと娘を嫁さんの実家に送ってくるから…七時半頃に吉祥寺駅北口でいいかい?」

 陽翔は腕時計に目を落としながら、今後の予定を晃輔に確認した。

 手術は何のトラブルも無く三十分ほどで終わった。額に分厚いガーゼを粘着性の高い伸縮性のあるテープでとめられた陽翔は手術が終わった後、第二診察室に通された。だが診察すると言うよりは、ただ晃輔と話をするだけである。

 「お、奥さんお子さん連れて家出かい?」

 晃輔はわざとらしく眉をひそめ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

「ははっ、うちは円満だよ。前からこの週末嫁さんと娘達はあっちの実家に泊まる予定があったんだ。ちょうど良かったよ」

 陽翔は肩をすくめて、声を立てて笑った。晃輔のからかいなど、とうに織り込み済み、といった様子だ。

「なんだ。つまらん」

 晃輔は「ちっ」と舌打ちでもしそうな雰囲気で唇を尖らせると、陽翔は苦笑いして右手の甲で晃輔を叩くように突っ込みを入れた。

「おい」

「冗談だよ。OK、七時半だな。大丈夫だよ」

 晃輔は降参とばかりに両手を軽く上げ、いつもの気安い笑顔に戻る。そこは陽翔もわかっているとばかりにニヤっと笑う。何年も会わなかった二人だが、そんな様子は微塵もなく、昔と変わらぬ会話をしていた。

 「それじゃ、また後で」

 陽翔は前回来た時と同じように両膝を叩いて立ち上がると、扉へ向かった。

「あ、ありがとな。気を使ってもらっちゃって」

 陽翔の背中に向かって思い出したように晃輔は手土産の礼を言った。

 陽翔は一瞬何を言われたのかわからなかったが、すぐに思いつくと、くしゃっと笑って

「ああ、いや、何がいいかわからなかったから女性陣に喜ばれそうなものにしたよ。確か晃輔も甘いものすきだったよな?と思ってさ」

 と続けた。

「よく覚えてたな。ありがたくいただくよ」

 陽翔の物覚えの良さに改めて関心しつつ、そういうところが自分にはないモテ要因だよな、と詮もない事を考えていた。

 陽翔が帰った後は残りの患者の数は十人を切るくらいの人数で、ほとんど内科の患者だった。そのため、陽翔の手術が終わると壮亮は、朔の入れた珈琲を飲みながら今日手術した件数分の検査伝票を記入した後、さっさと帰っていった。

 こちらも今日は娘の用事があるらしい。言われてみれば壮亮の子供のも娘二人、顔がいい男には娘が生まれるのか?等と根拠も何もない、またもどうでもいいような事を晃輔は考えた。

 最後の患者を診終えると、時間は十三時を回っていた。流石に腹が減った、晶湖を送ったらコンビニでサンドイッチでも買って帰ろうか等と朔の入れた珈琲を飲みながら考えていると、晶湖が床をフロアワイパーで拭きながら声をかけてきた。

「今日どちらかへおでかけされるんですか?」

 話しながらも晶湖は掃除の手は止めない。

「ああ、聞こえてたかな。夜、陽翔と食事にね」

「んー?…お食事ですか?」

 晶湖は少し冗談めかして、でも晃輔のじーっと顔を見つめて問い詰める。

「…アルコールも少し…」

「…」

「一杯だけ」

「…」

「はい!スミマセン。でも本当に一杯だけのつもりだから。ちゃんと止めるから」

 晃輔はまいったとばかりに軽く両手を上げ、晶湖に許しを乞う。

「ふふふ、冗談ですよ。勿論、先生の方がずっとわかってらっしゃるんですから」 

 晶湖はフロアワイパーの手を止め、くすくすと笑うと

「久々に会われたんですもの。楽しんでいらしてきてくださね」

 そう言って掃除の続きに戻った。



 日中は5月中旬並と言われた気温も夜になるとまた下がる。晃輔は一度帰ってシャワーを浴びた後、結局今朝着てきたものと同じネイビーのジャケットを、ブラックの薄手のニットの上に羽織ることにした。ボトムスはニットに合わせてブラックのスリムパンツに、靴はスエードレザーのローカット。

 十九時を回った土曜日の吉祥寺駅は混んでいて、人通りは多い。晃輔は通行の邪魔にならないように北口の入口の端の方に立ち、腕時計をみた。時間は十九時二十五分を回ったところだった。

「はははっ、やっぱりお前は目立つな。人混みの中でもすぐわかる」

 陽翔が晃輔に気がついてすぐに声をかけてきた。どうやら陽翔の方が先に来ていたようだった。

──オマエモナ。

 陽翔も晃輔ほどではないが高身長で、その上顔もスタイルもいいのでとても目立つ。二人が並ぶととても威圧感があるくらいだった。晃輔も陽翔も自分が他からどう見えるかなど気にしないタイプで、だからこそ仲良くいられるのかもしれない。

「来てたのか、お待たせ」

 晃輔は陽翔に取り敢えずそれだけ言った。

「いや、俺もちょうど今来たところ。着いて顔を上げたらお前が見えた」

 陽翔は朗らかに笑いながらそう言った。

「そうか」

 晃輔は自分の癖のある後ろ髪をなんとなく手櫛でほぐした。

「そんじゃ、行こうか。すぐ近くに、美味い魚を食べさせる店があるんだ」

 陽翔の案内で駅から三分ほど歩いたところに、お目当ての居酒屋はあった。

 居酒屋とは言え、価格帯はやや高め設定。その分煩い客もおらず雰囲気のいい店であった。

「へぇ、いいじゃないか」

 カウンターの席に二人並んで着いて、晃輔はお絞りで手を拭きながら店を見回す。カウンターには日本酒の瓶や自家製の果実酒がところ狭し並び、奥にはクラフトビールのサーバーが設置されていた。

「だろ?ここは日本酒の種類が豊富なんだ…が」

 そこまで言って、陽翔は晃輔を見る。晃輔はまだ店内を見回し、壁にかかっている日本酒の銘柄を確認しながら

「それは次の機会にしよう」

 と言った。

「だよな」

 陽翔は寂しそうに眉を下げながら笑った。

「でも、お前酒強かっただろ。結婚式の二次会でめちゃくちゃ飲まされてたのに顔が赤くもならなかったよな」

 晃輔は最後に陽翔に会った結婚式を思い出していた。あの時は二次会ではラグビー部の同学年が全員が来て、嫌がらせのようにビール瓶を持って花婿の陽翔のところに並んで飲ませていた。それでも陽翔は酔う素ぶりもなく、飲ませた連中の方が酔っ払って校歌を歌ったりしていた。

「はははっ、あったね、そんなことが。あの時は流石に俺もヤバいと思ったよ」

 とてもそうは思えない軽やかさで笑うと、陽翔は一杯だけ、とカウンター越しにジョッキでビールを晃輔の分と2杯頼んだ。

「それじゃ、取り敢えず再開を祝して」

 陽翔が音頭を取る。

「かんぱーい」

 キンっと小さくジョッキをぶつけると二人は同じ様な速さでジョッキを半分ほど飲んだ。

「やぁ、うまいな」

「喉が乾いていたようだ」

 それから二人はメニューを見ながら適当に、と、オススメを片っ端からと、別で刺身の盛り合わせ。ピザ、きゅうりの一本漬けなど目につくものを片っ端から注文していった。

 歳を取って若い頃より食べる量は減ったとは言え、元ラガーマンである。晃輔はもとより陽翔も今でもそれなりの量を食べる。あっという間に二人の前は料理でいっぱいになった。

 それを片っ端から平らげていく。陽翔は一杯だけといいながらももう一杯ビールを注文していた。

「そう言えば、陽翔は今どこにすんでるんだっけ?」

 晃輔はホッケを箸で突付きながら聞いた。そのままパクっとホッケの塊を口に運ぶ。

「俺?今世田谷だよ。…晃輔は変わらずあそこ?」

 陽翔はタラの芽の天ぷらを口に運びながら答えた。

「寂しい独り身なものでね」

 冗談とわかるように大げさに拗ねながら、晃輔も二杯目のジョッキを口に運ぶ。

「晃輔が結婚しないのはワザとじゃないのかい?」

 それに対して陽翔は意外そうに、晃輔に聞いた。思わず箸の手が止まる。

「そんなわけあるか。結婚できるならしてるさ」

 晃輔はお行儀悪く、カウンターに肘をついて少しぶっきらぼうに答えた。

「そうかな?晃輔って確かに女性に対して奥手というか、鈍いところがあるけど…それ以上に…何ていうか、あまり女性に構えるっていうか、踏み込ませないようにしてなかったか?」

 陽翔の言葉に晃輔は笑いながら否定した。そうしてジョッキを口に運ぶ。

「はは、そんなことないよ」

 陽翔は完全に箸を止めて、晃輔の方を見ながら過去を思い出すようにやや真剣な顔をして、確認するように目で問いかけた。

「いや、俺も晃輔が女性と話しているのをそんなに見たわけじゃないけど、言葉の端々から…そんな雰囲気に感じたけどな。わざとかなって」

「…」

 言われて晃輔は黙り込む。

 確かに今まで、女性と付き合った事は何度かあるが、深く腹を割って付き合ったことは無かった。 

──そうなのかな。確かに俺には人にはあまり話せないことがあるけど…無意識にそうしてたのか?大学の時付き合っていた彼女には…確かに告白されてなんとなく付き合っただけだったな。

 そして、「高梁くんって思ってたのと違う」と言って振られたのは今となっては良い思い出と言えなくもない。

「…まぁ、別に求めて無ければ今どき独身でも問題ないけどな」

 どうやら晃輔自身も気がついていなかった確信をついてしまったらしい。

 黙り込んでしまった晃輔に、陽翔は苦笑いしながら慰めともつかぬ言葉を発した。

「…だからかな?全部振られて終わってるのは」

「…それは…」

──それだけとも言えないのでは。

 という言葉を飲み込んで、陽翔は中身が半分になったジョッキを黙って晃輔のジョッキにぶつけた。

 三杯目からは流石にノンアルコールビールに切り替えた。そうして粗方注文したものを食べ終えた頃、陽翔がぼそりと言葉を口にした。

「俺さ、動物は何でも好きだけれど、特に猫が好きでさ。今も飼っているくらいなんだけど」

 晃輔は残った付け合せの海藻を箸で口に運びながら、()()()()()()()()()()()()()

「ああ、()()()()()()ね」

──しまった。

「あれ?俺名前言ったっけ?てか、コタロー「さん」て何だよ。うちのはまだ生まれて一年くらいだよ。めちゃくちゃかわいいんだよ」

 だが、陽翔はあまり気にしていない様子で、苦笑しながらコタローの年齢を晃輔に教える。コタローをとてもかわいがっているらしく待ち受けも娘二人がコタローを抱っこしている画像だった。晃輔は内心ホッとしながらそれを悟られないように誤魔化した。

「それで?猫がどうしたって?」 

 晃輔が話を促すと、陽翔は何故か急に表情を曇らせた。

 「そう、好きなんだけど…少し前にさ。最初にお前のクリニックに行った少し前だよ。真っ黒な綺麗な猫を見かけたんだ」

 手持ち無沙汰に、箸で何度も刺身の盛り合わせについてきたツマを持ちやすいように形を整えながら、口に運ぶでもなく何となく突付いている。

「それが…目が合った瞬間、とても怖かったんだ」

 陽翔は箸を止めて晃輔を見た。

「最初は普通のかわいい猫だと思ったんだ…だけど、目が合った瞬間ぞっとして…ソイツは足元にすり寄ってきたんだけど、俺は撫でてやるどころか動くことすら出来なかったんだ」

 陽翔は少し早口でそこまで言うと、まるで恐怖をかき消すようにグラスに残ったノンアルコールビールを一気に煽った。

「ソイツはいつも暗闇の中から出てきて、俺をじっと見つめた後どこかへ消えていくんだ。俺はそれが怖かった…おかしいだろう?普通の小さな猫なのに…俺はソイツに」

 陽翔は困ったように眉を下げて無理やり笑った。

「喰われるかと思ったんだ」

 


読んでくださりありがとうございます(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)

手術をした当日は血が止まらないと困るため、普通は血の巡りが良くなるようなことは控えるように言われます。激しい運動や湯船に浸かること、飲酒もです(笑)。便宜上陽翔は飲んじゃってますが、皆さんはやめておいてくださいね(笑)。

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