死のクリスマスイブ・29
二十九
薄暗い部屋のなか、二人の男がテーブルを挟み話し合っている。
街は正月休みのためにひっそりと静まりかえり、時間の流れが止まってしまったような錯覚さえ覚える。しかし、二人はそんなことなどまったく気にならないようにテーブルに置かれた書類を満足そうに眺めていた。
「驚くほどうまくいきましたね」
まだ三十そこそこに見える男が言った。もし、その男を克行が見たならばすぐにその男が市役所で見た職員の一人であることに気づいたことだろう。分厚い眼鏡の奥で薄気味悪く目が光っている。
「どのケースもなかなか面白い結果だったよ。全て君のおかげだ」
白髪の混じった比較的年配といえる男が満足そうに答えヤニ臭い息を吐いて笑った。スーツの襟には金色のバッチが誇らしげに光っている。
「とんでもありません。最初に先生からこの話を聞かされた時は正直言って私も驚きました。けれど全てが終わった今、先生が私を選んでくれたことに感謝しております」
職員は軽く男へ向かって頭を下げた。
「この実験の結果で家族、恋愛、そんなくだらない人間関係全てが特権者優遇計画を実施するのに障壁になるものではないということが証明された。いや、むしろそれを逆手に取ることによって計画はもっともっと面白い方向へ進むと言ってもいい。それに特権者優遇計画だけではない。これから実施しようとする全ての計画がスムーズに進むことが実証されたと言っていい。特に風間克行と五十嵐麻美、数あるモデルケースのなかでもなかなか面白い。これはこれからの計画に非常に役立つことだろう」
「このケースには恋愛、家族、友情、人間のわずらわしい感情が全て入っていますからね。特権者にも数人の犠牲は出ましたが、結果的には十分満足いくものとなりました。しょせん特権者たちも捨て石に過ぎませんからね。それに何よりも三浦涼子、彼女が意外にも役立ってくれました。初めはもっと別の形でシークレットファイルの中身を彼らに伝えるつもりでしたが彼女がいてくれたおかげでそれもスムーズにいきました」
「三浦涼子か……彼女にしてみれば不運としか言い様がないだろうな。友人のためにやったことが結果的には友人を追い詰める形になったのだからな」
「現実には友人というよりも自分のためだったようですがね」
「どういうことかね?」
「私のほうで調べた結果わかったのですが、三浦涼子はなかなかの野心家らしく、シークレットファイルの中身を種に五十嵐麻美を脅迫していたふしがあるんです」
「脅迫? あんな娘を脅迫していったい何の得になるというのだね」
「素人なんですよ。へたに特権者優遇計画のことを知っていたために五十嵐麻美の父親が特権者優遇計画の委員長を務めていたことを知り、未だに政治的に大きな力を持っていると思いこんだようです」
「馬鹿なものだ。今更彼にいったいどんな力があるというのだ」
男は呆れたように言うとタバコを一本口へ運んだ。それを見てすかさず職員はライターで火をつけようとした。だが、男はそれを断わった。
「今、禁煙しているんだ。私も長生きしたいからねえ」
そう言って笑うとすぐにタバコをケースへと戻した。
「それにしても五十嵐前委員長、このまま黙っているでしょうか」
「君まで彼にそんな力があると思っているのかね?」
「いえ……そうは思いませんが、ただ、家族を殺されてはさすがにこのまま黙ってはいないでしょう」
「黙るしかないのさ。この計画を初めに打ち出したのは彼だ。しかも彼にはもう何の権限もありはしない。委員会を降ろされた今、彼は一介の国家公務員でしかない。一時、我々も彼に騙された。素晴らしい思想の持ち主かと思っていたが……そもそもたかが国家公務員が我ら政治家を振り回そうなどと企んだことが彼の失敗だよ」
「しかし、このことをマスコミにでも公表されれば――」
「それも心配する必要はない。マスコミにはすでに圧力を加えてあるし、彼もそんなことはすまい。何しろ自分の娘を自分の発案した計画で殺してしまったのだからな。自分が殺したようなものだ。それに彼にも消えてもらおうかとも考えている」
「……」
「一度裏を知ってしまった人間をそのままにしておくわけにはいかんからね。ともあれ、彼が消えることで一気に計画は進歩することになる」
「はい」
職員は男の言葉に素直に頷いた。
「ところで話は変わるが一つ不満がある」
男は一度外を眺め、それから再び視線を職員へ向けてから思い出したように言った。
「不満……ですか? 何か落ち度がありましたでしょうか?」
職員は思いもよらぬ男の言葉に思わず身を固めた。
「私が不満なのは君のところの笠原市長のほうだよ」
「市長……ですか?」
「ああ、今回も彼は自分自身に権利を与え、しかも特命者までも割り当て殺人……いや、削除を行った。やり方があまりにも露骨すぎる。我ら政治家がやりたい放題やっているように見えるではないか。これではマスコミもいかに圧力を加えようともいつまでも黙ってはいまい。何しろマスコミというのは政治家をつぶすことが正義と考えているところがある」
「はぁ……私も意見したのですが。何といっても私は身分を隠して一介の職員として委員会に加わったものですから……」
職員はどう答えていいか狼狽した。
「君を責めているわけではない。君は国家委員会の人間としてこの市役所にもぐり込んだだけなのだからね。ただ彼の行為だけは許すことが出来ない。上層部にも彼の行為は伝わって批判の声があがっている」
「いったいどうすれば……」
「風間克行を使えばいいだろう」
はっきりと男は言った。
「風間?」
「そうだ、彼を使って特権者優遇計画をさらに一歩進めるんだ」
「は?」
「以前から言っていた計画を進めるんだ」
男の目は新たな楽しみへ向かって光り輝いていた。