第6話 偽装工作
唯月はポケットから取り出した小型の端末を起動すると、机に並べた二台のスマートフォンのうち、一台にケーブルを接続した。
端末の画面にいくつもの情報が表示された。
唯月が指先を動かして操作すると、しばらくしてスマートフォンの画面が切り替わった。
「……え?」
美俐沙が思わず声を漏らした。
つい先ほどまでロック画面が表示されていたスマートフォンが、何事もなかったようにホーム画面を映し出していたのだ。
唯月は特に反応せず、ケーブルをもう一台のスマートフォンにつなぎ替えた。
そちらもほどなくしてロックが解除された。
「すごーい! どうやったの、それ!?」
小柄な少女が目を丸くした。
「ちょっと、瑠丹……」
美俐沙が小声でたしなめた。
まだ信用できるかもわからない相手に、無邪気に話しかけることを警戒しているのだろう。
「手品みたいなもんさ」
唯月はそれだけ答えると、スマートフォンの中身を確認し始めた。
通話履歴、連絡先、メッセージアプリ。
二台の端末を見比べながら、組織内で使われている連絡手段を調べていった。
やがて、唯月は一つのメッセージアプリを開いたまま、美俐沙たちに顔を向けた。
「この店の男たちは、普段から二人だけなのか?」
「はい。人は代わりますけど。私たちが働いている間は、いつも二人です」
「交代する時間は決まってるのか?」
「だいたいは、決まった時間だと思います。あと、夜に別の人たちが来ることもありますけど、毎日ではないので……」
「なるほど。じゃあ、あの二人が誰かと連絡を取るのを見たことは?」
「それは……」
美俐沙は少し考え込んだ。
「たまに電話しているのは見ます。でも、決まった時間に連絡しているかどうかまでは……」
唯月は小さくうなずき、再びスマートフォンに目を落とした。
二人のメッセージ履歴を確認する限り、現時点で異常を知らせる連絡は届いていなかった。
過去のやり取りからすると、何か異常があれば、まずメッセージで報告する決まりになっているようだった。
ならば、組織側が本格的に動き出すまでには、思っていたよりも猶予があるかもしれない。
もっとも、監視室のカメラが停止したままでは、いずれ不審に思われるだろう。
唯月は先ほど確認した連絡先の中から、監視設備の管理を担当している相手とのやり取りを開いた。
『監視室のカメラに不具合が出ていた。今から復旧させる』
送信を済ませ、唯月は制御盤へ向き直った。
「何をするんですか?」
美俐沙が尋ねた。
「止まってるカメラを戻す」
「えっ……でも、それじゃあ……!」
「大丈夫だ。映るものはこっちで用意する」
唯月は自分の端末を制御盤につなぎ、操作を始めた。
指先が目にも留まらぬ速さで画面上を滑っていく。
次々と情報が表示され、目まぐるしく切り替わっていった。
美俐沙たちはその様子を呆然と見つめていた。
監視室のカメラは、店内のほかの監視設備とは別の系統で管理されていた。
どうやら、この部屋の様子だけを外部から確認できるようにしているらしい。
昼間の調査では、このカメラの存在までは把握できていなかった。
ただ、実際に設備を確認できた今となっては、構成を調べるのは難しくない。
唯月は接続状況を確認すると、カメラの映像を処理するための設定を変更していった。
まもなく、制御盤に表示されていた停止状態の通知が消えた。
「これでよし」
唯月は端末の画面を一瞥した。
外部へ送られているのは、数時間前に記録された監視室の映像だった。
男たちが普段どおりに席についている場面を使い、不自然な繰り返しが目立たないよう調整してあった。
少なくとも、映像を軽く確認した程度では、現在の監視室の様子ではないと気づくことは難しいだろう。
「……何をしたの?」
明るい髪色の少女が不思議そうに尋ねた。
「向こうには、何も起きてないように見せてる」
「そんなこと、できるんだ……?」
「まあね」
唯月はあっさり答えた。
少女たちは顔を見合わせたが、それ以上何を聞けばいいのかわからない様子だった。
唯月は続けて、店内の監視設備へ目を向けた。
こちらは昼間に調べたとおり、外部から直接アクセスできない構成になっていた。
そして、監視室にある録画装置には、店内や居住スペースの映像が保存されていた。
唯月は直近の録画データを確認した。
少女たちが男たちを拘束した場面も、バックヤードを移動する姿も、しっかり記録されていた。
このままでは、あとから映像を確認されれば何が起きたのかすぐにわかってしまう。
唯月は必要な情報を確認すると、関連する録画データの削除を始めた。
同時に、これ以降の映像も記録されないよう、録画装置の設定に細工を施した。
「……あの、まだやることがあるんですか?」
焦った様子で、美俐沙が尋ねた。
「カメラの記録を消している」
「えっ?」
美俐沙は驚いたように声を上げた。
「でも、そんなことをしている暇があるんですか? もう、あの人たちが来るかもしれないのに……」
「今のところ、その可能性は低いと思う」
「……どうしてですか?」
「さっき確認したスマホには、異常を知らせる連絡が来てなかった。君たちの話だと、普段から頻繁に人が出入りしているわけでもないんだろ?」
「はい……」
「それに、監視室のカメラを止めたのは、あの男たち自身だ。向こうが異常に気づいたとしても、すぐに君たちが逃げようとしてるとまでは考えないはずだ」
唯月は画面を確認しながら続けた。
「もちろん、絶対じゃない。別の連絡手段があるかもしれないし、突然誰かが来る可能性もある。ただ、今すぐ追手が来ると決めつけて飛び出すより、ここでできることを済ませた方がいい」
「でも、記録を消すことに、そんなに意味があるんですか……?」
「ある。映像が残っていたら、あとから確認するだけで、君たちがいつ、どうやって逃げたのかすぐにわかるだろ?」
「……はい」
「でも、記録がなければ、何が起きたのか調べるところから始めなきゃいけない。今ここで少し時間を使っておけば、その分、あとで稼げる時間はずっと大きくなるかもしれない」
美俐沙は少し考えてから、小さくうなずいた。
「……なるほど」
「それに、君たちの制服にはGPSが入ってるんだろ? 今も正常に動いていて、三人とも店内にいることになってる。監視室のカメラに多少異常があっても、それだけで逃走を疑う理由にはならないはずだ」
「……やっぱり、動いてるんですか?」
美俐沙は不安そうに、飲み物をこぼした端末へ目を向けた。
「あれは位置情報を表示するための端末だ。壊したところで、GPSそのものが止まるわけじゃない」
「……そう、ですか」
美俐沙は悔しそうに唇を噛んだ。
唯月は机の上に置かれた位置情報の表示端末へ目を向けた。
「そっちも何とかしておこう」
自分の端末を操作し、位置情報の管理状況を確認した。
唯月は管理側の設定を調べ、三人の位置情報が店内を示し続けるよう偽装処理を進めた。
しばらくして、端末の画面に完了を知らせる表示が現れた。
「とりあえず、これで大丈夫だろう」
「……本当ですか?」
「ああ。これで君たちがどこへ移動しても、向こうからはずっと店内にいるように見えるはずだ。ただ、その制服は念のためあとで着替えた方がいい」
美俐沙は何度もうなずいた。
「ありがとうございます……!」
唯月はその言葉に返事をすることもなく、端末の画面に目を戻した。
先ほど仕掛けた処理が終わるまでには、まだ少し時間がかかりそうだった。
その間に、ほかにも手掛かりがないか調べておくことにした。
監視室の机や棚を確認したが、目ぼしい書類は見つからなかった。
備品の管理表や簡単な業務記録はあるものの、組織の実態につながるような情報はなかった。
最初から、重要なものをこの部屋に置くつもりはないのだろう。
唯月は今度は室内の端末に目を向け、保存されているデータを確認した。
こちらにも大した情報は残されていなかったが、嫌がらせも兼ねて削除できるデータは片っ端から消しておいた。
そして、再び二台のスマートフォンへ目を向けた。
メッセージの履歴には、店の運営に関する指示や、少女たちの勤務状況についての報告が残っていた。
組織の末端にいる人間の端末としては、それなりに使える情報だった。
詳しく調べたいところだが、いつまでもここに留まっているわけにはいかない。
唯月はひとまずメッセージの履歴を流し見ていたが、ある名前を見つけて指を止めた。
「……へえ。ザラーム、ね」
その名前には見覚えがあった。
裏社会に関する情報を調べていると、ときおり目にする名前だ。
ただし、その実態についてはほとんど知られておらず、唯月自身も単なる噂の類いだと思っていた。
まさか、こんなところで目にするとは思っていなかった。
唯月の口角が、わずかに上がった。
そして、ふと顔を上げると、美俐沙に視線を向けた。
「……あの?」
じっと見つめられていることに気づき、美俐沙が戸惑ったように声を掛けた。
「どうかしましたか?」
「いや、ちょっと面白いものを見つけただけだ」
「面白いもの……?」
「こっちの話だ。気にしなくていい」
唯月は何事もなかったかのように、再びスマートフォンに視線を落とした。
正直なところ、唯月はこの三人にそれほど関心を持っていなかった。
逃がす手伝いをすると言ったものの、適当な場所まで離れればそれで終わりにするつもりだった。
だが、ザラームの名前が出てきたとなれば話は別だ。
この店とどんな関係があるのか。
単に名前が挙がっただけなのか、それとも、もっと深いところでつながっているのか。
詳しく調べる価値はありそうだった。
それに、美俐沙たちはこの店で働いていた。
本人たちが意識していなくても、何か重要なことを知っている可能性はある。
唯月は端末の画面をあらためて確認した。
必要な処理は、ちょうど完了したところだった。
「さて、と」
唯月はケーブルを外し、自分の端末を片づけた。
二台のスマートフォンも電源を切り、鞄にしまった。
「ひとまず、ここでやることは終わりだ」
「わたしたち、逃げられるの?」
瑠丹が期待と不安の入り混じった表情で尋ねた。
「ああ。少なくとも、今すぐ居場所を追われる心配は減ったと思う」
三人の表情が、わずかに明るくなった。
「美俐沙、愛珠奈! よかったね……!」
瑠丹が二人に嬉しそうに声をかけた。
「うん。まだ安心はできないけどね」
愛珠奈と呼ばれた明るい髪の少女も、ほっとしたように微笑んだ。
片付けを終えた唯月は、そんな三人の様子を見ながら、再び口を開いた。
「ただ、このまま適当な場所に逃げても、安心できるとは限らない」
「……どういうことですか?」
美俐沙が不安そうに尋ねた。
「君たちを管理してた連中が、簡単に諦めるとは思えないからね。GPSで追えなくなっても、ほかの方法で探してくる可能性はある」
「それじゃあ、私たちはどうすれば……」
「ちょうど、しばらく身を隠せる場所に当てがある」
三人は顔を見合わせた。
「そんな場所があるんですか?」
「ああ。とにかく、ここを出よう。さすがにこれ以上長居するのは得策とは言えない」
「え、あ……」
美俐沙はためらった。
彼が自分たちを助けようとしてくれているのは確かだ。
けれど、まだ素性もわからない相手だ。
その男についていって、本当に大丈夫なのだろうか。
そんな美俐沙たちの迷いを察したのか、唯月が口を開いた。
「無理にとは言わない。ここから先は、君たちが決めればいい」
美俐沙は二人を振り返った。
瑠丹は不安そうに美俐沙を見上げていた。
愛珠奈も、すぐには何も答えなかった。
しばらくして、愛珠奈が口を開いた。
「……少なくとも、この人がいなかったら、私たちは逃げられなかったと思う」
「うん……」
瑠丹もうなずいた。
美俐沙は二人の顔を見てから、唯月に向き直った。
「……お願いします。私たちを、連れていってください」
「わかった」
唯月は短く答えた。
「じゃあ、行こうか」
三人はうなずき、唯月の後に続いた。
監視室を出ると、奥の部屋からはまだ男たちの声が聞こえていた。
唯月はそちらに目を向けることもなく、歩き続けた。
四人はバックヤードを抜け、店の入口へ向かった。
美俐沙は、最後に一度だけ振り返った。
この一年近く、毎日のように働かされてきた店だった。
もう二度と、ここへ戻るつもりはなかった。
「……行こう」
誰にともなくそうつぶやき、美俐沙は店の外へ踏み出した。
唯月は三人が出たのを確認すると、静かに扉を閉めた。
こうして、四人は定食屋を後にした。




