第5話 接触
唯月は、先ほど食事をした定食屋の前に立っていた。
昼の営業が終わってから、しばらく時間が経っていた。
店の入口には営業終了を知らせる札が掛かっている。
ガラス越しに中を覗いても、人の姿は見当たらなかった。
唯月は扉に手を掛けたが、予想どおり鍵が掛かっていた。
仕方なく扉を何度か叩き、店内に向かって声を掛けた。
「すみません。どなたかいらっしゃいませんか?」
返事はなかったが、唯月は何度も扉を叩き、声を掛けた。
しばらくして、ようやく店の奥から慌ただしい足音が聞こえてきた。
現れたのは、昼間にも見かけた若い女性店員だった。
彼女は肩で息をしており、額にはうっすらと汗が浮かんでいた。
唯月の姿を認めると、驚いたように目を見開き、すぐに店の奥を振り返った。
「すみません、もう営業は終わっているんですけど……」
「はい、それは承知しています。実は、昼にこちらで食事をした際に忘れ物をしたかもしれなくて。何か届いていませんか?」
「忘れ物、ですか……?」
「ええ。手帳なんですが、手元に見当たらないので、もしかしたらこちらに置いてきたのかと思いまして」
女性は困ったように眉を寄せた。
「いえ、特に届いていないと思いますけど……」
「そうですか。念のため、店内を確認していただくことはできますか?」
「えっと……」
彼女は返事をためらい、何度も店の奥を気にしていた。
もちろん、唯月は何も忘れていない。
忘れ物というのは、店内へ入る口実にすぎなかった。
この店の裏側にあるものを調べるには、客として出入りできる場所だけでは足りない。
何か理由をつけて奥へ入れないかと考えていたのだ。
とはいえ、無理に押し入るつもりもなかった。
断られたり、不審に思われたりしたら、別の方法を考えればいいだけだ。
そう思っていたところで、店の奥から別の少女が顔を覗かせた。
「美俐沙、まだ? 早くしないと……!」
少女は唯月の姿に気づくと、慌てて顔を引っ込めた。
「ご、ごめんなさい。今はちょっと手が離せなくて……」
美俐沙と呼ばれた女性は、焦った様子で言葉を続けた。
「もし後で見つかったら連絡しますので、連絡先だけ教えていただけますか?」
「わかりました。では、お願いします」
唯月が電話番号を伝えると、美俐沙は手近にあった紙に書き留めた。
「すみません。それじゃあ、失礼します」
彼女は頭を下げると、急いで店の奥へ戻っていった。
唯月もその場を離れようとしたが、ふと入口を振り返った。
美俐沙は慌てていたためか、扉に鍵を掛けていなかった。
「……ずいぶん慌ててたな」
先ほどの二人は、単なる仕事上のトラブルにしては、妙に切迫しているように見えた。
この店の裏事情と、何か関係があるのかもしれない。
唯月は周囲を軽く見回した。
人通りが途切れたのを確かめると、音を立てないよう扉を開け、店内へ滑り込んだ。
静かに扉を閉め、先ほどの二人の後を追った。
足音を殺してバックヤードを進むと、小さな話し声が聞こえてきた。
「だから、もう逃げるしかないって……!」
「でも、本当に大丈夫なの……? やっぱり、バレてるんじゃ……」
「ここにいたって、どうせ見つかるだけよ」
声は三人分あった。
唯月が物陰から覗くと、廊下の先で三人の少女が身を寄せ合うように話していた。
先ほどの美俐沙と、奥から顔を出した小柄な少女。それにもう一人、淡いベージュ系のウェーブヘアが印象的な少女がいた。
さらに奥から、男たちの怒鳴り声が響いてきた。
「おい! ふざけんな! 早くほどけ!」
「聞こえてんだろ! こんなことして、ただで済むと思うなよ!」
三人はびくりと肩を震わせた。
「……ねぇ、どうするの?」
「早く行こうよ。カメラもGPSも、もう動いてるかも……」
小柄な少女と明るい髪色の少女は、焦った様子で美俐沙を見つめていた。
どうやら、男たちを拘束して店から逃げようとしているらしい。
監視設備についても、何か気になることを話していた。
詳しい事情はわからないが、この店で何かが起きていることは間違いなさそうだった。
それなら、直接話を聞いた方が早い。
唯月は隠れるのをやめ、三人の前に姿を現した。
「えっ……さっきの……!」
最初に気づいたのは、小柄な少女だった。
その声につられて振り向いた美俐沙も、唯月の姿を認めて顔色を変えた。
「あなた、どうしてここに……?」
「悪い。ちょっと気になることがあってね」
「勝手に入ってきたんですか……?」
「ああ。勝手にお邪魔してるよ」
唯月があっさり認めると、三人は警戒を強めた。
小柄な少女が、美俐沙の背後に隠れた。
「あなた、何者なんですか?」
「俺は、この店の裏事情について調べてる」
「……え?」
「この店が普通の飲食店じゃないことは、ある程度わかってる。だから、何か手掛かりがないか探してたんだ」
三人は顔を見合わせた。
「それって……あの人たちの仲間じゃないってことですか?」
美俐沙が恐る恐る尋ねた。
「君たちに危害を加えるつもりはないよ」
「でも、そんなの……口では何とでも言えますよね」
「もちろん」
唯月は当然のようにうなずいた。
「だから、今すぐ信用しろとは言わない。ただ、俺にも協力できることがあるかもしれない」
「……協力?」
「まずは何が起きたのか知りたい。さっきから聞こえてる声は、店の人間だよね?」
美俐沙は答えなかった。
代わりに、奥の扉を気にするように視線を動かした。
「拘束したのか?」
「……はい。二人とも、奥の部屋に閉じ込めています」
「なるほど」
唯月は少し考えてから尋ねた。
「この店の監視カメラを確認できる部屋はあるか?」
美俐沙は質問の意図をつかめず、戸惑いながらもすぐ隣の扉を指さした。
「そこを見せてもらえないかな。設備の状態を確認したい」
三人は訝しげに顔を見合わせた。
見知らぬ男を、そう簡単に信用するわけにはいかない。
危害を加えるつもりはないと言われても、それが本当かどうか確かめる術はなかった。
だが、店の男たちの仲間なら、わざわざ客を装って近づき、自分たちに協力を申し出る必要があるのだろうか。
「美俐沙……どうする?」
明るい髪色の少女が尋ねた。
美俐沙は迷っていた。
その間にも、奥から男たちの怒鳴り声が響いてきた。
時間がない。
ここまで計画がうまくいっているかもわからず、自分たちだけで逃げ切れる保証もなかった。
美俐沙は意を決したように顔を上げた。
「……わかりました。でも、変なことをしたら……」
「警戒してていいよ。俺もまだ、君たちの事情を全部知ってるわけじゃないし」
唯月は美俐沙の言葉を遮るように答えた。
美俐沙は少しためらったものの、男たちから取り上げたカードキーを使い、監視室の扉を開けた。
中へ入った唯月は、室内を見渡した。
壁には複数のモニターが並び、店内の各所を映し出していた。
机の上に置かれた端末の周囲には、何かをこぼしたような濡れた跡が残っていた。
「これは?」
「……私が、飲み物をこぼしました」
美俐沙が言いづらそうに答えた。
「この機械を壊せば、居場所がわからなくなると思って……」
「居場所?」
「私たち、制服にGPSが仕込まれてるんです。どこに行っても、あの人たちに知られてしまうから……」
「ふうん? なんでこの機械だと思ったんだ?」
「前に、店の男の人がその機械を気にしていたことがあって……」
唯月は端末を確認し、画面の表示と周囲の機器の接続状況を見比べた。
どうやら、美俐沙が飲み物をこぼしたのは、位置情報を表示するための端末らしい。
しかし、表示が一時的に止まったところで、GPSによる追跡そのものが止まるわけではない。
正直、作戦としてはお粗末なものだったが、唯月は特に言及しなかった。
続いて室内を見渡すと、天井の隅にもカメラが設置されていることに気づいた。
この監視室自体も、別の場所から監視されているらしい。
しかし、そのカメラは作動していなかった。
唯月は制御盤を手早く操作し、設定を確認した。
どうやら、意図的に停止させられているようだった。
「……このカメラも、君が止めたのか?」
「え?」
美俐沙は唯月の視線を追った。
「カメラ、ですか?」
「この部屋のカメラだ。今は止まっているようだが」
美俐沙は天井を見上げ、何かを思い出したように口を開いた。
「そういえば……男の一人が何か操作していました。もしかしたら、それかも……」
唯月は何度かうなずきながら、再び制御盤へ目を向けた。
美俐沙たちがGPSを止めようとしたのは、この店から逃げるためだろう。
一方、男たちは自ら監視室のカメラを停止させていた。
何を見られたくなかったのかはわからないが、少なくとも監視室から男たちがいなくなった経緯は、記録されていないはずだ。
この状況なら、店を管理している人間たちには、まだ異変を察知されていない可能性が高い。
もっとも、いつまでも連絡が取れなければ、不審に思われる可能性はある。
「拘束した二人は、スマホを持っていたか?」
「あ、えっと……これです」
美俐沙は二人から取り上げていたスマホを唯月に差し出した。
唯月は受け取ったスマホのロック画面を確認すると、監視室の机に並べた。
三人は唯月が何をするつもりなのかわからず、黙って様子をうかがっていた。
「……あの、どうなんですか?」
美俐沙が耐えきれずに尋ねた。
「私たち、逃げられるんでしょうか……?」
唯月は三人を振り返った。
不安そうな表情を浮かべる少女たちとは対照的に、その顔には焦りの色など微塵もなかった。
「まあ、なんとかなるんじゃないかな」
唯月は軽く笑みを浮かべると、ポケットから小型の端末を取り出した。




