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第4話 決行

 決行の日。

 美俐沙は、いつも以上に丁寧に接客した。

 笑顔を絶やさず、料理を運び、客を見送った。


 何度も時計を確認したくなったが、我慢した。

 今日は、比較的扱いやすい男が二人そろう日だった。

 どちらも女性たちに関心が強く、特に一人は、美俐沙にたびたび馴れ馴れしい言葉をかけてきた。


 予定どおりなら、昼の営業が終わった後もその二人が残る。

 もし今日の計画が知られれば、二度と同じ機会は訪れないだろう。

 それどころか、自分たちがどうなるかもわからない。

 それでも、美俐沙は平静を装い続けた。


 やがて昼の営業を終え、最後の客が店を後にした。

 片づけを済ませた三人は、いつものようにバックヤードへ向かった。


 ここからが本番だった。

 美俐沙は、瑠丹と愛珠奈に目を向けた。

 二人は小さくうなずいた。


 美俐沙は深く息を吸い、飲み物を載せたトレーを手に取った。

 そして、監視室の扉を叩いた。


「すみません。少しいいですか?」


 中から返事があり、扉がわずかに開いた。


「なんだ、どうした?」


「あの……いつもお世話になっているので、よかったらと思って」


 美俐沙はトレーを持ち上げた。

 男は飲み物を見ると、意外そうな顔をした。


「あ? 差し入れか? 勝手に店のもん使いやがって……」


 男はそう言いながらも、口元には薄ら笑いを浮かべていた。

 普段とは違う美俐沙の態度が、まんざらでもないらしい。


「お仕事、お疲れさまです」


「へえ。珍しいこともあるもんだな」


 監視室の奥から、もう一人が顔を出した。


「なんだよ、俺の分もあんのか?」


「はい。もちろん」


「おっ、気が利くじゃねえか」


 男たちは機嫌よく笑った。


「ほら、入れよ」


 美俐沙は小さく頭を下げ、監視室へ足を踏み入れた。

 部屋の中には、複数のモニターと机が並んでいた。


 その一角に、見覚えのある機器が置かれていた。

 以前、男たちがGPSのことで騒いでいたときに、一人が苛立たしげに叩いていたものだった。

 美俐沙は視線を向けすぎないようにしながら、机へ近づいた。


「こちらに置いてもいいですか?」


「ああ、そこらへんでいいぞ」


 男の一人が答えた。

 美俐沙はトレーを机に置こうとした。

 その瞬間、手元が傾いた。


「あっ……!」


 飲み物の入った容器が倒れ、中身が机の上に広がった。

 液体が機器にかかった。


「おいっ! 何やってんだ!」


「ご、ごめんなさい!」


 美俐沙は慌てて頭を下げた。

 男たちは椅子から立ち上がった。


「ったく、何してくれてんだよ!」


「すみません、本当に……!」


 美俐沙は今にも泣き出しそうな顔で謝った。

 男の一人が機器を確認した。


「おい、それ、おかしくなってねえか?」


「マジかよ。ちょっと見せろ」


 男の焦った声に、もう一人も近づいてきた。


 美俐沙は少し離れたところから、男たちの背中越しに画面をそっと覗き見た。

 何が起きているのかはわからなかったが、男たちは何度も画面を操作していた。


「どうしよう……私、弁償します……」


「はあ? お前、金なんか持ってないだろ」


 男は呆れたように言った。

 機器を操作していた男は、何度かうなずくと口を開いた。


「ああ、これなら大丈夫だろ。表示が一時的におかしくなってるだけじゃねえの」


「そうなのか?」


「たぶんな。他のは生きてるし、そのうち戻るだろ」


「ならいいけどよ。とりあえず報告だけしとくか」


 男はスマートフォンを取り出し、短い連絡を入れた。

 美俐沙はうつむいたまま、そのやり取りを聞いていた。


 どうやら、機器に何らかの異常は起こせたらしい。

 けれど、男たちは美俐沙が予想していたほど慌てていなかった。


 もしかすると、思っていたほど効果はなかったのだろうか。

 美俐沙には判断がつかなかった。


 しかし、すでに計画は動き出していた。

 ここで中止したところで、次の機会が訪れる保証はない。

 美俐沙は不安を押し殺し、予定どおりに行動することにした。


「まあ、もういいよ。次から気をつけろよ。……ただし、今夜は覚悟しとけよ?」


 男は口元にいやらしい笑みを浮かべた。


「……はい。本当にすみませんでした」


 美俐沙は深く頭を下げた。

 そして、少しためらうように顔を上げた。


「あの……」


「ん?」


「お詫びに、今何かできることはありませんか?」


 男は意外そうに眉を上げたが、すぐに期待を含んだ笑みを浮かべた。


「何かって?」


「私のせいで、ご迷惑をかけてしまったので……」


 美俐沙はわざとらしく言葉を濁した。

 男たちは顔を見合わせると、考えが同じだとわかったのか、にやりと笑った。


「へえ。何でもしてくれるってか?」


「……私にできることなら」


「おいおい、聞いたか?」


「聞いた聞いた。ずいぶん殊勝(しゅしょう)じゃねえか」


 美俐沙は恥ずかしそうにうつむいた。


「でも、ここでは……」


「ん? なんだよ」


「できれば……ここだと、カメラとかモニターが気になるので……」


 男たちは鼻を膨らませ、下品な笑みを浮かべた。


「お前、そういうこと言っちゃっていいの?」


「……すみません」


「いやいや、謝んなくていいって」


 男の一人が立ち上がった。


「おい、どうする?」


「別にいいだろ。もう仕事も終わりみてえなもんだし」


「さっきの機械は?」


「大丈夫だって。報告も済ませたし、すぐ戻るだろ」


 男の一人が机に向かい、何やら操作を始めた。

 いくつかの画面を切り替え、最後に表示された確認画面で、迷わず何かを選択した。


「よし、これでいいだろ」


「お前、抜け目ねえな」


「当たり前だろ。あとで上からどやされたらたまんねえからな」


 美俐沙には、男が何を操作したのかわからなかった。

 ただ、二人がすっかりその気になっていることだけは伝わってきた。


 二人はあっさりと監視室を出て、美俐沙についてきた。

 美俐沙は胸の奥で小さく息をついた。

 ここまでは、予定どおりだった。


「それで、どこに行くんだ?」


「あの……奥の方で、お願いします」


 美俐沙はバックヤードの奥を指した。

 清掃用具や備品を置いている、小さなスペースだった。

 男たちは何の疑いもなくついてきた。


 美俐沙は先を歩きながら、震える指を握りしめた。

 そこには、瑠丹と愛珠奈が隠れて待っている。

 あと少し。

 あと少しで、計画の次の段階に進める。


 清掃用具の置かれた場所に着くと、美俐沙は足を止め、振り返った。


「それで、何してくれんの?」


 男の一人が、にやつきながら尋ねた。


「あの……もう少し、こっちに……」


 美俐沙は奥へと歩き、男たちを手招きした。


「なんだよ。ずいぶん積極的じゃねえか」


「へへっ、ようやく自分の立場ってもんがわかってきたみてえだな」


 二人は笑いながらついてきた。

 美俐沙は、床に視線を落とさないように気をつけた。

 そこには、瑠丹と愛珠奈があらかじめ用意した仕掛けがあった。

 清掃用具や備品の陰に紛れ、荷造り用の丈夫な紐が足元に這わせてあった。


 二人は、そのすぐ近くに隠れているはずだ。

 美俐沙は男たちが近づいてくるのを待ちながら、震える指を握りしめた。


「もっと近くで……」


 言葉を続けようとして、喉が詰まった。

 怖かった。

 ここで失敗すれば、もう逃げる機会はないかもしれない。

 それでも、ここまで来て引き返すことはできなかった。


 そのとき、背後の物陰で何かが動いた。

 床に這わせてあった荷造り用の紐が、突然ぴんと張った。


「うわっ!」


 足を踏み出しかけていた男の一人が、紐に足を取られて前のめりになった。

 隣の男も、とっさに身を引こうとして足元の紐に引っかかり、備品の棚に肩をぶつけた。


「な、なんだ!」


 二人は何が起きたのかわからないまま、大きく体勢を崩した。

 美俐沙はその隙を逃さず、近くにいた男に体当たりした。

 不意を突かれた男は踏ん張ることができず、そのまま床に倒れ込んだ。


 それを合図に、瑠丹と愛珠奈が物陰から飛び出した。

 愛珠奈は手にしていた清掃用具の柄を振り上げ、起き上がろうとした男に思い切り振り下ろした。


「えいっ!」


「ぐあっ!」


 男は悲鳴を上げ、床にうずくまった。

 もう一人の男も体勢を立て直そうとしたが、今度は瑠丹が清掃用具の柄を振り下ろした。


「やーっ!」


「いってえ! てめえら、何しやがる!」


 怒鳴り声に瑠丹の身体がびくりと震えた。

 それでも、三人は動きを止めなかった。

 事前に用意していた荷造り用品を使い、男たちが体勢を立て直す前に、素早くその手足を拘束した。


「てめえら、何のつもりだ!」


 ようやく状況を理解した男たちが暴れようとしたときには、すでに遅かった。

 二人は床に転がされたまま、手足を拘束されていた。


 美俐沙たちは、荒い息をつきながら男たちを見下ろした。

 美俐沙の手は震え、瑠丹は今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 愛珠奈も、なんとか呼吸を整えようと大きく息を吸った。


 ひとまず、作戦の第一段階は成功した。

 少なくとも、店にいる二人を動けなくすることはできた。

 愛珠奈が男たちのポケットからスマートフォンとカードキーを回収し、三人は物置を出ると扉を閉めた。


「……やった」


 愛珠奈がかすれた声で言うと、美俐沙も瑠丹もうなずいた。

 監視室の機器は壊した。

 店の男たち二人も動けない。

 今なら逃げられるかもしれない。


 しかし、美俐沙たちは知らなかった。

 飲み物をこぼした機器は、位置情報を表示するための端末にすぎなかった。

 位置情報そのものは別の設備で管理されており、追跡は止まっていなかった。


 男たちが慌てなかったのも、そのことを知っていたからだった。

 異常の報告を受けた組織側では、すでに別の端末から状況を確認できる状態にあった。

 美俐沙たちが逃げ出せば、すぐに居場所を知られるだろう。


「……行こう」


 美俐沙は言った。


「逃げるよ」


 瑠丹と愛珠奈もうなずき、三人は店の出口へと向かった。

 そのときだった。


 店の入口の方から、物音がした。

 三人は一斉に足を止めた。


 誰かが、入口の扉を叩いていた。

 美俐沙の背筋が凍った。


 もう組織の人間が来たのだろうか。

 まさか、計画が知られていたのだろうか。


 瑠丹が美俐沙の服の裾をつかんだ。

 愛珠奈も血の気の引いた顔で、入口の方をじっと見つめていた。

 しばらくすると、もう一度扉を叩く音がした。


「すみません。もう閉店しているところ、申し訳ないんですが」


 扉の向こうから、男の声が聞こえた。


「昼間こちらで食事をした者です。ちょっと落とし物をしたかもしれなくて」


 三人は顔を見合わせた。


「どうする……?」


 愛珠奈が小声で尋ねた。

 美俐沙は迷った。相手が本当に客なのか、それとも何かを疑って訪ねてきた人間なのか、判断がつかない。

 だが、どのみち店を出れば鉢合わせる可能性がある。

 それなら、きちんと対応してからのほうがよいだろう。


「……私が行く」


 美俐沙は二人にそう告げると、息を整える間もなく入口へと向かった。

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