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第2話 定食屋

 翌日。

 唯月は、目的の定食屋から少し離れた場所で足を止めた。


 今日の唯月はコンタクトレンズを着け、普段とは系統の違う伊達(だて)眼鏡をかけていた。

 特別な変装というほどのものではないが、季節に合わせた薄手の上着も羽織っていた。


 調査で人と接触するときは、普段の自分とは少しでも印象を変えておく。

 それが唯月にとっては、ごく当たり前の習慣になっていた。


 万が一、顔を覚えられたり、後から身元を探られたりしたときのためだ。

 どれほど些細なことでも、考えられるリスクはあらかじめ潰しておくに越したことはなかった。


 大通りから一本入った、長い直線道路沿い。周囲には住宅や小規模な商店が並んでおり、特別目立つような場所ではなかった。

 道幅は比較的広く、見通しもよい。途中に細い路地や曲がり角はほとんどなく、遠くまで道路の様子を見渡せた。

 店の前には数人の客が並んでいた。昼時にはまだ少し早いが、すでにそれなりの賑わいを見せているらしい。


 唯月はすぐには店に向かわず、周辺を歩き始めた。

 別にトラブルを起こすつもりはないが、万が一に備えて逃走経路くらいは確認しておきたかった。

 それに、もし本当に人身売買のようなことが行われているのなら、この立地にも何かしらの意図があるかもしれない。


 周辺をひと回りしてみたものの、人目を避けて移動できそうな経路はほとんど見つからなかった。

 これでは、店から誰かが逃げ出したとしても、すぐに姿を見つけられてしまうだろう。


 もちろん、単なる偶然かもしれない。

 だが、唯月には少しばかり気になる立地だった。


 ひと通り周辺を確認した唯月は、店の正面へと戻った。

 店頭の列は先ほどよりも長くなっていた。待っている客たちの様子に不審な点はない。


 仕事の合間らしい会社員もいれば、近所に住んでいるらしい年配の客もいた。

 評判の店という話に、偽りはなさそうだった。


 唯月は列の最後尾に並んだ。

 待つこと十数分。ようやく順番が回ってきた。

 店内は落ち着いた雰囲気で、隅々まできれいに清掃されていた。


「いらっしゃいませ。お一人様ですね?」


 声をかけてきた店員に、唯月は軽くうなずいた。


「はい」


「こちらへどうぞ」


 案内される間、唯月は店員の姿をさりげなく観察した。

 長い髪を後ろでひとつにまとめた、すらりとした体つきの少女だった。

 整った顔立ちはかわいらしいというよりも端正で、落ち着いた雰囲気も相まって目を引いた。


 話に聞いていたとおり、街でもなかなか見ないほどの美人だった。

 もっとも、当然のことだが店員の容姿が整っていること自体は犯罪の証拠にはならない。

 接客も自然で、客を案内する動作にぎこちなさはなかった。


 唯月は案内された席に腰を下ろし、メニューを開いた。


 価格帯は、一般的な定食屋と比べれば少し高めだった。

 とはいえ、料理の内容を見れば納得できる範囲に収まっている。

 魚料理を中心に、肉料理や季節の食材を使った品も揃っていた。


 目に留まったのは、一番人気と紹介されている定食だった。

 主菜に加えて小鉢もいくつか付いており、店の料理をひと通り味わうにはちょうどよさそうだった。


 料理を待つ間、店内の様子をさりげなく見回した。

 案内をしてくれた店員を含め、働いているのは事前情報どおり若い女性ばかりだった。


 しかも、揃いも揃って容姿が整っている。

 採用基準に何らかの偏りはありそうだが、接客の様子を見る限り、仕事ぶりに問題はなかった。


 むしろ、よく教育されていた。

 客への声かけは自然で、注文の確認にも抜かりがない。

 忙しくなっても店員同士の連携が崩れる様子はなく、店内に苛立った空気も漂っていなかった。

 事前に不審な情報をつかんでいなければ、疑いを抱くほうが難しいだろう。


 やがて、注文した料理が運ばれてきた。


「お待たせしました。こちら、旬の焼き魚定食です」


 目の前に置かれた膳に、唯月は目を落とした。

 焼き魚に、小鉢が二品。味噌汁と漬物もついていた。

 盛りつけは丁寧で、食材の扱いにも手を抜いていないことが見て取れた。


 箸を取り、まずは魚に口をつけた。

 悪くない。いや、値段を考慮しても十分にうまい。

 火の通し方も塩加減もちょうどよく、小鉢にもそれぞれ手がかかっている。

 少なくとも、料理の質を犠牲にして客を集めている店ではなかった。

 これなら、多少値が張っても客がつくのは理解できる。


 唯月は食事を続けながら、店内の様子を観察した。

 客席から見える範囲に、目立った不審点はなかった。


 店員たちも普段どおりに働いているように見えた。

 裏側につながる場所についても、客席から様子をうかがうことはできなかった。


 結局、表から見えるものだけでは何も分からないということか。

 唯月は視線を戻し、食事を進めた。


 その途中、壁際に取り付けられた監視カメラが目に留まった。

 店内の様子を広く映せる位置に設置されていた。防犯目的としては、特に不自然な配置ではない。

 だが、カメラ本体の形状には見覚えがあった。


 唯月は目立たないよう視線を外し、少し間を置いてから、もう一度だけカメラを確認した。


 間違いない。業務用のネットワークカメラだ。


 一般的な家庭用や小規模店舗向けの製品とは違う。複数台の映像をまとめて管理する用途にも対応した、比較的高機能な機種だった。

 もちろん、だからといって不自然とまでは言えない。防犯に力を入れている店なら、設備に金をかけること自体は珍しくないだろう。

 しかし、店の規模を考えると、少々大げさにも思えた。


 唯月は水を飲み、何事もないようにスマートフォンを手に取った。

 食事中に画面を確認する客など、いくらでもいる。


 周囲から不審に思われるような動きは避けながら、唯月は頭の中で手順を組み立てた。

 カメラの型番が分かれば、対応する機能や接続方式は調べられる。

 ネットワークに接続されているなら、何らかの経路から映像を取得できる可能性もある。


 試してみる価値はある。

 唯月は店内の無線ネットワークに接続すると、通信を解析し、ネットワーク内の機器を洗い出していった。

 さらに、カメラの機種から想定される接続方式を調べ、外部からアクセスできる経路が存在しないかを探った。


 しかし、店内のネットワーク上にカメラらしき機器は見当たらず、外部からの接続を試みても応答はなかった。

 そこで唯月は、カメラの機種と通信の痕跡を手掛かりに、接続構成を絞り込んでいった。

 どうやらカメラは店内のネットワークから切り離され、専用の録画機器を介して管理されているらしい。

 外部から映像を取得するための接続経路も確認できなかった。


 少なくとも、外部から直接アクセスできるような構成ではなさそうだ。

 唯月はスマートフォンを伏せ、何事もなかったように箸を取った。

 ネットワーク機能を備えたカメラを導入しながら、わざわざ外部からの接続経路を設けていない。

 防犯設備としては堅実な構成だが、店の規模を考えると、やはり少々念入りにも思えた。


 もちろん、それだけで何かを疑うことはできない。

 単に防犯設備を専門業者に任せ、堅牢(けんろう)な構成にしただけという可能性もある。

 決めつけるには、まだ材料が足りなかった。


 食事を終えた唯月は、会計を済ませて店を出た。

 料理も接客も申し分ない。客として訪れた限りでは、非の打ちどころのない店だった。


 それでも、疑念が晴れたわけではなかった。

 若い女性ばかりが働く店内。規模に見合わないほど高機能な監視設備。

 そして、事前に調べた不審な資金の動きや、従業員の不可解な入れ替わり。


 一つひとつを切り離して考えれば、どれも決定的なものではない。

 だが、無関係な偶然が重なっているだけとも思えなかった。


「さて、どうするか」


 店から少し離れた場所で、唯月は足を止めた。

 今のところ、犯罪を裏付ける証拠はない。

 店内の様子を見ただけで何かが分かるとも思っていなかったが、実際に訪れてみても、その印象は変わらなかった。

 表向きの営業がまともであるほど、裏側を確かめるのは難しい。

 だが、唯月はこの店がただの定食屋ではないと確信しつつあった。


「別の方法を考える必要があるな」


 バックヤードの様子を確認できれば、何かしらの手掛かりが得られるかもしれない。

 とはいえ、客として入れる場所には限界があるし、無理に立ち入れば警戒されるだろう。

 唯月は店のほうを振り返ると、ゆっくりと歩き出した。

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