第13話 今後
翌朝、唯月は自宅の駐車場から車を出した。
普段の移動は車が中心だが、昨日のように犯罪組織を調査する際は、身元を特定されるリスクを考えて使用を控えていた。
もっとも、今日はそこまで警戒する必要もない。
向かう先は、昨日、美俐沙たちを匿ったアパートだ。
昨夜のうちに調べたことを、三人に確認しておきたかった。
道はそれほど混んでおらず、アパートまでの道のりは順調だった。
敷地内の駐車場に車を停め、時刻を確認する。約束の十時まで、まだ数分あった。
唯月は車を降りると、アパートの階段を上がっていった。
部屋の前に立ち、インターホンを押す。
ほどなくして室内から足音が聞こえ、扉が開いた。
「佐伯さん。おはようございます」
顔を出したのは美俐沙だった。
昨日とは違い、表情には幾分か余裕がある。
「おはよう。眠れたか?」
「はい。久しぶりに、ゆっくり眠れました」
「そうか。それはなによりだ」
美俐沙に促され、唯月は部屋へ入った。
リビングには愛珠奈と瑠丹もいた。
三人とも、昨日買った外出用の服を着ている。
部屋着も買っていたはずだが、唯月が来るのに合わせて、わざわざ着替えたのだろう。
二人とも唯月に気づくと、顔を向けた。
「おはよ、佐伯さん」
「佐伯さん、おはよー」
「ああ。おはよう」
愛珠奈も瑠丹も、にこにこと笑っている。
三人とも、昨日に比べれば随分と落ち着いているようだった。
「何か困ったことはなかった?」
「いえ。特には」
「お風呂もゆっくり入れたし、ふかふかの布団で寝られたし、めっちゃ幸せだった!」
愛珠奈が満面の笑みで答えると、瑠丹も負けじと声を弾ませた。
「わたしも! 昨日は三人で一緒に寝たんだよ!」
「そうか。よかったな」
「てか佐伯さん、またメガネしてるじゃん!」
愛珠奈が唯月の顔を覗き込んだ。
「昨日みたいに外してた方が絶対いいって!」
「そうか? こっちのほうが楽なんでな」
「えー、もったいない! ねえ、瑠丹もそう思うでしょ?」
「うん! でも、わたしはどっちもアリかなーって……」
「えー! 瑠丹ってば、結局どっちも好きになってんじゃん!」
「あ、愛珠奈! 好きとか言わないでよ!」
瑠丹が頬を赤らめて抗議すると、愛珠奈は楽しそうに笑った。
「もう、二人とも! 佐伯さんが困ってるでしょ」
美俐沙がたしなめると、唯月は小さく笑った。
「別に困ってないけどな」
唯月は三人を見渡し、話を切り出した。
「それより、さっそくだが話をしてもいいか?」
「はい。大丈夫です」
美俐沙がうなずくと、愛珠奈と瑠丹もそれに続いた。
「じゃあ、三人ともソファに座ってくれ」
三人が並んで腰を下ろすのを確認すると、唯月はダイニングテーブルから椅子を一脚持ってきて、向かい合うように座った。
先ほどまでの和やかな雰囲気とは打って変わり、三人の表情が硬くなっている。
唯月はその様子を見て、ひときわ真剣な顔を作った。
「それじゃあ、ひとつめだが……」
三人は思わず息を呑んだ。
「俺って、そんなにメガネが似合っていないのか?」
三人は一瞬、ぽかんとした表情を浮かべた。
やがて冗談だと気づいた愛珠奈が、吹き出すように笑った。
「あはは! 佐伯さん、実は気にしてた感じ?」
「いや、冗談だよ。三人とも、もうちょっと肩の力を抜いてほしいと思ってな」
唯月が笑うと、美俐沙と瑠丹もつられて笑みをこぼした。
先ほどまでの張り詰めた空気が、少しだけ和らいだ。
「そういえば、ちゃんと自己紹介してなかったな」
唯月は思い出したように口を開いた。
「佐伯拓馬だ。二十八歳。普段はフリーランスのデータアナリストをしている」
名前も年齢も職業も、すべて偽りだった。
しかし、唯月はまるで事実を語るかのように、何のためらいもなく言ってのけた。
美俐沙たちも疑うことなく、その自己紹介を素直に受け入れていた。
「私は、東灘美俐沙です。今月で十八歳になります。よろしくお願いします」
「次、あたしね! 箕矢愛珠奈、十六歳! よろしくね、佐伯さん!」
「じゃあ、最後はわたし! 八鹿瑠丹、十四歳です! よろしくお願いしまーす!」
三人の自己紹介を聞き終えると、唯月は軽くうなずいた。
「ああ、よろしく」
そう言いながら、唯月はスマートフォンを取り出した。
「それで本題だが、君たちはザラームって名前に聞き覚えはあるか?」
三人は顔を見合わせた。
「ザラーム……?」
愛珠奈が首を傾げる。
瑠丹も小さく首を横に振った。
「あたしは知らない」
「わたしも、聞いたことなーい」
しかし、美俐沙だけは黙っていた。
「美俐沙は?」
「一度だけ、聞いたことがあります」
唯月は美俐沙を真っ直ぐ見つめた。
「どこで?」
「店の男たちが話していたんです。私が十八歳の誕生日にほかのところへ売られるって知ってから、何か情報がないかと思って、男たちの話をよく聞くようにしていた時です」
美俐沙は少し考え込んだ。
「確か、『美俐沙もほんとに運がないよな。あの親ってだけでもかわいそうなのに、今度はザラームだってよ』とか……そんなことを言っていました」
「へえ……」
唯月は興味を示した。
「そのとき、ほかに何か言ってなかった?」
「いえ。私が聞いたのは、それだけです。ザラームが何なのかも、わからなくて……」
「そうか」
唯月はスマートフォンに短く記録を残した。
美俐沙の話からすると、店の男たちもザラームが相当に悪辣な組織であることを認識していたらしい。
ただ、それだけでは組織の実態を知る手掛かりにはならない。
「次だ。トウルビヨン。この名は?」
「トウルビヨン……」
三人とも心当たりがない様子だった。
「じゃあ、長谷岡風河って男は?」
「あたしは知らない」
「わたしも」
「私も……」
唯月はスマートフォンを操作し、一枚の写真を表示した。
「なら、この男の顔に見覚えは?」
画面を三人の方へ向ける。
最初に反応したのは愛珠奈だった。
「……えっ、この人!」
美俐沙も画面を覗き込み、目を見開いた。
「知ってます。店に何度も来ていた人です。写真とは少し雰囲気が違いますけど……」
「わたしも見たことある!」
瑠丹も興奮した様子で、何度もうなずいた。
唯月は美俐沙に視線を向けた。
「どう違うんだ?」
「前髪を上げた、もう少し今風な髪型でした。それと、色付きのメガネをかけていたと思います」
愛珠奈は長谷岡の写真から目をそらし、露骨に顔をしかめた。
「なんか、偉そうだったかな。怒鳴ったりとか、そういうんじゃないけど」
「はい。いつも穏やかそうにしていました。でも……」
美俐沙は言葉を探すように視線を落とした。
「私たちを見る目が、少し嫌な感じでした」
「嫌って?」
「うまく言えないんですけど……人として見られていないような気がして」
「あ! それ、わかるー!」
愛珠奈がすぐにうなずいた。
「いけ好かないオッサンだったよね。プライド高そーって感じ」
「うんうん! あの人が来ると、なんか空気がピリピリしてたよね!」
瑠丹も同意すると、唯月は三人の話をスマートフォンに書き留めた。
「店の男たちとは、親しそうにしていたか?」
「いえ、そんな感じではなかったです。男たちの中には、あの人を苦手そうにしている人もいましたし、露骨に媚びへつらうような人もいて……」
美俐沙は当時の様子を思い返しながら続けた。
「だから、何かの取引相手とかなのかなって思っていました」
唯月は美俐沙の話に納得したように、ゆっくりとうなずいた。
「こいつが、長谷岡風河だ。どうやら、あの店を運営してた組織のトップらしい」
「……え?」
美俐沙の表情が強張った。
「じゃあ、私たちを売ろうとしてたのも……」
「そうだ。表向きの代表者は別にいるが、実際に組織を動かしてるのはこいつだろうな」
美俐沙は唇を噛んだ。
「あのオッサン……!」
愛珠奈が吐き捨てるように言った。
瑠丹は押し黙っていたが、膝の上で握りしめた拳が小さく震えていた。
唯月は三人の反応を見ながら、さらにいくつか質問を重ねた。
長谷岡が店を訪れる頻度。男たちとの会話内容。何か変わった出来事がなかったか。
三人は記憶をたどりながら答えたが、手掛かりになりそうな情報はほとんど得られなかった。
もっとも、それは唯月の予想どおりだった。
長谷岡が自分の関与を隠そうとしている以上、店で働く少女たちに詳しい事情を知らせる理由はない。
「なるほど。大体わかった」
唯月はスマートフォンをしまった。
「あの……」
美俐沙がおずおずと口を開いた。
「すみません。あまり役に立つことが言えなくて……」
「気にするな。長谷岡が実際に店に来てたって確認できただけでも十分だ」
唯月はそう答えながら、昨夜調べた情報を頭の中で整理していた。
六年前の詐欺事件では罪に問われず、現在も別の人間を表に立てて犯罪組織を動かしている男。
直接的な証拠を残さないようにしているのであれば、まずはその周辺から調べる必要がある。
どこを突けば、長谷岡は一番困るだろうか。
唯月が考えを巡らせていると、美俐沙が再び声を掛けてきた。
「……佐伯さん」
「ん?」
「今度は、私たちからも聞いていいですか?」
「ああ、なんだ?」
美俐沙は愛珠奈と瑠丹を見た。二人もうなずいた。
「佐伯さんは、どうしてあの店のことを調べていたんですか?」
「ちょっと気になってな。ただの興味本位だ」
「……データアナリストって、そういうこともする仕事なんですか?」
「いや? 違うと思うけど」
あまりにもあっさりとした返答に、美俐沙は眉をひそめた。
こちらは真剣に尋ねているのに、唯月はどこか他人事のような顔をしている。
「……あの、お願いです。真面目に答えてもらえませんか」
「答えてるつもりなんだがな」
悪びれる様子もない唯月に、美俐沙は小さくため息をついた。
「じゃあ、昨日、あのタイミングで店に来たのは本当にただの偶然なんですか?」
「そのとおりだ。俺もびっくりしたよ」
「なぜ、私たちのことを助けてくれたんですか?」
「昨日も答えただろ? 困っている人がいれば、助けるのは普通のことじゃないか?」
「……じゃあ、私たちはこのままここにいてもいいんですか?」
「別に構わないが、いてどうするつもりなんだ?」
「それは……」
美俐沙は言葉に詰まった。
これからどうすればいいのか、自分でもまだ答えが出ていない。
「ていうかさ、佐伯さん!」
そこで愛珠奈が口を挟んだ。
「さっきから気になってたんだけど、なんでそんなに悪い奴らのこと調べてんの? データアナリスト?の仕事じゃないんでしょ?」
「まあ、そうだな」
「じゃあ、なんで?」
「はあ……趣味だよ、趣味」
唯月は面倒くさそうに答えた。
「趣味ぃ?」
愛珠奈が素っ頓狂な声を上げた。
美俐沙と瑠丹も、思わず顔を見合わせた。
冗談で言っているのか、それとも本気なのか。
唯月の表情からは、その真意を読み取ることができなかった。
「じゃあ、今回もその趣味で、あの人たちを調べてるんですか?」
美俐沙の問いに、唯月はやれやれといった様子でうなずいた。
「ああ。長谷岡はちょっと面白そうだしな」
「……面白そう?」
「もういいだろ。話は終わりだ」
「あ、あの!」
話を打ち切ろうとする唯月に、美俐沙が食い下がった。
「もしかして佐伯さんは、長谷岡に何かするつもりなんですか?」
「……だったら?」
もはや唯月には、その態度を取り繕う気もないようだった。
「私たちは、もう二度とあの店には戻りたくありません。それに……」
美俐沙は一度言葉を切り、愛珠奈と瑠丹に目を向けた。
「私たちみたいな目に遭う人が、これ以上増えてほしくないんです」
「……あたしも同じ。あんな奴ら、絶対に許せないし」
「わたしも! もう誰にも、あんな思いしてほしくない!」
二人の言葉を聞いて、美俐沙は再び唯月に向き直った。
「だから、もし佐伯さんがあの人たちを何とかしようとしているなら……私たちにも協力させてください」
その言葉を聞いた唯月は、思わず吹き出した。
それは、それまで三人に見せていた穏やかな笑顔とは、まるで違うものだった。
「ははっ、協力させてくれって……君たちに何ができるっていうんだ?」
美俐沙は予想もしなかった反応に言葉を失った。
愛珠奈も戸惑ったように目を丸くし、瑠丹は怯えた様子で身を縮めた。
そんな三人の反応など気にも留めず、唯月は抑揚のない声で続けた。
「長谷岡があの店に出入りしてたって確認できただけでも、君たちにしては十分役に立った。長谷岡を片付けるまでの間くらい、ここでゆっくりしていけばいい」
「そんな言い方しなくても……」
美俐沙が不満げにつぶやくと、唯月は少し呆れた様子で言葉を続けた。
「別に意地悪を言ってるわけじゃない。実際、あの連中が今後どう動くか、俺にも完全には読めないからな。少なくとも、しばらくはここにいた方が安全だと思うぞ」
美俐沙は一度口をつぐんだが、それでも引き下がるまいと、懸命に言葉を探した。
「でも……それじゃあ、何も解決しません。私たちには帰る場所もないんです。ここにいたとして、長谷岡の件が終わったら、佐伯さんは私たちをどうするつもりなんですか?」
「どうもしないさ。好きにすればいい。もちろん、ずっとここに住むっていうなら、さすがに賃料は払ってもらうが」
「賃料……そう、ですよね。でも、私たち、ちゃんと生活していけるのか、不安で……。働こうにも、何から始めればいいのか……」
「君たちは定食屋で働いてたんだろ? 同じような仕事なら、すぐにでも見つかるんじゃないか?」
「…………」
美俐沙は何も答えなかった。
それまで黙って話を聞いていた愛珠奈も、気まずそうに目を伏せる。
瑠丹に至っては、膝の上で両手を握りしめ、すっかりうつむいてしまっていた。
三人の反応を見て、唯月はようやく自分の発言が無神経だったことに気づいた。
彼女たちにとって、定食屋での仕事は辛い日々の記憶と結びついているはずだ。
「……悪い。今のは配慮が足りなかった」
「いえ……佐伯さんの言うことは、間違っていませんから」
唯月は小さく息を吐いた。
「まあ、焦る必要はないさ。世の中には、君たちみたいな境遇の人間を支援する制度や団体だってある。そういうところの力を借りれば、少しずつでも普通の生活を取り戻せるはずだ」
「……私たちでも、ですか?」
「ああ。今すぐ何もかも決める必要はない。長谷岡の件が片付いたからって、すぐにここを追い出したりはしない。それだけは約束するよ」
唯月は三人に優しく微笑みかけた。
「……ほんと?」
瑠丹が顔を上げた。
「ああ」
「そっかぁ……よかったぁー!」
瑠丹の顔がぱっと明るくなった。
そんな彼女の様子を見て、愛珠奈も安心したように表情を緩めた。
「もー、佐伯さんってば! さっきまであんなに怖かったのに、やっぱ優しいんじゃん!」
唯月は二人の反応に、少しばかり面食らった。
「……そんなに懐かれても困るんだがな」
どうやら、今度は気を遣いすぎたらしい。
愛珠奈と瑠丹はすっかり安心した様子だったが、一方で美俐沙だけはまだ浮かない顔をしていた。
当面の居場所は確保できたとはいえ、結局のところその先の生活については何も決まっていない。
真面目な彼女には、それが気掛かりなのだろう。
唯月はそんな美俐沙の様子に気づき、何かを思いついたように立ち上がった。
「……よし。じゃあ、少し出かけるか」
「えっ?」
突然の提案に、美俐沙が目を丸くした。
「どこへ、ですか?」
「それは着いてからのお楽しみだ」




