全ての始まり 断片的だが分かっていく
オオホリパーク
イーサンはしばらく黙ったまま周囲を見回していたが、やがて小さく息を吐いた。
「……まあ、とりあえずだ」
彼は先ほど見つけた看板の方へ視線を向ける。
「さっきの看板に書いてあった地図を写そう。文字は分からないが、全体的な図なら把握できる」
リャンが目を丸くする。
「地図を写すのか?」
「ああ。知らない土地では、情報が一番重要だ」
そう言うとイーサンは腰のポーチから紙束を取り出した。
少し湿ってはいるが、まだ使える。
続いて短く削られた鉛筆を握り、膝をついて紙を地面へ置いた。
リャンは感心したように口笛を吹く。
「相変わらず几帳面だなぁ、お前」
「生き残るには必要なことだ」
イーサンは淡々と返しながら、記憶を頼りに線を書き始めた。
大きな池。
周囲を囲む道。
枝分かれした通路。
そして特徴的だった建物の位置。
見知らぬ文字は読めなくとも、図形そのものは理解できる。
鉛筆の先が紙の上を走るたび、少しずつ地図が形になっていった。
リャンが後ろから覗き込む。
「……すげぇ。結構覚えてるもんだな」
「一度見た景色はなるべく忘れないようにしている」
イーサンは線を引きながら静かに言った。
「荷運びでは道を覚えられない奴から死ぬからな」
その言葉に、リャンは苦笑する。
「嫌な経験則だ」
「だが役には立つ」
イーサンは最後に大きな円を書き込み、鉛筆を止めた。
紙の上には、粗削りながらも周辺の地図が出来上がっていた。
彼はそれをじっと見つめる。
「少なくとも、自分たちがどこを歩いたかは把握できる」
リャンが腕を組む。
「で、次はどうする?」
イーサンは描き終えた地図を丁寧に折り畳み、上着の内ポケットへ滑り込ませた。
「よし」
彼は立ち上がり、周囲を見渡す。
「書いた地図を使って散策だ」
リャンの顔がぱっと明るくなる。
「おお、そう来なくっちゃ」
先ほどまでの不安げな空気を吹き飛ばすように、彼は軽く肩を回した。
「じっとしてても始まらねぇしな」
「ああ。情報を集める」
イーサンは短く答え、歩き出した。
二人は巨大な道の端へ寄りながら慎重に進んでいく。
するとリャンが足を止め、真顔で言った。
「また潰されるリスクがあるから、端を歩こう」
「賛成だ」
イーサンも即座に頷く。
彼らにとって、この世界の人間は“巨人”同然だ。
もし誰かが足元を見ずに歩けば、それだけで命取りになる。
二人は壁際や縁石の近くを選びながら進み始めた。
歩くたびに、周囲の景色がゆっくり視界へ入ってくる。
巨大な木々。
異様なほど綺麗に整えられた道。
遠くに見える水面。
そして、所々に設置された金属製の設備。
イーサンは周囲を観察しながら眉をひそめた。
(……広い)
地図と実際の景色から考えるに、この場所はかなり大規模な公園らしい。
1912年の都市公園とは比較にならないほど整備されている。
だが――。
「……妙だな」
イーサンが小さく呟く。
リャンが振り返る。
「何がだ?」
「人の数だ」
イーサンは遠くを歩く巨人たちへ視線を向けた。
確かに人影はある。
だが、この規模に対しては明らかに少ない。
朝だからという理由だけでは説明しきれないほどに。
広大な空間が、どこか不自然なほど静かだった。
リャンも辺りを見回す。
「言われてみれば……そうだな」
「ここが不人気なのか」
イーサンは考え込むように続ける。
「あるいは入場制限でもあるのか……」
彼の脳裏に様々な可能性が浮かぶ。
危険区域。
身分制限。
特定の時間帯のみ開放。
未来の世界なら、1912年には存在しない制度があっても不思議ではない。
リャンが苦笑する。
「面倒そうだな」
「少なくとも、常識は通用しないだろうな」
イーサンはそう答えながら、再び周囲へ鋭い視線を向けた。
しばらく道沿いを歩いていると、リャンがふと足を止めた。
「……おい、あれ」
彼が指差した先。
巨大な紙切れが地面へ落ちていた。
二人からすれば布のようにも見える大きさだ。
風に揺られ、端がぱたぱたと動いている。
イーサンは警戒しながら近づく。
「紙……か?」
近くまで来て、ようやくそれが印刷物だと分かった。
表面には男の顔写真。
そして、その周囲を埋め尽くす大量の文字列。
黒々と並ぶ未知の記号が紙面を覆っている。
リャンが目を細めた。
「本か何かか?」
「いや……」
イーサンはしゃがみ込み、紙面を観察する。
大量印刷された文字。
写真付きの記事。
薄い紙質。
彼はゆっくりと呟いた。
「見た目からして新聞だろう」
「新聞?」
「ああ。だが――」
イーサンは眉をひそめた。
「相変わらず文字が読めない」
そこに書かれている言語は、彼らの知るどの文字体系とも違っていた。
少なくとも1912年の知識では判別不可能だった。
だが、その中で唯一理解できるものがあった。
数字だ。
イーサンの視線が紙面の端に止まる。
「……2020、4、8」
彼はゆっくり数字を読み上げた。
リャンが隣から覗き込む。
「なんだそれ?」
「おそらく暦だと予想する」
イーサンは慎重な口調で答える。
「年、月、日を表している可能性が高い」
一瞬、空気が静まった。
リャンは数秒考え込み、やがて乾いた声を漏らす。
「……待て」
彼の表情が引きつる。
「もしこの世界が2020年なら、私たち……異世界どころか108年後に来てるってことになるな」
その言葉の重さに、二人とも無意識に黙り込んだ。
108年。
それは単なる未来ではない。
文明も価値観も、何もかも変わり果てるほど長い時間だ。
イーサンは新聞を見つめたまま、小さく頷く。
「……確かにな」
彼の声には、わずかな動揺が滲んでいた。
我々の世界では空を飛ぶことすら夢物語に近かった。
だがこの世界は、鉄の塊が空を飛び、知らない文字を使っている。
リャンが苦笑混じりに頭を掻く。
「108年後か……。もう俺たち、歴史の人間じゃねぇか」
「いや異世界の人間だよ」




