全ての始まり 巨大な存在
オオホリパーク
すると――
背後で、何か違和感を感じた。
イーサンの背筋が凍る。
嫌な気配だった。
ゆっくりと振り返った二人は、その瞬間、息を呑む。
「――うわっ!?」
「なっ……!」
そこにいたのは、巨大なカマキリだった。
黒緑色の外殻。
鎌のような前脚。
複眼がぬらりと光り、二人を見下ろしている。
しかも大きい。
自分たちの何倍どころではない。
馬ほど――いや、それ以上に見えた。
カマキリは首を傾けるように動かし、ゆっくりと鎌を持ち上げる。
ギチ……ギチ……
硬い外骨格が擦れる音が響いた。
リャンの顔から血の気が引く。
「お、おいイーサン……冗談だろ……?」
「構えろ!!」
二人は反射的に拳銃を抜いた。
震える腕で銃口を向ける。
だが、その瞬間だった。
頭上から巨大な影が落ちてくる。
次の瞬間――
ズゥゥゥンッ!!!
凄まじい衝撃。
「うわぁっ!?」
「ぐっ……!」
二人の身体が吹き飛ばされそうになる。
地面が揺れ、小石や土が雨のように降り注いだ。
カマキリがいた場所には、巨大な“靴”があった。
いや、靴ではない。
人間の足だった。
潰されたカマキリの体液が地面に広がっている。
イーサンは顔を青ざめさせながら、ゆっくりと上を見る。
「……は?」
視界の先。
空を埋めるほど巨大な人影。
一人の女性だった。
黒髪を揺らしながら、スマートフォンを片手に立っている。
あまりにも巨大すぎる。
まるで山だ。
女性は靴底を見ながら、うんざりした声を漏らした。
「はぁ……最悪」
彼女は深いため息をつく。
「パンデミックのせいで学校には行けないし、外出制限で旅行も行けないし……」
ぶつぶつと愚痴を零しながら、足元を見る。
「せっかく人が少ない時間に散歩してたのに、今度はカマキリ踏み潰しちゃうし……」
女性は眉をひそめた。
「……ほんと、今年嫌なことばっか」
その声だけで空気が震える。
リャンは顔を引きつらせた。
「な、なんだよあれ……」
「静かにしろ……!」
イーサンは必死に声を押し殺す。
だが、その時。
女性がふと視線を下へ向けた。
巨大な瞳がこちらへ動く。
イーサンの心臓が止まりかけた。
「ヤベッ」
「隠れろ!!」
二人は咄嗟に草むらの陰へ飛び込む。
土の匂い。
湿った草。
息を殺しながら身を縮める。
ドクン、ドクン、と心臓が暴れるように鳴っていた。
女性はしばらく辺りを見回していたが、やがて首を傾げる。
「……あれ?」
彼女は目を細めた。
「なんかいたような……」
一瞬、沈黙。
二人は呼吸すら止める。
しかし次の瞬間、女性は肩をすくめた。
「……まぁ、いっか」
そして何事もなかったように歩き去っていく。
ドォン。
ドォン。
一歩ごとに地面が揺れた。
二人はしばらく動けなかった。
やがて足音が遠ざかると、リャンが震える声で呟く。
「……なぁイーサン」
「……なんだ」
「俺たち、とんでもねぇ世界に来ちまったんじゃないか……?」
しばらくの間、二人は草むらの中で身を縮めたまま動けなかった。
遠ざかっていく足音だけが、地震のように地面を震わせている。
ドン……ドン……
やがて完全に静かになると、リャンが震える息を吐いた。
「い、行ったか……?」
イーサンはすぐには返事をしなかった。
拳銃を握ったまま、慎重に草の隙間から外を覗く。
巨大な人影はもう見えない。
「……行った」
その一言で、リャンがへなへなと座り込んだ。
「はぁぁぁぁぁ……死ぬかと思った……」
「まだ死んでないだけだ」
イーサンは低く言う。
だが、彼自身も額に汗を浮かべていた。
もし、あと少し逃げるのが遅れていたら。
自分たちはあのカマキリみたいに、一瞬で潰されていた。
リャンは潰れたカマキリの残骸を見て顔をしかめる。
「なぁ……あれ、人間……だよな?」
「ああ」
「デカすぎるだろ……」
「俺たちが小さいんだ」
その言葉に、リャンは黙り込んだ。
風が吹く。
周囲の草が森みたいに揺れた。
イーサンはゆっくり空を見上げる。
巨大な建造物
そして、自分たちを虫みたいに踏み潰せる人間。
ここは自分たちの知る世界ではない。
その時だった。
――バタバタバタバタッ!!
空気を叩きつけるような重低音が、頭上から降ってきた。
イーサンが反射的に顔を上げる。
「……なんなんだ?」
リャンも眉をひそめ、空を見上げた。
青空の上を、巨大な黒い影が横切っていく。
鉄でできた奇妙な飛行物体。
鳥のような翼はなく、代わりに頭上の巨大な羽根が凄まじい勢いで回転している。
リャンが呆然と口を開く。
「……なんだ、あの空飛ぶ鉄の塊は」
ヘリコプターは二人の存在など意にも介さず、轟音を残して遠ざかっていく。
やがて音が小さくなり、静寂だけが戻った。
イーサンはなおも空を見つめたまま、低く呟く。
「おそらく……飛行機の一種だろう」
リャンが即座に首を振る。
「でも、俺たちが知ってる飛行機とは全然違うぞ」
「ああ」
イーサンは慎重に言葉を選ぶように続けた。
「翼がない。それに、あの大きな回転する羽……見た感じ、機体全体が金属製だった」
彼の脳裏に、1912年で見てきた複葉機の姿が浮かぶ。
布張りの翼。細い骨組み。頼りない木材。
だが今見たものは、それらとは根本から違っていた。
まるで空を飛ぶために生まれた“機械”そのものだった。
イーサンの表情がゆっくりと強張る。
「……これで確実に分かった」
無意識のうちに、言葉が口から漏れていた。
「ここは異世界だ。しかも、私たちの時代より未来の世界だ」
リャンが目を瞬かせる。
「未来? いつの時代だよ」
「分からない」
イーサンは静かに首を横に振った。
「だが少なくとも――1912年ではない」
一瞬の沈黙。
その後、リャンが乾いた笑いを漏らした。
「はは……そりゃそうだ。あんな鉄の鳥が飛んでる時代なんて聞いたことねぇよ」
だがその笑い声には、隠しきれない不安が混じっていた。
見知らぬ世界。
理解不能な技術。
そして、自分たちだけが取り残されたような感覚。
イーサンは周囲を見回す。
遠くに並ぶ巨大な建造物。
見たこともない舗装された道。
時折聞こえる機械音。
「何か……手掛かりがあればいいのだが」
彼はそう呟きながら、無意識にホルスターへ手を添えた。




