第7話「いつ名前なんて聞いたんだよ」
「ティエラー!なんで起こしてくれなかったのー?!」
朝食の席に、アニマが慌ただしく駆け込んできた。
髪は少し跳ねていて、服もどこか整いきっていない。どうやら、彼女は朝に弱いらしい。同じ部屋に泊まっていたティエラに起こしてもらえず、寝坊してしまったようだった。
「すみません。次回からは起こすようにします」
「あまり甘やかすな。自力で起きられるようになるべきだ」
アメリスは即座に言った。だが、先程自分を起こしに来てくれたことを、クレシアンは知っている。
「そもそも君は――」
そこから先は、朝から始まるにはやや長すぎる小言だった。
まだ冒険者になって二日目でこれなのだから、先が思いやられる。
クレシアンは縮こまるアニマを横目に、黙って食事を進めた。
集落の朝食は質素だったが、温かかった。焼きたてのパンに、野菜の入った薄いスープ。それから、少し硬い魔獣の干し肉。聖都の食堂で出るような華やかさはないが、昨日の夜に感じた緊張が少しだけほぐれるような味だった。
その横で、ティエラは既に大皿を何枚か平らげている。
アメリスもそれなりに健啖家だが、この二人ではどちらの方がよく食べるのだろう。
そんな呑気なことを考えていると、アメリスの小言を受けていたアニマが、恨めしそうにこちらを見てきた。
助けてほしいのだろうか。
しかし、クレシアンは静かに目を逸らした。
巻き込まれたくなかった。
そうして賑やかな朝食を終え、彼らは集落の入口付近に集まった。
朝の空気は冷えていた。
家々の煙突からは細い煙が上がり、畑の上にはまだ薄く朝露が残っている。昨日見た時よりも、集落は少しだけ穏やかに見えた。
結局、昨晩は何も起きなかった。
夜番の途中で魔獣が現れることもなく、不気味な鳴き声が聞こえることもなく、ただ静かな夜が過ぎた。
「さて!」
アニマが元気よく手を叩く。
にっこりと笑う顔は相変わらず可愛らしい。
「今日はどうする?」
「どうするも何も、まずはギルドに報告だろう」
即座にアメリスが答えた。
昨日の老人も、安全に夜を過ごせて満足したのか、彼らを引き止めに来ることはなかった。そもそも、朝から一度も姿を見ていない。
特筆すべき功績はない。
だが、何も起きなかったのならそれでいい。
「でも良かったよね!」
アニマはどこか得意げだった。
「結果論だろう」
アメリスは呆れたように返す。
それでも、クレシアンは内心ではアニマに同意していた。
何も起きないなら、その方がいい。
「じゃあ、まずは街に戻るってことでいいよな。川の異変とか魔獣被害とかの説明をするってことで」
「そうだな。正式な依頼処理はギルド側が何とかしてくれるはずだ」
例えば、経験のある冒険者を派遣して事情を聞く。あるいは、警備を配置して実際の魔獣の増加を確認する。川についても、専門の調査員が来るかもしれない。
少なくとも、それらは昨日登録したばかりのかけだし冒険者が勢いで抱え込む仕事ではないはずだ。
思いきりよく首を突っ込む必要なんてない。
クレシアンはそう思った。
「その後は川の上流を見に行くんだよね?」
もちろん、アニマはクレシアンの気持ちなど知らないので、彼とは違って、首を勢いよく突っ込みたがっているが。
「昨日のセサラニア草だって全然見つからなかったし」
アニマの言葉に、クレシアンは嫌な予感を覚えた。
昨日は半分しか集まらなかった。
川の様子がおかしい。
魔獣が増えている。
老人は困っている。
その一つ一つは小さな問題のはずなのに、重なっていくと、次第に自分たちの手には負えないものに変わっていく気がした。
依頼など諦めて、さっさと本来の目的地へ向かえばいいのではないか。仕方がなかったとギルドに説明すれば、少なくとも理解はしてもらえるだろう。今ある依頼品で報酬の半分でも貰えれば、なおいい。
そんな考えが頭をよぎる。
挫折したくない。
だが、これ以上厄介なことに巻き込まれるのも嫌だった。
まずはギルドに戻る。
まずは報告。
まずは街へ帰る。
クレシアンは願いを何度も心の中で唱えながら、仲間たちの会話を伺った。
話題はいつの間にか、川の上流にあるというアルフの村へ移っていた。
交易はするが、あまり開放的ではない村だという。自然と共に生きるアルフたちにとって、川の調査など環境破壊も甚だしいと捉えられてしまうだろうか。
入口で追い払われるかもしれない。
「入れてもらえなければ、忍び込めばいいのです」
ティエラが真顔で言った。
一瞬、沈黙が落ちた。
「えっ、そ、それはダメだよ!まずは手順を踏まないと」
「まさか、君に手順を踏むという概念があるとは知らなかった」
「ちょっと、それどういう意味!」
たじろぐアニマを、アメリスはすぐに皮肉った。
それが気に入らなかったのか、アニマは拗ねるように頬を膨らませる。
クレシアンは、そんな二人のやり取りを横目にティエラを見た。
彼女は本気なのか冗談なのか分からない顔をしている。
いや、たぶん本気っぽいところが、少し怖い。
「少なくとも今、村に入る方法を議論するにはまだ早いでしょう」
時間の無駄とでも言うように、ティエラは淡々と言った。
だが、その言葉こそ、間違いなくクレシアンの欲しいものだった。
「そ、そうだ。ほら、実際はすんなり入れてもらえるかもしれねぇし。まずは報告って決めてんだからさ、後のことはそれが終わってからでもいいと思う」
クレシアンもまた、目先のことをまず何とか終わらせたかった。
今から正義感に燃えるアニマをどう止めるかなど、頭が痛くなるようなことは考えたくない。
ひとまず皆が頷いたことで、クレシアンは内心ほっとする。
そんな時だった。
「おう新人、生きてたか!」
背後から聞き覚えのある声がした。
振り返ると、そこには昨日ギルドでちょっかいをかけてきた男と、そのパーティメンバーの姿があった。
昨日と同じく、声が大きい。
そして距離が近い。
「そういう挨拶はやめてくれ……」
クレシアンは顔をしかめる。
男――ユウは、豪快に笑った。
「悪い悪い。だが生きてたなら何よりだ。初依頼でいきなり帰ってこねぇやつもいるからな」
「朝から縁起でもないことを……」
クレシアンの声は自然と小さくなる。
ユウは気にした様子もなく、クレシアンたちを見回した。
「で、何してんだ?」
「この集落で川の異変と魔獣被害の話を聞いた。報告に戻るか、このまま調べるか迷っているところだ」
彼女が、と付け加えながらアメリスはアニマに手を向けた。
「川の異変ねぇ」
ユウはふーんと顎を撫でた。
「なら交換しねぇ?」
「交換?」
クレシアンは首を傾げる。
嫌な予感がした。
この男が何かを言い出す時は、大抵ろくでもない気がする。
「俺は今、アルフの村まで手紙届ける依頼を受けてんだよ」
ユウは懐から封筒を取り出した。
「でも正直、めんどくせぇ」
「おい」
後ろの仲間が即座に突っ込む。
「めんどくせぇじゃねぇだろ」
「いや、めんどくせぇだろ」
ユウは真顔だった。
「遠いし」
「それが仕事だ」
「アルフ付き合い悪いし」
「それも仕事だ」
仲間の声は疲れていた。
どうやら、いつものことらしい。
ユウはまったく気にせず続ける。
「その代わり、お前らがアルフの村まで届けてくれ」
「代わりに?」
「で、俺らが集落の件をギルドに報告しとく」
クレシアンは少し考えた。
アルフの村へ行く。
手紙を届ける。
ただそれだけ。
一方で、集落に残れば、魔獣被害、夜の警備、川の異変調査、老人の期待。
どちらが楽か。
考えるまでもなかった。
「手紙届けるだけでいいんだよな?」
「おう」
「なら別に……」
クレシアンは封筒を見る。
厚みはない。特別重いわけでもない。ただ、目的地まで運ぶだけ。
それなら、薬草採取よりもずっと分かりやすい。ついでに川の上流をちょこっと確かめるくらいできれば、アニマも満足するだろう。
「いいんじゃないか」
アニマは目を輝かせた。
「アルフ村!デカキノコ!」
「はしゃぎすぎだろ」
「だって行ったことないし!」
どうやら、彼女は気分が乗れば依頼はなんでもいいらしい。
アメリスは少しだけ考え込んだ。
「報告を確実に行うと約束できるか?」
「できるできる」
ユウは軽く手をひらひら振った。
「むしろそっちの方が楽だしな」
「またすぐそう言う」
仲間の一人が疲れたように言った。
アメリスはまだ渋い顔をしていたが、完全に反対する理由もないようだった。
ティエラはというと、相変わらず何を考えているのか分からない顔で封筒を見ている。
「依頼の譲渡は問題ないのか?」
アメリスが確認する。
「同等級以下の配達依頼なら、パーティ間での委任は認められてる。報告の時に俺らが処理しとく」
ユウはそう言って、封筒をクレシアンに差し出した。
「ほら、新人。初めての配達任務だ。落とすなよ」
「こんなの逆にどう落とすんだよ」
そう言いながら、クレシアンは封筒を受け取る。
紙の感触は、思ったよりもしっかりしていた。
ただの配達だ。恐らく危険なことはない。
少なくとも、魔獣退治よりはずっといい。
「じゃあ決まりだな」
ユウが笑う。
クレシアンは小さくため息を吐いた。
どうしてこう、行き先ばかり増えていくのだろう。
だが不思議と、昨日よりは少し気が楽だった。
手紙を届けるだけなら、自分にもできる気がした。




