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第8話「付き合い悪いようには見えない」

 ユウたちと別れたあと、クレシアンたちは川の上流にあるというアルフの村へ向かうことになった。


「アルフの村ってどんなところかな!」


 アニマは上機嫌で、足取りも軽く、時折、川沿いの草花を覗き込みながら進んでいる。


「遊びに行くわけじゃない」


 アメリスが釘を刺す。


「分かってるよ、手紙を届けるんだよね。あ、あと、できたら上流でセサラニア草を探して、それで、川の調査もする!」


「あくまで自然な範囲でだ」


「自然な範囲……」


 アニマは何やら難しい顔をした。

 おそらく深くは考えていないだろうけど。


 クレシアンは小さく息を吐き、周囲へ視線を向けた。


 川沿いの道は、少しずつ森の深くへ入っていく。下流の集落付近ではまだ人の手が入っていたが、ここまで来ると木々は高く、枝葉は重なり合い、陽の光は細い筋になって地面へ落ちるだけだった。


 ただ、普通の森とは少し違っていた。


「わっ、見て!キノコ!」


 アニマが急に声を上げた。


 視線の先には、傘の広いキノコが生えていた。

 最初に見つけたものは、せいぜい膝ほどの高さだった。それでもかなり大きいのだが、進むにつれて、腰ほどのもの、人の背丈を超えるものが現れ始める。やがて、木の幹と見間違えるほど太い柄を持ったキノコまで見えてきた。


「すごい、すごいよ!こんなに大きいキノコ、初めて見た!」


 アニマは目を輝かせ、今にも走り寄って抱きつきそうな勢いだった。


「不用意に近づくな。毒を持つものもある」


「へ?!」


 アメリスが即座に止める。

 アニマは驚いたように動きを止めるが、その後すぐにキノコから離れた。ちらちらと名残惜しそうに振り返るが、触るのは我慢したらしい。


 クレシアンも巨大なキノコについては知っていた。

 ヴァルディア北部のアルフ村周辺に大型の菌類が多いことくらい、この国で暮らしていれば耳にする。

 それでも、実物を見るとやはり圧倒された。

 知識として知っていることと、実際にその下を歩くことは違う。図鑑の挿絵では、湿った匂いや、頭上を覆う巨大な傘の圧迫感までは分からなかった。


「……本当にでかいな」


 思わず呟く。


「だから近づくなと言っている」


 アメリスが淡々と返した。

 どうやら、自分も無意識のうちに手を伸ばしていたようだ。


 さらに進むと、巨大なキノコはますます数を増やしていった。

 傘の裏が淡く光るもの。薄い膜のようなものを垂らしているもの。何本も寄り添うように生え、自然の屋根のようになっているもの。


 不気味と言えば不気味だったが、どこか幻想的でもあった。


「あれは食べられる?」


 アニマが近くにあった大きな赤いキノコを指差す。


「やめておいた方がいい。色が派手なものは大抵ろくでもない」


「うーん、あっちは?」


「知らないものは食べるな」


「じゃあ、どれならいいの?」


「僕に聞かないでくれ」


 振り回されるアメリスがなんだか可笑しくて、クレシアンは小さく笑った。


 しばらくして、木々と巨大キノコの間に小さな村が見えてきた。

 アルフの村は、人間の集落よりもずっと森に溶け込んでいた。

 家々は木と菌糸を組み合わせたような不思議な造りで、屋根の一部には平たいキノコがそのまま使われている。道は最低限しか均されておらず、根や苔や小さな草花が自然に残されていた。


 村の入口近くには荷車がいくつか止まっており、茸紙や乾燥菌材らしきものを積み込んでいる者の姿もある。人間の商人らしき男がアルフの職人と何かを確認し合い、荷の状態を確かめているのも見えた。


 アルフとの貿易が行われていることは知っていたが、外から行商人を呼ぶばかりで彼ら自身は街へ来ない。そう聞いていたから、貿易には乗り気でなく、村ももっと静かで閉じた場所を想像していた。


 だが、どうやらそんなことはないらしい。


 彼らは自分たちの暮らす場所を森の奥に置いているだけで、街との取引を拒んでいるわけではないようだ。むしろ、この村にとって巨大キノコに由来する品々は大事な産物なのだろうと見て取れる。


 四人が村へ入ると、近くにいたアルフの青年がこちらへ目を向けた。


「何か用ですか?」


「あ、手紙の配達、なんですけど。この人の家はご存知ですか?」


 クレシアンが封筒の宛名を見せると、青年はすぐに頷いた。


「それならここです」


「え、あ、ありがとうございます」


 アルフの青年が示したのはすぐ目の前にある家だった。喜ばしいことに、依頼はすぐ果たせそうだ。


 四人はそのまま目の前の家を訪問し、出てきた女性に手紙を差し出した。

 受取人は封筒を受け取ると、蝋封を確かめ、静かに頷く。


「確かに受け取ったよ。遠いところをありがとう」


「いえ、頼まれただけなので」


 クレシアンは曖昧に返す。

 

 これで、ひとまず依頼は終わった。少なくとも、手紙については。


「あの、少し聞いてもいいですか?」


 アニマが身を乗り出すようにして尋ねると、女性は「私に答えられることなら」と穏やかに返事をする。


「この川の下流で、魔獣の被害が増えてるみたいなんです。それで、川が変なのかなーって聞いたからちょっと気になってて。何か知りませんか?」


 アルフの女性は少しだけ考えるように目を細めた。


「確かに前とは違うね」


「やっぱりそうなんだ!」


「それなりに長く生きているからね、突然の変化には敏感なんだ。水源についてもこの前調べたばかりだよ」


「何か変わったことはありませんか? 水が濁ってるとか、匂いが違うとか」


 アニマが続けて尋ねる。


「私たちの見た限りでは、特には。だが下の方では魔獣が増えているんだったね。ならば、あなたたちも水源に行ってみてはどうかな。私たちとは違う気付きがあるかもしれない」


 それを聞いて、クレシアンは内心で肩を落とした。


 特に異常なし。

 ならば、調べたところで何も分からないかもしれない。そもそも、上流に問題がないのだとすれば、魔獣の件は切り離して考えるべきではないのだろうか。確かに川にもなにか変化はあったのだろうが、きっとそれはまた別の問題だ。


「水源だけ確認したら戻るか」


 クレシアンが小声で言うと、アメリスも頷いた。


「そうだな。セサラニアに留意しておくくらいでいいだろう」


 その言葉に、クレシアンはほっとした。

 やっとまともな判断をしてくれる人がいる。アニマは人助けが好きなのか、それともムキになっているのかわからないが、今回でこの件は最後になればいいと思った。クレシアンからすれば空回りの予感しかしないからだ。


 四人は村を出て、教えられた山道へ入る。最初は何色のキノコがどうとか、何本目のキノコをどう曲がるとか、キノコなどクレシアンたちからするとほとんど見分けがつかないので、理解するまでに時間がかかったが。


 道は細く、ところどころ湿っており、大きな根を踏み越え、苔むした石を避けながら進む。アニマは相変わらず元気だったが、クレシアンは次第に息が上がってきた。対照的にアメリスとティエラはかなり先を歩いている。それを恨めしそうに見るも、自分が運動不足であるという事実は変わらなかった。


「まだか……?」


「水音が近いので、もうすぐでしょう」


 ティエラが答える。


 ずっと川の近くを歩いているのだから、そんなのは当たり前だろう。疲れていなければ、すぐにそう反論しただろうが、残念ながらクレシアンにそんな気力は残っていなかった。


 しばらく進むと、岩の間から澄んだ水が湧き出している場所に出る。流れはそこから下へ伸び、やがて彼らが辿ってきた川へと繋がっているようだった。


「ここが水源か」


 アメリスが周囲を見回す。

 遠くから見れば崖の途中にあるような、そんな高い場所までいつの間にやら登ってきたようだ。


 水は綺麗だった。

 手ですくえばそのまま飲めそうなほど澄んでいて、泥や腐臭のようなものもない。変な色をしているようにも見えなかった。


 アニマもしゃがみ込んで水面を覗き込む。


「普通だね」


「普通だな」


 クレシアンも同意した。


 本当に普通だった。拍子抜けするほどに。


 しばらく四人で周辺を調べてみたが、何か気になるようなこともない。魔獣の足跡は見当たらないし、周囲の環境にもおかしな点はなかった。


「もう十分だろう。一度戻って、わかったことだけ報告しよう」


 アメリスの言葉に、クレシアンはすぐにうなづいた。


 これ以上進む理由はない。手紙も届けた。水源も見た。村にも聞いた。

 なら、帰っていいはずだ。


「うん……そうだね。何もないなら仕方な――」


 アニマは突然、驚いたように言葉を切った。


「って、ティエラ何してるの?!」


 全員の視線が、ティエラへ向けられる。そしてそのティエラは、今まさに岩肌に突き出た木の根に手をかけ、隙間に足をかけている。彼女の様子はまるで、さらに上へと登ろうとしているかのように見えた。


「上を確認してこようかと思いまして」


 一瞬、何を言われているのか分からなかった。


「……どういうことだ?」


 アメリスも意図がわからなかったのか、眉をひそめている。


「湧き水なのだから、上から染み込んでいるはずです」


 ティエラは体勢を保ったまま上へと視線を向け、クレシアンもその視線を追う。

 水源のさらに上には、ほとんど道らしい道がない。崖と呼ぶほどではないが、普通に歩いて進むには明らかに厳しそうだった。

 無理でなくとも、そこまで労力をかける必要性は全く感じられない。


 ただ、彼女の言いたいことは何となく理解できた。


 つまり、山の上に降った雨や雪が地中へ染み込み、ここの湧き水になる。何もない場所から水が突然出てくるわけではない。そういう意味だろう。


 だとしても、今すぐ行く理由も、自分たちが行く理由もないはずだ。


「……専門家じゃないんだぞ、オレたち」


「ああ、さすがにここを登るのは危ない。君はいいとしても――おい、聞いているのか!」


 こちらの制止を気にすることなく、ティエラは登っていく。「皆さんはそちらでお待ちください」と言い残し、その身のこなしはなんと軽やかなことか。


 それを見て、アメリスが小さく舌打ちをしたかと思えば、彼はそのまま近くの岩に腰を下ろした。


「彼女の気が済むなら好きにさせてやればいい。僕はここで休む」


「ほ、本気か」


「ああ」


 アメリスの態度にクレシアンは困惑した。彼はなんというか、生真面目で、正義感が強そうに見えるから。おそらくアニマもそう思っているのだろう。慌てふためいたようにアメリスとティエラを交互に見ている。


 そして、アニマは納得できなかったようだ。


「それでも一人は駄目でしょ!」


 そう言うなり、彼女は斜面へ向かって駆け出した。


「あっ、おい!」


 クレシアンが止めるより早い。

 アメリスは深いため息を吐いた。


「……どうしてこうなる」


 そう呟きながら立ち上がる。


「アニマ!足元もよく見ておけ!」


 今度はアメリスが追いかける番だった。

 クレシアンはそのまま二人の背中を見送る。


 またそれだ。

 少しだけ。確認だけ。戻るつもり。


 今回は口にはしていないが、結局そういうことだ。しかも、その心構えで本当にすぐ戻れたことがあっただろうか。

 とはいえ、残念ながら置いて行かれる方がもっと不安だった。

 自分の旅なのに、主導権はあるようでない状態がこれでもかと続いている。


 クレシアンはその場に立ち尽くした。

 ここに残る選択肢も、村へ戻るという選択肢もある。だが、それは何か違う気がした。


 旅に出てまだ二日だ。顔を合わせたことがあっても、これほど長い時間を一緒に過ごすようになるのはまだ二日目だった。だから正直仲間とすらまだ思えていない。ただ、知らない人でもない。帰属意識なのか自己保身かなのかなんてわからない。苛立ちが積もって仕方ないのに、彼はそれがなぜなのかわからなかった。だがとにかく、自分も追いかけなければいけないと思った。


 ティエラはもうかなり先まで進んでいる。

 アニマもなんだか一生懸命進んでいる。

 アメリスはアニマに助言しながら進んでいる。


 なら、自分だけ引き返すわけにはいかない。


 クレシアンは大きく息を吐いてから、岩肌に手をかけた。

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