第5話「後ろでちゃんと噛まれてた」
クレシアンたちが依頼書をギルドカウンターまで持っていくと、受付嬢はまた淡々と説明を始めた。
「依頼について説明させていただきます。終わったら隣の精算用カウンターに行ってください。以上です」
「えっと、それだけ……?」
「他に何か?ここで受けて、あっちで報告。これであなた方も一人前です」
受付嬢は精算カウンターに視線も向けず、最低限の手振りだけで説明を終える。
てっきり、もっと依頼内容について細かく聞けるのかと思っていた。採取場所の注意点だとか、持ち帰る時の扱いだとか、そういうものがあるのだろうと。
しかし、どうやら違うらしい。
これが説明ならば、次回はそれすら聞けないかもしれない。
半ばあしらわれるようにギルドを後にしたクレシアンたちは、北の大門から街の外へ出た。
しばらくは整備された道が続いた。
街道の両脇には低い草が生え、時折、荷車の轍が乾いた土の上に残っている。聖都の喧騒は少しずつ遠ざかり、代わりに風が草を揺らす音が耳に届くようになった。
やがて道の周囲に背の高い樹木が増え始める。枝葉が頭上を覆う場所もあり、陽の光はところどころで細く裂かれて地面に落ちていた。
聖都の北には森と山くらいしかない。
だが、そこを流れる川の傍には、アルフや人間の小さな集落が点在しているらしい。
クレシアンたちは、道中魔獣に襲われるようなこともなく進んだ。
森は拍子抜けするほど静かだった。
「冒険者ギルドっていい人がいっぱいだったね!」
「オレ、あの受付にずっと睨まれてる気がしたんだけど……」
「話してないでもっと真面目に探してくれ」
たかが十株。
そう思っていた薬草は、なかなか見つからなかった。
クレシアンとアニマは、つい先ほどのギルドの感想を言い合うことに夢中になっていた。アメリスがたまに注意すると、二人はそのたびに短い時間だけ意識を草むらに戻す。しかし、すぐにまた話は逸れた。
「……水辺でよく見かけると言ってなかったか?」
しばらくして、あまり順調とは言えない採取に、アメリスは痺れを切らしたようにため息をついた。
いつの間にか、空も赤く染まり始めている。
「うーん、集まって生えてることが多いんだけど、でも、この川の近くにはあんまりないみたい」
「どこか、他の自生地はないのか?」
「オレは聞いたことないな。ただ、自生してるものは甘い香りを発してるから、近くにあればすぐわかるはずなんだ」
「そうそう!いい匂いって思ったら噛まれたことある!意外と歯が鋭くて痛かったなぁ」
「え、噛まれたことあんのか!」
思いがけず聞いた体験談に、クレシアンは身を乗り出した。
アニマの話は、図鑑で見るよりもずっと鮮明なイメージを彼にもたらした。噛みつく薬草。甘い香り。油断した冒険者の指に食らいつく小さな葉。
面白い。
そう思った瞬間、背中に咎めるような視線が突き刺さった。
クレシアンは慌てて意識を引き戻す。
「そろそろ戻るべきです」
空を見上げながら、ティエラが言った。
確かに、今から街へ帰れば、完全に暗くなる前にたどり着けるだろう。
視界が悪くなるということは、想定内が想定外に変わる可能性が高いということだ。
彼女の提案はもっともだった。
しかし、アニマは不服そうに唇を尖らせる。
「でも、まだ半分しか集まってないよ」
彼女は依頼品を大事そうに抱え、川の上流を見つめていた。
木々の隙間から差し込む光はだいぶ赤くなり、森の奥はもう薄暗い。遠くからはカラスの鳴き声が聞こえてくる。
「明日また来ましょう。夜は冷えますから、風邪をひいてしまうかもしれません」
ティエラの抑揚のない声は、諭すようにも聞こえた。
やがて、アニマは静かに頷く。
かと思えば、次の瞬間には明日に向かって明るく意気込んでいた。
「よし、明日は絶対いっぱい見つけよう!」
「最初からそうやって切り替えてくれれば……」
「えへへ」
呆れるアメリスに、アニマは笑って頭をかいた。
そんな彼女を見て、クレシアンは少しだけ羨ましかった。
それから、彼らは川沿いを戻り始めた。
途中にある小さな集落の家々には、ぽつりぽつりと明かりがつき始めている。
夕暮れの薄暗さの中で、窓明かりだけが柔らかく浮かんでいた。
行きと同じように、そこを通り過ぎようとした時だった。
「おい、そこの若いの!」
突然、しわがれた声が飛んできた。
振り返ると、杖をついた老人がこちらを手招きしている。
「冒険者だな!ちょっと来い!」
クレシアンは咄嗟に辺りを見渡した。
残念ながら、自分たちの他に冒険者らしき人影はない。
「他に誰がおる!ほら、早くせんか!」
強引だ。
あまりにも強引だった。
クレシアンは思わずアメリスを見る。
アメリスは少し考えるように老人を見つめ、それから小さく息をついた。
「話だけなら聞いてもいいだろう」
「うん。困ってるみたいだし、行ってみよ」
「そうこなくてはな。ほれ、こっちじゃ」
老人は満足そうに頷くと、集落へと歩みを進めた。
アニマはティエラを引っ張りながら小走りで駆け出し、その後ろをゆっくりとアメリスが続く。
置いていかれそうになったクレシアンも、結局はため息をついた。
「……まあ、話だけなら」
そう呟いて、彼らの後を追いかける。
集落は思っていたよりも小さかった。
畑があり、古びた家々があり、畑のすぐ横を細い川が流れている。家の軒先には干した草束が吊るされ、囲いの中では痩せた家畜が落ち着かなげに身じろぎしていた。
「最近、魔獣の被害が増えておってな」
老人は歩きながら言った。
「元々この辺りにも魔獣は出た。が、ここまで頻繁じゃあなかった。畑は荒らされるわ、家畜は襲われるわ、夜には妙な声までする。もしけが人まで出たら、もう若い者だけではどうにもならんだろう」
全く、今じゃ家畜は貴重だと言うのに、と老人は眉間に皺を寄せる。
「ギルドには?」
「相談しに行くつもりだった。じゃが、街まで行くにも危ない。そこにお前さんたちが通りがかった」
なるほど、とクレシアンは思った。
つまり、たまたま捕まったわけだ。
「おじいちゃん、魔獣が増えた原因に心当たりはないの?」
アニマが尋ねると、老人は少しだけ黙った。
それから、集落の横を流れる川へ視線を向ける。
「川じゃ」
夕暮れの光を受けた川面は、静かに揺れていた。
一見しただけでは、特に異常はなさそうに見える。
「昔から流れておる川じゃ。細いが、澄んだ綺麗な水だった。今も流れてはおる。じゃがな……」
老人は目を細めた。
「前ほど澄んでおらん気がする」
クレシアンは川を見た。
確かに綺麗だ。
だが、昔を知らない彼には違いが分からない。
「気のせい、ということは?」
アメリスが静かに尋ねた。
「若い者は皆そう言う。じゃが、儂はこの川を何十年も見てきた。朝の色も、雨の後の匂いも、夏の冷たさも知っておる」
老人は杖の先で地面を軽く叩いた。
「だから分かる。あの川は、前と違う」
その言い方には、不思議な重みがあった。
ただの思い込みだと、クレシアンには言えなかった。
「川が変わってから、森の様子がおかしい。魔獣も増えた。関係がないとは思えん」
薬草。
クレシアンは、今日一日探し回ってもあまり見つからなかったセサラニア草のことを思い出した。
元々はよく見かける植物のはずだ。ただ運が悪かっただけではないのかもしれない。
「ねえ、それ調べてみようよ!」
アニマが目を輝かせた。
魔獣被害と、見つからない薬草。
川の異変。
困っている集落。
秘密を解き明かす探究心と、何よりも人助けの精神。
どうやら、それらがアニマの冒険者魂に火をつけたようだった。
「夜の警備も兼ねて、ここに一晩泊まるのはどうかな!」
彼女がそう口にすることは、不思議とクレシアンにも予想できた。
とはいえ、できればそのような提案はして欲しくなかった、というのが本音だ。
幸い、そう思ったのはクレシアンだけではなかったようだ。
「簡単に言うな。もうじき日が暮れる。それに摘んだ薬草はどうするつもりだ?一晩もしたら萎れてしまうだろう。調査するにしても、まずはギルドに報告して、準備を整えてからまた来るべきだ」
クレシアンはアメリスに期待の眼差しを向ける。
もっと言ってくれ、と心の中で思った。
ここで彼女を説得できるとしたら、もう彼しかいないだろう。
そう思いながら、クレシアンはぼうっとした様子のティエラに視線を向けた。
「お爺さん、僕たちも力になりたくないのではありません。ただ、僕たちは今日登録を済ませたばかりの新人で、自分の身すら守れるかどうか……」
アメリスの言葉はもっともだった。
少なくとも、クレシアンには何一つ反論がない。
だが、老人も簡単には諦めなかった。
「新人とかそんなことは知らん!冒険者になったなら、これくらいの覚悟は持て!」
一喝した老人は、「ほれ、これでどうじゃ」と手を一振りした。
「わっ、冷た!」
アニマが抱えるセサラニア草に、白い霜が降りていた。
葉先が薄く凍りつき、甘い香りが少しだけ弱まった気がする。
老人は、こちらの返答を待たずに歩き出す。
「狭い集落だが、空き家ならある。飯も出そう。困っている時は助け合いじゃからな」
ほとんど連行だったような気もしたが、クレシアンは口には出さなかった。
アメリスは少し考えるような素振りを見せてから、クレシアンに尋ねる。
言えることは言った、と訴えているようだった。
「どうする?」
「どうするって……」
「君がリーダーだろう」
いつの間にリーダーになったのだろうか、とクレシアンは思った。
しかし、それは今考えることではない。
今重視すべきなのは、街へ帰る理由が尽く潰されてしまったことだった。
問答の間に、茜色は深くなっていた。
森の影も、川の色も、少しずつ夜に近づいている。
「……今夜は魔獣が出ないといいんだけど」
そうため息をついたクレシアンを見て、アニマは無邪気に笑った。




