第4話「思ってたのと違うんだけど」
魔獣対策ギルドの扉をくぐった瞬間、むっとした熱気が押し寄せてきた。
外の朝市も十分騒がしかったはずなのに、ここはまた別種の喧騒に満ちている。笑い声、怒鳴り声、椅子を引く音、杯が机に叩きつけられる音。そこに酒と汗と、湿った革のような匂いが混ざっていた。
予想通り、奥の卓では大柄な男たちが杯を傾けている。ここは酒場ではないはずなのに。
壁際には包帯を巻いた女が足を投げ出し、隣の男に肩の傷を縫わせていた。クレシアンであれば、本のページで指を切っただけでも治癒魔法を受けさせられていた。それなのに、彼らはこの程度の処置で済ませてしまうらしい。
見ているだけで痛い。
思わず目を逸らすと、今度は乾いた泥がこびりついた床が視界に入った。獣の毛らしきものまで散らばっている。誰も気にしていないのか、冒険者たちは平然とその上を歩いていた。
教会とは違う。
空気も、音も、匂いも、そこにいる人間の目つきも、何もかもが違った。
クレシアンは思わず足を止める。
本当に自分がこの世界に入れるのかと戸惑ったし、不安にもなった。だが、そんな彼の様子など露知らず、アニマは興奮しているようだった。
「ほら、受付はあっちだよ!」
アニマは目を輝かせている。
「……元気だな」
「だってギルドだよ?初めて来た!すごいわくわくするね!」
しない。
少なくともクレシアンは、まったくしなかった。
本来はギルド員になるつもりなどなかった。
護衛を雇って、アルカナリアまで行く。必要なら道中の宿や馬車を手配する。それくらいのつもりだった。
今だって危険な依頼を受ける気も、魔獣と戦う気もない。もちろんやらなくていいのだけど、誰でも登録できるということは、その資格が簡単に手に入ってしまうというわけだ。
国際機関として許容していいのかそれは。
まあいい。登録だけ、登録だけだ。
そう自分に言い聞かせながら、クレシアンは受付へ向かった。
「では、四名のギルド登録と、パーティ登録ですね」
「……あ、はい」
クレシアンがボソボソと答えると、受付嬢が淡々と書類を確認する。そして顔を上げてしばらく四人を見つめた。
虫けらを見るような目、というほどではないかもしれない。だが、愛想はない。
丁寧な言葉遣いのせいで、余計に冷たく感じる。
こんなやつ、すぐに野垂れ死ぬだろう。
そう思われている気がした。
「準備ができましたら、一人ずつこちらの魔法石にエコルを注いでください。本人確認と登録情報の紐付けを行います」
「はいはーい、じゃああたしから!」
アニマが張り切って手をかざすと、魔法石が淡く光った。
次にアメリス。そして、クレシアンの番になる。
受付台の前に立つと、妙に喉が渇いた。別に失敗するようなものではないはずなのに、後ろから見られている気がして落ち着かない。
クレシアンは小さく息を吸い、魔法石に手を置いた。その瞬間、身体の奥から何かを引っ張られるような感覚がした。
気持ち悪い。
胃の奥が揺れる。頭の芯がわずかに痺れ、足元がふわりと浮いたような気がした。
確か、エコル生成が少ない者は、その分体内でエコルが暴れやすく、測定酔いを起こしやすいと本に書いてあった。
なんというか、ムカつく。
魔法石はすぐに光を収めたが、胃の奥には薄い不快感が残った。
「……終わった。ティエラ」
少しふらつきながら声をかける。
ティエラは受付嬢を見る。
「私は測定なしでお願いします」
「その場合、本人確認の度に指紋採取が必要になりますが?」
「はい。お願いします」
クレシアンは思わずティエラを見た。
今どき、わざわざそんな面倒な方法を選ぶ者がいるのか。いや、もしかしたら自分よりもエコルが少ないのかもしれない。
たとえ勘違いでも構わないので、クレシアンはそう思うことにした。
そうした方が気分が良くなるから。
「確認が完了しました。冒険者登録及びパーティ登録は以上です」
受付嬢は四人分の身分証を並べる。
「では皆様は本日より第四等級のギルド員です。パーティ名は一時的に『アズリア中央通り支部13264』となっています。後ほど変更してください」
「……それ、ほぼ識別番号ですね」
「仮称です。カウンターの前で悩まれても困りますし、あなた方の相手だけをしていられるほどこちらは暇ではありません」
受付嬢は淡々と答える。正論ではあるのだろう。だが、正論だからこそ視線が痛い。なぜ彼女と会話を続けてみようなどと思ったのだろうか。
クレシアンは尻込みしながら身分証を受け取る。
後ろを振り返ると、アニマはティエラを連れて既に依頼が貼られた掲示板へ向かっていた。
「色んな依頼があるね!」
アニマは興奮気味に掲示板を眺めている。
しかも見ているのは、どう考えても初心者向けではない方の掲示板だった。
「集団失踪事件の調査、凶悪なドラゴンの討伐……あ、教会が出してるやつもあるよ。報酬がすっごいね」
「それは僕たちにはまだ早い」
アメリスが即座に止める。
「まずは低ランク依頼からだ。それに、先にパーティ名を決めるべきだろう」
「パーティ名……」
クレシアンは身分証に書かれた仮称を見る。
アズリア中央通り支部13264。
確かにこのままは嫌だった。だが、たかが名前だ。ゆっくり決めても構わないと思った。
しかし、アニマはそうは思わなかったらしい。
結局、彼女の強い希望によって、四人はすぐに休憩用のテーブルを囲むことになった。
「あたし、インパクトあるやつがいいな。『おっきなおっきなリンゴ』とか!」
「それは……」
男二人が名乗るには、かなり厳しい。
クレシアンは助けを求めるようにアメリスを見た。
「アメリスは?何かあるか?」
「聖教冒険団」
「堅すぎるから却下!」
アニマが即座に両断する。
「なら、聖教旅団。あるいは聖教修行団、あるいは――」
「全部同じ方向じゃねぇか……」
真面目すぎる。
こういう時くらい、少しは遊び心を見せてもいいだろうに。
そう思うが、かく言うクレシアンもまた、いい案は思いつかなかった。
彼は諦めるような視線でティエラを見やる。
「ティエラは?」
「皆さんの決定に従います」
「いや、一個くらい出してくれよ」
ティエラは少しだけ沈黙した。
考えているのか、ただ黙っているだけなのかは分からない。
どこか虚空を見つめていて、動かない。
皆が不思議そうな顔でティエラを見守る中、やがて、彼女は静かに口を開いた。
「では、『蒼の記憶』」
アニマがぱっと顔を上げる。
「それ、かっこいい!」
「蒼……オルゴンのことか?」
アメリスも少し考えるように呟いた。
オルゴンなら、クレシアンも見たことがある。
あの日、危機の中で初めて目にしたそれは、とても綺麗な色をしていた。
だから確かに、この名前は悪くないと思った。
記憶、はよくわからなかったが、何か聞こえが良さそうなものを考えてくれたのだろう。
「じゃあそれでいいんじゃねぇか」
反対はなかった。
何より、アニマがまたおかしなアイデアを思いつく前に、早く決めてしまいたかった。
こうして、仮称だった番号の羅列は『蒼の記憶』に変わった。
名前が決まると、少しだけそれらしくなった気がする。
だからといって、危ない仕事をするかもしれない、してもいいという覚悟が決まったわけではない。だが、ほんの少しならやってみてもいいかもしれないと、クレシアンは思った。
「それで、依頼はどうするの?」
「安全なやつだ」
クレシアンは即答した。
「危険なのは受けない。討伐もなし。採取とか、荷物運びとか、そういうやつ」
「えぇ」
「えぇ、じゃない」
クレシアンは第四等級用の掲示板を見る。
お使い。荷物運び。子どもの相手。薬草採取。
入口で見た包帯だらけの恐らく討伐員たちが、ふと頭をよぎる。
腕を失うような仕事ではない。血まみれで帰ってくるような依頼でもない。
薬草採取なら、たぶん大丈夫だ。
自分にそう言い聞かせながら、掲示板を眺めていると、一枚の依頼書が目に止まった。
「セサラニア草の採取……十株、根付き。これなら街の近くで済みそうか」
「外には出るんだな」
「街の近くだろ。たぶん」
「たぶんで決めるな」
アメリスに少し刺々しく言われる。
それでも、討伐依頼よりはずっとましだった。何より、植物が好きだったクレシアンは、何となく薬草採取が気になった。
「まあ、そう珍しい植物でもないか」
「ならこれにしよう」とアメリスが依頼書を剥がそうとした、その時だった。
「おい見ろよ。絵本から魔女が出てきたぞ」
どこかの卓から声が飛んだ。低い笑いがギルド内に広がる。
アニマの肩がぴくりと揺れた。
「そっちの坊ちゃんも細ぇな。荷物持ちか?」
別の男が笑う。
クレシアンは反射的に視線を落とした。
見られている。値踏みされている。
途端に、喉がカラカラに乾いた。
ちらりと視線をよこすと、悪そうな顔で笑う男たちが見えた。相手は六人。どの男も体格がよく、武器の扱いにも慣れていそうだった。
喧嘩になったら、勝てない。
そう判断した瞬間、クレシアンの足は床に縫い付けられたように動かなくなった。
しかし、彼が引き返すより早く、アニマが一歩前に出る。
「あ、おい……!」
クレシアンは彼女を止めようとするが、袖を掴み損ねる。
アニマは背筋を伸ばし、男たちをまっすぐ見据えた。
「どうした嬢ちゃん。言いたいことでもあんのか?」
リーダー格らしい男が、薄く笑った。
クレシアンはアメリスを見る。だが、アメリスは小さく首を振った。
この状況で好きにさせるなんてありえない、とクレシアンは思った。
ティエラにも視線を向ける。しかし、彼女はこんな状況でもいつも通りの落ち着いた表情を崩さない。
なら、何とかできるのはもう自分しかいないんじゃないか。
クレシアンはもう一度、男たちに向かうアニマを見た。
それでも身体は動かなかった。
情けないほど、何もできない。
結局、そんなことを考えている間に、アニマは口を開いた。
「あたし、魔女が出てくる絵本が大好きだよ」
ギルド内が少し静かになる。
「かっこよくて、憧れてるの。だから、それに近づきたくて、こういう服を着てる。これを着ると、すっごくやる気が出るんだ」
真面目で、堂々とした口調だった。
泣くことも、怒ることもなく、ただ真っ直ぐにアニマは言い返した。
リーダー格の男は、睨みつけるようにしばらく鋭い目つきでアニマを見ていた。
やがて、豪快に笑い出す。
「おお!そうかそうか!それだけ胸張れるなら上等だな!」
男は周囲に向かって声を張った。
「なあ、お前ら!こういう新人は嫌いじゃねぇよなぁ!」
おお、と歓声が上がる。
拍手までも沸き起こった。
熱烈な歓迎にアニマは少し驚いたようだったが、すぐさま偉そうに「ふふん!」と胸を張る。
それに続いて、アメリスもティエラも、自然にその輪へと入っていった。
クレシアンだけが、いつまでも状況についていけなかった。
さっきまで馬鹿にしていたのではなかったのか、と困惑していた。
「よっ、坊ちゃん。怖がらせたか?」
リーダー格の男が近づいてくる。
肩を軽く叩かれただけなのに、クレシアンは酷くよろけてしまった。
「……さっきの、何だったんだよ」
「新人いじりだよ、いつもやってんだ。悪かったな」
男は悪びれずに笑った。
「だがな、あの程度で縮こまるようじゃ外ではやっていけねぇ。俺らみたいに脅してくるやつなんざ、腐るほどいる」
なぜだか、人間のことだけを言っているわけではないように感じた。
「……嫌われないのか、そういうの」
「嫌われるに決まってんだろ」
男はあっさり言った。
「だが、お花畑のまま死なれるよりはマシだ」
その言葉は、少し痛かった。
お花畑のまま死にかけた自覚なら、クレシアンにもあったからだ。
「初依頼か?」
「……採取だけど」
「なんだ、命知らずのお坊ちゃんじゃなかったのか。まあだが、採取でも油断はすんなよ。森に入るなら周囲は常に見ろ。足元と頭上もだ」
「……分かってる」
分かっている。
そう答えながら、本当は何も分かっていなかった。癖で強がってしまっただけで、忠告そのものはありがたかった。
男が拳を突き出した。
合わせろ、ということらしい。
クレシアンは戸惑いながらも、弱々しく拳を出して、男のそれに軽く触れた。
男はまた豪快に笑う。
「生きて帰れよ、新人」
その言葉に、クレシアンは小さく頷いた。




