第3話「朝飯食ってないのかよ」
クレシアンたちが聖都に着いた時、大通りはまだ朝市で賑わっていた。
通りの両側には露店が並び、新鮮な野菜や果物、海産物が所狭しと積み上げられている。色とりどりの布をかけた台の上には、鉱石や宝石を並べた店もあり、朝日を受けて小さくきらめいていた。
客寄せの声が飛び交い、買い物客は顔見知りを見つけるたびに笑って挨拶を交わす。人と荷車が行き交うたびに、石畳の上で車輪が小さく跳ね、乾いた音を立てた。
そこら中に漂う香ばしい匂いに釣られて、アニマは今にも屋台へ吸い寄せられていきそうだった。
クレシアンは慌ててその腕を掴む。
「ちょ、おい! そっちに用はないだろ!」
「あっ、ごめんごめん」
口ではそう言いながらも、アニマの視線はすぐに別の屋台へ移っている。串焼き、焼き菓子、果物を煮詰めた甘い飲み物。次から次へと興味を引かれているらしく、あまり反省しているようには見えなかった。
クレシアンは何度も聖都に来たことがあった。だが、朝早い時間に訪れたのは初めてだった。昼間の整った賑わいとは違う。今はもっと生活に近い騒がしさがあった。
人々はよく笑い、よく喋り、よく動く。
その活気に満ちた空気は嫌ではなかったが、妙に人が多く感じられて、クレシアンは少し落ち着かなかった。
四人は人混みを縫うように歩き、しつこい客引きを何度かかわしながら、喧騒の中を進んでいく。
「ねえ、クレシアン」
串焼きの屋台を名残惜しそうに振り返りながら、アニマが口を開いた。
「クレシアンはさ、これからどこに行きたいの?」
「どこって……」
クレシアンはすぐには答えられなかった。
旅に出ると決めたのは自分だ。教会を出ると決めたのも自分だ。けれど、どこへ向かうのかと改めて聞かれると、途端に心許なくなる。
というか、行先も知らずに、彼らはよく自分に着いてきたものだと思った。
自由が欲しかった。
外へ出たかった。
教会から離れたかった。
それは確かだ。
だが、それ以上のことは、まだ輪郭すら曖昧だった。
「一応、アルカナリアには行ってみたいと思ってる」
「海の国!」
アニマがぱっと顔を輝かせる。
「お魚が美味しいところ!」
「パン」
「パン?」
アニマはきょとんとした顔で瞬きをした。
「海の国なのに?」
「海塩を使ったパンがあるって聞いたことがあって」
「お魚は?」
「パンだ」
アニマは少しだけ首を傾げ、それから楽しそうに笑った。
「クレシアンって、変なところあるね」
「お前にはちょっと言われたくないんだけど」
クレシアンは呆れたように返したが、否定はしなかった。
実際、深い理由などない。教会にいた頃、旅人の話か何かで聞いた海塩のパンが、妙に記憶に残っていただけだ。
本で読んだ国。
話に聞いた町。
見たことのない海。
そういうものの一つとして、アルカナリアという名前が頭に残っていた。憧れというには薄く、目的というには弱い。それでも、どこへ行きたいかと聞かれた時、最初に思い浮かんだのはそこだった。
「でも、いいと思うよ!」
アニマが明るく言う。
「行きたい場所があるなら進路は決まりだね。あたしも海見たいし!」
「魚はいいのか?」
「お魚も見るよ。食べながら」
「それはなんというか……残酷だな」
クレシアンは思わず引きつった笑いをしてしまう。
アニマは確かカラダンバールから西ルートで来たと言っていたが、途中にあるアルカナリアには寄らなかったようだ。
クレシアンとアニマが話していると、横でアメリスが小さくため息をついた。
「行き先の希望があるならそれでいい。問題は、どうやってそこまで行くかだ」
現実的な声に、クレシアンはようやく足元へ意識を引き戻された。
「まあ、護衛を雇って、馬車に乗って、宿を取って……みたいな感じで」
言い終えた瞬間、アニマとアメリスが黙った。
何だ、その反応。普通ではないのか。
クレシアンとしては、かなり真面目に考えたつもりだった。街道を行くなら危険もある。ならば護衛を雇う。遠いなら馬車を使う。夜になれば宿を取る。それ以外に何があるのだろう。
「いや、君……」
最初に口を開いたのはアメリスだった。
「それを二ヶ月続けるつもりか?」
「まあ徒歩なら、そうなるか?」
クレシアンが首を傾げると、アメリスは片手で額を押さえた。
「どこの貴族だ君は」
「貴族じゃ、ないけど」
「そういう話じゃない」
アメリスは深く息を吐く。
「護衛を長距離雇うのに加え、食費や宿費も払うとなると、僕たちには難しいだろう」
「別に払えないわけじゃ――」
「払えないだろう。いや、実際のところ君は裕福だったな……」
途中で何かを思い出したように、アメリスの目が細くなる。
クレシアンは嫌な予感に肩を強張らせた。
「な、なんだよ」
「自分自身で旅に出ると決めた割には、いつまでも家の金に頼る。君は随分と甘ったれているんだなと思っただけだ」
その言葉に、クレシアンは一瞬息が止まった。
胸の奥を、見えない何かで押さえつけられたようだった。
甘えている。そう言われれば、否定できない。
旅に出たと言いながら、結局はこれまで与えられてきたものを使おうとしている。教会を離れたつもりで、まだそこに繋がるものを当然のように握りしめている。
とは言え、アメリスがそのように考えているなら、クレシアンは余計に彼らが着いてきた理由を理解できない。
クレシアンは視線を逸らし、続きに身構える。
「第一、自分で稼げるならその方がいいだろう」
しかし、アメリスはそれ以上クレシアンを責めることはしなかった。
彼はなんでもないように腕を組み、声の調子も元に戻っている。
「ギルド登録したら稼ぎながら移動できるよ!」
アニマが横から割り込んだ。
彼女の声は明るい。恐らく、依頼を受けることそのものに憧れているのだろう。
「クレシアンのことは私が守りますから、どうぞご安心を」
「……その気持ちはありがたいけど」
それまで我関せずだったティエラも、ここぞとばかりに便乗する。
淡々とした口調のせいで、余計に本気なのか冗談なのか分からない。
クレシアンは、最初から嫌な予感はしていた。
食べて、寝て、綺麗な景色を見るだけなら、アメリスたちが自分についてくることなどありえなかっただろう。
こうなることが予想できなかったわけではない。
しかし、彼らはなぜか強引だ。特に、アニマが。
どう考えても自分を除いた三人で旅をするべきなのに。
そう考えるクレシアンはかなり混乱していた。
「簡単な依頼だけ受ければいいんだって!薬草採ったり、お使いしたり!」
「……それ、ただの便利屋じゃん」
「実際そんなものだ」
アメリスが頷く。
「高ランクの一部が魔獣討伐をしているだけで、下位は雑務がほとんど。僕だって不服だが、必要な事だ」
必要な事。
その言葉が、クレシアンの中でしばらく残った。自分の足で立つなんて、そうした方がいいことくらい、わかっている。
けれど、いくら考えても、結局は考えるだけで終わってしまう。身体は動かず、行動にも移せない。何もかもが難しく思えて、いつもどこかで足が止まる。
金があるなら使ったっていいじゃないか、とも思った。
実際、今まで誰も止めてはいないのだから。
流されても成功できるような、人々が羨むような立場に居座っておきながら、己は一丁前に抵抗するのだ。
考えれば考えるほど、自分が何をしたいのかわからなくなる。
クレシアンは、それらを振り払うように小さく頭を振った。
少なくとも、自由が欲しかったのは確かだ。
そして、クレシアンから見て、アメリスたちは自由に生きている。
ならば、今はその自由に引っ張られてみてもいいのかもしれない。
考えがまとまる頃には、魔獣対策ギルドの建物が見えていた。
石造りの大きな建物だった。
開け放たれた扉の向こうからは、朝市とは別種の騒がしさが漏れ聞こえてくる。
笑い声。怒鳴り声。机を叩く音。金属がぶつかるような乾いた音。
その隙間から、むっとする酒の匂いが流れてきた。
まだ朝だというのに、既に酒を飲んでいる者がいるらしい。
入口近くには包帯だらけの男が座り込んでいた。片腕のない男もいる。鎧に乾いた血が付いたままの者まで、平然と壁にもたれていた。
クレシアンは思わず一歩後ずさる。
街でギルド員とすれ違ったことがないわけではない。だが、目の前の光景は、彼の知る教会所属の調査員や騎士とは全く違っていた。
粗暴で、汚くて、乱雑で。けれど、文字通り命を削って生きている戦士のようでもあった。
自分とは異なる生き物のようにすら思えたが、不思議と嫌悪感はなかった。
ただ、正直かなり引いた。話に聞いた通りだが、これでは荒くれ者集団だと誤解されても仕方がない。
もっとも、自分たちがああなるわけではない。
アニマが言うように、薬草採りや荷物運び、お使いのような依頼を選べばいい。
今は魔獣対策ギルドと呼ばれているが、確か四国共同管理化する前はヴィアーレ家の斡旋事業だったはずだと思い出す。今回も護衛を雇うために向かったはずなのに、なぜ頭になかったのだろう。いや、まさに目の前にある景色が原因だったが。
高ランクの討伐専門員はともかく、クレシアンたちは旅費を稼げればそれでいい。わざわざ命を懸けて魔獣と戦ったり、腕を失うような危険な仕事をする必要はないはずだった。
そう考えると、少しだけ肩の力が抜ける。
「ギルドの仕事って、楽しいか?」
あまり深く考えずに出た質問だった。
ただ、自由って楽しいものなのだろうと思っていた。だから、半ば自分に言い聞かせるように尋ねた。
アメリスは少し不思議そうな顔をした。
「それは、君の考え方次第だろう」
クレシアンは再びギルドを見上げた。
入口から、大男が二人出てくる。
片方は鼻に包帯を巻いていた。もう片方は笑いながら相手の肩を乱暴に叩いている。叩かれた男は痛そうに顔をしかめ、それでもすぐに笑い返した。
フォルティオは嘘つきだ。
ただ外に出るだけでいい、なんて言っていたのに。
いずれにせよ、クレシアンにはもう退路などなかった。
クレシアンは長く息を吐いた。
胸の奥に残る不安を、完全には吐き出せない。それでも、ここで立ち止まっていても仕方がないことくらいはわかっていた。
観念したように、彼は言う。
「……登録だけだからな」
その言葉に、アニマの表情がぱっと輝いた。
「うん!」
「危険なのは受けないからな」
「最初はね!」
「そういう言い方はやめろ……」
クレシアンは肩を落とした。
それから、騒がしいギルドの中へ足を踏み入れた。




