この悲劇が起きた理由
広い自室の窓から、レティルは眼下に広がる景色を眺めていた。
南にあるは賑やかな城下町。
北から東には、鬱蒼と広がる禁忌の森。
空は夕暮れに染まり、王都ジルバを柔らかく包んでいる。
ここから見下ろす世界は、どこまでも平和で生ぬるい。
―――ドサッ
何の前触れもなく、重たい音が響く。
それを疑問に思って、レティルは後ろを振り返った。
音が聞こえたのは、扉の向こうから。
レティルが扉を見つめる中、また何かが倒れるような重たい音が。
その後、なんの断りもなく蹴り破られる扉。
その向こうにいた人物を眺めて、レティルは笑う。
彼の視線の先では、実が肩で大きく息をしていた。
その後ろには、この部屋を護衛していた二人が倒れている。
二人とも、身動き一つしない。
完全に意識を失っているようだ。
「……なるほど。魔法は使わずに、武術だけでここまで来たか。」
実の手首にはまったままの腕輪を見ながら、レティルは感嘆の息をついた。
「城の敷地内で魔法を使えば、すぐに侵入者の存在が知れるからな。城を進むなら、素手でやりあった方が楽。殺しちゃいない。一発で眠ってもらっただけだよ。」
ずり落ちかけていた袖をまくり、実は手で顔を扇いだ。
正直なところ、幼い頃に習った武術を体がここまで覚えているとは思わなかった。
レティルのゲームに付き合って鍛えられたことも大きく影響しているだろうが、魔法なしでも体がスムーズに動いてくれるもので。
「ふむ、それは盲点だった。今度からは、武術方面でも守備を固くしよう。今までも猛者を集めていたつもりだが、お前に簡単に倒されてしまうようでは完璧とは言えんな。」
レティルは暢気な感想を述べるだけ。
「さて、守衛を全て倒してまでここに来た理由はなんだ? お前が自らここに足を踏み入れるなんて珍しい。よほどの理由があるのだろう?」
実から尋常じゃない殺気が発せられているのに気付いていて、レティルはあえて問う。
その傍ら、城内に視覚を飛ばしてみる。
城内を巡回していた兵士は、ことごとく実に倒されて昏倒している。
過去読みをすると、実が兵士の急所を一発で的確に攻撃している姿まで見ることができた。
実の全身から、殺気が爆発する。
目元を険しくした実は目にも止まらぬ速さでレティルとの間合いを詰めると、その胸ぐらを掴み上げた。
さすがのレティルも、これには軽く目を瞠る。
「やれやれ…。エリオスは、お前にどんな英才教育を施したのだ?」
「そんなくだらない話をしに来たんじゃない。本当は、俺が来ることなんて分かってたんだろ? なんで……なんで、桜理をこんな地獄に叩き落したんだ!?」
怒号を浴びせる実。
そう。
アティが口にした名こそ、このレティルだったのだ。
桜理をこの世界に連れてきてアティと契約させるだけでは飽き足らず、知る必要もなかった地球の現実を見せつけて、桜理が歪む原因を作った。
そして、桜理たちに死期が近付いた頃を見計らって、自分と桜理が再会するための足がかりとなった。
こちらの感情と桜理の感情。
それらを利用して、レティルは自分の思うとおりに事を動かしたのだ。
つまり、自分が桜理に会いに行くことも、桜理のために自分を犠牲にしようとすることも、保険で聖木たちに交渉を持ちかけることも、結局自分が死なないことだって、全部がレティルの掌の上で計算されていたということ。
初めから、結果は定められていた。
この神によって。
「理由など決まっている。」
レティルはにやりと笑った。
「桜理が、お前の特別だったからだ。」
とぼけることも、もったいぶることもなく、レティルはあっさりと答えた。
実は、目をしばたたかせるしかない。
理由にいまひとつピンとこなかったからだ。
「……なん、だって?」
訊ねると、レティルは笑みを深めた。
とても愉快そうに笑いながら、彼は胸ぐらを掴まれたまま語り出す。
「桜理をこちらにさらえば、お前はこの世界を捨てられなくなるだろう? 大事な人間が自分の生まれ故郷にいると分かれば、どんなにこの世界が嫌でも、助けに行きたくなるだろう? 大事な人間に会いたくなるだろう? 桜理がこの世界にいることによって、お前はこの世界から逃げられなくなる。罪の意識に苦しみ、桜理の存在と桜理がいるこの世界に縛られる。私はそれを望んでいた。……お前が桜理のことを忘れてしまったのは、想定外だったがな。」
一瞬だけ、レティルの声が暗く澱んだ。
「だから桜理にお前の秘密を明かし、お前が桜理を忘れたという現実を見せた。そうして桜理に憎しみを植え付け、記憶を取り戻したお前と会わせた。桜理が育ててきた憎しみを目の前にすれば、お前はさらにこの世界に縛られる。桜理から、もう逃げてはいけないと思うからだ。……それにしても、桜理が死ぬ前にお前が見つかってよかったよ。お前に会う前に死なれたのでは、さらった意味がないからな。」
愉快な気分を我慢できなくなったのか、レティルの口からくつくつと笑い声が漏れる。
「お前は、面白いほど私の思うように動いてくれた。お前が苦しむ様を見るのは、とても愉快だったぞ? お前は桜理のために奔走し、聖木との誓約までやってのけた。そうして桜理のために力を使うことで、お前の力はより強くなる。自分の魔力が日に日に強くなっていくことを、他の誰でもなく、お前が一番理解しているはずだ。」
レティルの言葉を聞く実の表情から、どんどん血の気が引いていく。
そんな実の頬を、レティルの冷たい手がなでた。
「お前をこの世界に繋ぎ止めておくためには、お前が執着するものを利用する必要があった。だから、桜理を選んだ。……分かるか? お前が桜理に心を開かなければ、桜理を特別な存在だと認めなければ、桜理はこの世界に連れ去られることもなかったのだぞ? 桜理はお前の特別になった、唯一の存在だった。お前が桜理を選んだ。そのことが、この悲劇を生み出した全ての原因だ。」
「―――っ!!」
頭が、真っ白に染まる―――




