思わぬ手がかり
桜はしばし、何も言わなかった。
何も言えなかったのかもしれない。
ただ、彼が言葉にならない感動を覚えているということだけは、こちらにもひしひしと伝わってきた。
もしかすると、桜の声が同調なしに聞こえるようになったのは、聖木たちの仕業ではないだろうか。
ふと、そのことに思い至る。
これから先、自分は四六時中桜理と共に過ごせるわけではないだろう。
桜理の死をいち早く察知できるのは、他でもないこの桜だ。
これは、万が一にも自分がしくじらないよう、保険をかけられたということか。
誓約を交わしてもなお、人間は信用に値しないらしい。
そう思うと、永く生きた聖木にも人間らしい部分があるようで、笑いが込み上げてきた。
しばらくして、桜がこう言う。
「汝は、初めから死ぬつもりなどなかったのか?」
「いや? 俺はちゃんと死ぬつもりだったよ。だけど、聖木たちに言われたんだ。俺は絶対に死なないから、とにかく誓約しろって。」
桜が言うことも、もっともである。
自分が聖木たちに出された条件を飲むということは、自分は桜が死ぬまで生きていなければいけないということになる。
これから自分の命を犠牲にしようという人間には、到底飲める条件ではない。
それは自分も分かっていた。
だから、最初は断ったのだ。
自分はこれから死にに行くのだから、その条件は飲めないと。
そもそも聖木の力を借りに行ったのは、自分の命だけでは桜理が生きられなかった場合に、不足した分の力を補ってもらうのが目的だった。
聖木との交渉において、自分の死は大前提だった。
しかし、聖木たちは揃いも揃ってこう言ったのだ。
―――お前は絶対に死なない、と。
なんだか胡散臭いので渋ったが、最終的に誓約しなければ桜理は確実に死ぬと脅されたので、彼らからの条件を承諾するしかなかった。
どうせ、死んだら誓約も無効になるだろうと思って。
だが、現実は彼らの言ったとおり。
推測するに、彼らにはこの未来が見えていたのかもしれない。
「実よ。」
桜が、初めて名を呼んでくる。
そのことに、実は思わず目を丸くしてしまった。
「ありがとう。桜理のためだとはいえ、汝は我の恩人ともなりえた。汝には感謝と敬意を込め、我の名を教えよう。我の名は、桜理も知らぬのだぞ。我が名はアイティリディス。汝には、特別にアティと呼ぶことを許そう。」
桜は、堂々と名乗った。
これは、桜が示せる最大級の信頼。
その好意は、素直に受け取るのが礼儀か。
「アイティリディス……古代神話に出てくる、苦悩と絶望に耐え生き抜いた英雄の名前だったっけ…。転じて、古代語での意味は〝苦しみからの解放〟……あんたにピッタリなんじゃないかな、アティ。」
言ってやると、桜―――アティは、ささやかに枝を揺らした。
「我には、その判断はつかぬよ。それにしても……あの方が言ったのは、こういうことだったのか。」
「あの方?」
訊き返すと、アティは頷くように再び枝を揺らした。
「汝が傷の手当てをしている間に、ある方が我の元へ来たのだ。お前が終われる道は作ったと、そうおっしゃられていた。そういえば……昔から、桜理に関わることには何かとあの方が介入していたな。桜理をここに連れてきて我と魂を繋ぎ、もう見ることはない故郷を桜理に見せ、今回は桜理が汝を呼ぶために協力して……」
「―――っ!?」
「あの方が何をしたいのか……正直なところ、我にも分からぬ。我を助けることが目的にしても、妙に遠回しで手間がかかる方法だ。表立っては言えんが……正直なところ、あの方がしていることは人間を苦しめることに他ならぬと思うのだよ。幼い桜理が汝を忘れないよう、何度も桜理に汝のことを語りかけておった。桜理としては、幼さにかまけて汝のことを忘れてしまった方が楽であったろうに……」
アティの話に、実は言葉を失う。
アティは今、何を話しているの…?
桜理の悲劇を生み出した犯人が、ここに来ていただって…?
自分の表情が、みるみるうちに強張っていくのが分かる。
「アティ。そいつ、誰? 今すぐ教えて…っ。―――早く!!」
感情の温度が一気に下がって、すぐに爆発する。
アティはそんな実の剣幕に気圧されながらも、静かにその名前を口にした。
実の足が、無言で地面を蹴る―――




