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世界の十字路【全話統合版】  作者: 時雨青葉
【第3部】封じられた秘めたる想い
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忘れてなんか、なかったんだよ。


「………」



 実が倒れていく姿を、桜理はただ茫然と見つめていた。



 この桜が人を襲うところなんて、初めて見る。

 桜も生きた人間を襲ったことはないと言っていたから、きっと実が初めてなのだろう。



 桜理は見ていた。

 そして、感じていた。



 実が自分の腕を傷つけた瞬間、桜がざわめき出したのを。



 実が何をしたのかは分からなかった。



 気付いたら急に地中から飛び出した一本の根が、実の肩を目にも止まらぬ速さで貫いていた。



 それは、本当にまばたき一つの間の出来事で……



 凄惨(せいさん)な光景を目の当たりにした瞬間、放心してしまっていた。



 目の前で起こっていることは何?

 実が、本当にこんなことをするなんて……

 これは、私が実にさせたことなの?



 もう一人の自分が問いかけてくる。



 桜が何か実に話しかけているけど、何を話しているのかは分からない。



 桜が聞かせないようにしているのか、それとも自分が聞きたくないのかは判断がつかなかった。



「桜理!!」



 上空の方から、誰かが自分を呼んだ。

 麻痺した思考は役には立たず、声に反応した体だけが勝手に首を巡らせる。



 建物の屋根から、招いていない訪問者たちは飛び降りてきた。



 梨央と拓也だった。

 二人して、緊迫した表情をしている。



「………っ」



 梨央の姿を見た瞬間に苦い気持ちが広がっていくような気がして、桜理は思わず唇を噛む。



 ちょっとした(しっ)()だった。



 初対面の時は「実の彼女?」なんて軽く言ってみせたけど、内心で梨央の存在にかなり驚いた。



 梨央の様子を見ていれば、梨央が実に好意を抱いていることには察しがついた。

 だからこそ、梨央の存在が嫌だった。



 確かに、自分の知っている実は封印されてしまっていて、その後の実はもはや別人だと聞かされていた。



 だとしても、実の傍にいて実に好意を寄せる梨央が、どうしても好きになれなかった。



 実の前では仲良くしてみせたけと、二人になった瞬間に我慢できなくなった。



 言うつもりなんてなかったのに、思わず自分が実を利用するつもりだと言ってしまった。



 だって、牽制(けんせい)しないと気が済まなかったんだもの。

 そうしないと、(しっ)()でおかしくなりそうだった。



 実は自分のものなんだって。

 心が必死にそう叫んでいたから。



『実君は、あたしだけのお友達だよ! 約束ね!?』



 幼い頃に無邪気に告げた言葉が、残酷なまでに独占欲を掻き立てていた。



 どうして、自分はこんなにも(しっ)()しているのだろう。



 実は、自分を忘れてしまったのに。

 自分を忘れる道を選んで、笑って過ごしていたのに。



 実は、憎い相手のはずなのに……



「―――っ!? 実!!」



 梨央が真っ青になって金切り声をあげる。

 実の状態に気付いたのだろう。



 焦った拓也が桜の根から実を解放しようと魔法を繰り出すが、それは透明な壁のようなものにことごとく(さえぎ)られる。



 おそらく、あれは結界か。



 拓也でも一筋縄ではいかないと察した梨央が、桜理を睨みつける。



「桜理!! 実に何をしたの!? あれをどうにかしてよ!」



 詰め寄ってくる梨央に、桜理はふるふると首を振るしかなかった。



 こんなこと知らない。

 桜がこんな力を持っていたなんて、これまで聞いたこともない。



 どうにかしろと言われても、何も知らない自分にはどうにもできない。



 梨央はこちらの態度を、〝どうにもできない〟ではなく〝そんなことをしたくない〟という意味に取ったようだった。



 梨央の顔にカッと血が(のぼ)ったかと思うと、その腕が素早く動いて空気を切った。



 パン、と。

 澄んだ音が、自分の中でやけにはっきりと響いた。



 叩かれた頬が、じんわりとした(しび)れを伴った痛みを発する。

 そのおかげで、どこかに飛んでいた思考が徐々に戻ってきた。



 梨央は、そんな桜理の胸に何かを押しつけた。

 反射的にそれを受け取った桜理は、不可解げに眉をひそめる。



 そこにあるのは、一冊の黒い手帳。



 どういうつもりかと、目だけで梨央に訊ねる。

 しかし、梨央はこちらを睨んだまま微動だにしない。



(開けろって言うの…?)



 梨央の意思を()み取った桜理は、その表紙をおそるおそる開けた。

 そこにあったのは―――



「うそ…」



 自分の口がそう呟いたのを、桜理は自覚していなかった。



 何かの間違いじゃないだろうか。

 こんなこと、あるわけない。



 信じられない思いで、桜理は手帳に挟まっていた写真を食い入るように見つめる。



 古くて小さなポラロイド写真。

 そこに写るのは、幼い実と自分だった。



「忘れてなんか、なかったんだよ。」



 梨央が言う。



「確かに昔、実は桜理のことを忘れたのかもしれない。でも、心はちゃんと桜理を覚えていたの。じゃなきゃ、こんなに大切に写真を持ち続けてるわけないでしょ。」



「……やめて。」



 一歩、後ろに退く桜理。



(嫌……嫌……)



 足元が大きくぐらつく感覚がする。



 自分の信じてきた事実が唐突に幻になっていくようで、動揺から思わず手帳を落してしまった。



「この子は誰なのって訊くと、いつも『分からないけど、すごく大切な人だった気がする。』って言ってた。写真を見る度に、実があんたを想って切ない顔をしてたってことを、あんたは知らないでしょう?」



「嫌………言わないで。」



 桜理の手が震える。

 しかし、梨央は桜理の拒否を無視した。



 これは、彼女が絶対に知らなければいけないことなのだ。



 桜理のことなんてどうでもいい。

 自分は、実のためだけに真実を伝える。



 桜理の中で実が悪者で終わるなんて、自分は絶対に許せない。



「桜理。私は、あんたに(しっ)()してた。もちろん今もね。だって、実の心にはいつだって桜理がいた。実が見ている世界の先には、絶対に桜理がいるの。実はいつでも桜理のことを想ってた。傍にいた私には分かる。誰よりも実の心を独占していたのは―――桜理、あんたよ。それを、あんたは知ってた?」



 梨央の(すご)みの()いた視線に、桜理は怯んだ。

 梨央の後を引き継ぐように、今度は拓也が口を開く。



「実は、ずっとあなたの存在に縛られていた。桜理を助けられなかったのは自分のせいだって、実は心が死んでしまいそうになるまで自分を追い込んだ。だから忘れたんだ。自分の心を守るために。」



 拓也は追い詰められた実の姿を思い返して、痛々しげに眉根を寄せる。



「記憶を取り戻した後、実はあっという間に昔と同じ道を辿った。自分を責めて、心を病ませていった。見ているこっちがつらかったよ。あそこまでつらそうな実は、見たことがなかった。それでも、桜理のことを話す実の顔はものすごく穏やかで優しかった。実は今でも、あなたのことを心底大事に想っているんだ! だからっ……だから今、あんなことをしてるんだ……」



「………」



 拓也の言葉に、桜理は何も答えられなかった。



 実は忘れていなかった?

 ずっとずっと、私を想っていたの?

 実を追い込んだのは、私?



 目まぐるしい自問の嵐が脳裏を揺さぶる。



「それなのに……それなのに、あんたは実に死ねって言ったのよ!?」



 梨央がこらえきれずに叫んだ。



 彼女の言葉は、一振りの剣となって自分の心を一刀両断する。

 足元が崩れるような錯覚がして、膝が笑った。



 へなへなと座り込んだ桜理を見下ろす梨央の瞳の中では、未だ冷め切らぬ怒りが火を噴いている。



「実はあんたを大事に想ってきたのに……なのに、あんたは―――」





「やめてくれ!!」





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