何よりも強い願い
気付けば、俺が見ている風景にはいつも桜理がいた。
自分の感情に素直で、数秒置きにころころと変わる百面相が面白かった。
表情と感情に裏表がないことが、疑って偽ることに慣れきった俺にとっては新鮮だった。
桜理はいつも、俺に笑いかけてくれた。
純粋に向けられるその笑顔が、嬉しくてたまらなかった。
面倒だと思い、微かな恐怖を抱きながらも、俺は自分と周りを隔てる殻の中に桜理が入ることを許した。
その末に一変した生活がこんなにも心地よいものになるなんて、想像もしていなかった。
誰かに心を許すことが、ここまで安堵をくれるなんて知らなかった。
桜理といる時は、唯一幸せだと言い切れた。
でも、桜理といて安心できるからと言って、他の人間もまるっと信じることは、不器用な俺には到底できることじゃなかった。
生まれてから誰に教わるでもなく、少しずつ自分が〝鍵〟であるのだと悟っていった。
同時に、周り全てが敵であるということも本能的に刷り込まれていった。
本能からの危機感に急かされて、魔法や知識を狂ったように身につけた。
―――生き抜くためにも、常に孤独であれ。
そう、本能が告げていた。
そして、俺もそれが自分のあるべき道だと思って疑わなかった。
そんな俺が、住む環境が変わったくらいで人を信じられるようになるわけがない。
住む世界を変えたからといって、殺されないという保障はどこにもないのだから。
桜理は、本当に唯一の特別だったのだ。
桜理といると安心できた。
桜理がいる景色が好きだった。
頑なに他人の侵入を拒んで凍っていた心を、桜理はその笑顔でゆっくりと溶かしていった。
そんな生活の中で、桜理は俺にとってかけがえのない人へとなっていった。
俺の世界は、桜理を中心にして回っていたんだ。
だからこそ……―――桜理を目の前で失った後は、地獄でしかなかった。
毎日毎日、自分のことを責め続けた。
救えたはずなのに。
助けられるだけの力と知識はあったというのに。
動けなかった。
何もできなかった。
後悔という深淵で罪悪感という波に揉まれながら、己への憎悪という名の業火で心を焼いた。
そうして心が完全に擦り切れた時、俺は一つの結論に行き着いていた。
―――――忘れてしまおう。
〝鍵〟であることから桜理のことまで、自分の過去を何もかも捨ててしまえ。
最低の逃げでも構わなかった。
もう、心身共に疲れ果てていたのだ。
全てから解放されたかった。
そのためには、忘れる他に方法はないと思った。
でも、現実はそう甘くなかった。
忘れられると思ったのに、完全に忘れられなかったのだ。
処分する物の中にあった一枚の写真。
映っているのは自分と、知らない女の子。
見つけた瞬間、思わず写真に手を伸ばしていた。
この写真を捨ててはいけない。
そんな気がした。
写真を見つめると、つらくて胸が潰れそうになった。
けれど、どうしても手放せなかった。
そんな心境に陥る理由は、自分でもよく分からない。
とにかく胸の奥がもやもやして、その不快感に写真を捨てたらだめだと言われているように思えた。
だから、肌身離さず大切に持っていることにした。
誰か思い出せない女の子。
その子に抱くのは、なんとも表現し難い苦しい感情。
成長していくうちに、それが罪悪感であると分かった。
そして、罪悪感を自覚してからはよく考えるようになったものだ。
俺は、彼女に何をしてしまったのだろう。
彼女は、俺にとってどんな存在だったのだろう、と。
そんな気持ちを抱えながら、俺は写真と共にこれまでを過ごしてきた。
結局のところ、全てを捨て去ったはずの俺は、桜理のことだけは捨てられなかった。
こんな滑稽な話があるだろうか。
桜理と再会して、同じ時間を一緒に過ごして、一緒に笑い合って……
俺はようやく、桜理が本当に大切な存在だったんだと自覚した。
何よりも、ともすれば自分よりも、桜理の存在が一番大事だったことに初めて気がついた。
認めざるを得なかった。
今か昔かなんて関係なく、俺はこんなにも桜理のことを想っていたんだと。
―――ねえ、桜理。
俺はただ、桜理に笑っていてほしいんだ。
幸せに暮らしてほしいんだ。
赦されなくてたって構わない。
もう二度と会えなくてもいい。
君が少しでも笑えると言うなら、なんだってやる。
命を差し出せというのならば、喜んで差し出そう。
桜理が生きるために死ねるのなら、それこそ本望だ。
あの時何もできなかった俺には、もうこんなことしかできないから。
だから、桜理……
どうか……
―――――笑って?
<第6章 命の代償>END 次章へ続く…




