死を求める桜
「ここまで完全に我に同調してくるとは、汝は一体何者か?」
「あんたなら、知っているんじゃないの? 世界の全てが見えてしまうんでしょ?」
そっけなく言ってやると、桜の木は失笑めいた息をついた。
「やれやれ、面白くないのう。確かに、我は汝のことを知っておる。この世界ではある意味、一番有名であるからな。知らぬわけがなかろうて。だがな……たとえ〝鍵〟であるとしても、汝の存在は歪ぞ。汝の魔力は、人間のそれとは一線を画しておる。はて……これまでの記憶にある〝鍵〟は、そんな力を持っていたかのう…?」
実は不快そうに眉を寄せると、木に触れている手を握り締めた。
無言で一発、幹を殴る。
「ごちゃごちゃとうるさい。俺の存在なんか、どうでもいい話だろ。生憎、俺はあんたのつまらない雑談に付き合う余裕はないんだ。」
「焦っておるのう。」
ぎり、と。
奥歯が軋んだ音を立てる。
何もかも知っているような口調がレティルを思い出させて、不快なこと極まりない。
「分かっているなら教えてくれ。桜理を助ける方法を。」
「よいのか? 桜理は、死ぬことを望んでおったぞ。」
「ああ、そうだ。確かに、表面上はそう言ってたな。」
断定的に言う実。
「ほう……本心は違うと申すか。」
桜は試すように訊ねてきた。
分かりきっている事実なので、実ははっきりと断言する。
「ああ。桜理は隠せていると思ってるかもしれないけど、明らかにあれは嘘だ。本当は、桜理は生きたがってる。」
元々、他人の機微には敏感な方だ。
そんな自分から見れば、先ほどの桜理の態度はあまりにもちぐはぐだった。
『実のそんな顔が見れて、少しは清々したわ。生きている分には、もう十分よ。』
そう言って笑った桜理。
しかし言葉とは裏腹に、その笑顔に込められたのは深い悲しみだった。
〝本当は、こんなことを言いたくなかった。〟
彼女の笑顔にそう訴えられたような気がしたのは、罪悪感から逃れたい一心が生み出した錯覚じゃないと思う。
それに、桜理が自分を憎んでいたという言い分にも疑問があるけれど……そればかりは、自分の物差しで判断するものじゃないだろう。
桜の道連れになって死にたくない。
でも、死から逃れる方法は口にしたくない。
それが桜理の気持ちなら、真相は―――
「桜理は、自分が生き伸びるために俺を利用しようとしてたんじゃないか? 死にたいっていうのは、俺をごまかすための後づけだろう。何が桜理の気持ちを変えたのか知らないけど、桜理の本当の希望が生き残ることなら、俺はそうなるように動くつもりだ。」
そこまで言うと、桜は黙った。
考え込んでいるのか、それともこちらを推し量っているのか、不気味な沈黙が場を満たす。
「……我は、桜理が死ぬことを望むぞ。」
「なっ…!?」
静かに告げられた言葉。
驚愕のあまり、二の句を継げなかった。
「我は長い時を生きてきた。我の花を見てみよ。」
言われるがままに、実は落ちてくる花びらを手に取る。
「赤いであろう?」
桜の言うとおり、花びらはほんのり赤く色づいていた。
今まで意識していなくて気付かなかったが、こうして改めて見ると、他の桜とは色とはかなり違う。
「それは、これまで我と魂を繋がれた者たちの血で赤く染まっているのだよ。」
「!?」
実は桜を見上げた。
その手から、花びらが落ちる。
血に染まった、赤い花びらが。
「本来なら、我はとうに命を終えているはずであった。だが、人間にとって我の能力は都合がよかったらしい。だから、人間は我と人間の魂を結ぶ術を施した。我と魂を結ぶのは、生まれ持った魔力が強く幼い子供。それによって、我は人間の魔力を糧に生き延びることになった。我と繋がった人間は、特別な方法を用いずとも我と言葉を交わすことができ、我に触れることで我が見ているものを共有することができる。その反面……その人間は皆、短命に終わるのだ。」
桜が話す経緯は初めて知るが、巫女の結末は神殿の人々が話していたものと同じ。
実は、思わず眉をひそめる。
己の都合のために、同じ人間を生贄に差し出す。
いかにも、この国の人間が考えそうなことだ。
レティルを繋ぎ止めている経験から、同じ理論でこの桜のことも繋ぎ止めておけると思ったのだろう。
「我は長い時の中で根を世界中に伸ばし、次第に意思と千里眼の能力を持った。たかだか人間一人の命で、そんな我の命を長く繋ぎ止めておけるわけがない。人間の力は、あっという間に我に吸い尽くされてしまう。これまで、三十年持った者がいたかどうか…。力の供給者が死せば、我もほどなく死ぬ。しかし、人間は我に死ぬことを許さなかった。あやつらは、我の根元に死んだ者の亡骸を埋めよったわ。」
「……ひどい話だな。」
おぞましい人間のやり口に、実は苦々しく呟く。
桜は苦笑して先を続けた。
「意思を持っても、我は所詮植物でしかないものでな。物理的に根から養分を吸い上げることは、人間と違って自分の意志で拒否できないのだ。人間はそれに目をつけた。根元に亡骸を埋めることで、我の根に亡骸の血を吸わせたのだよ。血に残るわずかな魔力で、我はほんの少しの間だけ命を繋ぐ。その間に、新たな子供と我を結ぶ。……もう、ずっとそんなことの繰り返しなのだ。」
桜の声のトーンが、どんどん冷たく下がっていく。
「我とて、これ以上犠牲を増やしたくはない。それに、我は我自身の存在を許せぬのだ。何人もの血を食らっているうちに、我は血の味を覚えてしまった。血の芳香を嗅げば、我の根は血を求めて人間に襲いかかるだろう。今は、それほどまでに我の力が枯渇しているのだ。……悲しいことよ。我はもう、化け物でしかない。」
「………っ」
〝化け物〟
その単語に心が反応したが、なんとか無表情を貫く。
「我は、こんな命など早く絶ってしまいたいのだ。知りすぎることは苦痛でしかない。生き続けることも、また同じ。桜理と魂を結ばれた時、我はようやく終われると思った。彼女は元より、この世界の人間ではない。我を支えるには無理がある。よくこれだけ持ったものだ。」
そこまで言ってから、桜がこちらに意識を向けてくるのが分かった。
「……のう、〝鍵〟の運命を背負いし者よ。汝に我の気持ちが分かるか? 汝という存在は、〝鍵〟と知られれば即座に殺されてきた。生かされてきた我とは正反対の道を歩んできた汝に、この気持ちが分かるか?」
悲しげに問われて、実は押し黙るしかなかった。
ずっと生かされる苦痛。
それは確かに、自分には想像もつかない。
死ぬはずだったのに無理やり命を繋ぎ止められ、寄生虫のように人間の魔力を食らわされて生き続ける。
そして、命の尽きた人間の骸をも養分にして生き長らえるしかない。
終わりたいという願いは、人間の都合のせいで叶うことはなくて……
そんな負の連鎖がいつから続いていたのかは、知る由もない。
しかし、他人の命を踏み台にして生きる道がつらく悲しいことは知っている。
「………」
実は、自分の手を見つめる。
自分も人の命を奪った。
殺めてしまった人を踏み台にして、ここに立っている。
それを思うだけで、自分に嫌気が差してくる。
桜はこんな苦しみにさらされながら、絶望と共に願い続けてきたのだろう。
―――ただ、終わりをと。
途端に、心の奥であの破滅衝動が鎌首をもたげた。
終わりこそ、最も幸せなこと。
死んでしまえば、それまでのしがらみや運命など関係ないのだから。
全てから解放されて、永遠の眠りにつく。
それはきっと、砂糖よりも甘い幸福をもたらすだろう。
終わりを求める者どうし、死を渇望する気持ちはよく分かる。
それはもう、痛いほどに。
実は唇を噛み締めた。
そして―――




