全てが止まった空間
不安げな詩織を玄関に残し、拓也は廊下へと足を下ろした。
廊下を奥まで進み、途中で九十度に折れ曲がる階段を上がる。
階段から伸びる廊下をさらに奥へ進み、廊下の一番奥の部屋―――どこにでもある、木製のドアの前で止まった。
止まって、一瞬躊躇った。
必死に保っていた平常心が跡形もなく消え去り、濃度の高い不安が瞬く間に心を覆っていく。
ここまで来て怯むな。
実が危ないかもしれないのだから。
ドアノブを険しい目つきで睨みつけ、拓也は躊躇いを振り切ってそこに手を伸ばす。
しかし、ドアノブを下ろした瞬間に返ってくるのは鍵の抵抗。
拓也は一度手を離して、ドアノブを軽く指で弾く。
―――ガチャリ
鍵の開く音。
もう一度ドアノブを下ろすと、微かな音と共にドアが細く開いた。
脳裏を支配する緊張に、ドアノブを握り締める手がピタリと止まってしまう。
中を見なければ。
そう思うのに、それと同じくらい中の様子を見たくない。
悪い想像ばかりが頭の中をよぎってしまう。
(だめだ、躊躇うな。)
自分にそう言い聞かせ、拓也は思い切り頭を振った。
そうしながら腹をくくり、ドアを押し開ける。
「―――っ!?」
その瞬間、息を飲んで立ち尽くすしかなくなってしまった。
部屋の中は、綺麗に整っていた。
何にも触れられた形跡がなく、誰かが部屋の中を動き回った様子も見られない。
この部屋の中に、一週間もの間実がいた。
その事実が、この整った部屋を異常たるものに変えてしまう。
「う…」
込み上げてきた吐き気をこらえて、口元を手で覆う。
何よりも、ここは空気が異常だ。
空気が一切動いていないような、こもった香りがする。
まるで、人々に忘れ去られた結果、時間すらも停止してしまったかのような。
そんな暗く澱んだ空気に息が詰まる。
―――ここは、人がいていいような場所ではない。
心の奥底からそう思った。
ここの空気を吸うほどに、全身が重くなるような錯覚さえしてくる。
気付けば、自分の呼吸が荒くなっていた。
そして―――肝心の実はというと、毛布を下半身にかけた状態でベッドに座り、窓越しに外の景色をぼんやりと眺めていた。
その目は焦点が合っておらず、五感や意識も定かではないのか、こちらが部屋に入ってきたことに気付く様子もない。
「実…」
どうにか呼びかけるも、それは喘ぐような声にしかならなかった。
実はゆっくりと振り返り、こちらを見て……
そして―――微笑った。




