何が人を変えるのか
実はおもむろに手を上げて、雨水ごと涙を拭った。
「キリナミ…。今だけでいいから、ちゃんと俺でいさせてね。」
胸の奥で荒れる本能的な衝動に、そう告げる。
すると不思議なことに、今までは収まる気配もなかった激情が、驚くほどあっさりと静まった。
闇雲に我慢して押さえつけようとせずに、最初から受け入れてやればよかったのか。
そんな今さらなことを思いながら、実は改めてディライトと対峙した。
「ディライト。一つ、訊いてもいい?」
「なんだい?」
ディライトは穏やかに促してくる。
存外に大人しい反応だ。
自分は彼と話しながら答えを決めると言ったのだから、サティスファで対面した時みたいに自分を誘い込んでくるかと思ったのに。
もしかして、まずは自分に好きに話を進めさせて、懐柔のタイミングを図ることにしたのだろうか。
つい癖でディライトの動向を探って、思えば彼のことを全然知らないのだと気付いた。
……まあ、仕方ないか。
平和な時の自分はキリナミと魔法研究ばかりしていたし、ディライトもディライトで王としての仕事が忙しかったし。
ゆっくりと語らう暇もなく、無慈悲な侵略が始まってしまったし……
ならば―――なおさらに、この会話には意味があるだろう。
実は静かに口を開いた。
「ディライトさ、昔でも今でもいいんだけど、世界の生まれ変わりを前にした人間たちがどうなっているか見に行った?」
「いや。」
答えは、ほとんど間を置かずに返ってきた。
「そっか…。俺は、昔も今も、たくさんの人を見てきた。」
実は訥々と語り始める。
「本当に、色んな人がいたよ。これが運命ならって、素直に死ぬことを受け入れる人もいた。周りを励ましながら、みんなで生きようって頑張る人もいた。もちろん……どうせ死ぬなら最後くらい何をしてもいいだろうって、悪事を働く人もいたね。」
たくさんの人を見た。
同じ人間であるはずなのに、その人となりは千差万別で。
そこで、最初の疑問だ。
「同じ人間なのに、どうしてこんなに違うんだろうね。何が人をこんなに変えるんだろう。同じ人間だっていっても、中に宿ってる魂は違うわけだから、魂の違いかな。俺は……それも、違う気がするんだ。」
そう言った実は、自嘲的に微笑んだ。
「魂に全てがインプットされてるんだとしたら、俺は……今もこうして生きてないよ。俺、臆病で弱いもん。怖い思いをしたくないから、その前に死んじゃえって、簡単に死んでたと思う。小さい頃だって、封印を解いてさっさと消えようとしたんだ。多分、それが魂の根底にいる俺の本質。だってさ、考えてもみてよ。」
笑いながら、実はどこか弾んだ口調で続ける。
「実際のところ、死ぬことよりも生きることの方が疲れるし、苦しいと思わない? それに……俺はディライトと違って、人間なんか大っ嫌いなんだ。どうしてわざわざ、大嫌いな人間と一緒に生きなきゃいけないのさ? ぶっちゃけて言うけど、俺は今まで、本気で死にたいと思ったことはあっても、本気で生きたいと思ったことはないんだ。」
こんなこと、自分を必死に守ってくれるエリオスや拓也たちには言えないけど。
でも、これが嘘偽りない自分の本心。
義務や建前といった虚飾を外した、ありのままの自分だ。
自分は、自分のことを大切にできない。
いつだって自分のことは優先順位の一番下だから、簡単に自分を蔑ろにしてしまう。
それで周りが傷つくんだと分かっていても、自分を犠牲にすることで目的が達せられるなら、その手段を選ぶことを躊躇わない。
―――いや、逆か。
自分が一番可愛いから、安い自己犠牲で心を守りたいだけ。
そしてあわよくば、その最中で死ねたらいいのに……なんて。
結局は自分の願いを第一に考えているから、自分を大切にすることの意味を理解できない、自分勝手な人間でしかないのだ。
「―――でも、俺はこうして生きてきた。それは、俺を作っているのが俺の想いだけじゃないっていう、何よりの証拠だと思う。」
そっと。
自分の胸に手を当てる。
「二歳の時に自分が消えることを受け入れた俺を止めたのは父さんだった。父さんが俺と一緒に生きたいって言ったから、俺は消えることをやめたんだ。」
改めて思い出すと、あの記憶は衝撃だった。
あんなに号泣した父の姿なんて、あの時以外に見たことがないんだもの。
「それから何度、俺は自分の意思で消えようとしたかな…? その度に桜理に止められて、拓也に怒られて……そうやって周りの想いを受け取ってきたから、俺は今まで生きてこられたんだよ。」
こうして考えてみると、自分は一人じゃ絶対に生きてこられなかったんだと実感する。
生きることを諦めた自分を引き留めたのは、いつだって自分を支えてくれる人たちだ。
「今ここにいるのだって、俺だけの気持ちじゃない。俺の内側でキリナミの想いが暴れてるのもあるし……別れ際に、キリナミから直接頼まれたのもある。」
「頼まれた…?」
キリナミの名前が出たからだろう。
それまで聞きに徹していたディライトが、ここで初めて口を挟んできた。
実は一つ頷く。
「ディライトを救ってほしいって……そんな大切な想いを俺に託して、キリナミは俺を未来に追い返したんだ。俺も未来で救われてほしいなんて……そんなことも言ってさ……」
最後に見たキリナミの表情を思い出して、胸が潰れそうになる。
それを隠すために、実はあえて笑顔をたたえた。
「もうさ、ずるいったらないよね。普段はあんなに自由でのほほんとしてるのに、肝心なところでかっこつけて、美味しいところを全部持っていっちゃうんだよ?」
「まあ、キリナミは昔からそうだからね。」
おどけて言うと、ディライトも苦笑をたたえた。
そんな彼に問いかける。
「ディライトはどう? そうやって誰かから受け取ったり、受け継いだりした想いってない?」
「それは、もちろんあるよ。」
ディライトは特に考えるでもなく、こちらの質問に頷いた。
「私にとっては、リンドルそのものが受け継いだ想いの結晶だ。父上、祖父、曾祖父……その遥か昔の先祖から受け継がれてきた、何よりも大切な宝だよ。昔は、どうしてこんなに厳しく育てられなきゃいけないんだって反抗したこともあったけど……いざ王になってみると、あの厳しさも必要だったんだって思うよ。それももう、ここにはないけれどね……」
ディライトの双眸に、ちょっとした寂しさが揺れる。
「そうだね…。あれから、もう何年経ってるか分からないから……」
実は、静かにディライトの言葉を認める。
そして次に、こう訊ねた。
「ここにはもう、リンドルもチェイレイもないよ。それでも、ディライトは今からでも人間をやり直したいと思うの?」
いきなり核心に迫る問いかけ。
それに対して、ディライトは―――




