信じることって……
「あなたは、無茶をしすぎなんですよ。」
「んん?」
飛び立つなりハエルに言われ、実は気だるげに生返事をする。
「そうかな?」
「そうです。」
本当に、この子は自分のことに無頓着すぎて困る。
ハエルは思わず溜め息を吐いた。
「ついこの前、あんな危険なことをして倒れたばかりですよ? なのに、目が覚めたと思ったら例の儀式を実行してしまうし、さらには植物の再生なんて大技を出して…。普通なら、とっくのとうに死んでます。近くで見ている私は、ずっと冷や汗ものだったんですよ? 帰ったら、ゆっくり休んでくださいね。」
「うーん…。そうもいかないかも。」
「実様!」
たしなめるようにハエルが声を荒げるも、実には全く効果がない。
「んなこと言ったって…。俺の予想では、今夜はやばいことになるよ? なんのために儀式をしてきたと思ってんのさ。」
「しかしですね……」
「大丈夫だよ。……どうせ、俺は普通に当てはまらないんだから。」
実は自らを嘲るように笑う。
そんな実が何を考えているのかをなんとなく感じ取って、ハエルは複雑な気持ちにならざるを得なかった。
「実様とエリオス様とで一番違うのは、そこかもしれませんね。エリオス様も涼しい顔で他人の何倍も働くお方でしたけど、他人を使うこともきちんと知っていましたよ。実様にとっては、それが自分の力を見限って無難な道を選んでいるように見えるのですか?」
「いや、そうじゃない。」
試しに訊ねてみると、実は即座に首を横に振って遥か遠くを見つめた。
「きっと、あの人はすごい人なんだよ。自分の限界を客観的に判断できて、助けを求められるくらい周りを信頼してて……そして、それに応えてもらえるくらい周りに信頼されてるんだ。今の俺には……できそうもない、かな。」
「ご自分が〝鍵〟だと、思い出してしまったからですか?」
重ねて問うと、実は少し黙った後にくすりと笑って肩をすくめた。
「そうかもね…。〝鍵〟にとってこの世界は、敵の巣窟だもん。信頼なんて程遠いよね。だからかな……昔の記憶と魔力を取り戻してから、人を信じることが難しくなってるんだ。」
ぽつり、と。
滅多に自分の心境を話さない実が、そんなことを告げた。
「拓也や尚希さんも、俺を殺すようなことはしない。拓也を試すようなこともしたんだから、それは分かってるのに……心のどこかで、いつも疑ってる。エーリリテや、ユリアスさんやじいちゃんにも……どうしても、心を許すことができないんだよ。」
ふいに、ハエルの首に回されていた実の腕に力がこもった。
あっさりとしていた口調は一転、何かをこらえるかのように激情を押し殺した声が、噛み締められた唇から漏れる。
「信じるって、こんなに怖くて勇気の要ることなんだね…。こんな俺に、誰に助けを求めろって言うの…?」
その問いかけは、人を信じられないという実の心労を如実に表しているものだった。
「助けてって言えば、みんなが手を差し伸べてくれる。そんなの分かってるよ。みんな、優しい人たちだもん。でも、俺には助けてなんて言えないよ。敵になるかもしれない人に手を伸ばすより、一人で抱え込んでいた方が何倍もマシ。だから……拓也たちが俺を信じて、心配してくれることがたまらなく苦しい。悲しくて、みんなを信じられない自分が許せなくて……それなのに、俺は人を信じないことでしか立っていられなくて…。ほんと……どうかしてるよ、俺は……」
脳裏で響く子供の声。
昔の自分を拒絶して、無邪気に笑っていた頃の自分を貫くはずだった。
そのためにあの憎い人格を再構築することまでしたというのに、現実はこれだ。
日に日に膨らむ人間への恐怖に、完全に屈服してしまっている自分がいる。
人間に対するこの猜疑心は、昔の自分が抱いていたものであることは間違いない。
地球で何もかも忘れて過ごしていた頃は、こんなことを感じたことすらなかったのだから。
昔の自分が内包していたものは、人殺しを厭わない冷酷な心だけではなかったらしい。
その礎にあったのは、こんなにも巨大な恐怖と疑念。
こんなものに何年もさらされていたら、自分の心を守るために人を殺そうと思うこともありえるのかもしれない。
―――そう思ってしまうことこそ、昔の自分に飲まれかけている何よりの証拠で……
(違う…。違う、違う……違うんだ……)
必死に自分自身を否定する実は、奥歯を噛み締めて強く目をつぶった。
<第4章 転落>END 次章へ続く…




