入れ知恵の黒幕
フェンの体が震えた、その瞬間。
「―――っ!!」
グランは、音にならない悲鳴をあげていた。
フェンの体から、尋常じゃない量の魔力が噴き出している。
その力の濃密な禍々しさに吐き気がして、胃がひっくり返りそうだ。
「グラン…?」
どうやらシェイラは何も感じていないらしく、戸惑いながらこちらを見ている。
そんなシェイラを一瞥し、グランは人形のように虚ろな目をしたフェンに厳しい視線を向けた。
「こいつ……魔力を暴走させてやがる。」
フェンから噴き出す魔力は、収まる気配がまるでない。
このまま魔力が強くなり続けばどうなるのか、自分には分からなかった。
だが、その答えはすぐに形となって現れる。
辺りの植物が枯れ始めたのだ。
「なっ……何これ!?」
目を剥いたシェイラが、青い顔で口元を覆った。
植物が枯れた理由は言わずもがな。
支配者がいない魔力が、見境なく周囲を攻撃しているからだ。
「……くっ…」
微かな呻き声と共に、グランが片膝を地についた。
必然的に、グランに抱かれていたシェイラも一緒に膝をつくことになる。
「どうしたの、グラン。真っ青だよ…?」
「や、ばい…ぞ……これは…っ」
グランは、荒くなる呼吸を必死に抑えた。
フェンから噴き出る禍々しい魔力が、じわじわと自分を蝕んでいくのが分かる。
それは呼吸をつまらせ、体から熱を奪っていく。
吐き気と頭痛がどんどんひどくなっていき、耐えがたい苦痛と化していく。
このまま、この苦痛に殺されていくようだった。
とにかく、どうにかしてこの暴走を止めなければ。
今は自分だけがこの異常に苦しめられているようだが、これも時間の問題。
無差別に他者を苦しめるこの力が、いつシェイラに危害を与えてしまうとも分からない。
そう思って、全気力を振り絞って立ち上がろうとした時のことだ。
白い影が、音もなくフェンの背後に降り立ったのは。
白い影は、目を引くほどに美しい純白の毛をまとった狼だった。
狼が地に足を下したのと同時に、その背に乗っていた人物がひらりとその背から飛び降りる。
彼は流れるような仕草と、目にも留まらぬスピードで―――
ドスッ
フェンの体に、己の手を突き入れた。
「―――っ!?」
シェイラが瞠目して言葉を失う。
一方のグランは、茫然と目の前の出来事を見つめるしかなかった。
そこに広がる光景は、まるで夢のように現実感が欠けていた。
フェンの体は、手を突き入れられた衝撃で一度震えたきり動かない。
手を入れられた部分からの出血はなく、それが現実感を欠いている要因の一つだった。
思考停止状態でそれを眺めていたグランは、周囲の変化にハッと我に返った。
この場に満ちていた禍々しい力が、急速に消えていくのだ。
自分の体を苦しめていた吐き気や頭痛も、瞬く間に消えていく。
「……まったく、この辺一帯を消すつもり?」
侮蔑に満ちた声が発せられると同時に、フェンの体から手が引き抜かれた。
支えを失ったフェンの体は、重力に従って地面にくずおれていく。
「フェン!!」
途端にシェイラがグランを突き飛ばし、もつれるようにしてフェンの元へ駆け寄った。
「死んではいないよ。使い慣れない力を使いすぎて、疲れて眠ってるだけ。」
その言葉のとおり、フェンは穏やかに目を閉じて規則正しい呼吸を繰り返している。
そんなフェンの様子を確かめ、シェイラは涙ぐみながらもほっと息を吐いた。
一方、グランは警戒心を崩さないままに口を開く。
「一体、何をしたんだ? ―――実。」
ピリピリと神経を張り詰めさせるグランに、当の実はそっけなく肩をすくめる。
「別に。ただ、これを回収しに来ただけ。」
実は、フェンから引き抜いた手に持ったものを掲げてみせた。
そこに浮かんでいるのは、野球ボール大くらいの淡く光る力の塊。
それを見ただけで、グランは大体の事情を察する。
「そうか…っ。フェンに入れ知恵をしたのはお前か!」
「はあ?」
グランの怒りを滲ませた指摘に、実は不快感も露わにそう返した。
「入れ知恵とは失礼な。俺はそこの馬鹿に少し力を分けて、魔法に関する知識を頭の中に流し込んでやっただけだよ。あんたを殺そうとしたのは、紛れもないそいつの意志。それについては、俺は関係ない。」
にべもなく言い、実は腕を振るった。
すると、グランの腕を淡い光が包み出す。
ぎょっとするグランが見る中、その腕にあった傷がみるみるうちに塞がっていった。
「随分痛い思いをしたみたいじゃん。色んな意味で。」
「………っ」
嘲笑を浮かべる実に、グランは何も言えずに唇を噛んだ。
実はそれに追い打ちをかけることはせずに、フェンを抱くシェイラを見下ろす。
「だから言ったでしょ? もし俺にこの件に直接関われと言うなら、誰かが何かを犠牲にすることになると思うって。」
「実さん……」
「まあ、今回は俺がブチ切れて勝手に首を突っ込んじゃったんだけどね。……で、自分の答えは出せたの?」
「……はい。」
シェイラは頷き、フェンを抱く腕に力を込めた。
「そう。なら、よかった。」
実は淡く微笑み、次に周囲を見回した。
「それにしても、これはひどいな…。さすがに俺の責任もある……よね。」
枯れて葉を落とした木々や、茶色く変色した茂み。
まるで、ここだけ冬になったようだ。
実は一つ溜め息を吐き、手にしていた魔力の塊を掲げる。
すると、急にその塊が強烈な光を発した。
目を焼くほどの光に、シェイラやグランは目をつぶる。
そして光が収まってから目を開いた二人は、揃って息を飲むことになった。
「嘘……だろ?」
目の前で起こったことをにわかには信じられず、グランは呻くように呟いた。
元に戻っていたのだ。
枯れ果てていたはずの木が、草が、花が、失われたはずの命を取り戻していた。
シェイラもグランと同じように、辺りの風景を信じ難そうな目で見つめている。
しかし、グランが驚いていたのはシェイラとは異なる視点からのことだった。
植物の再生。
正確には、植物の中の時間を操作して任意の状態にする魔法。
これは、かなりの上級魔法だ。
独学の範囲では到底扱えるものではない。
魔法の行使に必要な魔力量も、相当なものだったはず。
それなのに、こんな高度な技術をいとも簡単に……
グランは、信じられない気持ちで実を見つめる。
そうしていると、その視線に気付いた実がこちらと目を合わせてきた。
「―――っ!!」
口から漏れそうになった悲鳴を、グランは理性で必死に押し殺した。
底知れぬ恐怖が全身を駆け巡って、気を抜けば膝が笑いそうになる。
実が、一瞬だけ笑みを浮かべた。
その笑顔が、こちらのことなど全てお見通しだと言っているように見えて、心臓が一際大きく脈を打った。
喉が一気に乾燥する。
自分の周りだけ空気が薄くなったように思える。
早く目を逸らせばいい。
そう思うのに、それすらもできない。
こちらが理性を飲み込まんとする恐怖に耐えている間に、実の方が興味を失ったらしい。
ふっと視線を外されて、それまで緊張で固まっていた全身から冷や汗が噴き出した。
「さて。用事も済んだし、帰るか。」
そう言って、身軽な動きでハエルの背に跨がる実。
それを見た瞬間、停止していた思考が急激に動き出して―――
「待て、実!」
気付けば、去ろうとした実を呼び止めていた。




