第 4 部:鉄の城の残り火
鉄格子が嵌められた窓の外には、黒煙を吐き出す火の国の街並みがどこまでも広がっている。
重々しい鉄の扉が閉ざされ、錠が下りる乾いた音が響いた後、部屋の中には静寂だけが残された。
けれど、私に俯いている時間はない。
冷酷な王、感情を失った街の民、そして完璧すぎる無表情な侍女──この歪んだ要塞の中で、私は絶対に諦めない。
(あの時、エマが見せたほんの一瞬の動揺……あそこに、必ず心を開く鍵があるはず)
私は息を深く吸い込むと、控室へ戻ろうとしていた侍女の背中に向けて声をかけた。
「エマ」
呼び止められた彼女は、一切の無駄がない完璧な動作で振り向き、静かに頭を下げた。
「はい、スイ様。何かご入用でしょうか」
その声には、相変わらず生気も温度もこもっていない。
私は椅子から立ち上がり、彼女の正面へとゆっくり歩み寄った。
「あなた、ヴァルガから具体的にどのような指示を受けているのですか?」
私の問いに、エマは微動だにせず、淡々と事実だけを口にする。
「スイ様を逃がさぬように施錠をしておく事と、スイ様が不自由せぬよう身の回りの世話をするように言われております」
「……それだけですね?」
私は彼女の瞳をまっすぐに見つめた。
「では命令します。私は今、大変不自由ですので……エマ、あなたは私の友達になりなさい。私はあなたに興味があります」
氷の国で出会ってきたどんな人間とも違う、感情を削ぎ落されたような彼女。けれど、彼女の奥底には間違いなく「意志」が眠っている。それを知りたい、触れたいと思うのは、私にとってごく自然なことだった。
私の予想外すぎる言葉に、エマの無機質な瞳が一瞬だけ泳ぐ。
「……ヴァルガ様に確認してまいります」
くるりと背を向けようとした彼女の腕を、私は咄嗟に掴んだ。
華奢な腕から伝わってくる確かな温もり。
「いいえ、確認の必要はありません。禁止されていないのであれば、ダメではないということです!」
強引かもしれない。身勝手な屁理屈かもしれない。
けれど、この冷たい城で命じられた役割だけをこなそうとする彼女の殻を破るには、これくらいの踏み込みが必要だった。
「……そういう……ものなのですか?」
戸惑いを隠しきれず、首をほんの少し傾けるエマ。
「そういうものなのです!」
私がきっぱりと言い切ると、彼女はしばし沈黙した後、深くお辞儀をした。
「承知いたしました。では、私はどうすればよろしいのでしょうか?」
「まず、私の話し相手になってもらいます」
「……承知いたしました」
「それから、友達ですので、今後私と寝食を共にしてもらいます」
私の言葉に、エマは初めて驚いたように眉を少しだけ動かした。
囚われの身である王女が、監視役でもある侍女と同じベッドや食卓を共有するなんて、この国では考えられないことなのだろう。
「……スイ様はそれでよろしいのですか?」
「ええ、私はそれを望んでいるのです。それが友達というものです」
自分を偽らず、心を開いて人と繋がること。
奪うのではなく、分け合うこと。それが私の知る『友達』だ。
「……そうなのですか? ……スイ様がそうおっしゃるのであれば従います」
「では決まりですね。それと……」
私はエマの目の前、真向かいに立った。
そして、彼女の冷たくなった頬をそっと両手で包み込み、ゆっくりと自分の方へ向かせた。
至近距離で重なる視線。
逃げ場をなくした彼女の瞳が、僅かに揺れる。
「私と話をするときには、私の目を見て話をしてください」
言葉に乗せたのは、命令ではなく、私の切なる願いだ。
瞳を見れば、言葉の裏にある心が見える。私は彼女の『心』と対話がしたかった。
「……承知いたしました。スイ様」
「できればその、『様』をつけるのもやめていただけますか?」
思い切ってそう尋ねてみたけれど、エマは困惑したように視線を泳がせ、深く頭を下げた。
「……すみません、やはりそれはどうしても……」
さすがに長年叩き込まれた立場や規律を、一朝一夕で捨て去ることは難しいらしい。
あまり追い詰めてしまっては逆効果だ。私は手に込めていた力を緩め、優しく微笑みかけた。
「わかりました。ではそれはそのままで結構。でもいつか『スイ』と呼んでくれる日を、私は待っております」
こうして、私はエマと友達になった。
鉄と石に囲まれた冷たい牢獄の中で、小さな、けれど確かな灯火が灯った瞬間だった。
エマは、まだ少しぎこちないところはあったけれど、いつも私のすぐそばにいてくれた。
閉じ込められてから数日が過ぎた頃。
ただ部屋の中でじっとしていることに耐えかねた私は、「何か手先を動かせるようなことがしたい」とエマにリクエストしてみた。すると彼女は、刺繍ならお教えできます、と提案してくれたのだった。
それからは、静かな部屋の中で二人、黙々と布に針を通す時間が続いた。
チク、チクと規則正しい音だけが響く空間で、私たちはぽつり、ぽつりと会話を交わした。
エマの表情は相変わらず無機質で、感情の波は見えない。けれど、針を運ぶ彼女の手つきはとても丁寧で優しかった。彼女は刺繍の手を止めないまま、私にこの火の国のことを色々と教えてくれた。
この国では、ヴァルガを筆頭とする軍隊がピラミッドの最上位に君臨していること。
黒炎石という絶大なエネルギー資源を他国へ輸出しているおかげで、国民は貧しさとは無縁の暮らしを送っていること。
「私たちは幼い頃から、強力な軍と黒炎石があるからこそ豊かでいられるのだと、それこそが真の幸せなのだと教わって育ちます」
淡々と語るエマの言葉を聞きながら、私の胸の奥には冷たい違和感が広がっていく。
(……でも、それじゃあまるで、幼い頃からの洗脳と変わらないじゃない……)
強い力に守られ、満たされた生活を送る代わりに、自らの思考や感情を国に委ねてしまう。
『エマ、あなたは本当に今、幸せなの?』
喉まで出かかったその言葉を、私はかろうじて飲み込んだ。
ヴァルガとこの国に絶対の忠誠を誓うよう教育されてきた彼女に、それを問い詰めるのはあまりにも無遠慮で、決して触れてはいけない一線を越えてしまう気がしたからだ。
時折、重い足音とともにヴァルガが部屋を訪れることがあった。
「ほう、仲良くやっているようではないか? しかしエマは侍女だぞ、スイ姫も自分の身分をもう少し考えたほうが良いのでは?」
嘲笑うような視線を投げてくるヴァルガに、私は針を止め、まっすぐに彼の目を見返した。
「エマには私の友達になってもらったのです。身分の差など関係ありません」
「ほぅ、まあ、好きにするがいい。ただし、変なことは考えるでないぞ」
つまらなそうに吐き捨てると、ヴァルガは踏みにじるような足音を立てて去っていった。
脅すような彼の去り際を見送りながら、私は掴んだエマの手の温もりを確かめる。私たちが築こうとしている小さな絆は、この巨大な鉄の城のルールに、少しずつ、確実に穴を穿ち始めているはずだった。
それから、さらに数日が経ったある日のこと。
閉ざされた重厚な扉が開かれ、入ってきた人物の姿を目にした瞬間、私は自分の目を疑った。
息が止まり、手から刺繍針がポロリとこぼれ落ちる。
暗く冷たい火の国の城内で、私は予想もしなかった思わぬ人物と再会することになるのだった。
(第4部・完)
次回更新は8月25日17:50です




